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百夜は着物を脱ぎ、白を塗り紅を置き、花魁衣装をまとって付喪神を誘う……平谷美樹の連続怪奇時代小説『百夜・百鬼夜行帖』第七章の壱 花桐 後編【期間限定無料公開 第72回】

モノが魂を持って動き出す!怒り狂う怪物、奇跡を起こす妖精。時を超え、姿を変えて現れる不思議の数かずを描く小説群「夢幻∞シリーズ」。そのうち江戸時代を舞台とした怪奇小説が「百夜・百鬼夜行帖」。
花魁姿の付喪神、その顔は、見た者の顔を映し、「…違う」と呟いて消える。誰かを探している? 修法師衣装を脱いだ百夜は、花魁姿となって付喪神を誘い、調伏を試みる…第七章の壱「花桐」後編。

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吉原大門前に現れ夜警の者たちが腰を抜かした花魁姿の化け物。ついには、大見世・常盤楼の中で客を震え上がらせた。盲目の美少女修法師・百夜が活躍する人気時代劇シリーズの第七章は色街・吉原が舞台の怪異譚。

 
 
 
 

第七章の壱 花桐(後編)4

 先に立つ亀女の後ろにつき、百夜と左吉は常盤楼の奥へ歩く。
「ここだ」
 亀女は曲がりくねった廊下の最奥を塞ぐ板戸の前に立って言った。
 百夜は板戸に顔を向けて肯いた。
 赤紫の付喪神の軌跡は階段を降りて廊下を進み、この納戸の中に消えている。
 今、付喪神はただの器物に戻り、この納戸の中で眠っている。
 さて、正体は櫛か、簪か、それとも着物、帯の類か──。
 百夜は板戸に手をかけた。
「中は暗いぞ。手燭を持って来ようか?」
 という亀女の言葉に、百夜は薄く笑って、
「明るい、暗いは関係ない」
 と、自分の閉じた目蓋を指さした。
 亀女は、ばつの悪そうな顔をした。
 百夜は板戸を開ける。
 薄闇の納戸の中には幾つも棚が置かれていて、花器の箱や煙草盆、行灯などが納められていた。
 赤紫の付喪神の軌跡は微光を放って奥に続いている。
 百夜はそれを追って納戸の中に入った。
「あっしらは外で待っててようござんすか?」
 左吉が百夜の背中に問う。
「構わぬ。すぐに済む」
 百夜は言って奥へ進んだ。
 付喪神の軌跡は、突き当たりを左に曲がった角の棚の前で消えていた。
 その棚の中段に、桐の箱が置かれていた。
 一尺五寸(約四十五センチ)四方。厚さは三寸(約九センチ)ほどだろうか。
 蓋に〈六代目 花桐はなぎり〉と書かれた紙が貼られている。
 蓋を開けなくとも、百夜は何が入っているのか分かった。付喪神は眠りについて気配を消しているものの、器物が発する気配が漂いだして来ていたからである。
「なるほど、そういうことか」
 百夜は肯いてその場を離れた。
 納戸から出てきた百夜に、亀女が訊いた。
「どうだった?」
「常盤楼に花桐という太夫はいたか?」
「花桐……。常盤楼ができた頃からなん代か続いた名だな。なん代目かの花桐が客に殺され、以後その名は絶えたと聞いている」
「いつの話だ?」
「わっちが常盤楼に入ったときに楼主から聞いた話だ。だから、もう六、七十年は前であろうな──。だが、なぜお前が花桐の名を知っている?」
「納戸に、〈六代目 花桐〉と書かれた箱が置いてあった」
「ああ、殺された花桐が、確か六代目だった」
「その花桐の持ち物がなぜ納戸にあった?」
「おおかたは処分したのだろうが、よい品物ならば、後々使うか、売るかしようと思って取って置いたのかもしれぬ──。では、上総屋たちが出会った花魁というのは、六代目花桐の亡魂か? 花桐は、その箱を探していたのか?」
「まずは、試したいことがある。うまくいけば、人に化ける花魁は出なくなる」
 百夜は言った。
「何を試す?」
「今夜、花魁が使う座敷を一つ空けて欲しい。そこで花桐太夫の〈仏おろし〉を行う」
「花桐の亡魂を呼ぶのか?」
「そうだ」
「それじゃあ」左吉がほっとしたように言った。
「やっぱり花桐太夫の亡魂が、人に化ける花魁の正体なんで?」
「まぁ、見ていれば分かる」百夜は答えて、亀女に顔を向ける。
「花魁の衣装を一式、貸してもらえぬか?」
 百夜がそう言ったとき、若い女の声がした。
「わっちの衣装をお貸しいたしんしょう」
 振り向くと、襦袢の上に打掛を羽織った女が廊下を歩いて来る。
 顔は細面。目は大きいが切れ長で、小さい口に紅はさしていない。垂髪を後ろでまとめていた。若くて華奢な体つきをしているが、堂々とした風格のようなものがあった。
「七瀧──」
 亀女が言った。
 百夜はどきりとした。
 この女が七瀧か──。
 何やらもやもやした、名状しがたい思いが胸にこみ上げた。
「こちらが百夜さまでありんすか。お初にお目にかかりんす。七瀧でありんす」
 七瀧は廓詞くるわことばで言って軽く膝を折って挨拶した。
 百夜が生きた時代、遊廓独特の里言葉──いわゆるありんす言葉は廃れつつあった。格式を誇る大見世でも、廓詞を使わない遊女が増えていたが、常盤楼では禿から花魁まで昔からの里言葉を使い続けていた。
「百夜だ。孫太郎から話は聞いている」
「孫太郎さまからでございますか」七瀧は意味ありげにふっと笑う。
「今宵はわっちの座敷をお使いなんし」
「今夜は客が入っているであろう」
 亀女は顔をしかめる。
「行水(生理)でありんすと、お伝えくなんし。けちな客一人よりも、常盤楼が大事。妖怪変化の調伏をしんせんと、悪い噂が立ちんす」
「うむ──」
 亀女は不承不承、肯いた。
「百夜さま」七瀧は百夜に顔を向けてにっこりと微笑みかける。
「わっちも津軽生まれ。今日の床入りはなくなりんしたから、暗くなるまで懐かしい故郷の話でもしんしょう」

         ※          ※

 左吉は手酌で酒をちびちびと飲みながら、百夜と七瀧が談笑する姿を眺めていた。
 二人は津軽言葉で話をしているので、左吉にはまったく聞き取ることができなかったが──。
 七瀧と話をする百夜の姿は、今まで見たことがないほど生き生きとしていた。
 ころころとよく笑い、早口で意味不明の言葉をまくし立てる。七瀧もそれを受けて、言葉を返し、お互いに体を押し合ってまた笑う。
 方や大見世の花魁。方や腕利きの修法師。
 その二人が、まるで普通の町娘のようにはしゃいだ声を上げている。
 左吉は、その話の中に入っていけないのが口惜しかった。
 口惜しいから酒が進む。
 女中を呼んで酒のお代わりを重ね、左吉はいつしか畳の上に転がって、鼾をかき始めた。

         ※          ※

 日が暮れて、二階廻しの若衆が薄絹張りの雪洞に火を入れに来た。
 七瀧は若衆に何事か耳打ちする。
 若衆は肯いて、
「おなみ、めなみに用意させやす」
 と答え、座敷を出た。
「おなみ、めなみとは?」
 百夜が訊いた。
「わっちの禿でありんす」七瀧は廓言葉に戻って言った。
「そろそろ準備を始める頃合いかと思いんして」
「かたじけない」
 百夜も武家言葉に戻り、頭を下げた。
「楽しゅうおした」七瀧は微笑みながら言った。
「久々に、本心から笑いした」
「わたしもだ」
 百夜は言った。
「もし、お嫌でなければ、時々お顔を見せてくんなんし。朝四ツから昼九ツまでは、あがり(暇)でありんす」
「こんな格好の女修法師が出入りしては迷惑であろう」
「異形の鐵次さまも出入りしておりんす。あのお姿に比べれば、百夜さまの装束、何ほどのことがありんしょう」
 と、七瀧は笑った。
「違いない」
 百夜も笑う。
「失礼いたしんす」
 と、子どもの声がして、襖が開いた。
 眉の下で揃えた尼削ぎの髪に、紅い着物の禿が二人、乱れ籠を持って座敷に入ってきた。おなみとめなみである。
 おなみは、入り口近くで寝込んでいる左吉を、邪魔そうに足で押した。
「これ、おなみ」
 と、七瀧はたしなめる。
 おなみはぺろりと舌を出した。
 禿の後ろから、亀女が立兵庫のかつらを持って現れた。簪をたくさん挿した芝居の傾城けいせい(花魁)用の鬘である。
「こんな物、何に使う?」
「百夜さまが、おつけになるのでありんす」
「何?」
 亀女は眉をひそめた。
 七瀧は百夜を促す。
 百夜は肯いて着物を脱ぎ、襦袢姿になった。
 七瀧は乱れ籠から化粧道具を出し、百夜の顔から首に掛けて白塗りにする。頬に薄く紅を置いて丁寧に延ばし、美しい桃色にした。
 きりっとした眉を墨で描き、唇に紅を幾重にも塗り重ね、下唇を玉虫色に輝かせた。
 化粧が終わると、おなみとめなみが手伝いながら、百夜に鬘を被せ、花魁の装束を着せる。
 紅縮緬地べにちりめんじに金糸銀糸、色糸で桐の花を刺繍した襠。俎には、大柄のの文様が大胆に配されていた。
 七瀧は、百夜に衣装を着付けながら言った。
「身を持ち崩して流れ着いた女がいないではありんせんが、身を売らなければ家族全員が飢え死にしてしまうっていう家の娘がほとんどでござりんす。家族のために苦界に落ちて、この煌びやかな衣装をまとうことを唯一の望みとして生きていくのでありんす。しかしながら、これを着られるのはほんの一握り。四千もいる遊女の廓内なかで、太夫はたったの十人」
 遊女は、七歳頃に買われて禿となり、十五歳で見世に出る。そして、およそ十年後には年季が明ける。その間に、馴染の客に身請けされるのは希有な例である。ほとんどが年季が明ける前に過労や病で死ぬ。運良く生きて年季を終えても、行く場所がない。伎楼に残って遊女を続けるか、格の低い岡場所へ身を置くか──。いずれにしても、ぼろぼろになって死んで行く女たちなのである。
 花魁の衣装は、そんな女たちが夢見ることのできるたった一つの希望なのだった。
 着付けが終わった姿には、修法師百夜の面影はなかった。そのまま見世に出ても花魁で通用する美しさである。
「姿見を」
 と、七瀧は二人の禿に言った。
「いや、いい」百夜は慌てたように言う。
「見るのは気恥ずかしい」
 七瀧は笑う。
「そう仰らずにご覧なさいまし。美しいお姿でありんす」
「いい。やめておく。心が乱れれば、うまく〈仏おろし〉ができぬ」
「左様でありんすか。きっと後悔なさりんすえ」
「いいと言ったら、いいのだ」百夜はムキになって言った。
「おなみ、めなみ。風呂敷包みを取ってくれ」
「あい」
 二人の禿は、くすくすと笑いながら部屋の隅の風呂敷包みを取って、百夜の前に置いた。
 百夜は座って包みを解き、現れた木箱から白木の位牌と、短い弓、竹の棒を出した。
 矢立の筆で、百夜は位牌に〈花桐太夫〉と記し、畳の上に置く。そして、弓を取って一端を空箱に当て、竹の棒でつるを叩いた。
 びーんっ。
 と、弦が鳴り、空箱で共鳴した。
「たれのみちをよぶか ひゃくにちごえのほとけのみちをよぶか──」
 百夜の口から祭文が流れ出す。
 祭文の節に合わせて弦を鳴らす。
 百夜の言葉と弦の音が響き合い、絡まり合って、座敷の中に満ちてゆく。
 雪洞の中の蝋燭の火がすっと暗くなった。
 百夜は何者かの気配を頭上に感じた。
 花桐の霊である。
 惨死したからであろうか、花桐の霊は成仏していなかった。しかし、歳月が恨みの思いを浄化し、人になんの害ももたらさない、そして益ももたらさない、ただの〝存在の記憶〟として漂いさすらうモノと化していた。
 辛うじて己がかつて花桐と呼ばれていたことは覚えていたようで、百夜の召喚に応じたのである。
 頭上の気配はゆっくりと降りてくる。
 そして、百夜の全身を包み込み体内に染み込んで行った。
「花桐はここだ……」
 百夜の口から言葉が流れ出した。
 それは、百夜のそれとは異なる、少し低い女の声だった。
 同時に百夜の顔が面変わりした。
 ふっくらとした頬が細くなり、閉じていた目蓋が上がる。鳶色の虹彩が弱い雪洞の明かりを反射した。
 座敷の空気が重くなった。
 花桐とは別の気配が座敷の外の廊下に凝集した。
 すうっと襖が開く。
 紅い襠に桐の花を刺繍した銀の俎。立兵庫の髪の下には、真っ黒い空洞があった。
 おなみとめなみが七瀧にしがみつく。
 七瀧は二人を抱き寄せながら、口元に指を当てて、声を上げないように促した。
 亀女は座ったまま、横を通り過ぎて行く顔のない花魁を鼈甲縁の眼鏡の奥のぎょろつく目玉で追った。
 左吉は相変わらず、大鼾で寝入っていた。
 百夜は立ち上がり、前に出た。
「花桐はここだ」
 百夜の口を借りて、花桐の霊が言った。
 顔のない花魁は、素早い摺り足で百夜に近づく。
 花魁は、百夜にぶつかりそうなところでぴたりと止まった。
 首を伸ばして百夜の顔を覗き込む。
 暗黒の中に百夜に憑依した花桐の顔が映じた。
「ここにいた……」
 花魁は呟いた。
 嬉しそうな声だった。
 その瞬間、花魁の姿はかき消え、何か黒い物が音を立てて畳の上に落ちた。
 雪洞が元の明るさを取り戻した。
 畳の上には鏡が落ちていた。径が七寸(約二十一センチ)ほどの丸い鏡である。短い持ち手がついている。
「鏡……。松吉、助五郎、上総屋の顔をした花魁の正体はこれか。鏡だから正面に立った者の顔を映したんだな」
 亀女は呟いた。
 百夜はゆっくり肯いた。
「作られてから百年近い歳月がたち、鏡が付喪神の力を得たとき、長い間自分に美しい顔を映していた花桐の姿がないことに気づいた」
「鏡はあるじを探していたのか──」
 と、亀女は百夜を見る。
「今は亡き花桐の顔をもう一度自らの体に映し、付喪神は満足して消えた。二度と現れることはあるまい」
「この鏡は、どうすればいい?」
 亀女は訊く。
「わっちが大切に使いんす」七瀧が言った。
「蒔絵師に頼んで、裏に美しい桐の花を描かせやしょう」
「花桐にとってもいい回向になるであろう」
 百夜は肯いた。
 七瀧は鏡を拾い上げ、胸に抱いて百夜を見た。
「まんず、めやぐであったきゃの」
 と、七瀧は津軽言葉で頭を下げた。
「なも、けねじゃ」
 百夜も津軽言葉で返した。
「同じやりとりを、鐵次さまとも交わしんした」
 七瀧はにっこりと笑った。

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