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ふたりで作る“最後”の料理。そして七菜に芽生えた決意とは……? 【連載お仕事小説・最終回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、最終回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! 尊敬する上司・頼子と久しぶりにキッチンに立った七菜。料理を終えた頼子は七菜に最後の願いを告げる。頼子の告げた“最後”の意味とは……? そして七菜に芽生えた決意とは……!?

 

【前回までのあらすじ】

頼子が戻るまで現場を守ると約束した七菜だったが、頼子のがんの進行は思っていたよりも早いものだった。頼子は、今まで誰にも見せたことがない姿を見せるほど取り乱してしまう。なんとか頼子をなだめた七菜は、恋人の拓から届いたレトルトカレーをロケ飯で出す方法を相談し、二人で作ることに。

 

【今回のあらすじ】

久しぶりにふたりでキッチンに立って作ったのは「カレースープ」。料理を終え、「こちらこそありがとう。わたしも嬉しいわ。最後に七菜ちゃんと料理ができて」と告げた頼子。その“最後”の意味とは……? そして頼子の最後の願い『半熟たまご』を世に出すことを叶えると決意した七菜は……?

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

「一緒に作ろう、七菜ちゃん」
 杖をついてキッチンに向かいながら頼子が言う。
「え、でも」
 一瞬、七菜は迷う。歩くのすらしんどそうな頼子さんをキッチンに立たせていいものだろうか。でもあたしが作ると言ったら、また頼子さんを傷つけてしまうかもしれないし。
「作ろう。前みたいに。ふたり一緒に」
 七菜の迷いを読み取ったように、頼子がほがらかに告げる。
 前みたいに。ふたり一緒に。
 そのことばが七菜の背中を押す。頷いて七菜は頼子につづいてキッチンに入った。
「七菜ちゃん、冷蔵庫から野菜、出してくれる?」
「なにを出せばいいですか」
「人参、玉ねぎ、あとは……そうねキャベツをお願い。それからソーセージかベーコン。どっちかまだあったはずよ」
「はい」
 七菜はまずいちばん下の野菜室を開けた。入っているのはにんにくに生姜、あとは葉物野菜がいくつかだけ。言われた野菜を取り出すと、野菜室はほぼ空っぽになった。ついで上の扉を引き開ける。小棚に置いてある食材も、バターや味噌などごくわずかだった。
 さすがにいまはもう、ほとんど自炊してないんだろうな。こころがきゅっと痛む。次に来るときは頼子さんの好きそうなお惣菜そうざいを見つくろって持ってこよう。
 そう考えながらチルドルームを覗き込む。ハーブの練り込まれたソーセージがひと袋、隅にぽつんと転がっていた。
「これ、使っちゃっていいんですか?」
「うん。そしたらまず野菜を刻もう。そうね……粗めのみじん切りくらいで」
「量は?」
「ふたり分だから、どれも半分でいいわ」
「使うのは上のほうでいいですか、人参。確か煮込むときは上のほう、サラダで食べるなら下の部分ですよね」
 頼子が満足そうにほほ笑む。杖を壁に立てかけて、頼子が野菜を洗い始めた。頼子の横に立ち、七菜は最初に洗い上がった人参を横半分に割り、皮をピーラーで剥いてゆく。剥き終わったら粗めのみじん切り。だいたい五ミリ角に揃える。
 野菜を刻み終え、ざるに移す。頼子が一センチほどの幅に切ったソーセージのざるを隣に並べた。
「下ごしらえはこれで終わり。七菜ちゃん、厚手の鍋に野菜と水を入れてくれる? 水は野菜にかぶるくらい。そうしたら中火で火を入れて」
「炒めなくていいんですか」
「カレーから油が出るからね、野菜は煮るだけ」
 言われた通り、琺瑯ほうろうの小鍋に野菜を入れ、水を足す。コンロにかけて火加減を調節した。
「七菜ちゃん、冷凍庫開けて。いちばん下の段」
「はい」
 引き出しを開けると、大中小と三種類のタッパーがきちんと角を揃えて積まれてあった。中身はどれも薄茶色の液体だ。
「中くらいのタッパー出して。電子レンジで、そうね……二分、加熱して」
「なんですか、これ」
 タッパーを透かし見ながら七菜は問う。
「自家製のスープストック。時間のあるときに、丸鶏のガラや野菜くずを入れて大量に作っておいたの。便利よ、シチューでもポトフでもなんにでも使えて」
「なるほど」
 スープストックひとつにしても市販品を使わず、いちから手で作ったものを使う。そのあたりに頼子の作るロケ飯の美味しさの秘密があるのだろう。
「製氷皿を使ってキューブにしてもいいんだけどね。かえって必要なぶんが取り出しにくいから、わたしはタッパーを使ってるの。これだと持ち運びもしやすいし」
 頼子の説明を頷きながら聞く。
 加熱を終えたレンジが、ちん、と、鳴る。
「スープストックを鍋に入れてくれる? 沸騰したらソーセージね。さきに入れてもいいんだけど、肉の旨みが出ちゃってカレーの強さに負けちゃうから、今回はあとで」
「はい」
 三分の一ほど解凍されたストックを鍋に入れる。再度沸騰するのを待って、ソーセージを投入した。
「ここでレトルトカレーの出番。封を切って中身を鍋にあけて」
「え? 温めずにそのまま?」
 七菜が驚いて尋ねると、頼子が頷いた。
「そう。このやりかたなら一つひとつ湯せんしなくて済むから、いっぺんに何個も使えるでしょ」
「確かに……」
 思わず七菜は唸る。
「レトルトカレーって、温めてご飯やうどんにかけるくらいしか思いつきませんでした。でもこうして調味料代わりに使うこともできるんですね」
「そうよね。どうしても『こう使うものだ』って思い込みはあるわよね。でもちょっと見かたを変えれば、意外な活用法が見えてくるものよ」
 穏やかに頼子がこたえる。
「確かにセオリーは大事よ。基本を知らなかったらなにもできないから。でもだからといって囚われすぎてもだめ。柔軟な対応も必要。仕事と同じね」
 頼子のことばに七菜は深く頷く。
 まさに仕事と同じ。献立を考え、材料を揃え、手順に従って作っていく。けれども時として思いもかけぬ状況に陥ることもある。そんなときは発想を変えればいいんだ。
 発想を変える。
 七菜のこころの隅を、なにかがちらりと横切った。なに? なんだろう? その『なにか』のしっぽを捕まえようと、七菜は目を閉じ、集中する。けれども残っているのは感覚だけで、かんじんの正体までは掴めなかった。諦めてまぶたを上げる。
 部屋にカレーの匂いが立ち込め始めた。小皿に取ったスープの味をみてから、頼子が塩と胡椒をほんの少しだけ足した。
「よし、できた。食べようか七菜ちゃん」
「あ、はい」
 食器棚からスープボウルを出し、鍋の中身を注ぐ。トレイに載せて、ダイニングテーブルまで慎重に運んだ。スープボウルの脇に、頼子が銀色に光るスプーンを添える。
「いただきます」
 七菜は、カレースープを口に含んだ。レトルト独特の臭いはじゃっかん残ってはいるものの、足した具材やスープストックのおかげで角が取れ、まろやかな味に変わっている。
「どう?」
 みずからもひと口啜ってから頼子が尋ねる。
「美味しいです。しつこくないし、ご飯にもパンにも合いそう」
「ふたり分で一袋、だから五十人分で二十五袋使えるわね。ちょっと時間はかかるけど、これなら百個、使いきれそうじゃない? レトルトだから持ち運びしやすいし、賞味期限も長いし」
「はい。よかったぁ、どうしようかと悩んでたんで。ありがとうございます、頼子さん」
 七菜が頭を下げると、頼子が顔いっぱいに笑みを浮かべた。
「こちらこそありがとう。わたしも嬉しいわ。最後に七菜ちゃんと料理ができて」
「え?」
 頼子のことばにスプーンが止まる。スープから顔を上げた七菜を、頼子がまっすぐに見つめる。
「……ホスピスに入ることにしたの。こんなからだじゃ普通の生活、送れないし。頼れる家族や親戚もいないし。だから──これが最後の調理。たぶんもう二度と……ロケ飯を作ることはできない」
 七菜はぼう然と頼子の顔を見やる。先ほどまでの混乱や嘆きは消え去り、凪いだ海のような穏やかさが漂っている。
 すべてを諦めたひとの顔に思えた。さまざまな思いを断ち切り、静かに消えてゆこうとするひとの顔に、思えた。
 七菜は右手を伸ばし、頼子の手首を掴んだ。
「待ってください、そんな頼子さん」
「仕方ないの。こうするしかないのよ」
「でも、頼子さんがいなかったらロケ飯は」
 ゆるゆると首を振り、頼子が握られた手を外す。
「……このあいだはごめんね。『ロケ飯はじぶんで作る』なんてわがままを言って。わたしがいなくなったあとのこと、どうかよろしくお願いします」
 テーブルに額がつくほど頼子が深く頭を下げた。
 頼子がいなくなる。あたしの前から、永遠に。
 七菜は夢中で立ち上がる。椅子が、がたりと音を立てて倒れた。
「嫌です! あたしはいやです、絶対にぜったいに嫌です!」
 凪いだ海にさざ波が立つように、頼子の顔がかすかに歪む。まつ毛を伏せ、頼子が俯く。
「……わたしだって、嫌よ。こんなかたちで現場を去るのは。せめて──」
 ことばを切り、深く息を吸った。
「──せめて『半熟たまご』を世に出したかった。最後の作品として、あのドラマを視聴者に届けたかった──」
 血を吐くような、それは叫びだった。
 頼子の細い肩が震える。ふたたびこぼれそうな涙を必死でこらえる。
 頼子の最後の願い。それは『半熟たまご』を世に出すこと──
 全身の血が熱くなってゆく。草原を焼く焔のように熱はからだじゅうに広がり、やがて巨大な炎の柱となって七菜のなかに立ちのぼる。
 頼子に完成したドラマを見て欲しい。いや、見せてあげなくてはならない。それがあたしにできる、たったひとつのことなんだ──
 迷いも怯えも戸惑いもすべて消えていた。
 七菜は両の拳を固くかたく握りしめる。
 闘う。最後の最後まであたしは闘う。闘いつづける。
 七菜はゆっくりと口を開く。
 芽生えた決意を頼子に伝えるために。

 
 

連載は完結。気になるこの続きは……?

【書籍化決定!】単行本のタイトルは『働く女子に明日は来る!』9月16日刊行予定!


定価/1,600円+税
単行本/四六判ソフトカバー
352ページ(予定)

イマドキのお仕事問題に立ち向かう七菜の奮闘ぶりに、共感を覚えたという方も多いのではないでしょうか。働く女子の背中を包み込み、優しく押す、前向きお仕事小説『ブラックどんまい!』が、タイトル新たに書籍化します。令和のお仕事小説決定版、お楽しみに!

来週からは、このお仕事小説『働く女子に明日は来る!』の魅力をお伝えするページをお届けしていきます!
近日公開>著者・中澤日菜子に創作の背景秘話をインタビュー!

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

<中澤日菜子の「ブラックどんまい!」連載記事一覧はこちらから>

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