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出口治明の「死ぬまで勉強」 第20回 ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(前編)

漫画家として、エッセイストとして大活躍中のヤマザキマリさん。
その原動力のひとつになっているのが
イタリア時代の挫折だ。
学力には自信のあったヤマザキさんが
「知ることに対して謙虚になろうと思った」きっかけとは――?

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■出口「ものを知らない悔しさは、勉強するモチベーションになりますね」
■ヤマザキ「だから、まず知ることに対して謙虚になろうと思いました」

出口 ヤマザキさんは17歳のときにイタリアに留学されたのですよね。
ヤマザキ 日本の女子校に通っていたんですが、そこを途中で退学して、その後フィレンツェの国立の美術学校に入学しました。でも、これは自分の意思で行ったわけではないんです。私はパンクが好きなので、海外に行くならロンドンと決めていました。でも、母がイタリアの知人とのやりとりで勝手に決めてしまったんです。まずは、イタリアに行ってこいと。そのうえでロンドンへ行きたいならそうしなさい、と。
 もともと絵を描くことが好きだったから、本格的に油絵を学べることはうれしかったのですが、「イタリア!? 聞いてないよ」という感じで(笑)。
出口 絵の勉強だけではなく、美術史を学ばれたとか。それはどうしてですか?
ヤマザキ フィレンツェに留学したとき、私の後見人になってくれた作家のおじいさんがいました。彼はイタリアにおけるゲイ文学の先駆者で、あるサロンの中心人物でした。サロンになっていたのは書店で、ちょうど須賀敦子さんが『コルシア書店の仲間たち』で描かれていたようなところですが、さらにマイノリティな意識を持ったインテリの集まりです。
 私がそこに顔を出すと、みんなからもうコテンパンにやられるんです。「この東洋からやってきた娘っこは、世のなかのことを何もわかっていない。日本やイタリアの政治や社会構造をわかっていないどころか、自分の母国の文化についても無知。日本の文学も読んでいないそうじゃないか。そんなやつが絵を描くって? 冗談はよしてくれ」という感じで。
 私は14歳で欧州を1ヶ月間ひとりで旅した経験もあるし、学校の勉強もそれなりにやっていた。学生時代は先生にも一目置かれていたことで自分にも自信があった。ところがそんな自負がたちまち崩壊してしまうくらい、ガンガンに容赦なく言われたんです。それがもう悔しくて、恥ずかしくて……。
 でも、羞恥心よりも納得のほうが強かった。
「高校2年生まで何を勉強してきたのか知らないけれども、君は何もわかっていないよ。まず社会事情や歴史のような基礎教養が足りない。それがわからなければ、絵も描けない。イタリアのことも理解できないだろう。絵がうまい、へたはそのあとだよ」とおじいさんからいわれたのですが、彼自身がマイノリティでいろいろな経験をしてきているから、言葉一つひとつがものすごく重いんです。
 そして、棚に並んでいた三島由紀夫や安部公房を抜き出して、「まずは自分の国の傑作を読みなさい」と言われました。
出口 悔しさは勉強のモチベーションになりますよね。僕は大学に入学した直後、同級生たちから「おまえ、まだマルクス読んだことないのか」と馬鹿にされて悔しかったから、むさぼるように読みました。岩波文庫の『経済学・哲学草稿』から始まって、ヘーゲル、カント、デカルトとさかのぼり、結局プラトンまでいった。馬鹿にされていなかったら、あの時期に哲学の本は読まなかったかもしれません。
ヤマザキ その悔しさって、それを知らないままやっていく自信がない自分の不安への防御なんですよね。論破したくても、まずその内容を知らないことには、同じ土俵の上にすら立てない。だからまず知ることに対しては謙虚になろうと思いました。
出口 わかります。美術史も、その延長線上で勉強されたのですか。
ヤマザキ はい。じつはちょうどそのころ、私自身も絵のことで悩んでいました。学校でテクニックばかり教わることに疲れて、「どうして人間は表現したがるんだろう」とか「人間にとってなぜ美術は必要なんだろう」といったことばかり考えるようになっていたんです。美術史を履修することにしたのもそれが理由です。
 後見人のおじいさんは、じつは大学で長く美術史を教えていらっしゃった方だったので、「美術史を理解することが、デッサンをうまく描くこと以上に、将来おまえを助けるだろう」と言ってくれました。
出口 それは素晴らしい教えですね。
ヤマザキ 美術史というのはその時代を生きる人々の社会的バックグラウンドをせきららに反映する鏡みたいなものです。だから、学んでいくうちに今度は歴史のほうに強い興味が出てきてしまい、美術という枠を超えた領域のことも知りたくなっていった。そうやってどんどん収拾がつかなくなっていったのです(笑)。
出口 でも、そのとき学んだものがいま活きていると思いませんか。
ヤマザキ 思います! いま連載中の『オリンピア・キュクロス』は、古代オリンピックと現代オリンピックの比較論を描きたくて始めたのに、気がついたらプラトンやソクラテスが原稿のなかに現れている。彼らにとって弁証は至高の表現手段であり、政治に利用されがちな絵画や彫刻といった表象を一切信じません。でも、タイムスリップして手塚治虫と出会い、漫画という文化に触れて衝撃を受けるといった内容です。
 途方もないことを描いていますが(笑)、こういう発想も、当時サロンの人たちに焚きつけられて学んだものがベースにあると思います。
 

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