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モーリーのBOOK JOCKEY~もう一つのサザエさん~【第6回】

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」が、多様化する日本社会について問題提起する!「もっと議論しなくてはならない」と提唱するモーリーの意図とは?

<第6回>「新・サザエさん」の国へ

ガラパゴス化した日本

日本人がガラパゴス化した。それは周知の事実だ。鎖国の時期にもそうだったし、明治維新が起きてからもなんだかんだで、心の鎖国を解いていない。外国人もたくさん、ぼくを含めてテレビに毎日出ている。だが求められるのは外国を知らない大多数の日本人(しかもどちらかというと高齢者たち)が思い描く、理想化された欧米や単純化された世界の縮図を語るという役割を担わされている。もう、いいかげんそれも限界に来ているのだが。

どうガラパゴスなのかというと、要するに外の世界に向かって入り口と出口をほとんど開いていない。出入り口を開くと、どの社会も価値観や生き方の多様性が起きるが、それが日本で起きていない。多様化が起きていないために政治や企業、あるいはコミュニティーで権力が一極集中する。それぞれに決定権や発言権を掌握した者たちが既存の体制を温存することに執着する。老害も起きる。全員が少子高齢化すると、全員が老害となる。するとますます多様化を恐れ、以前と少しでも異なる決定を出すことを恐れる。さらに、小さな違和感にも耐えられなくなり、感受性が潔癖になる。芸能人の不倫や政治家の使途不明金が異様なまでに気になる。要するに柔軟性を失って身も心も老化が進み、激しい腰痛と肩凝り、目まいを日々の処方箋でまかないながら、自分の余生を確保しようとする者ばかりで、冒険者が社会から消える。

世の中は変わっていくのが当たり前、という、かつて戦後日本に存在した常識すら忘れられる。マスメディア、インターネットを問わず、送り手、受け手を問わず、個々人が自分に心地よい蛸壺に引きこもり、耳当たりの良い話しか聞きたがらない。これが全日本規模で継続されている。その流れは「今が一番いい」「日本人は世界からも認められていて優秀なんだ」という、意図的な「過去の忘却」をもたらす。それのみならず、これから違う時代が来るということを考えたくない人同士で固いスクラムを組み、ワイドショー的なネタで日々盛り上がり、炎上し、余暇を浪費するという無限ループ、つまり「未来の忘却」にもつながる。想像する力が次第に衰え、物事を多様な角度から見る余裕が失われ、国境を越えて激しい変化が訪れているという現実からとにかく注意をそらし続けるという悪しきループに陥っているのだ。だが逃げまくっても、じわりと不安が増していく。漠然とした居心地の悪さだ。

都会のコンビニには若き中国人たちが立っている。田舎の過疎化してゆく小さな町のシャッター街では、超高齢化する地元出身者にまじってフィリピン人、中国人、タイ人、ベトナム人、諸外国の人間が歩いている。日本で働き、定住する外国人の日本語は日々、上達している。そのほとんどが英語やスペイン語なども使える。自分が生まれた国で「介護人口」と化す日本人たちは、介護の入り口に立ってなお、英語をたしなみとは考えていても実際に毎日使う言葉だと認識していない。生涯を通じて英語やその向こうにある世界は「外国」でしかなく、ハイカラな舶来品の集合体であり、点のつながりであり、どの点と点も実線で結ばれない、要するにお伽話の存在である。目の前にいる中国人も「どこかからやってきたお客さん」あるいは「ちょっと迷惑だけど、いてもらわないといけない存在」でしかない。中国人、フィリピン人、タイ人、ベトナム人、南米出身者、中東出身者、アフリカ出身者。主役である日本人を立てるためのキャストがディズニーランドのスタッフのように、日本人がわかる「ぬいぐるみ」を被ってくれている、とでも言わんばかりの認識で接している。つまり「だめだ、こりゃ」なのである。一世代前の2ちゃんねる用語で言うなら「日本\(^o^)/オワタ」なのだ。

もともと海外からの情報や出来事に免疫がない地政学的な状況にあった日本は、事あるごとにガラパゴス化した。その社会的な習性が、たまたま戦後、アメリカの占領を経て「核の傘」に入った時期、造船、半導体、カラーテレビ、自動車などの製造ラインを効率化させる上で大変役に立った。一糸乱れぬ集団行動を強みにしたワークフローで製品のコストを下げるだけでなく、パフォーマンスも向上させた。そのため重厚でぼんやりと悠長なアメリカの自動車産業、家電産業、鉄鋼などの市場を軒並み席巻し、欧米の製造業の町を一つ、また一つと壊滅させていくほどの威力をもった。しかも欧米式のルールで市場のニッチを見つけて一点突破し続ける優等生だった。この成功体験がご存知の通り、後々仇になる。

ここで論じたいのは、どうして、なぜ日本人はガラパゴス化するのか、「過去がどうして過去だったのか」ではない。その議論を進めるといつしか「日本人はがんばってきたんだな。よくやったよ。おつかれさん」といった自慰的な結論が導かれ、もう一ラウンド現実逃避を繰り返すことになるからだ。よりドラスティックに今、どこに目を向けるべきかという話がしたい。こういった話はほとんどの高齢者が聞きたくない内容を含んでいる。したがってテレビの台本からも、新聞の紙面からも排除されている。それどころかツィッターやニコ生でさえ話題にすると炎上が起きる。そこまで現実と向き合ったハード・トークは各年齢層、メジャー・マイナーの各階層で忌み嫌われている。だから、ここに書くしかない。

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