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剣客宮口大学の女物の派手な襦袢から、行ってもいない海の香が……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第六章の参 潮の魔縁 前編【期間限定無料公開 第63回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
旗本屋敷の賭場に、剣客宮口大学がいた。その派手な女物の襦袢から、漂う磯の香に、壺振りの清五郎だけが気づいた。他の者は感じないらしい。大学に何かが憑いている…第六章の参「潮の魔縁(うしおのまえん)」前編。

百夜夢banner潮の魔緑

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博徒の親分・助次郎の賭場に現れた紅柄党の頭目・宮口大学の体から異様な磯の匂いが漂っている。
盲目の美少女修法師・百夜と博徒・清五郎の前に現れた怪異には獣臭がした。

 
 
 
 

第六章の参 潮の魔縁(前編)1

 麹町六丁目に、五百石取りの旗本、はなむらおきすけという男の屋敷があった。
 その四男は、べにづかとうの花村又四郎であった。
【三ツ足の亀】の事件で、騒ぎを起こした男である。ひところよう(アヘン)にたんできして身を滅ぼしかけたが、今はすっかり薬も抜けて、紅柄党に復帰している。
 紅柄党は、旗本の次男、三男のずみが集まって作った集団である。徒党を組み、江戸市中で好き勝手を繰り返している。刀の柄に真っ赤な紐をあしらい、紅柄党を名乗っているのだった。
 その花村の屋敷の中間部屋にでんつういんの助次郎の賭場が開帳したのは、小石川下富坂町、真榮寺の賭場を閉めて少したった夏のことであった。
 障子を開け放っているので、部屋に灯したろうそくに夏の虫がせんを描きながら近寄っては遠ざかる。
 盆ゴザの周りには十数人の町人たちがひしめいている。蒸し暑さに加えて男たちの熱気が籠もっているものだから、全員汗まみれでもろはだを脱いでいる。中には下穿き一枚になっている者もいた。
 せわしなく団扇うちわを動かす音が響いている。
 壺振りを務めているのは、不動の清五郎であった。猿股一丁にサラシを巻いた姿で、背中の見事な不動明王の彫り物に汗の玉が浮いていた。
 中盆を任されている平二と、その左に座るかしもと(賭場の責任者)は、夏物の着物をしっかり着こんでいるが、背中や胸元に汗染みが広がっていた。
 平二が、壺振りの合図を出そうとした時、入り口の戸ががらりと開いて、二人の侍が入ってきた。
 一人は又四郎である。自宅の中間部屋で賭場が開帳されるときにはいつも顔を出していた。
 もう一人は、白いの着物を着流し、腰に紅柄の長刀を差し落とした若い侍であった。上に女物の派手な柄のじゆばんを羽織っている。
 さかやきを伸ばしているので、浪人風にも見える。年の頃は二十歳を少し出たばかり。色白で役者にしたいようないい男。赤く薄い唇にこくはくそうな薄笑いを浮かべていた。
 紅柄党の頭目、みやぐちだいがくすけもりであった。
 平二が二人に会釈をして、
「はい、盆」
 と、清五郎に合図を出した。
 清五郎はちらりと宮口大学に視線を送り、
「壺、被ります」
 と、宙に放ったサイコロを壺で受け、華麗な身ごなしで盆ゴザに伏せた。
「さぁ、どっちも、どっちも!」
 平二が賭を促す。
 宮口と又四郎は町人たちを押しのけて盆ゴザの前に座り、いずれも半に賭けた。
 はみ出した二人の町人は、しかたなく座を離れて、部屋の隅で冷や酒を煽る。
「勝負っ!」
 清五郎は壺を開いた。
 六の目が二つ出て、清五郎は「ピン落としの丁」と目を読み上げる。
 宮口と又四郎の駒は回収された。
 次の盆が指示されるまで、清五郎はじっと座ったまま宮口を見つめた。
 清五郎は、宮口が入ってきた瞬間から奇妙なにおいに気づいていた。ちゆうげん部屋で嗅ぐはずのないにおいである。
 その視線を感じたのか、宮口は顔を上げた。
「おれの顔に何かついているか?」
「旦那。今日は海釣りにお出かけでしたかい?」
「いや」と、宮口は怪訝な顔をした。
「行ってはおらぬが、それが、どうした?」
「いや、失礼ながら、お体から磯のにおいがしておりやしたんで」
「磯のにおい──」
 宮口は眉をひそめた。
「お前、宮口さまに喧嘩を売っているのか?」
 又四郎が凄んで見せる。
 賭場の客たちに緊張が走る。いつでも逃げられるようにと腰を浮かせた。
「いえ。そうじゃござんせん。失礼いたしやした。ちょいと気になったもんで。堪忍しておくんなさい」
 清五郎は頭を下げ、後悔した。放っておけばいいようなことをつい口に出してしまった──。
 それほど、宮口のにおいは異様だったのである。
 海釣りに行ったくらいで、中間部屋の入り口からここまで臭って来るような海の香りが身に染みつくはずはない。漁師でもこれほどのにおいをさせている者はいない。
 そして、それに誰も気づいている様子がない。
 宮口の磯のにおいを感じているのは、どうやら自分だけらしかった。
「花村さま、宮口さま。どうも、失礼いたしました」
 平二が割って入った。「どうか、これで」と、花村の懐に紙に包んだ小判を入れる。
「堪忍するわけにはいかぬな」
 宮口が低い声で言った。
 清五郎は覚悟を決めた。
 江戸市中に名の知れた紅柄党の頭目を怒らせてしまったのである。相手は旗本。もしここで抗いでもすれば、世話になっている傳通院の助次郎に迷惑がかかる。
 潔く斬られるしかあるまい──。
「宮口の旦那」
 見るに見かねた助次郎が立ち上がろうとした。
 宮口は脇に置いた刀を鞘ごと掴んで、助次郎の胸元に突きつける。
「お前はすっこんでおれ」
 宮口の迫力に、助次郎は気圧されて動きを止めた。
 宮口はじっと清五郎を見つめる。
 清五郎は静かにその視線を受け止めた。
「いい度胸だ」と言って、宮口は平二に顔を向ける。
「今日の賭場は終わりだ。片づけろ」
 その言葉を聞き、客たちはばたばたと駒を換金して帰っていった。
 客たちが引き上げた賭場で、清五郎と平二、宮口と又四郎は盆ゴザを挟んで向かい合った。
「静かになったな」宮口は言った。
「詳しく話を聞こうか」
 中間部屋の空気が一気に緩んだ。
 助次郎と平二は、大きく溜息をついてあぐらをかいた。
 清五郎は正座したまま宮口を見つめている。
「それで──」宮口は刀を置いて言った。
「お前、名前は?」
「清五郎と申しやす」
「清五郎。磯のにおいがどうしたって?」
「いえ、それだけなんでござんす。旦那が入り口に姿をお見せになった時から、強く磯のにおいが漂って来たんで」
「今もか?」
「はい」
 清五郎の返事を聞いて、宮口は又四郎と平二を見る。
「臭うか?」
 二人は首を振った。
「ほかの者は臭わぬと言う。なぜお前ばかりに臭うのだ?」
「さて、それは──」
 と、清五郎は首を傾げた。
「お前、亡魂や物の怪が見えるか?」
 宮口が訊いた。
 清五郎は、はっとした。
「見えるといえば見えやすが──」
「お前が感じているのは、そういう類のにおいではないか?」
「もしかすると、そうかもしれやせん」
「磯のにおいか──」宮口は腕組みした。
「近頃海には近づいておらぬから、磯幽霊や水死人の類ではなかろう。障りがありそうか?」
「あっしにはそこまでは分かりやせんが──。あっしの知り合いに修法師がおりやす」
「修法師──」宮口の目がすっと細められた。
「まさか、百夜という小娘ではなかろうな」
「百夜さんをご存じで?」
 清五郎は驚いて言った。
 宮口はにやりと笑った。
「腐れ縁だ」

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