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男女が眠る部屋に、いないはずの猫の声がする。そして女の悲鳴が……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第六章の弐 ちゃんちゃんこを着た猫 前編【期間限定無料公開 第61回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
梅雨前のどんよりとした夜、男と同衾していた女が、いないはずの猫に顔を搔かれ傷を負う。化け猫の真の狙いは男か、女か。女は修法師桔梗に助けを求めるが…第六章の弐「ちゃんちゃんこを着た猫」前編。

百夜夢bannerちゃんちゃんこを着た猫

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侠客の親分・傳通院の助次郎の愛人、深川芸者の梅太郎が化け猫に襲われた。弟子の女修験者・桔梗と共に事件に挑む盲目の美少女修法師・百夜。
大人気時代劇シリーズがパワーアップして帰ってきた。

 
 
 
 

第六章の弐 ちゃんちゃんこを着た猫(前編)1

 夢うつつの中で、傳通院でんつういんの助次郎は雨の音を聞いた。
 助次郎は小石川辺りを縄張りとするきようかくである。
 ここ数日、どんよりとした空模様が続いていたが、ついに梅雨入りか──。
 そんなことを思いながら助次郎は寝返りを打つ。膝が女の体に触れた。
 深川芸者の梅太郎である。深川芸者は源氏名に男名前をつける。
 芸は売っても身は売らぬ、身持ちのいい深川芸者が、女房のいる助次郎と〝いい仲〟になってしまったのは、腕っ節も強く男気があるのに、どこかすっとぼけた所のある彼の人柄に強く引かれたからであった。
 ここは深川の梅太郎の家。助次郎は『寄り合いがある』と言って家を出てきたのであった。
 梅太郎は熟睡している様子で、助次郎の膝が当たっても、身動きもせずに寝息をたてている。
 助次郎が再び眠りのなかに落ちて行く瞬間、猫の声が聞こえた。
 雨に降られて行き場を探しているのか──。
 声は雨戸の向こう、縁先から聞こえる。
 縁の下にでも入り込めば雨はしのげるだろう。
 そう思ってうとうとっとしかけた時だった。
 突然、梅太郎の声が部屋の中に響いた。
「痛っ!」
 助次郎は飛び起きる。
「どうしてぇ?」
 言いながら行灯に火を灯した。
「何かに引っかかれたんだよ」
 梅太郎は左の頬を押さえながら顔をしかめている。
「ちょいと、見せてみねぇ」
 助次郎は、梅太郎の左手を取って、その頬を見た。 
 細く赤い二本の傷が走っていた。
 血の滴が垂れている。
「こいつは……」助次郎は部屋の中を見回した。
「猫に引っかかれたな」
「猫?」梅太郎は眉をひそめる。
「猫なんか飼っちゃいないよ」
「今さっき、鳴いてたんだよ」
「どこで?」
「縁先で」
「雨戸が閉まってるんだ。入っちゃこられないよ」
「ちがいねぇ……。だが、だったらどこからへぇった?」
 助次郎の言葉に、梅太郎は慌てて部屋の隅々まで見回した。夜具をめくって中まで確かめたが、猫の姿などどこにもない。
「どっから入って、どこへ出て行ったんだい?」梅太郎は顔を歪めて助次郎に体を寄せる。
「薄気味が悪いねぇ……」
 いいながら、梅太郎は頬に手を当て、その掌を見た。流れた血の量はたいしたことはなかったが、こすったために掌は赤く染まった。
「あっ!」
 梅太郎は鏡台へ駆け寄って鏡の蓋を開ける。
「あ~あ。顔に傷がついてるよ!」
 梅太郎は左頬の傷を見て、半べそをかく。
「すぐに治るよ」
 助次郎は笑う。
「馬鹿。こんな顔でお座敷に出るわけには行かないだろう」
「膏薬貼って、『膏薬芸者でござい』って言やぁ、客にウケるぜ」
「人のことだと思って!」
 梅太郎は、鏡台のそばから紅の貝を取って、助次郎に投げる振りをした。
 梅太郎は、化粧で傷を誤魔化せるくらいになるまで三日ほどお座敷を休んだ。

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    ※          ※

 五日ほど経ったある夜。
 その日も、梅太郎の家には助次郎が泊まっていた。
 寝入ってすぐのことである。
 室内で猫の唸り声が聞こえ、助次郎は目覚めた。縁側に面した障子の辺りで聞こえているが、雨戸が閉まっているので部屋の中は真っ暗である。
 雨戸を閉め、戸締まりをしたのは助次郎である。猫が入ってこられるわけはない。
 慌てて飛び起きた助次郎は行灯の横に置いてある火打箱に飛びついた。
 手探りで火打石を打つ。
 焦っているのでなかなか火花がくちに落ちない。
 やっと火口に小さな火がつき、助次郎は息を吹きかけながら火種を作って付け木に火を移した。
 火打ち石の音に気づかなかったのか、それとも何かに集中して聞こえなかったのか、猫の唸り声は続いている。
 それは、ゆっくりと梅太郎の布団のほうへ近づいている。
 助次郎は付け木の火を行灯の芯に移した。
 室内がぼんやりと照らされる。
 猫は梅太郎の布団の側で、いましも彼女に飛びかかろうと姿勢を低くしていた。
 虎縞の猫である。
 紅いちゃんちゃんこを着ていた。
 錦織りであろうか。そのちゃんちゃんこの金糸が行灯の光を受けてきらりと光った。
 どこかの飼い猫か──?
 助次郎がそう思った時、猫と目が合った。
 猫は一瞬、怯んだように後ろに下がると、薄闇の中に消えていった。

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