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出口治明の「死ぬまで勉強」 第20回 ゲスト:ヤマザキマリ(漫画家) 「生きる」という勉強(前編)

漫画家として、エッセイストとして大活躍中のヤマザキマリさん。
その原動力のひとつになっているのが
イタリア時代の挫折だ。
学力には自信のあったヤマザキさんが
「知ることに対して謙虚になろうと思った」きっかけとは――?

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■ヤマザキ「人物画には、宇宙を描いているかのような描きごたえがあります」
■出口「顔は人生の縮図。それを追体験している感覚になるのでしょう」

出口 イタリアの美術は本当に豊かですが、どんな時代、どんな画家に興味を惹かれましたか。
ヤマザキ 美術学校で最初に専攻したのは油絵学科でした。先生が「ひたすら模写してこい」というので、最初はウフィツィ美術館に行ってラファエロだ、ボッティチェリだと描きまくったのですが、私はどうもルネサンスの典雅的で絢爛豪華な絵には、あまり魅かれませんでした。
 それよりも私が強く魅かれたのは、ルネサンス初期の人たちです。暗黒の中世時代につくられた表現や様式の(たが)を打ち砕いて、その後のルネサンス反映の礎を作った人たち……画家でいえば初めて人間に生々しい涙を描いたジョットや躍動感のある肉体表現を描いたマサッチオ、遠近法にやらたとこだわったピエロ・デッラ・フランチェスカやパオロ・ウッチェロなどです。
 その後、北方ルネサンス(アルプス以北で始まった美術)の画家たちにもハマっていくのですが。
出口 僕もピエロやウッチェロが大好きです。北方なら、ヴァン・エイクはいかがですか。
ヤマザキ 私が最初に学校で描かされた模写がヴァン・エイクの「赤いターバンの男」でした。最初は「なんで私はフィレンツェまで来て北方のおじさんの顔を描いているんだろう」と思いましたが、赤いターバンの布の襞やシワだらけのおじさんの顔と向き合っているうちに、人間の顔って奥が深いなと思うようになっていったんです。
 人の顔を描いても、たいしてお金にはなりません。亡くなった人の顔を描くアルバイトをしたこともありますが、それはレアなケースです。普通は自分の肖像画を欲しがる人なんかいないので、これだけで食べていくことはできません。
 でも、人の顔はそれぞれまったく違っていて、人物画には宇宙を描いているかのような描きごたえがある。先ほど出口さんが「人間は一人ひとり顔が違うように、考え方や生き方が違う」とおっしゃいましたが、まさにそのとおりです。いま漫画でも、若い人よりお年を召した方を描きたくなるのは、そのせいかもしれません。
出口 顔にはその人の人生が凝縮されていますから、人物画を描く人は、その人生を追体験しているような感覚になるのかもしれませんね。
ヤマザキ 人生が封じ込められているというか、エネルギーが拡散しているというか、もうわけがわからない。だって、自分の息子のことだって、夫のことだって本質まではわからないじゃないですか。ましてや全然知らない人なんてわかりようがありません。
 だから、人物を描いているときは、景色を描いているような気持ちになる。周囲には「ヤマザキさん、風景画のほうが売れるのに、なぜ描かないんですか?」といわれることもありますが、私は風景画と同じような気持ちで人の顔を描いているんです。
 それで美術史、ルネサンス史を勉強していたときに好きになった画家が、人物を非常にうまく描くアントネロ・ダ・メッシーナです。
出口 ブルーの「受胎告知の聖母」で知られる人ですね。美術史家のコスタンティーノ・ドラッツィオという人が、ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョの評伝に引き続いて『ラファエッロの秘密』という本を書いています。歯切れのいい文章を書く彼には「ぜひメッシーナやピエロ、ウッチェロについての続編をお願いしたい」と、新聞の書評欄で書いたことがあります。
ヤマザキ じつはいま『芸術新潮』で連載している「リ・アルティジャーニ」という漫画に、メッシーナもウッチェロもマサッチオも、そしてもう1人私の大好きなマンテーニャといった画家たちが出てきます。日本における一般的知名度は低いですね。だから知ってほしくて描いているんです。
 彼らがすごいのは、絵だけではなく、多元的な興味があって基本的に頭がいいことです。「ダ・ヴィンチは絵画だけではなく、彫刻、建築、数学、解剖学などができた万能人だ」といわれますが、この時代の人にとっては、結構それが普通だったりするんです。
出口 ラファエロだって、設計にも考古学にも精通していますね。
ヤマザキ そのとおりです。そのうえラファエロはダ・ヴィンチのようにへそ曲がりの偏屈ではなかったし、多分人当たりもよかった。だから皆に重宝されていました。
 ラファエロはよく女性にモテた画家といわれますけど、彼は誰からも愛されていたと思うのです。
 私も経験がありますが、肖像画を描くときには、その人の欠点を隠してきれいに描いてあげたくなるんですよね。でも、それをやりすぎると「これは私じゃない」と機嫌を損ねてしまう。その点、ラファエロは欠点も含め、その人の持っている良さをうまくキャンパスに描きます。たとえば表情が冷たく見える女性がいれば、少しだけ変えて気品のある女性として描くんです。
 当時は美容整形なんかないけれど、きれいな顔を絵に残しておけるなら、誰でもお願いしたいと思いますよね。
出口 ラファエロはなんでも器用にできる天才でした。普通なら鼻持ちならないヤツになってしまってもおかしくないのに、彼は才能をひけらかすところがほとんどなくて、とても性格が良かった。自己コントロールができるから、誰からも好かれました。
 それに、ビジネス感覚も抜群でした。ラファエロは普通は破り捨てる素描を版画にして大儲けしました。まさに実業家ですね。いま僕が、ルネサンス3巨匠のうち、ビジネスのパートナーに誰を選ぶかと問われたら、ラファエロと答えます。
ヤマザキ わかります。ルネサンスは創作に対してお金がたくさん回る時代でしたが、その流れにいちばんうまく乗った人だと思います。あの3人のなかで理想的な伴侶を選べといわれたら、やはりビジネス要素も含めてラファエロでしょう。まあ、他の2人は、女性にはあまり興味もなかったようだし。
 でも彼はまわりに気を遣う人だったと思いますし、我慢強そうでもあります。それも早死にの要因となったのかもしれません。亡くなったのは37歳です。
出口 でも、僕が人間的にいちばん魅力的だと思うのは、やっぱりダ・ヴィンチなんですよ。
ヤマザキ 社会性やビジネス云々という観点からではなく、人間として魅力を感じるという意味では、やはりダントツでダ・ヴィンチですね。ダ・ヴィンチは社会にうまく帰属できない人なんです。共同体という仕組みと合わず、フィレンツェでもうまくやっていけなかった。でも、本人はそれでいいと思っている。後世になってからは彼の孤独が「かわいそう」と同情されたりもしますが、本人はあまり意に介していないと思います。
出口 精神が貴族的ですよね。アップルの創業者スティーブ・ジョブズのように、普通の人とは違う感性を持っている。
ヤマザキ だって、気が向かなかったら、途中で描くのをやめてしまいますからね。彼が生涯で完成させた油絵は18点しかありません。あとは全部、未完成です。
出口 未完でも、「東方三博士の礼拝」や「荒野の聖ヒエロニムス」など素晴らしい作品がありますよね。
ヤマザキ 日本人は、一度始めたことは最後までやるべきだと考えがちですが、それでいいものができるとは限らないし、未完だからこそ人の心に響く作品もあります。そこをわかっていない人が多いですね。
 ダ・ヴィンチはお金や世間からの評判はどうでもよくて、「嫌なものは嫌」「できないものはできない」と言える強さを持っていました。孤独の免疫力が、ものすごくある人だったんですね。

 

出口「ラファエロはなんでも器用にできる天才ですが、やはりダ・ヴィンチにはスティーブ・ジョブズのような人間的魅力を感じます」
出口「ラファエロはなんでも器用にできる天才ですが、やはりダ・ヴィンチにはスティーブ・ジョブズのような人間的魅力を感じます」

 

ヤマザキ「同感です。社会にうまく帰属できず、『かわいそう』と同情されたりもしますが、本人はあまり意に介していないと思います」
ヤマザキ「同感です。社会にうまく帰属できず、『かわいそう』と同情されたりもしますが、本人はあまり意に介していないと思います」

 

出口 100%完成させたからといって、素晴らしいものができるとは限らないし、未完のほうが余韻がある、ということもありえます。
ヤマザキ そこは「ダ・ヴィンチに学べ」ですよ。私も、途中で「これはもうこのへんで止めておこう」と思った作品が何枚かあります。視界に入ってくるのが嫌で捨ててしまったのものある。
出口 ヤマザキさんのお母さまも、どこかダ・ヴィンチに似ていますね。世間体を気にしないで、揺るぎない自分の価値基準で生きているところなど。
ヤマザキ ダ・ヴィンチ的な素質を持った人って、我々が「苦手」とか「変人」と括ってしまう人のなかに、じつは結構いると思うんですよ。
 母に関して言えば、実際彼女はダ・ヴィンチが大好きで家の居間にレプリカを飾っていた。私たち子どもはモナリザを「怖い外人のおばさん」と呼んで怖がってましたが(笑)。母は長いものに巻かれようとしなかったし、世間体を気にすることもない。生き方の要領が悪いという捉え方もできるけれど、そもそも要領よく生きようとは思っていないところは、たしかに同じですね。

 

プロフィール

死ぬまで勉強プロフィール画像
出口治明 (でぐち・はるあき)
1948年、三重県美杉村(現・津市)生まれ。 京都大学法学部を卒業後、1972年日本生命保険相互会社に入社。企画部などで経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを歴任したのち、同社を退職。 2008年ライフネット生命保険株式会社を開業、代表取締役社長に就任。2012年に上場。2013年に同社代表取締役会長となったのち退任(2017年)。 この間、東京大学総長室アドバイザー(2005年)、早稲田大学大学院講師(2007年)、慶應義塾大学講師(2010年)を務める。 2018年1月、日本初の国際公慕により立命館アジア太平洋大学(APU)学長に就任。 著書に、『生命保険入門(新版)』(岩波書店)、『直球勝負の会社』(ダイヤモンド社)、『仕事に効く 教養としての「世界史」Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎)、『本物の思考力』(小学館)、『働き方の教科書』『全世界史 上・下』(新潮社)、『人類5000年史 Ⅰ、Ⅱ』(筑摩書房)、『世界史の10人』、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』(文藝春秋)などがある。

ヤマザキマリ
1967年東京都出身、北海道育ち。17歳で絵画の勉強のためイタリアに渡り、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で、油絵と美術史を専攻。
1997年に漫画家としてデビュー。『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。
エジプト、シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリア在住。
2015年度、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。
著書に『国境のない生き方』『仕事にしばられない生き方』(小学館)、『男性論』(文春新書)、『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス』『パスタぎらい』(新潮社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)などがある。
 
9784098252152  9784098253241
 
 
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