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モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第8回】丸裸の魂とダイヤモンド

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」による連載の8回目。熱く、ほとばしる情熱がみなぎる、モーリーが歩んできた道のりに注目です!

全方向への誠意

「General Butt Naked」が素っ裸でトラックに立って民間人の虐殺を指揮した1996年4月6日は土曜。同じ日、モーリー・ロバートソンは東京でJ-WAVEのクールをまたいだ最初の週末を迎えていた。1991年の10月から始まった深夜ラジオ番組「Across The View」は4年半続き、人気番組であったためにこれからもまだまだ続きそうだった。しかしモーリーはたまらない不満をこの番組、J-WAVEというFMラジオ局、そして放送業界全体に抱いていた。できれば放送業界を仕切る幹部連中の首を全員切り落として、サッカーボールのように遊んでやりたかった。

モーリーにとって深夜番組「Across The View」は世間から一身に注目を浴びる天の恵みであると同時に、いたたまれない災いでもあった。最初の3年間は週に5日、午前1時から3時までの生放送でしゃべり続けた。厳密には午前1時から午前2時5分までしゃべり倒し、音楽だけの後半が流れる中、別の小さなスタジオに入って最後の5分のトークを収録。そのままタクシーで東池袋の賃貸マンションに帰って、2時55分の最後の5分間を自宅のラジオで聴く、というサイクルだった。時差のある世界各地に国際電話をかけ、英語で会話し、途中で1曲挟んで会話の要約を紹介。そしてまた次のトークへと移る「深夜の世界雑談」だった。この番組はモーリーがフルにバイリンガルなこともあって、ヒットした。最初の半年間は英語で話すスピードのほうが速く、もたついた日本語を追いつかせるという作業だったが、フルにバイリンガルな人間が聴いていなければわからないぐらいのスピード差だった。アメリカに暮らした10年間のうちに発想も話法もすべてアメリカナイズされていたため、自分の引き出しにある物言いを1つずつ日本語に翻訳しながら、半年が過ぎた。

半年が過ぎた頃、モーリーは水を得た魚、いや魚を得た水になっていた。週に5日のトークで日本語の筋力もすっかり身につき、決めごとのない真っ白な台本を前に、即興の話術がフル稼働する。午前11時前に目が覚め、近くにあったサンシャイン池袋の吹き抜けの地下にある「ドトールコーヒー」へと足を運び、正午のラッシュが始まるまでの小1時間、ひたすら即興でノートに原稿を書いた。英語と日本語で書きなぐった。原稿がその日の夜のトークとして活かされる時もあったし、本番では全く関係のない話題へと飛ぶ可能性もあった。とにかく、何が起きてもいいようにずっとエンジンを回し続けておくのが日課だった。

ファンレターが夥しく舞い込み始める。ほとんどが「丸文字」と呼ばれる少女の字体で書かれていた。これに物足りなさを感じたある夜、
「もうファンレターは要りません。芸術作品を郵送してください」
と呼びかけた。数日後、美大生から三次元の作品にそのまま切手を貼った「定形外郵便」がスタジオに届く。この作品を言葉で描写し、論評を加えると、さらに工夫をこらした「郵便アート」の作品や真心で描かれた水彩画や漫画が封筒で届く。プロの手になる作品もあり、どんどんとアートが積み重なっていった。その様子をリアルタイムで聴いていた都内の画廊が申し出て、郵送された作品だけでグループ展が開催されるほどになった。

モーリーの冒険心に火がついた。リスナーから即興詩をFAXで呼び寄せる朗読会、電子音楽やフリー・ジャズを聴きながら自筆の散文をボイス・オーバーする回、スタジオに楽器を持ち込んで複数名のプレイヤーによるセッション、シンセサイザーや鳴り物を使った「判定」形式のバトル、一話完結のシュールなラジオドラマ。全身全霊で「Across The View」を生きていた。昼夜の逆転をものともしない、幸せな2年間だった。太陽光を浴びる時間が減ったため、脛や上腕の内側に斑点ができたこともある。

この3年の間、ずっと付き合った新人ディレクターがいた。野崎という同世代の男だった。大学で園芸を専攻し、卒業した後も定職に就いていないところをスカウトされ、ラジオ業界に。親のコネもあったかもしれない。アシスタント・ディレクターから始めてラジオ番組の基礎を仕込まれていたが、チーフ・プロデューサーの采配で数カ月後にはモーリー専属のディレクターに昇格。局内にはこの異例の人事に抗議する高齢ディレクターもいたが、プロデューサーが豪腕で押し通した。

野崎とADはモーリーの話をとにかく、よく聞いた。息遣いにも耳をそばだて、表情を読み取って、
「何か言いたげだね」
と次の話題を引き出すことすらあった。毎夜、ペヤングの焼きそばに熱湯を入れ、放送中にスタジオに差し入れた。それでもモーリーはあまりにしゃべり倒すので、放送終了後には空腹感を覚えたほどだ。

野崎とは新潟港にも、ロシアにも取材に行った。「どんな音楽でもかけよう」という合意のもと、前衛的な電子音楽からクラシック、民族音楽、ワールド・ミュージック、パンク、ジャズ、浪曲、なんでもかけた。あえてまったくつながりのないジャンルの曲をお互いにぶつけるように選曲してかけた。ピンク・フロイドの曲の異なるアレンジを、右の耳と左の耳で同時に流すという不意打ちのパフォーマンスもやった。とにかく何でもありな状態を、互いのあうんの呼吸で作っていった。リスナーにとって毎回、最低1回のサプライズが待ち構えていた。音のお化け屋敷だ。やり過ぎ、あるいは放送上不適切な内容であっても、野崎はわざと気づかないふりをして、後で、
「仕方ないなあ」
と言ってくれるのだった。心の中で野崎と結婚しているようだった。そんなことはぜったい本人には言わなかったが。

2年半を超えたあたりで野崎が燃え尽きた。他の仕事もやらされていたからだが、バブルが崩壊してJ-WAVEの収益が急激に失速し、社長も変わって、黒字を出している競合のTOKYO FMに近づけた編成替えが行われた頃合いだ。野崎はがんばって、上から言われた「つまらない曲」、つまりJ-POPをなるべく2時台に押し込むようにして、1時台の聖域をモーリーと共にキープしようとした。だがその堤防にもヒビが入り、徐々に決壊が進む。J-WAVEが売りだそうとプッシュしている「つまらない」1曲が1時台にかかるようになって間もなく、野崎はラジオ業界からすっぱりと足を洗った。

共犯者がいなくなった後の「Across The View」は、同じ番組ではなくなっていた。NHK-BSやフジテレビからのオファーがあり、芸能プロに所属したこともあって仕事はどんどんと増えていた。金回りも知名度も飛躍した。

しかし自分の中ではゆっくりと魂の輝きがくすみ、視界もほんの少し濁り、生命力そのものがトーンダウンされ、鮮やかだった切れ味が全体に鈍っていく。自分のものでしかなかった自分の言葉が、より多くの人間がすぐに理解できるようにコンドームを被せられた商品へと変貌していく。電通が仕切る新聞広告の撮影では、顔も名前もすぐに忘れた文化人と向き合って2時間座っているだけで100万円のギャラが出た。3年間、ほぼ毎日歩き続けた池袋のサンシャイン通りで、道の向こうから高校生の群れに「モーリー!」と呼びかけられた。その声が野次のようにも罵声のようにも聞こえた。前方を歩くコンビニ袋を持つ30代のサラリーマンが一度ふり返り、二度ふり返り、角を曲がってもう一度ふり返る。J-WAVEの通用口から入る夜の10時に追っかけの女性が毎晩待っていて、一声掛けようとする。それを無視して横を通り過ぎる。自分が自分のものではなくなるようだった。

また、テレビは顔も映るため疲れ方がラジオの倍以上で、すべてあらかじめ決められた打ち合わせ通りにしか進まない。あまりに窮屈だったので、頻繁に「事故」を起こしてわざと脚本から脱線した。収録であれば、それはことごとく撮り直しになった。NHK-BSの「エンターテインメント・ニュース」に至っては昼に収録する15分番組が「生放送」の体裁で夜に放送されるため、ワンテイクで頭からラストまで流れることにこだわりがあり、途中でモーリーがあえて作り出した「不適切」な瞬間があると収録が止まった。ディレクターが小型スタジオに入ってくる。
「なんで脚本通りに言わなかったんですか」
から始まって、
「モーリーさんの気持ちも十分わかる。でも日本全国津々浦々が視聴しているNHKである以上、いろんな人達にわかってもらえることが必要でして」
とやたら丁寧語で説明を受けるのだった。その後、番組は冒頭からすべて撮り直された。この繰り返し、日々の根比べが続いた。所属プロのマネージャーもいたが、毎日のように制作側と衝突するので現場に来なくなっていた。生放送なら、まだ「放送事故」を起こせたかもしれない。だが「擬似生放送」だったため、NHK-BSの壁を突き崩すことは不可能な構成だった。NHKのだだっ広い大部屋のスタジオや、迷路のような回廊、先端技術がぎっしり詰まった小型スタジオ。そのすべてがある夜、一斉に燃えてしまうことを祈る詩を書いたこともある。その詩は朗読しなかった。

民放テレビはモーリーにとって、もっと悲惨だった。お笑い芸人たちのリアクション芸やアイドルたちの間を持たせる一言が白痴的なものにしか思えなかったのだ。裏番組でやっている「ギルガメッシュ・ナイト」のネタを芸人がパロディーで語るとスタジオがどっと沸く。「ギルガメ」を見ておらず、興味もないモーリーにとっては、そこにいるだけで拷問に近いものがあった。民放のディレクターが誰一人「Across The View」を聴いていないということも衝撃的だった。自分にとっては聖域にあたる「Across」が、上京したてのマイナーバンドのようなあしらいを受けていることが侮辱に思えた。そんなに民放テレビは偉いのか? 芸人やタレントが掛け持ちで出ている他の番組のネタや一発芸を持ち込んでやるのがそんなにおもしろいのか? それで何か世の中が変わるのか?

最低最悪のNHK-BSと民放出演の数々。マネージャーはテレビ業界出身だったので、交渉事はそつなく行われ、モーリー・ロバートソンはライジング・スターとして認知される。ゆえにギャラは良かった。同じ番組でもエスタブリッシュされた出演者と同等のギャラ枠に押し上げられることもあった。金はいい。ただ、その金によって自分の魂も視界もくすむ。それをどこまで我慢できるか? 有名なのに孤独になって、悶々と自問する日々が続いた。

次第に我慢ができなくなった。J-WAVEの新しいディレクターたちが野崎のようなやる気を持ち合わせていなかったこと。NHKの撮影直後にタクシーで移動して、WOWOWの撮影所に入ると楽屋がなく、狭いスペースの椅子に1時間以上座り続けなくてはならなかったこと。渋谷のアート系映画配給会社からクソのようなデレク・ジャーマンの新作などを毎週、1、2本送り続けられたこと。以前、自分のデモテープを、
「まったく使えません」
と一蹴した音楽プロダクションの社員が転職し、「暴力温泉芸者」というアンダーグラウンド・アーティストのCDを持ってしおらしく挨拶に来たこと。もう何もかもが汚れきっている。

悪の凡庸さではなく、凡庸さの悪だった。周りに合わせて疑いを持たず、ちょこまかとした気配りをしていれば問題は起きない。あるいは、問題が起きたとしても自分の身に降りかからない。権力と戦わず、冒険を諦めれば諦めるほど成功が約束され、権限も増す。だがそれは権力を持たされたようでいて、実のところは奴隷化している。持たされた権限を使って、後から来る人間の冒険を監視し、不確実さの芽を摘む役割を自分から買って出るようになるのだ。

日本の音楽家達に対する落胆も大きかった。モーリーのネーム・バリューが上がるにつれ、手のひらを返したように扱いが変わったからだ。アンダーグラウンドやパンク系のミュージシャン達も、蓋を開けてみればほとんどがミーハーだった。商業路線から一線を引いたところで自由に音楽をやり、生き方を貫いているというイメージがあるが、テレビやラジオでイベントを宣伝してもらおうと擦り寄ってくる者が驚くほど多かった。ミュージシャン本人でなければマネージャーがしつこく新譜を郵送してきたり、ライブ会場に先回りして楽屋に宣伝チラシを持ち込んで来たりする。その時のお願い口調に、吐き気を覚えた。

モーリーとしては「Across The View」を独立した音楽のプラットフォームにするべく、会社の内部で日々戦っていた。もちろん小さなレーベルから出版されたCDをかけることも、ありだ。しかし、ただ小規模流通のCDをラジオで流すだけでは、それこそ商業的なプロモーションになってしまう。一人一人のミュージシャンをスタジオに呼んでセッションをしたり、イベントで共演したりすることで音楽の「場」を作り、有機的に動きを起こす。それが健全なやり方だと信じて、ひたすら合同ライブをして回った。これが音楽への誠意だと思っていた。だが、この意図は必ずしも伝わらない。

1990年代の前半、長い演奏キャリアを持ちながら商業的には鳴かず飛ばずとなり、収入源にも困った「地下の有名人たち」がたくさんいた。モーリーはひたすらそのシーン全体を応援する。だが、個々のミュージシャンの中には、こうした好意を露出のチャンスとだけとらえ、便乗する者もいた。コラボレーションをした後で仲間内に、
「あいつ、大したことないよ。こっちが名前を貸してやったんだ」
と吹聴していたのが噂で伝わってきた時には、傷ついた。マスメディアの名声がなければ、利用し利用されるという関係も起こらなかっただろう。あるバンドと一緒にステージで演奏した後、
「モーリーの顔だけ見たい女達がやってきてキャーキャー言っていた。モーリーが嬉しそうにしていて、ダメだなと思ったね。音楽のライブじゃないよ、これじゃ」
と冷笑された時には楽屋で怒鳴り返した。

かつて高校を出たての頃、原宿の竹下通りを歩いた時には自由気ままな解放感を感じた。クレープの店の軒先に立ち止まって、食べたくなくても注文をした。今や原宿そのものが全部、一つの大きな間違いにしか感じられない。深夜、窓の中で点けっぱなしになったネオンも間違っている。芸能界やマスメディアが若者の頭の中に精神的な麻薬を流し込むだけのスラム街。自分の意志で若者たちは個性や冒険心を捨て、そこに漂うマニュアルに合わせて順応し、先輩風を吹かせ、悦に入る。田舎者の集まりでしかない。原宿もマスメディアも不浄な存在だ。

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