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宴も引けた深夜2時、吉原大門のそばに花魁がひとり。しかし、その顔は……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第七章の壱 花桐 前編【期間限定無料公開 第71回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
宴も引けた深夜、花街吉原の大門にひとりの花魁が立っている。遊女たちは皆、客を取って床入りしている時分。夜回りの松吉は花魁に提灯の明かりを向けた。そこで見たのは!? 第七章の壱「花桐」前編。

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吉原大門前に現れ夜警の者たちが腰を抜かした花魁姿の化け物。ついには、大見世・常盤楼の中で客を震え上がらせた。盲目の美少女修法師・百夜が活躍する人気時代劇シリーズの第七章は色街・吉原が舞台の怪異譚。

 
 
 
 

第七章の壱 花桐(前編)1

 しとしとと雨のそぼ降る吉原の夜である。
 端午の節句で飾られた花菖蒲のにおいも消え、遊女たちの夏衣装にも目新しさを感じなくなった五月の十日。
 大引け八ツ(午前二時頃)を過ぎて、吉原の中央を貫く仲ノ町は静まりかえっていた。日帰りの客は帰り、泊まりの客も宴を終えて遊女と共に床の中である。
 大門を入ってすぐ右側の四郎兵衛会所から、三人の男が現れた。初老の男が一人。二人は若者であった。
 初老の男は松吉。左手に弓張り提灯、左手に幾つもの鉄の輪が先端についた長い金棒を持っている。
 金棒引きと呼ばれる夜警である。
 松吉が先頭になり、若者二人が弓張り提灯を持って後ろについて歩き始めたときである。松吉は、大門のそばに人影を見つけた。
 しかけ(打掛)をまとい、まないた(前帯)を締めたおいらんの姿に見えた。今時分、花魁が大門の側に立っているはずはない。
「誰でぇ?」
 松吉は金棒をじゃらじゃら鳴らしながら駆け寄った。
 提灯を人影に向ける。
 俎に刺繍された赤紫の桐の花が、提灯に照らし出された。
 松吉は提灯を上に向ける。
 立兵庫の髪に何本ものべつこうかんざしを挿した花魁の顔──。
 松吉は悲鳴を上げた。
 後ろの若者も息を飲む。
 花魁の顔は、皺深い松吉のものだった。
「違う──」
 花魁は、しわがれた声で言い、闇の中に溶け込むように姿を消した。

         ※          ※

 翌日、走り梅雨であろうか。昼になっても雨は上がらなかった。
 大門のそばに現れた化け物の話は楼主たちに知らされ、すぐに茶屋の広間を借りて会合が開かれた。
 客が怖がって寄りつかなくなると困るから他言無用という意見と、客寄せになるから大いに広めるべしという意見に分かれた。
 堺町にある大見世、常盤楼の楼主は、亀女かめじょという老女であった。
 亀女は、鼈甲縁の眼鏡の奥の目をぎょろつかせて、集まった楼主たちを見渡した。
「吉原は遊女で客を呼ぶところだ。化け物を客寄せに使っちゃあ世間様に笑われらぁ。それに、物の怪ってぇもんは、こっちの都合で出てくるもんじゃないよ。昨夜ゆんべ出ても、今夜出るとは限らねぇ。まず、様子を見るんだね」
 楼主たちはうなずいて、亀女の言葉に従うことにした。
 その夜──。
 引け四ツを過ぎた頃から、楼主たちが傘を差して四郎兵衛会所に集まり始めた。化け物が出るか出ないかを確かめようという酔狂な者たちである。
 引け四ツとは、午前零時頃。吉原でだけ通用する時刻であった。
 本来午前零時は九ツである。しかし、吉原の時間は一刻いっとき(二時間)ほど遅い。
 江戸市中では、四ツ(午後十時頃)が店終いする時刻という決まりがあった。しかし、遊廓にとってはそれ以降が稼ぎどきである。
 だから営業を一刻延ばし、名前ばかりを店終いの〝四ツ〟としたのである。
 吉原は引け四ツには店終いするが、それも形式ばかり。それ以降は新しい客を入れないというだけで、雨戸を閉めた後、見世の中では大引け八ツまで宴が続くのである。
 その大引け八ツ近くなる頃までに、全部で六人の楼主が四郎兵衛会所の座敷に陣取った。酒を酌み交わしながら夜回りのときを待つ。
 大引けの拍子木があちこちの遊廓から聞こえ、楼主たちは土間に控えている松吉を見た。
 松吉は、おっかなびっくり会所の腰障子を開ける。雨は上がっていた。
 そっと大門のほうを覗くと、昨夜の人影は見あたらなかった。
 松吉は、ほっとして壁に立てかけた金棒を取って、外に出た。
「なんだい。今夜は出ないのかい」
 つまらなそうに言いながら、扇屋の楼主助五郎が松吉の横に立った。
「化け物なんぞ出ないにかぎりやす」
 松吉は言った。
「松吉の顔をした花魁を楽しみに、夜回りに加わったんだ。出てもらわなきゃ困る」
 助五郎は言うと、松吉の金棒をひったくり、じゃらじゃらと鳴らしながら歩き始めた。
 げらげらと笑いながら、ほかの楼主がその後に続いた。松吉は小さくなって最後尾を歩く。
 一行が歩く仲ノ町は、吉原の中央を貫く大通りである。左右には引手茶屋が軒を並べていて、遊廓のある京町、揚屋町、江戸町、角町、堺町、伏見町へ通じる木戸がその間に置かれていた。
 一行が仲ノ町の真ん中辺りまで来たときである。
 左側の堺町への木戸の前に、人影が見えた。
 助五郎は立ち止まった。
 立兵庫の髪にたくさんの簪。襠に俎を締めた影である。
「出やがったな」助五郎は呟き、提灯を仲間の一人に預け、金棒を両手に構えながら、じりじりと人影に近づいた。
「松吉の顔をした花魁なんぞ、怖くねぇぜ」
 二人の楼主が提灯を持って助五郎を挟む。
 提灯が、人影を照らした。
 鮮やかな朱の襠。前に結んだ銀色の大きな俎には、桐の花の刺繍。
 そして、その顔は──。
 助五郎だった、、、、、、
 助五郎が、虚ろな目でじっと助五郎を見つめている。
 そして、嗄れた声で呟いた。
「違う──」
「ひぇぇぇっ!」
 悲鳴を上げながらも、助五郎は金棒を振り上げた。
 助五郎の顔をした花魁はすうっと消えた。
 金棒が木戸の扉に激しい音を立てた。
 助五郎はその場にへたり込んでしまった。

         ※          ※

 わずかにときを遡る。
 吉原堺町、常盤楼──。
 ろうそく問屋の上総屋市右衛門かずさやいちえもんは、そっと部屋を出てかわやへ向かった。
 市右衛門は、妻を亡くして二年。寂しさを紛らわせるために、時々常盤楼を訪れていた。
 相手はまり格子こうしと呼ばれる、太夫より格の低い遊女であった。
 吉原の遊廓には、二階に客用の厠があった。当時、二階に便所を設けるのは遊廓くらいであった。
 所々に小さな雪洞ぼんぼりの灯る二階の廊下を歩く。
 遠くから金棒引きの鉄環の音が聞こえてきた。
 突然、金輪がじゃらじゃらと激しく鳴り、男の悲鳴が上がった。そして木戸の扉に何かがぶつかる音──。
 市右衛門はびくっと身を縮め、立ち止まった。
 夜回りが何者かに襲われたのだろうか──。
 がやがやと、大勢の人の声が聞こえてきた。堺町の木戸の辺りのようだった。
 何があったのだろう。
 市右衛門は不寝番ねずのばんの若衆に様子を訊こうと、廊下を急いだ。
 前方左に、一階への階段の降り口がある。
 そこから誰かが上って来る足音がした。
 不寝番であろうと、市右衛門は思った。
 ひたひたという裸足の足音と、ずるっ、ずるっという着物の裾を引きずる音。
 どうやら遊女のようだった。
 廊下に人影が現れる。立兵庫の髪に簪を挿した影が、ゆっくりと市右衛門のほうへ歩いて来る。
 廊下の雪洞がぼんやりとその姿を照らした。
 鮮やかな朱の襠。前に結んだ銀色の大きな俎には、桐の花の刺繍──。
 そして、その顔は市右衛門であった。
「違う──」
 と、市右衛門の顔の花魁は呟いた。
 市右衛門は絶叫した。
 左右の部屋の襖が開き、遊女や客が顔を出した。外の騒ぎで目を覚ましていた者たちだった。
「どうした?」
「何があった?」
 彼らが見たのは、廊下で腰を抜かしている市右衛門だけで、市右衛門の顔をした花魁は姿を消していた。
 不寝番や二階廻しの若衆も駆けつけ、市右衛門を抱え起こしながら、何があったのかを問うた。
「いや……。ちょっと滑って転んだだけだ」
 と、市右衛門は答えた。
 化け物を見たと言っても、誰も信じず、自分を臆病者呼ばわりするに決まっている。そう思ったからである。

         ※          ※

 堺町の木戸での騒ぎは、助五郎がつまづいて転び、金棒を木戸に打ちつけてしまったということにされた。
 市右衛門は嘘をついたので、常盤楼のにまで物の怪が入り込んだことは、誰にも知られなかった。
 二晩続けて仲ノ町に物の怪が出たことを、楼主たちは深刻に受け止め、とうをしてもらったほうがいいということになった。
 常盤楼の亀女は「ゴミソの鐵次という腕のいいほうを知っている」と言ったが、ちゃんとした寺院の僧侶に頼んだほうがいいという意見が多勢であった。
 夜な夜な現れる花魁は、恨みを持って死んだ遊女の亡魂に違いない。ならば、じようかんに頼むのが適当であろうということになった。浄閑寺は吉原で亡くなった遊女のこうをしてもらっている寺であった。

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