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【NYのベストセラーランキングを先取り!】ピューリッツァー賞を2回受賞したコルソン・ホワイトヘッドの最新作! ブックレビューfromNY<第71回>

NY在住のジャーナリスト・佐藤則男が紹介する、アメリカのベストセラー事情と、注目の一作をピックアップするコラムの71回目。今回は、1950年代の終わりから60年代にかけてのニューヨーク州ハーレム地区を舞台に、真っ当な生活と裏の社会との狭間でたくましく生きる黒人の姿を描いた小説を紹介します。

1959年ニューヨーク市ハーレム地区

ニューヨーク市ハーレム地区は、17世紀にオランダ人の入植者によって集落が作られ、オランダの町名にちなみ、かつてはニュー・ハーレムと呼ばれていた。20世紀に入ると、多くのアフリカ系アメリカ人がこの地に住み始め、1920年代には、ハーレム・ルネッサンスと呼ばれる華やかな黒人文化がこの地に花開いた。しかし、世界恐慌から第二次世界大戦を経て、ニューヨーク市の空洞化に伴ってハーレムは不景気に見舞われ、貧しいがゆえに犯罪に走る人たちも多かった。1950年代から60年代には黒人の社会格差が進み、弁護士、医者、会計士、銀行家など専門職のエリート黒人がハーレムの中でも閑静な住宅地域に住む一方で、それ以外の地域は疲弊し、犯罪がはびこっていた。

1959年、主人公レイ(レイモンド)・カーニーはハーレムのメインストリート125丁目で家具店を営んでいた。新品の家具だけでなく、中古の家具や電化製品(テレビやラジオなど)も扱い、いろいろな客層のニーズに応えていた。良心的な家具店として近所での評判も上々だったが、薄利で商売をしているので苦労の割には利益が上がらず、経営は楽ではなかった。だから、幼い頃から兄弟のように育った従弟のフレディが時々素性の知れない宝飾品や時計を持ってくると、こっそり知り合いの宝石商に持ち込んで利ザヤを稼ぎ、店の運転資金の足しにしていた。

幼い時に母を病気で亡くし、やくざ者の父と暮らしていたカーニーは、父のようには絶対になるまいと心に誓い、苦労して大学を卒業した。それから数年後に父が死んでから家具店を構えた。今は妊娠中の妻エリザベスと3歳の娘メイとの3人暮らしだ。エリザベスはカーニーとは違い、父親は会計士で、黒人社会ではエリート家庭の出身だった。エリザベスの両親は、娘とカーニーの結婚には最後まで反対し、いまだにカーニーに対して不満と不信を隠さない。だから、カーニーは何とか家具店の経営を軌道に乗せ、線路沿いの安アパートからもっと良い場所、妻の両親が住むストライバーズ・ロウ(Strivers’Row)[2]は無理としても、例えばリバーサイド・ドライブとか、もっと北の新築の高層アパート、あるいは南の90番街付近のタウンハウスに家族で住みたいと夢見ていた。

そんな時、フレディから、強盗の計画があるので入らないかと誘われた。カーニーの役割は盗んだ宝飾品を売りさばくことだった。それまでも、《たぶん盗品》の宝飾品を現金化してきたが、盗品かどうか知らないのだから悪事に加担しているわけではない、と自分を正当化してきた。しかし今回は、《ハーレムのウォルドルフ[3]》と呼ばれるホテル・テレサを狙った強盗計画なので、もし仲間に入れば立派な犯罪者になる。もちろんカーニーはフレディにはっきり断ったつもりだったが、フレディがそのことを強盗仲間にきちんと伝えておらず、ずるずると強盗計画に巻き込まれていった。

強盗そのものは成功した。犯人たちはホテル従業員を傷つけることなくホテルの金庫から客が預けた宝飾品や現金を盗み出し、警察は犯人を特定できなかった。しかし、盗まれた宝石のなかに、地元やくざのボスであるチンク・モンタギューの《女》のネックレスが含まれていたため、チンクは怒り狂って犯人探しを始めた。一方、強盗団の首領が裏切り、仲間の一人を殺したことで、この首領は他の仲間ペッパーに殺された。ペッパーはカーニーの父親の元子分だったこともあり、カーニーは成り行き上、その死体を処理する役目を引き受けざるを得なかった。

1か月後、カーニーはペッパーから分け前としてルビーのネックレスの入った包みを受け取った。1年間、ほとぼりが冷めるまでそのネックレスを寝かせてから、カーニーはいつもの宝石商に持ち込んで現金化した。その代金は、新しい家を買う資金として取っておくことにした。

1961年、真っ当な生活と裏の世界の狭間で

迷宮入りしたホテル・テレサ強盗事件の2年後、カーニーは相変わらず125丁目で家具店を経営していた。信用も高まり、ハーレム・スモールビジネス協会の集まりで知り合った若い弁護士ピアスの推薦で、デュマス倶楽部に入会しようとした。この倶楽部は黒人エリートたちが集まるメンバー制の由緒ある倶楽部で、エリザベスの父親もメンバーだった。

カーニーは表の世界で商店主として地位を確立する一方で、裏の世界では盗品の宝飾品を現金化して利ザヤを稼ぐ商売を拡大していた。今や彼は地元やくざのボス、チンク・モンタギューに毎週現金を渡すことで、彼の庇護のもと定期的に盗品の宝飾品の供給を受けていた。また地元警官マンソンにも毎週現金入りの封筒を渡し、裏の稼業には目をつぶってもらっていた。

デュマス倶楽部へ入会願を出した直後、カーニーは倶楽部の有力幹部である銀行家のデュークから、選考を有利に進めるために、500ドルの袖の下を要求された。迷った末、500ドル入りの封筒を指示通りデュークの秘書に渡したが、倶楽部からの返事は入会願の却下だった。デュークの言い分は、自分一人が頑張ったが、カーニー本人はともかく、カーニーの父親が問題になり、倶楽部にはふさわしくないと判断されたということだった。500ドルは《取られ損》となり、カーニーはふと、父だったらどうするだろうと考えた。きっと「火をつけてしまえ!」と怒鳴ってデュークの家に放火しただろうと思ったが、自分は父ではないのでそんなことはしないとも誓った。

結局、父の元子分ペッパーや不良警官マンソンの助けを借りて、カーニーは彼流のやり方でデュークにきっちり復讐した。 一体どんなやり方で? それは作品を読んでのお楽しみに。

1964年 ハーレム暴動のさなかに起きた事件

1964年、公民権法が制定された直後の7月、ハーレムでは、15歳の高校生男子が白人のアパート管理人と口論の末、駆け付けた白人警官に射殺されたことをきっかけに暴動が起こった。多くの商店が暴徒に襲われ、店を壊され商品を奪われた[4]

カーニーは線路沿いのアパートからリバーサイド・ドライブのマンションに引っ越していた。窓からは、リバーサイド・パークを見晴らすことができた。家具店は改装し、今やカーニーはハーレムでは押しも押されもせぬ有力商店主となっていた。デュマス倶楽部では、銀行家デュークやエリザベスの父親など古い幹部やメンバーが失脚し、新しい時代になっていた。公民権運動のリーダー的役割を果たしている弁護士ピアスが倶楽部の副会長となり、倶楽部には新しい風が必要であると、カーニーに倶楽部のメンバーになるよう要請があり、カーニーは喜んで承諾した。

カーニーの家具店は被害にもほとんど遭わず、暴動も治まりつつあった。すべて順調に思えた時、しばらく音信不通だった従弟のフレディがまたもや厄介事を持ち込んできた。フレディは、最近は薬物中毒者ライナスといつも一緒で、カーニーのところにはほとんど顔を出さなくなっていた。フレディは革のブリーフケースを持ってきて、何も聞かずにしばらく預かってくれ、数日したら受け取りに来ると言って去った。カーニーは言われた通り、このブリーフケースを店の頑丈な金庫で保管した。その数日後からカーニーは、やくざのボスのチンク・モンタギューも含め、ハーレムは管轄外の警官やいろいろな怪しげな人物からフレディの居場所を聞かれた。知らないと答えると、もし連絡があれば必ず知らせろと脅され、身の危険すら感じるようになっていった。フレディの身を案じ、教えられていた171丁目の安宿泊所に行ってみると、相棒のライナスが薬物過剰摂取で死んでおり、フレディの姿はなかった。それまでは何があっても相手を特定できたしハーレムの中の事件だったが、今回の脅威は、もっと大きな外部からの容赦ない圧力だった。その強敵にフレディは拉致された。カーニーとペッパーはブリーフケースと交換で傷ついたフレディをやっと助け出し、ハーレム病院に担ぎ込んだ。

ブリーフケースを渡した後は、何事もなかったように、敵からの脅威や圧力は一切途絶えた。

⚫︎ フレディとライナスは何をやらかしたのか?
⚫︎ ライナスの正体は?
⚫︎ 預かったブリーフケースの中身は?

カーニーの日常は戻った。毎週、現金入りの封筒を不良警官マンソンとチンク・モンタギューの手下に渡すことも含めて。

著者について[5]

コルソン・ホワイトヘッドは1969年11月6日ニューヨーク市生まれ、マンハッタン育ちの作家。ハーバード大学卒業後、ヴィレッジ・ヴォイス誌で働いた。最初の小説The Intuitionistを1999年に出版して以来、この最新作を含めフィクション8作品、ノンフィクション2作品を上梓している。ピューリッツァー賞を2回受賞した(The Underground RailroadとThe Nickel Boys)史上4人目の作家であり、全米図書賞も含め多くの賞を受けている。

[2]Strivers’ Row. ハーレム・ルネッサンス時代に建てられた138-139丁目に位置するジョージアン・リバイバルやコロニアル・リバイバル・スタイルの歴史的な住居ビル群。当初から黒人知識人、エリート、芸術家の多くが住み、現在でも知識人や芸術家が好んで住んでいる。
[3]ウォルドルフ=ウォルドルフ・アストリア・ホテル(マンハッタン、ミッドタウンの高級ホテル)
[4]ハーレムでは1964年7月、高校の夏期講習に通っていた黒人の男子生徒ジェームス・パウエル(15)に、学校近隣のアパートの管理人がののしり水をかけたことから口論になった。駆け付けた警官がパウエルを射殺したことから数日間にわたる暴動となった。死者1人(パウエル)、負傷者118人、逮捕者465人。((2ページ目)【シリーズ黒人史7】Black Lives Matterへと続くアメリカ黒人の歴史~人種暴動 – wezzy|ウェジー (wezz-y.com)
[5]Bio — Colson WhiteheadColson Whitehead – Wikipedia

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

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