本との偶然の出会いをWEB上でも

モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第7回】~ロックは必ずしも反アベではない~

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」による連載の7回目。今回は、自身の体験を交え、ロックを通じて熱いメッセージを放ちます!

日本の「ロック」は「パンツ」を履いている

ロックはかつて破壊神として君臨した。「大人たちが干渉できないもう一つの世界」をロックは作り出し、ロックを愛する者はありとあらゆる理想郷を幻視できた。フェミニストから公民権活動家、反戦活動家、進歩的文化人たちもロックの魅力に相乗りして、変化を望まない小市民的な大人たちのぐずぐずっぷりに一矢報いるツールとして利用した。だが……

ロックが本質的に進歩的な政治運動と結びつくという保証はない。例えばロック・スターのテッド・ヌージェントはその後NRA(全米ライフル協会)の活動家となり、極右思想を吹聴するようになった。また数々のロックバンドの内部で男女関係は圧倒的に男尊女卑的なものが多い。その自由さにフェミニズムの側から思いを投影しても、所詮は同床異夢であり、片思いだ。またロックが富の再分配を唱えたケースも少ない。むしろ「おれ様」が好き勝手をできるように、天から大金が降ってくるような夢をロック・スターたちは体現し続けた。U2のようなバンドがアフリカの飢えている子どもや貧困な人々を救おうとフェスを開催したが、長期的に見るとバカっぽい結果になったものが多い。「LIVE AID」に共鳴した西洋人のうち、今なおエチオピアの諸問題に興味を持っている人はどれほどいるのだろう。

ロックの圧倒的なレガシーは「破綻」そのものだ。大人の責任感に縛られずに大冒険をするという、永遠の少年心理に裏打ちされた、男性原理の夢。男女の役割が固定し、キリスト教への信仰心が篤く、人種が隔離されていた時代には破壊力を持っていた。だがその後、現実の社会が多様化した途端、ロックの破壊力は言わばパンツを履かされ、減衰した。歴史を振り返るとむしろファシズムやカルトの興亡の方がある意味、ロックに近い。

ウッドストック→グレートフル・デッド→スティーブ・ジョブズ→ベン・アンド・ジェリーズ(アイスクリーム会社)→バーニー・サンダース……という線だけを見ると、ロックは進歩的な政治と一体化して成長してきたようにも見える。ただ、反例が目立ちすぎている。

ジミー・ペイジはアレイスター・クロウリーが住んでいたお城に暮らして魔術の英知を求めつつ、ヘロインなどをやったり、14歳のグルーピーとオールナイトの性的な儀式を行ったりして、これが左派の心ある運動にどう貢献したのかはまったく線で結べない。ロックの真骨頂は破綻すること、そのものだ。

現実の政治を起点に際どい風刺や、考えてはいけないところに思考や感性を持っていくことにおいて、ロックは怪力を発揮した。LSDを摂取することは、人によっては命懸けであり、それを肝試しとして促し続けたわけで。「反戦! 平和! 座禅を組もう! その後でセックスしようぜ!」とバンドル化して、熟慮を排した。

こうした理由で、いつしかロックが「世知辛い世の中で、数少ない良心を発露する手段」になっていったのは、歴史修正としか言えない。「ナチスは絶対に悪い」というのだけがロックの役割ではない。むしろ思わせぶりに鉤十字をあちこちに散りばめつつ、悪魔のお面を被って「負け組のおれだって、本当はクールなんだ」と吠えることがロックだった。

ゴリゴリの体制派、警察官、そして「日本会議」な人たちがモーターヘッドやツェッペリンを大好きになったとしても不思議ではない。それもロックの一つの側面だ。右派や保守の人に「そんなんではだめですよ」と叱ってあげる義務をロックに負わせることはできない。これから新たに「右翼は良くない」という音楽のジャンルを定義して、それを強引に「ロック」と呼ぶことは可能だが。

加えてアメリカのロックは、個人の生活に政府が干渉することを殊のほか嫌う「リバタリアニズム」の精神に向かう傾向がある。バーニー・サンダースを応援して、学生ローンの軽減を願うことではない。何が正しくて何が間違っているかは、一人一人が自分で旅をして見出さなくてはならない。社会の一般常識、つまりテンプレートのような「公序良俗」の域を出ない価値観の中から「戦争反対」「差別反対」などというイージーな正解を導き出すことなど、もってのほかだ。誰も行かない獣道を一人行き、LSDや劇薬の力を借りながら自分だけの啓示を受ける。世間がどのように揺れようとアメリカの大統領選には投票せず、アメリカの民主主義の政治プロセスからはあえて棄権する。その結果、自分が決定権を持たずに世の中が動いていくこともあえて受け入れる。その選択もロックなのだ。

反対に日本のロックはどこかでぐるっと一周したようだ。「がんばろう」という仕事への意欲を回復する手段となったり「安倍政権の右傾化はよくない」という安全なメッセージへと逃げてしまっている。国内ロック・シーンの著名ミュージシャンたちが純粋な眼差しで「世直し」を叫び、「差別はよくないことだ」「世界に平和を」と中産階級的な公序良俗を勧めている。いや、押し付けている。「おれがどう大麻やコカインをやろうが、密売しようがおれの勝手だ」という脱法的な歌詞が日本で歌われるのを聞いたことがない。ビートルズの「デイ・トリッパー」が「昼間からクスリをキメてラリっているやつ」というダブル・ミーニングを持つことを知っている日本人ロッカーは、何人いるのだろう?日本のロッカーたちは友達との絆や日本の復興をやたらと大事にしているのだ。個々の選択に注文はつけないが、それがロックだと言われると、ぼくは考えこんでしまう。

「フリクション」は歌詞やメッセージ以前に、リズミックな爆音が強烈過ぎ、すべての感覚が包まれてしまうのだった。歌詞は聴いていなかった。音が歌詞を呑み込んでいた。プレイヤーから聞き手の無意識に、言葉を介せずに直接エネルギーが伝わるライブだった。もはや「一緒に盛り上がろう」とすら思えず、呆然とした。ロックには呆然とさせてほしい。次に呆然とさせられるものは、新たな全体主義、ラディカルなエコロジー、聖戦を呼びかけるカルト宗教、あるいは人の道を外れたテロかもしれない。何であっても激しさが臨界点を超えた時、正邪を超えてそれがロックとなるだろう。


モーリー・ロバートソンのプロフィール

モーリー

日米双方の教育を受けた後、1981年に東京大学に現役合格。1988年ハーバード大学を卒業。国際ジャーナリストからミュージシャンまで幅広く活躍中。現在はフジテレビ「ユアタイム〜あなたの時間〜」(平日 23:30)、BSスカパー!「Newsザップ!」(月曜 18:00)、NHK総合「所さん!大変ですよ」(木曜 22:55)、テレビ東京「チャージ730!」(不定期・月曜-金曜 7:30)、ニコニコ生放送「モーリー・ロバートソン・チャンネル」(月2 )出演のほか、各誌にてコラム連載中。


モーリー・ロバートソンの過去連載記事はこちら
▶第1回:モーリーが、学生活動家「SEALDs」に読ませたい10冊
▶第2回:モーリーが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」①その青春の軌跡
▶第3回:モーリーが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」②その青春の軌跡
▶第4回:モーリーが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」③その青春の軌跡
▶第5回:モーリーが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」(最終回)
▶第6回:~もう一つのサザエさん~

記事一覧
△ モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第7回】~ロックは必ずしも反アベではない~ | P+D MAGAZINE TOPへ