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トラブル解決のため、自分にできることを探す七菜。再び朱音に会うチャンスを見つけ、全力で駆け出す! 【連載お仕事小説・第13回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評新連載、第13回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! ドラマの撮影中にも関わらず、原作者・上条朱音「原作を引き上げる」と怒鳴りつけられてしまった七菜。制作チームに伏せたまま撮影を続けられるのは3日が限界。その間に何とか朱音を説得しないといけない七菜たちは、それぞれ自分にできることを探していた……。

 

【前回までのあらすじ】

上司の耕平からの電話を受け、ひとりで上条朱音の事務所を訪れることなった七菜。「私は気に入られてるから大丈夫」を自分を励ますが、オフィスに朱音の姿はなかった。朱音の息子である聖人と朱音の帰りを待っていたが、帰ってきた朱音は七菜を見つけるなり睨みつけ大声で怒鳴りつけ……。

 

【今回のあらすじ】

朱音のコートについた「鳩のフン」が引き金となり、制作中のドラマから「原作を引き上げる」と怒鳴りつけられてしまった七菜。原作引き上げの件を伏せて撮影を続けられるのは3日が限界。自分ができることを探していた七菜は、『上条朱音先生 サイン会のお知らせ』という文字を見つけ、大急ぎで書店へと向かうが……。

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

「――まさか、鳩のフンひとつでそんなことになるとはなぁ」
 長テーブルの上に肘をつき両手を組んだ耕平こうへいが、ため息とともにつぶやいた。
「……申し訳、ありません」
 それだけをやっとの思いで言うと、じぶんの膝に視線を落とした。少しでも気を抜いたら涙が溢れ出てきてしまいそうで、七菜は歯を食いしばる。
 深夜十一時、アッシュの会議室。撮影を終えて戻って来たより李生りおが同じテーブルを囲んで座っている。だいのすがたはない。まだ社員ではない大基にこの件を知らせるべきではないと頼子が判断したからだ。
耕平も含め、みないちように疲れ切った顔をしていた。部屋の隅の蛍光灯が切れかかり、不規則な点滅を繰り返す。
「今回ばかりは七菜ちゃんのせいじゃないわ」
 頼子が励ますように言う。隣で李生もちいさく頷いた。耕平が目を閉じ、眉間を揉んだ。
「とはいえ、なんとか先生の怒りを収めないと。このままじゃあ……」
 じじ、じじじ。蛍光灯が耳障りな音を立てる。
 ビルに隣接する道路をトラックがつづけて通り、会議室が細かく振動した。
「……板倉いたくら。このあとのスケジュールは?」
「明日はロケがあります。明後日は撮休日でそれからはしばらく休みなしですね」
 背後のホワイトボードに貼られた日程表を見ながら頼子がこたえる。耕平が考え込むように目を閉じる。
「どうして……どうしてこんなことになっちゃったんでしょう。あのとき確かに先生に『クリーニングを』って言いましたし、先生だって……『わかった、ありがとう』って……」
 食いしばった歯のあいだから七菜はことばを押し出す。今日、何度も繰り返してきた思いだった。
「……忘れちゃったんじゃないですか」
 ぼそりと李生がつぶやく。
「そんなことって」
「あの先生ならありそうじゃないですか」
「パワハラじゃない、それって」
「やめろ、その話は。いまさら蒸し返してもどうにもならねぇだろ」
 耕平が割って入る。
「そうね。今すべきことは、このあとどうしたらいいか、それを考えることだわ」
 頼子のことばに七菜はくちびるを噛んだ。わかっている。頭ではよくわかっている。けれどもどうしても釈然としない気持ちが噴き出てしまう。
「……五日、いや無理だな。もって三日、ってところか。原作引き上げの件を伏せて撮影をつづけられるのは。それ以上過ぎれば、ぜったいにどっかから話が漏れる」
 耕平ががりがりと頭を掻いた。
「ですね。わたしもそれが限界だと思います」
 頼子が頷いた。耕平が前に座る三人の顔を順に見る。
「板倉と佐野さのはとにかくいつもどおり撮影をつづけろ。時崎は、先生を説得することを最優先に動け。もちろんおれも全力をつくす」
「はい」
「わかりました」
 頼子と李生の声が重なる。
「いいな、時崎」
「……はい」
 七菜はふたたび俯いて膝こぞうを見つめる。
「まず今夜中におれから先生に詫びのメールを入れる。時崎、明日はとりあえずロケに行け。電話で指示する」
「……はい」
「よし。じゃあ今日はここまで。お疲れさん」
 耕平が首を左右に曲げた。ぼきぼきと威勢のいい音が響く。
「お疲れさまでした。さ、帰りましょ七菜ちゃん」
 頼子に促され、七菜はゆっくりと立ち上がる。見慣れた会議室が、どこか違う場所、違う国の風景のように感じられた。一瞬、目の前が真っ暗になる。足が縺れ、からだが大きく揺れた。
「だいじょぶですか」
 背後から伸びてきた李生の腕が、しっかりと七菜の肩を掴んだ。
「……ありがとう、だいじょうぶ」
 七菜は無理やり笑みを浮かべ、李生の顔を見た。李生の切れ長の目に強い光が宿っている。
「……がんばりましょう」
「……うん」
 李生の目を見つめたまま、頷いた。李生が軽く顎を引く。腕を離すと、そのままドアへと歩いてゆく。
 そうだ、がんばろう。チームみんなのために、なによりこのドラマを完成させるために。
 ドア口で待つ頼子に向かって、七菜は一歩、踏み出した。

「はい、シーン3、OK!」
カチンコが鳴り、ぐち監督のきびきびした声が響く。
「シーン3、OKです!」
 助監督が復唱し、カメラマンのむらや照明の諸星もろぼしが、ふっと肩のちからを抜いた。
 今日の撮影は、定休日のスーパーを借りて行われている。主役のあすかと一輝いっきがカメラ位置の野菜売り場を離れ、休憩用のディレクターズチェアに引き上げてゆく。次のシーンを撮るため、矢口監督が田村と諸星を呼んで打ち合わせを始めた。現場に和やかな空気が流れる。談笑するスタッフ、ほっとした顔のエキストラたち。活気あふれる現場にあって、七菜はひとり、みなから少し離れた場所に立ち、ぼうっとした顔で周囲を見るともなく見ていた。
 昼休憩の終わった午後二時。残るシーンはあと四つだ。今日はずっとこのスーパーでの撮影なので、たぶん大きな遅れもなく、スケジュール通り夕方には終わるだろう。
 七菜はポケットからスマホを取り出し、着信がないか確認する。画面上、緑の受話器アイコンにはなんの変化もなし。朝からずっと耕平の連絡を待っているのだが、まだなにもかかってこない。
 横を通りかかった李生が、ちらりと心配そうな視線を投げて寄越した。七菜が首を横に振ると、軽く頷いて音声マイクのほうへ走ってゆく。
 昨夜のメールに返事はあったのか。朱音の怒りは収まっただろうか。それともまだメールを読んでもいないとか。考えれば考えるほど不安と焦りが増してゆく。考えても仕方ないと思いながらも、つい同じことばかりを考えてしまう。
「時崎さん、時崎さん!」
 耳もとで名を呼ばれ、七菜ははっと我に返る。
 パーカーのポケットに両手を突っ込んだ大基が呑気そうな顔でこっちを見ていた。
「ごめん。なに」
いわさんが呼んでますよ、ほら」
 大基が指をさす。チェアに腰かけたあすかが、手招いているのが見えた。
「あ……ごめん、ありがとう」
「どしたんすか、朝からぼーっとして。また二日酔いすかぁ」
 無神経な大基のもの言いを聞いても、なんの感情も浮かばなかった。
「なんでもないよ」
 平静を装ってこたえ、七菜は小走りであすかのもとへ急ぐ。
「すみません、なんでしょうか」
「悪いけどこれ、がわさんに返しといてくれる?」
 あすかがハンドクリームのチューブを七菜に差し出した。
「あ、はい」
「あ、待って、時崎さん」歩きだそうとした七菜をあすかが呼び止める。「ね、ね。岡本おかもとくんて、いつごろからロケに来るの?」
 岡本くん、と言われて、誰のことか思いだすのに数秒、要した。岡本ひろ。あすかの元恋人役にキャスティングされた若手の男優だ。
「あ、えと、まだ先ですかね。シナリオの改稿が終わってないので」
「そっかあ。改稿終わったら、すぐ読ませてね」
 あすかが顔をほころばせる。
「はい、もちろん」
「なんかラッキー。岡本くんと共演できるなんて。NG猛者もさ、来てくれてよかったかも」
「ちょっとあすかちゃん」
 村本むらもとがあわてたようすで、あすかの肩をつつく。あすかがおどけたように瞳をくるりと回した。無言で頭を下げると、七菜はレジの前に設けられたヘアメイクのブースに向かう。
 後半の改変。ほんとうにできるのだろうか。いやそれどころか、このまま撮影がつづけられるのか――
 またしても巨大な不安が頭をもたげる。不安を振り落とそうと首を大きく振った。
あいさん、これ小岩井さんから」
 メイクボックスの整理をしている愛理にハンドクリームを手渡した。
「あ、ありがと。よかったね七菜ちゃん、小岩井さん、すっかりご機嫌になって」
 愛理が曇りのない笑顔を向けてくる。
「うん」
「ここだけの話だけどさぁ」
 愛理がすっと七菜の耳もとに口を寄せた。
「小岩井さん、岡本くんのこと、かなりお気に入りみたいよ。事務所も同じだしお互い独身だし、みんな大目にみてるらしいけど」
「そうなんだ」
「でも浮かれて変なこと、やらかさないでほしいよねー。やだよ、スキャンダルで放映中止なんかになったら」
 何気ない愛理のひと言が七菜の胸をえぐる。顔が引きつってゆくのを七菜は感じる。そんな七菜を見て、愛理が不思議そうに首を傾げた。
「どしたの? どっか具合でも悪いの」
「ううん、べつに」
「でも顔色が」
 と、ポケットのスマホが振動し始めた。
「ごめんね、電話だ」
 早口で愛理に告げ、ひとのいないレジの裏に回る。スマホには「いわさん」と表示されていた。心臓が跳ねる。脈がどんどん速くなってゆく。
「はい、時崎です」
「いま、上条先生と電話で話した」
 前置きもなにもなく耕平が切り出す。鼓動がさらに激しくなる。
「先生はなんて」
 一拍の間。
「ダメだ、すっかり感情的になってて。こっちの言うことにまったく耳を貸してくれない」
 耕平の暗い声に、絶望感が広がってゆく。
「……そうですか」
「参ったよ、まったく。原作引き上げたら、あちらさんだって困ることになるのに……その理屈をわかろうとしないんだもんな」
 スマホの向こうで、耕平がおおきなため息をついた。
 理屈が通らない。それはまさに昨日七菜が朱音に対して感じた思いだった。
「おい、聞いてるのか時崎」
「あ、はい」
「おれはこれから出版社の担当と直接話をしてくる。ドラマ化を見越して重版かけてるからな、版元だって先生の説得に手を貸してくれるだろうさ。じゃあ」
「あの、あたしもやれることをやってみます」
 通話を切ろうとした耕平に、無我夢中で呼びかける。
「やるってなにを?」
「それは……まだ」
 耕平が黙り込んだ。七菜を動かしたほうがいいのか悪いのか、判断に迷ったのだろう。ややあって耕平の声が聞こえてきた。
「……まあいい、好きなようにしろ。どっちみち……いまよりひどい状態になるってこたぁねえんだからな」
 自嘲めいた笑いを残して通話が切れた。
 スマホを握りしめたまま、七菜はその場に立ちつくす。レジの向こうでは、すでに次のシーンのテストが始まっている。
 なにができるだろう、あたしに。もう一度事務所に行くか。いや、行ってもきっと追い返されるだけだろう。手紙を書く? 七菜の脳裏に、びりびりに引き裂かれた茶封筒が浮かぶ。だめだ、プロットすら読んでもらえなかったくらいだもの。じゃあどうしたら。先生に会って詫びるにはどうしたらいい?
 スタッフが指示を飛ばし合う声が聞こえる。
 動線を決めるために、キャストがいろいろな動きを試している。
 とにかく先生の情報を集めよう。七菜はスマホのロックを解除し、検索アプリに「上条朱音」と打ち込み、タップする。画面が切り替わり、ウィキペディアを先頭にずらりと項目が並んだ。上から順にスクロールしていく。ページの最後に『上条朱音先生 サイン会のお知らせ』という文字を見つけ、七菜は急いでタップする。大手出版社のサイトに切り替わり、笑みを浮かべた朱音の写真とともに最新刊のサイン会概要が掲載されていた。七菜は夢中で文字を追う。
『二月二十四日 十五時開始 三省堂書店神保町本店・一階特設会場にて 新刊『空の果て』お買い上げのお客さま 先着順百名様限定』
 十五時、神保町。急げば間に合う! 
 七菜はコートとバッグを引っ掴み、スーパーの出入り口目指して駆けだした。

 地下鉄神保町駅から走りに走って三分。靖国通り沿い、お茶の水方面との交差点に建つ三省堂書店神保町本店ビルに、息を切らせながら七菜は飛び込んだ。特設会場は正面入り口に面した広いスペースで、すでに長い列ができている。ひとが多すぎて、朱音のすがたは見えない。
 あわてて列に並んだ七菜に制服すがたの若い書店員が声をかけてきた。
「お客さま。列に並ぶのは書籍をお買い上げのあとになります」
「あ、すみません」
 書店員に案内され、新刊『空の果て』が積まれた平台に向かう。すでに多くが買われたあとで、残りは十冊ほどだった。
 一冊手に取り、レジに向かおうとして七菜は足を止める。一冊では少ないかもしれない。誠意を少しでも感じてもらうため、もっとたくさん買ったほうが。
 平台に戻り、もう一冊掴む。いや待て、いっそ残りの本すべて買ってしまおうか。ぶ厚い単行本をすべて抱え上げる。いやいや待てまて。ここであたしが全部買っちゃったら、ほかのファンに行きわたらない。それではかえって朱音の怒りを買ってしまわないか。
 迷いに迷ったあげく、七菜は三冊を胸に抱え、レジに向かった。会計を済ませ、列に並ぼうとして、またもや迷いが兆す。
 まだ残りの本があるということは、あたしの後ろに並ぶ客がいるということだ。関係者がファンよりさきにサインを貰うというのは失礼なのではないだろうか。七菜はサインを待つ列から離れ、じっと平台を見つめた。
「お客さま。列にお並びにならないのですか」
 先ほどの書店員が不思議そうな顔で問うてくる。
「あの、最後尾につこうと思いまして。いけませんでしょうか?」
「いえ……そういうことでしたら」
 やや不審げなまなざしを向けてから、書店員が一歩身を引いた。
 そうこうしているうちに残りの数冊が売れてゆき、平台に『完売御礼』の札が立った。最後の客が列に並んだのを確認してからようやく七菜もサインを待つひとの群れに加わった。
 列はゆっくりと進んでいく。それにつれて七菜の鼓動も高まってゆく。
 あと数人、というところで初めてテーブルに座る朱音のすがたが目に入った。昨日七菜を叱り飛ばしたのと同じ人間とは思えぬ柔和な笑みを顔にたたえ、ファン一人ひとりに優しく話しかけている。朱音の背後には背の高い男性書店員が立ち、左右には私服の男性と女性がひとりずつついている。おそらく出版社の担当者なのだろう。
 どうか先生と無事に話せますように。七菜は祈るような思いで新刊書を抱きしめる。
 七菜の前に並んだ客が、朱音と固い握手をしてから名残惜しそうに去ってゆく。とうとう七菜の番が来た。
「先生、このかたで最後です」
 私服の女性が朱音にささやく。頷く朱音の前に、七菜は『空の果て』を三冊、並べて置いた。
「まあ。三冊もお買い上げに? 嬉しいわ、ありがとう」
 満面の笑みで朱音が顔を上げる。七菜と朱音の目が合う。とたん、笑顔は急速に消え、怒りに満ちた険しい表情が、草原を焼く野火のように顔全体に広がってゆく。怒りの「熱」を全身で浴びながら、七菜は必死でことばを押し出す。
「先生、あの昨日は」
「――なにしに来たの、あんた」
 冷たく硬い声。吊り上がった瞳は、七菜を射殺さんばかりの鋭い光を放っている。
「わ、わたしは、ただあのお詫びをしようと」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!」
 甲高い声で叫ぶと同時に朱音が立ち上がった。勢いで椅子が倒れ、耳障りな音を立てる。思わず七菜は一歩あとじさる。周囲に残っていた客がいっせいにこちらを見た。
「せ、先生」
「どうされました?」
 担当者ふたりが、壁を作るように朱音を囲む。朱音が七菜に向かって指を突き立てた。
「いいこと? 二度とあたしの前にあらわれないで頂戴。もしまた近づいてきたら――」すっと目が細められる。「警察を呼ぶわ。脅しじゃないわよ、本気だからね」
 言い放つや、身を翻して歩き出す。
「先生、こちらのお客さまにサインは」
 追いすがった女性担当者が朱音に尋ねるが、
「必要ないわ。とっとと追い出して頂戴」
 振り向くことすらせずに、朱音は歩いてゆく。女性担当者が急ぎ足であとを追う。居合わせた客や書店員が、そのようすをあっけに取られて見ている。
 なにが起こったんだろう。なにがいけなかったんだろう。
木偶でくのように七菜はただひたすら立ちつくす。
思考がたわみ、縺れ、切れぎれになってゆく。聞こえているはずの音が、見えているはずの風景が急速に遠のく。
「……あの。たいへん失礼ですが……」
 男性の担当者が小声で話しかけてきた。
耳もとで囁かれたそのことばすらも、いまの七菜には、遠い。

 

【次回予告】

決死の行動が裏目に出てしまった七菜。なんとか帰宅した七菜だったが、家に来ていた恋人・拓と仕事を巡り大喧嘩をしてしまう。何もかもがうまくいかない七菜。そんなとき、突然部屋のチャイムが鳴って……?

〈次回は4月17日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

<中澤日菜子の「ブラックどんまい!」連載記事一覧はこちらから>

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