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【先取りベストセラーランキング】麻薬組織に狙われ、アメリカに不法入国するメキシコ人の母子を描いたサスペンス ブックレビューfromNY<第53回>

NY在住のジャーナリスト・佐藤則男が紹介する、アメリカのベストセラー事情と、注目の一作をピックアップするコラムの53回目。今回は、現代の合衆国における移民・難民にまつわる格差問題を掘り下げ、レビューが炎上したことも話題となった小説を紹介します。

親族16人を殺害され、生き残った母と8歳の息子

アカプルコ(メキシコ)で生まれ育ったリディアはこの地で小さな書店を経営し、大学時代に知り合ったジャーナリストの夫セバスチャンと8歳の息子ルカとともに平穏な暮らしをしていた。しかし、彼女の幸せな生活はある日を境に一変した。

4月のある日、リディアの母の家では、親族が集まり、庭でバーベキュー・パーティが開かれていた。そのさなか、数人の男が突然現れてパーティ参加者を銃撃した。たまたま家の2階にいたリディアとルカは、とっさにバスルームのバスタブに身を隠し、難を逃れた。銃声が止み、男たちが去った後、2人が庭に出てみると、夫のセバスチャンを含め親族16人全員が銃殺されていた。子供たちも例外ではなかった。

リディアは誰の仕業なのか、すぐに理解した。今アカプルコを支配している麻薬組織(カルテル)の〈ロス・ハルディネロス〉の仕業に違いなかった。〈ロス・ハルディネロス〉は新興カルテルで、以前この地で勢力を持っていたカルテルとの間で壮絶な争いを演じ、現在はアカプルコ一帯を掌握しているばかりでなく、メキシコ各地のカルテルとも強力なネットワーク関係を築いている。リディアは、この麻薬組織の首領、〈梟〉(La Lechuza=The Owl)と呼ばれているハビエルのことをよく知っていた。

書店の常連客

本好きのリディアにとって、書店経営は趣味と実益を兼ねた理想の仕事だった。書店には売れ筋の本、観光客向けのガイドブックや地図、文房具類(キーフォルダー、メモ帳、ペン、カレンダーなど)が置かれ、そこそこの利益を上げていた。しかしそれだけでなく、リディアは売れそうでなくても自分が好きな本を常に12冊ぐらいは書店に置くようにしていた。

ある日、リディアの書店に、見知らぬ年配の男性客が訪れた。本棚を物色した後、彼がレジに持ってきた2冊の本を見て、リディアは息をのんだ。決して売れることはないと確信していた大好きな2冊だった。そして数日後、この客が再び書店に現れた時、リディアは彼のためにコーヒーを淹れた。コーヒーを飲みながら、2人は本について話が弾んだ。ハビエルと名乗るこの男性は、「もし違う人生であなたと会っていたら、結婚を申し込んでいただろう」とリディアに言い、リディアも同じように感じた。その後も、ハビエルはしばしば書店に姿を現し、本を買い、リディアとコーヒーを飲みながら、本の話や家族のことなども話すようになっていった。ハビエルが妻や娘の話をするようになると、リディアは何となく安心した。ハビエルが娘以外には誰にも見せたことがないと言って、リディアに自作のへたくそな詩を書いたノートを見せた時、リディアはハビエルのことをますます好ましく思った。

リディアと夫セバスチャンは、お互いの仕事についてはあまり立ち入らないことにしていた。しかし、リディアの誕生日に2人だけでレストランでゆっくり食事をしていた時、セバスチャンは、地元の麻薬組織〈ロス・ハルディネロス〉についての記事を書いていると話した。そして、この組織の首領、〈梟〉と呼ばれているハビエルについて触れた時、リディアは自分の書店の常連客のハビエルが、カルテルの首領と同じ人物ではないかと疑い、その疑惑は次第に確信となった。次にハビエルが店に姿を現した時、リディアは意を決して、「あなたの正体を知ってしまった」と告げた。ハビエルは意外そうに、「知らなかったのか? 知っていて、知らないふりをしていると思っていた」と答えた。そして、その後もハビエルは毎週、リディアの書店に現れ、リディアもコーヒーを出し、2人は何事もなかったようによもやま話をした。ハビエルは相変わらず魅力的な男だった……。 

〈ロス・ハルディネロス〉の記事を書き終わると、セバスチャンはリディアに記事を見せた。特に〈梟〉に関する記述に、セバスチャンはリディアから見たハビエルの人間性を反映させた。リディアは、記事はカルテルの残虐な行為を客観的に記述していると同時に、ハビエル関しては「へたくそな詩人」という面も含めて彼の人間性が良く表現されていて、この記事を読んで、ハビエルが怒り狂うことはないという確信のようなものがあった。

そして、セバスチャンの記事が出た。

国境を目指し、北へ

この大量殺人がカルテルの仕業である以上、警察など頼りにならないことはリディアもよくわかっていた。リディアは、自宅に戻ることをあきらめ、母の家から現金と母の預金通帳、そして着替えなど最低限のもの、そして駐車してあるセバスチャンの車の中から彼のバックパックを持ち出し、ルカとともに逃避行を始めた。その日の夜は、観光客でにぎわうビーチのリゾート・ホテルに偽名、現金前払いでチェックインした。しかし、そのホテルの部屋に、ハビエルからのパッケージ(中身は2人が話題にしたことがある本と「あなたの苦しみはつかの間にすぎない」と書かれたメモ)が届いた時、リディアはもはや、メキシコ国内には逃げ場がないことを思い知った。

リディアはメキシコを北上し、アメリカ合衆国(Estados Unidos=United States)に行くことを決意した。しかし、どうやって? 治安の悪いメキシコでは、いたるところで警察や、時にはカルテルによる道路封鎖が行われている。長距離バスに乗ったところで、封鎖でチェックされれば必ず全国のカルテルや警察にネットワークを持つ〈ロス・ハルディネロス〉の知るところとなってしまう。メキシコでは現在は長距離運行の旅客列車はない。飛行機に乗るには、国内便であっても、子供連れの場合は出生証明書が必要で、そんなものは持たずに逃げてきたので、飛行機での移動もできない。結局最後の手段は、中南米からの難民たちが、メキシコ国内での移動に使っている長距離貨物列車の屋根に乗っての移動だった。〈野獣〉(La Bestia)と呼ばれている貨物列車の屋根での移動に関しては、いろいろな恐ろしい話が広まっている。走っている列車の屋根から振り落とされてしまう事故など日常茶飯事、乗っている難民が誘拐されたり、強盗に遭ったり、銃で撃たれたりする話も数多くある。初めは、貨物列車の屋根などありえないと思っていたリディアだったが、どうやら難民と一緒に〈野獣〉で北上するしか方法がないという結論に達した。

そしてリディアとルカの旅が始まった。昼間は貨物列車で行けるところまで移動し、夜は教会などが難民のために用意しているシェルターに泊まるか、さもなければ野宿をした。多くの難民たちは中南米の国々からメキシコに不法入国し、メキシコと合衆国の国境を目指した。だから、彼らは常に、〈ラ・ミグラ〉と呼ばれている移民取締官や警察の取り締まりを恐れていた。貨物列車の屋根に乗って移動する難民の多くは若い男たちだった。そんな中、リディアとルカは貨物列車の屋根に最初に飛び乗った時に知り合ったホンジュラスから来たソレダ(15歳)とレベッカ(14歳)という名の姉妹とすぐに親しくなり、一緒に旅をするようになった。リディア母子と姉妹は、道中いろいろな苦難に遭ったが、助け合って旅を続けた。<ラ・ミグラ>を名乗る男たちに監禁され、リディアが4人分の身代金を払って解放されるという経験までして、貨物列車を乗り継ぎ、やっとの思いで国境近くの町にたどり着いた。

この町で、姉妹の従兄(メリーランド州に住んでいる)が手配した<コヨーテ>[2]と落ち合い、リディアとルカは、姉妹やほかの人たちとグループになり、彼の手引きで砂漠の中を数日かけて徒歩で国境を超え、合衆国に入国した。

殺人現場から2645マイル、53日間の旅の果て

合衆国までの過酷な旅で、目先の苦難を一つ一つ乗り越えていかざるを得なかった時、リディアはいつも「考えるな、考えるな」と自分に言い聞かせた。いったん考え出すと、頭がおかしくなるような極限状態だった。それでもいつも頭の中で引っかかっていたことがあった。セバスチャンの記事は、あのハビエルをそんなに怒らせるようなものだったのだろうか?

逃避行中、ソレダとレベッカ姉妹とは別に、もう一人、旅の最初からついてきた邪魔者がいた。ロレンゾと名乗る17歳の若者で、腕には、<ロス・ハルディネロス>の入れ墨をしていた。リディアが彼に最初に気付いた時、ハビエルが送り込んだ殺し屋かと思ったが、ロレンゾは、カルテルの荒仕事に嫌気がさしたので組織を抜け、難民として合衆国に行こうとしていて、たまたま一緒になっただけだと言い張った。次第にリディアは気が向くとロレンゾと話し、カルテルの内情を聞き出そうとするようになった。そして、セバスチャンの記事がハビエルの家族に及ぼした思いもかけない悲劇的な出来事について知ることとなった。<コヨーテ>と国境越えをした時も、グループの中にロレンゾがいた。そして彼が、越境の途中で騒動を起こして死ぬと、彼の持っていた携帯の履歴から、リディアは、彼が旅の間もハビエルと連絡を取っていたことを知った。そして、その携帯を使って、リディアはハビエルに電話をかけた……。

果たしてハビエルは、ロレンゾを殺し屋として送り込んで、本当に、リディアとルカを殺すつもりだったのだろうか?

レビューの炎上

この小説の著者ジャニーン・カミンズはスペイン生まれ、メリーランド州育ちのアメリカ人。メリーランド州立タウソン大学で英語とコミュニケーションを学んだ。フルタイムの作家になる前の10年間は、出版業界で働いていた。2004年に出版した処女作“A Rip in Heaven”は、カミンズが16歳の時に経験した、従姉妹2人と兄が巻き込まれた殺人と殺人未遂事件についてのノンフィクションで、ベストセラーとなった。その後、アイルランドを舞台にした小説を2作品[3]出版している。

アメリカ合衆国は、トランプ大統領が就任以来、メキシコから不法に入国する難民や季節労働者たちの取り締まりを厳しくするなど、極端な移民排斥の強化を行い、内外の批判を浴びている。そのような状況の下、メキシコを経由して米国に不法入国しようとする中南米からの難民たちと行動を共にしたメキシコ人の母と息子を主人公にしたこの小説は注目を浴び、9つの出版社が出版権を争い、Flatiron社が競り勝ったという経緯がある[4]。カミンズは「著者の後書き」で、この小説を書こうと思った動機について、16歳の時、従姉妹がレイプされて殺され、兄が殺されそうになったという経験をしたことで、常に「犯罪被害者の立場」に関心があったこと、夫がカミンズと結婚するまで合衆国内における不法滞在者であったこと、祖母がプエルトリコ出身で、合衆国に来てから、中南米からの移民に対するある種の特別視に対し、生涯、居心地の悪い思いをしていたことなどを挙げている。2013年からリサーチを始め、書かれたというこの小説に対する出版界の期待は大きかった。本の後ろ表紙には、ステファン・キングやジョン・グリシャムなど有名作家からの賞賛の言葉が印刷され、またオプラ・ウィンフリー[5]は自身のブッククラブ[6]でこの小説を紹介し、推薦した。

ところが、2020年1月、この本の発売の前後からNYタイムズのParul Sehgalのレビュー[7]も含め、主に中南米系、メキシコ系アメリカ人から厳しい意見や書評が次々と発表されるようになった[8]。中南米系の人々に対する描き方がステレオタイプの域を出ないこと、移民でもなければメキシコ系でもない作者が、このテーマについて小説を書くことの正当性についての疑問などで、ネット上でも、この小説に対する批判が飛び交って炎上した。

本のカバーには「私たちの時代の『怒りの葡萄』」(A Grapes of Wrath for our times)というドン・ウィンズロウ[9]のコメントが印刷されているように、出版社の意図は、現代の合衆国における移民・難民にまつわる格差問題を掘り下げた小説、ということだったと思うが、どうやらその思惑通りにはいかなかったようだ。1月30日のCNNの報道によれば[10]、Flatiron社はこの本に対する多くの酷評や批判が出た後、予定されていた著者による本のプロモーション・ツアーをキャンセルすると発表した。出版社や著者に対する脅迫があり、安全確保のためツアーを中止したという理由だった。

Sehgalの書評が出た2日後、小説家Lauren Groffは同じくNYタイムズの書評欄で次のように述べている。「……メキシコ文化や移民の苦境に関するこの本の描写の正確さに関しては批評できる立場にない。……しかし、迅速なストーリー展開で、読み始めたらとても止められない……。」[11] アメリカ人でもなく、まして中南米系でもないこのコラムの執筆者は、まさに同じ感想を持った。この小説は、アメリカ社会の、特に中南米系アメリカ人や移民、難民の格差問題にまつわるセンシティビティに対する配慮を欠いた作品であるかもしれないが、読みだしたら止められない、手に汗握るサスペンス小説であることは確かだ。

[2]メキシコからアメリカ合衆国へ不法に入国したい人を手引きし、ガイドの役割をして越境に同行する案内人。
[3]“The Outside Boy”, 2010: ‟The Crooked Branch”,2013
[4] https://www.nytimes.com/2020/01/13/books/jeanine-cummins-american-dirt.html
[5]アメリカ合衆国の俳優、テレビ番組の司会者兼プロデューサー、慈善家。司会を務める番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』は視聴率が高く、多数の賞を受賞している。
[6]1996年から『オプラ・ウィンフリー・ショー』の番組内で開始したOprah’s Book Club(オプラのブッククラブ)においてオプラが勧める本を紹介している。(紹介された本は売り上げが大幅アップになる。)
[7]https://www.nytimes.com/2020/01/17/books/review-american-dirt-jeanine-cummins.html
[8]https://slate.com/culture/2020/01/american-dirt-book-controversy-explained.html
[9]ニューヨーク出身の小説家。 ジャンルはソフトボイルド・タッチの探偵・犯罪ミステリー。
[10]https://www.cnn.com/2020/01/29/us/american-dirt-jeanine-cummins-author-tour-cancel-trnd/index.html
[11]https://www.nytimes.com/2020/01/19/books/review/american-dirt-jeanine-cummins.html

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

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