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師いわく 〜不惑・一之輔の「話だけは聴きます」<第35回>

第35回 『憧れていた職業に就いたはずなのに……』
悩み相談のさなか、いきなり「ちょっとごめん」と電話をし始めた一之輔師匠。話している相手はご家族のようだが、どうも納得のいかない顔だ。何かあったのだろうか……?

新ヘッド

キッチンミノル(以後、キ):……ご自宅でなにかあったんですか?

一之輔師匠(以後、師):パソコンを起動するパスワードを忘れたんだって。

キ:パソコンの? 師匠宅の居間にあるやつですか?

師:そう。

キ:あれって師匠専用のパソコンだったんですね。

師:いや、家族共通の。かみさんも毎日使っているんだけど……なんで忘れるかね?

キ:パスワードを忘れても、指が覚えていたりしますけどね。

師:毎日使ってんだぜ。今電話してパスワードを伝えたら、「わーっ!」って喜んでた。

キ:おおー!

師:さっきからずーっとメールが来ててさ。切羽詰まってそうだったから、話の途中で電話しちゃったんだけど。失礼しました。

キ:だけど、そんなに急ぎでパソコンを開かなくちゃいけないって、家で何か起きたんですか?

師:米が切れたから注文しなくちゃいけないって……。

キ:せ、切実ですね……そうそう、一問一答みたいな質問が届いているので読んでもいいですか?

師:おっ、そういう軽いのもいいね。

「一之輔師匠、キッチンミノルさん、こんにちは。私は「歩き食べ」がやめられません。仕事帰りにコンビニに立ち寄り、お菓子を頬張りながら駅へ歩きます。流石に恥じらう気持ちがあり、人通りの少ない裏道を選ぶため、わざわざ「歩き食べ」の為に遠回りしています。時々そんなことをしている自分が馬鹿らしく思います。来年歳女で36歳になるのですが、そろそろやめたほうが良いでしょうか? (あゆさん/女性/35歳/埼玉県)」

師:あるきたべ? 「食べ歩き」じゃなくて?

キ:はい。「食べ歩き」は観光などでその場所の名物などをあれこれ食べて回ることですが、この方の場合は、歩くことよりも食べることが目的なので「歩き食べ」です。

師:その行為を「やめたほうが良いでしょうか?」ってことなのね?

キ:はい。

師:そう訊かれたら「やめたほうがいい」って答えるよ、それは。……でも、オレもやるよ。歩き食べ。

キ:やりますか? 歩き食べ。

師:駅前のコンビニでチキンタツタサンドみたいなものを買って、ボリボリって食いながら帰ることあるよ。なんなんだろうなぁ、あの背徳感。

キ:感じますか?

師:感じる。だからすげー勢いで食うんだけど、絶対に体に悪いよね。

キ:そのあと家に帰ってからご飯食べるんですか?

師:そうだね。

キ:歩き食べは、おかみさんには内緒で? 

師:もちろん。だけど今はあまりしないかなぁ。
……いつ頃までやってたかなぁ? 30代中頃までかな。

キ:あっ、相談者さんも35歳!

師:本当だね。そういう年頃なのかなぁ。

キ:師匠はどうやってやめたんですか?

師:やめたっていうか…食えなくなったんだよ、単純に。

キ:じゃあ自然にやめていったということで…

師:まぁそういうこと。だけどあゆさんは気をつけたほうがいいよ。人間は食うのを優先しがちだから。

キ:食べることを優先? どういう意味でしょう?

師:それじゃあ質問。キッチンは家でご飯を食べているときにピンポーンってチャイムが鳴ったらどうする?

キ:たいがい、モグモグしながら出てますね。

師:そうだろ! 人間はなかなか「食」を中断することができないんだよ。だから、歩きながら食うってすごい危険なの。

キ:わかったようなわからないような。

師:つまりね。万が一、あゆさんが歩き食べ中に痴漢にお尻とか触られたりした場合、たぶんこの人は、キャーって言わないでモグモグをし続けちゃうと思うんだ。

キ:そ、そうですかぁ? だとしたら、人通りの少ない裏道をわざわざ選んで歩いているし、危険!

師:食うのに気をとられて電柱にぶつかったりするよ。そのうち。

キ:そこまでいくと末期症状ですね。

師:それでも食いたいんだったら止めないよ。好きにしたらいいよ。

キ:そんなリスクを背負ってまでも食べたいということなら。

師:だけど、なに食ってんだろうね? あゆさんは。

キ:なに食べてるんでしょうね……

師:どうせろくなもん…

キ:こらこら!
 

師に問う:
私は、今の仕事を続けるかどうかで悩んでいます。
憧れていた映像関係の仕事で、厳しくハードであることも覚悟して、この職に就いたつもりでした。しかし入社して3年、休みもなく仕事に追われる毎日に、もう辞めたいと思うばかりです。好きなことを仕事にしたはずなのに、目標も持てず、ただ生活するためにこなすだけの作業になってしまっている現状がとても情けなく、こんなことならいっそ全く別の職種に転職したいとも思うのですが、他にやりたいことも特になく、悩み続けることにも疲れてしまいました。
一之輔師匠もキッチンさんも、ご自分の好きなことをお仕事にされたと思いますが、常に目標や理想のようなものはお持ちでしたか? 私が今、仕事を辞めるのは甘えなのでしょうか?
(かたつむり/女性/23歳/東京都)

 

師:辞めてもいいよ! 自分の人生だもん。誰かにやらされているわけじゃないんだから。選ぶ権利はかたつむりにあるんだから。

キ:そりゃそうですよね。
ただ、辞めた後の目標がないから、ここで辞めてしまうのは甘えなのかなと思っているんです。

師:甘えじゃないよ、そんなの。それにもし甘えだったとしても、23歳はまだ甘えていい年齢だよ。それに、やりたいことなんて、この先いっぱい見つかるから。

キ:まだまだこれからですもんね。……師匠は23歳の頃は?

師:前座修行中。

キ:なりたて?

師:なったばっかり。うちの師匠と今のかみさんに食わせてもらってた。かみさんには「すみません。風呂使わせてください」ってお願いしてたもん。

キ:自分の時間は…

師:あるようでなかったなぁ。

キ:でも、辞めたいとは思わなかったんですよね。

師:それは幸運なことだったと思うよ。学生の頃に客席で見ていた人が同じ楽屋にいて、話しかけてくれて。こういう世界にずーっといたいなぁ…と思っていたからね。

キ:目標や理想のようなものはあったんですか?

師:あんまり考えたことないなぁ。キッチンは?

キ:80歳までは写真を撮る仕事を続けていきたいなぁと漠然と思っていました。師匠が寄席にいつまでも出続けたいと思っているのに似ているかもしれませんが。……いまは師匠の死に顔を撮りたいなと思っています。

師:やめろよ! 縁起でもない。
……でもオレも、いつまでも寄席に出続けたいなぁ。

キ:続けていくってことがいちばん難しいですからね。

師:そうだな。でもさ、人生で一番やりたいことだけにこだわらないで、二番目三番目を常に考えながら生きていくっていうのはいいかもしれないぞ。

キ:私はいつも考えてますよ。

師:え、そうなの?

キ:2年前くらいまでは「漬物屋」さんになりたいなぁって思っていました。

師:今すぐなればいいじゃん。

キ:いやいや。まだ写真撮らせてくださいよ〜。

師:なにか実行に移したの?

キ:はい。2年前の冬にいろいろ調べて、良いぬかを仕入れてぬか漬けを作り始めたんです。

師:へ〜、すごいじゃん。

キ:へへまぁ。すごいうまかったんですよ。……春までは。梅雨を過ぎて猛暑になったあたりから異変が起きて…ぬか床を完全に腐らせちゃったんです。変な臭いがして。それでやめました。

師:早っ! 漬物屋どころか趣味のレベルにもなってねぇじゃねーか! 商売なめるなよ! 今すぐ梅宮辰夫に謝れ。

キ:す、すみません。……だけど、師匠だって高校に入学したときに入ったラグビー部を1年で辞めてますよね。

師:そうね。

キ:それは辛かったから?

師:辛い。もうこのままやっていてもしょうがない。向いてないって思ったから。

キ:でも、最初はやる気まんまんで入部したんですよね?

師:そう。だけどそれ以上に辞めたい気持ちが強くなったから辞めたの。「辞めまーす」って職員室に言いにいって。

キ:今のかたつむりさんの状況に近いのかな。

師:逃げなきゃいけないときもある。振り返ってみると逃げてよかった場合もあるから。

キ:師匠もラグビーから逃げたからこそ、落語と出会ったんですもんね。

師:まぁね。……でもこれはあくまでも部活の話だからな。かたつむりみたいに仕事にしていたわけではないから、すぐに辞めやすいよね。だからちょっと違うとは思うけど。

キ:なるほど。

師:そうそう。前座修行中って主な仕事が雑用みたいなものでさ。師匠の着物を畳んだり、お茶を出したり。そのほかにもいっぱいやることがあるの。だから仕事中に自由はない。

キ:はい。

師:それでもたくさんいる師匠ごとに好みのお茶を出したときに、時々師匠方から「あんちゃん、わかってるねぇ」って言われることがあって、すごく嬉しいわけ。小さい喜びだけど寄席の中で仕事をしているんだなぁって実感するのよ。

キ:そういう、ほのかな灯りのような小さな喜びがあるかどうかは、日々の仕事にとって大事なことですよね。

師:今の仕事の中にそういう小さな光が見えるのならもう少し続けてもいいかもしれない。それでその小さな光を集めて大きくしていくように仕事をしていったらいいと思う。

キ:なるほど。小さな光を見つけられるのならば…か。その光を糧に続けていくこともできるだろうと言うことですね。……でも、かたつむりさんはもしかしたらその光さえ見ることができなくなっているかもしれません。

師:毎日が暗黒で辛くってしょうがないなら、3年もやっているんだし辞めていいよ。

キ:3年あればそれなりに現状や将来の展望がわかりますからね。

師:そうね。

キ:かたつむりさんは「他にやりたいこともありません」って書かれているのですが、やりたいことがないのなら、それが見つかるまで思いっきりお金を貯めるのはどうでしょうか? お金があれば、何かをやりたいって思った瞬間にすぐ動き出せますからね。

師:お金ねぇ…

キ:今でもお金さえあればなぁ…と思うことはいっぱいありますからね。

師:そういえば、ヨーロッパで酔っ払いが金をばらまこうとしていたときに、キッチンだけがその金を拾おうとしてたよなぁ…

キ:ヘヘヘ…お金は大事ですから。

師:23歳かぁ……まだまだこれからだよ。いまのオレよりも子どもたちのほうに年齢が近いものなぁ。長男もいずれこういうふうに悩んで自分の進む道を見つけていくんだろうなぁ。そう思うと、かたつむりからいろいろ話を聞きたいかも。

キ:直接?

師:おうよ。一度呑みたいね、ご馳走したい。

キ:23歳の女のコだから?

師:あ~、そういうワクワク感はまったくない。ただ話を聞きたいだけ。

キ:……失礼しました。

師:キッチンがいけふくろうで待ち合わせして連れてきてよ。
【編集部注】いけふくろう…池袋駅の有名な待ち合わせスポット。フクロウの石像が目印。ただし池袋駅に詳しくないと辿り着くことすら困難。しかも駅構内や周辺にはさまざまなフクロウ像がトラップのように点在するので初心者は要注意。

キ:私が?

師:居酒屋ではついたてを立ててね。

キ:で、声色も変えて…って直接は会わないんかい!

師:わかってないなぁ〜キッチンは。ついたて越しだから出来る会話っていうのもあるんだよ、大人には。

キ:でも、そのついたてを立てたり、変声機を持ってきたり、それぞれの入り時間のスケジュールを管理したりするのは師匠がするわけではなく…

師:もちろん。

キ:ということはもしかして……

師:あんちゃん、わかってるねぇ〜。

キ:いやいや、私は楽屋で修行中の前座じゃないですから。

師:ちっ、キッチンには小さな光が見えなかったか……

 

師いわく:
35回用

(写真・構成/キッチンミノル)※複製・転載を禁じます。

 

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プロフィール

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春風亭一之輔:落語家

『師いわく』の師。
1978年、千葉県野田市生まれ。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。前座名は「朝左久」。2004年、二ツ目昇進、「一之輔」に改名。2012年、異例の21人抜きで真打昇進。年間900席を超える高座はもちろん、雑誌連載やラジオのパーソナリティーなどさまざまなジャンルで活躍中。
 
 
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キッチンミノル:写真家

『師いわく』の聞き手。
1979年、テキサス州フォートワース生まれ。18歳で噺家を志すも挫折。その後、法政大学に入学しカメラ部に入部。卒業後は就職したものの、写真家・杵島隆に褒められて、すっかりその気になり2005年、プロの写真家になる。現在は、雑誌や広告などで人物や料理の撮影を中心に活躍中。

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