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【先取りベストセラーランキング】キャッシュレス銀行に強盗に入った間抜けな泥棒の、人質事件の顛末は…… ブックレビューfromNY<第61回>

NY在住のジャーナリスト・佐藤則男が紹介する、アメリカのベストセラー事情と、注目の一作をピックアップするコラムの61回目。どこか間の抜けた登場人物たちの、問題・悩み・屈折を超えた善良さや愛情を描いた、心温まる癒やしの一冊を紹介します。

銀行強盗と人質事件

スウェーデンの小説家フレドリック・バックマンの最新作Anxious Peopleは、銀行強盗に失敗した間抜けな泥棒が、内覧会開催中の中古マンションに逃げ込み、中にいた人たちを人質にして立てこもる場面から始まる。12月30日、大みそかの前日、新年に向け人々が正月気分になっているスウェーデンの中規模な町で、この銀行強盗未遂事件が起きた。なぜ未遂に終わったかというと、泥棒が入った銀行はすべての銀行業務がキャッシュレスで行われていたため、強盗に差し出す金が全くなかったのである。がっかりした泥棒は、銀行を出たところで制服を着た交通整理係を見て、警官だと勘違いして慌てて向かいのビルに逃げ込み、ドアが開いていた内覧会開催中のマンションに入ったというわけ。手に銃を持っていたため、中の人たちが騒ぎだし、泥棒は慌てて玄関のドアを内から閉めて、《人質を取ってマンションに立てこもった強盗犯》になってしまった。一方、銀行を出た泥棒が向かいのビルに入ったのを窓から見届けた銀行員は、警察に通報しただけでなく、キャッシュレス銀行に強盗に入った間抜けな泥棒の話をソーシャルネットワークに流したため、ビルの前に警察が到着した時には、周辺はジャーナリストや野次馬でいっぱいだった。

のんびりした平和なこの町では、それまで銀行強盗も人質事件も起きたことがなく、警察署の誰もがどう対処してよいかわからず、署の上層部はストックホルムの本庁に援軍を要請した。援軍を待つ間、食料を差し入れに行った警察官の説得で、元々人質を取ることが本意ではなかった泥棒は人質の解放に同意し、中にいた8人は解放され、待機していた警察車両で警察署に向かった。その後、警察が部屋に突入すると、泥棒の姿はどこにもなく、居間の絨毯の上は血の海だった……。泥棒は自分の銃で怪我をしてしまったのだろうか? しかし、そうだとしてもいったいどこに消えてしまったのだろうか?

橋にまつわる話

この小説は《橋》の話でもある。この町に流れる川には大きな橋が架かっている。10年前この橋の欄干から身を投げて自殺した男がいた。銀行から勧められるままに借金をして投資をした結果、大損してしまい、保険金で借金を返すために自殺した。この男が身を投げる直前、偶然通りかかったティーンエイジャーの少年は、何とか思いとどまらせようと説得を試みたが、その甲斐なく、男は身を投げてしまった。その1週間後、少年は再び同じ橋で、自殺しようとしていたティーンエイジャーの少女を見かけ、この時は話しかけもせず、走り寄って少女を橋の欄干から全力で引き戻そうとしたため、少女は橋の上に倒れて頭を打ち、意識を失った。動揺した少年はその場から走り去り、それから二度と橋には近づかなかった……。その少年ジャックは10年後、警察官として、この人質事件に関わることになった。

人質の1人、銀行家のザラは、冷徹なビジネスパーソンとして成功を収めていたが、家族も友人もいない孤独な人生だった。買う気もないのにマンションの内覧会に行くことが唯一の《趣味》だったが、バルコニーから橋が見える物件に限っていた。10年前に受け取ってから封を切っていない封筒を常にハンドバッグに入れて持ち歩いている彼女もまた、《橋》には深い、人には言えない思いがあった。 

10年前、少年ジャックによって力ずくで投身自殺を阻まれ、橋の上に倒れて気を失った少女は、大事に至らず翌朝病院で目を覚ました。彼女は自分の命を助けてくれた見知らぬ少年とその後、一度も会うことはなかった。そして10年後、大人になった彼女はこの物語に登場することになる。

どこか間抜けで、どうしようもなく善良な人たちの物語

そして著者は、こうも言っている。「この物語は多くのことを語っているけれど、大部分は間抜けな人たちの物語だ。」[3]

キャッシュレス銀行に強盗に入った間抜けな泥棒は、自分の住んでいるアパートの1か月分の家賃に相当する金額を銀行から奪い取ろうとしていた。来月の家賃さえ払えれば、追い出されずに済み、翌月からは収入のあてがあった。離婚した配偶者の弁護士から、住むところがなければ2人の子供の親権を取り上げると言われていたため、どうしても1か月分の家賃が必要で、銀行強盗を思い立ったのだった。

10年前、投身自殺者を救うことができず、その1週間後、別の自殺志願者を助けることができたものの怪我をさせてしまった少年ジャックは、父親が警官、母親が牧師だった。子供の頃から、正しい行いをして人を助けることに一生懸命だったジャックにとって、この橋にまつわる2つの出来事は人生に重くのしかかっていた。今回の人質事件で、警察官となったジャックは、大怪我をしているかもしれない行方不明の犯人を捜すことに躍起になった。犯罪者を捕らえるためというより、早く見つけ出して命を助けなければという必死の気持ちからだった。そんな息子を同僚警官であり父親でもあるジムは、ハラハラしながら見守り、手助けしようとしたが、それはジャックにとってはありがた迷惑だった。牧師だったジャックの母親(ジムの妻)が亡くなって以来、父子はお互いに相手を思いやっていながら、歯車が合わずにギクシャクしていた。

泥棒が立てこもった時、マンションには銀行家のザラのほかには、年金生活の夫婦、一方が妊娠しているレスビアンのカップル、老女、なぜかウサギの被り物を被った男、そして不動産業者がいた。そして解放された人質8人は、警察でジャックとジムから事情聴取を受けた。犯人を見つけ出す手がかりを得ようとする警察官と、元人質のかみ合わない会話から見えてくるのは、人質それぞれが抱える問題、屈託や悩み、そして全然見えてこないのは、泥棒の犯人像だった。

ジャックは、人質の誰かが逃亡に手を貸したのではないかと疑ったが、誰が、どうやって泥棒を逃がしたのか、匿ったのかがどうしてもわからなかったし、絨毯の上の大量の血の謎もなかなか解けなかった。そして最後にすべての謎が解けた時、見えてくるのは、どこか間の抜けた登場人物たちの、問題・悩み・屈折を超えた善良さや愛情なのだ。予想外の展開や、登場人物に関する意外な事実に、読者は新鮮な驚きを感じるだろう。軽く、ユーモアがありながら、人間性にあふれた語り口のこの小説は、苦難の2020年の終わりにお薦めできる心温まる癒やしの1冊と言えるだろう。

著者について

フレドリック・バックマンは1981年6月2日生まれのスウェーデンのコラムニスト、ブロガー、小説家。2012年出版の処女作A Man Called Ove(2013年英語版出版、邦題『幸せなひとりぼっち』)はニューヨーク・タイムズのベストセラー1位となった。彼の小説は世界40か国以上で出版されている。[4]

 

[3]“This story is about a lot of things, but mostly about idiots.” (p.1)
[4]本カバーのそでに書かれた著者について。

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

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