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美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第6話 赤い痣――少年と少女のプロレゴメナ――

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第6回目のタイトルは、「赤い痣――少年と少女のプロレゴメナ――」。幼い頃からお互いをよく知る少年と少女。「赤い痣」を隠す少女に、少年がかけた言葉とは……? 胸がキュンとするような一篇です。

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もう五十年ほども昔の話です。

その少年と少女は、よちよち歩きをしているころから、お互いを知っていました。家がごく近所にあったのです。だから、幼稚園も一緒でした。そのころ二人は、とても仲よしだったのです。

少女の左手の甲には、赤い痣がありました。歪んだ三角形を二つ、頂点のところを重ねてつなぎ合わせたような、真っ赤な色の痣でした。

二人が幼稚園に通っていたころ、その痣のせいで、ちょっとした事件が起きました。たしか二人ずつ組になって、お遊戯かなにかの練習をしていたときのことです。ある男の子が、「あの手の痣が気味悪い」と言って、少女と――そのころはまだ少女とも言えない、小さな女の子だったのですが――ペアを組むのがいやだ、と言い出したのです。そして困ったことに、一人がそんなことを言い出すと、ぼくも、ぼくも――と、ほかの子もみな、いやだと言い始めたのでした。

そのとき少年が――もちろん少年もまだ、少年とも言えない小さな男の子だったのですが――ペアになってあげたのです。

「偉いわねえ」と、いつも優しい女の先生がほめてくれたのはうれしかったのですが、でも少年は、なぜほめられたのか、よくわかりませんでした。少年はただ、その痣を見慣れていただけのことでした。

数日後、少女のお母さんが、少年の家にお礼に訪れました。そして少年の頭を撫でて

「これからも仲よくしてね」

――と言いました。少年は、こくりとうなずきました。

少年は、それからも少女と仲よくしたでしょうか。実は、よく憶えていないのです。時は足早にすぎていきました。少年と少女は同じ小学校に入り、そしてその小学校をいっしょに卒業すると、今度は同じ中学校に入りました。しかし、二人は次第に縁遠くなっていきました。小学校のあいだは、一度も同じクラスになることもなかったのです。

それでも少年は、少女のことを忘れてしまったわけではありませんでした。そして、少女のことで気がついたこともあったのです。四年生のころからだったでしょうか。少女の左手の甲から、あの赤い痣が消えてしまったのでした。

治ったのかな――

初めのうちは、そんなふうに思っていました。しかし、そうではないということを知ったのは、他の少女たちの陰口を聞いたからでした。

「あれ、なにか塗ってるのね」

「手にお化粧して、隠してるのよ」

そうなのか――

少年は、ただぼんやりとそう思っただけでした。それからしばらくして、またぼんやりと、こんなことを考えました。

――あの痣は、今思えば、日本地図の四国の形に似ている。四国のくびれているところを、もっとぎゅっと絞った感じかな。世界地図だと、オーストラリアの形にも似ている。それは、四国とオーストラリアが似ているんだから、当たり前だけど。でも、あの痣がもっと似ているのは――

中学の二年生になったとき、少年と少女は同じクラスになりました。一つの教室でいっしょに過ごすのは、幼稚園以来のことでした。けれども、それで二人がまた仲よくなったというわけではありません。むしろ少年は、離れたところから時々ちらりと少女を見ていたころよりも、少女のことを遠く感じているようでした。

少女の顔はとても美しくて、皆の人気者になっていたのです。間近にいると、なんだか眩しいような気がするほどでした。成績もとてもよく、運動もできるのです。少年だって、それなりに勉強も運動もできるのですが、少女にはとてもかないませんでした。おまけに少女はずいぶん勝ち気になっていて、話し方も少し男の子っぽいのです。他の男子生徒にむかって

「君って、だらしないんだなあ」

――などと、辛辣な口調で言ったりするのでした。そして、そう言われた男子がヘラヘラしたりするのを見ると、少年はなぜかしら不愉快な気持ちになってしまうのです。そんなこんなで、少年は少女と親しく話をしたいという気にはなれませんでした。少女のほうも、なんだかツンと気取っていて、少年といっしょに幼稚園に通っていたことなど、すっかり忘れてしまっているようでした。

それでも、少年は心のどこかで、少女のことを気にかけてはいたのです。

少女に以前にはなかった妙な癖がついている――そのことに、少年は気づきました。両手が空いているときなど、いつも左手の甲の上に、右のてのひらを重ねているのです。あの痣を隠すように――幼稚園のころには、そんなことをしていなかったのに、そして痣は肌色の化粧で隠れているのに――

相変わらず、女子の陰口は聞こえてくるのでした。いや、今ではそれに一部の男子たちも加わっているのです。

「あれって、なにか塗ってるのよ」

「痣があるんだってさ。真っ赤な……」

「化粧するのは、校則違反なんじゃないの?」

あるとき――それは二学期も後半にさしかかった、十一月のはじめ頃だったでしょうか――社会科の授業で、班ごとに一つの国について調べることになりました。そして一週間後に、レポートを出せというのです。そのとき、少年と少女は、ずいぶん久しぶりに同じ班になっていました。

班のみんなは、班長の男子の家に集まって、打ち合わせをすることになりました。その班長というのは、ちょうど少年と成績が同じくらいで、なにかにつけて張り合いたがるところがあり、少年は少し苦手に感じていました。しかし、そんな素振りを見せるわけにもいきません。班のみんなと同じように、放課後になると、少年は班長の家に出かけていきました。

話し合いは退屈でした。それに、すぐに脱線するのです。班長が少女に見え透いたお世辞を使うのも、少年の癇にさわりました。

「これはやっぱり、君にしか頼めないよ」

「君は絵も上手だから、イラストを……」

そんなべたべたした言葉を受けながら、落ち着いてうなずいている少女の顔も、変に少年を苛々させるのでした。そのくせ、少女の右のてのひらが、また左手の甲をそっと包んでいるのを見ると、胸のどこかに冷たい風が吹き込んでくるのを感じるのです。

だから少年は、班長の顔も少女の顔も、なるべく見ないようにしていました。班長と少女は並んで――それも班長がそうしたのですが――座っていたのです。少年は上の空で、他の子たちと世界地図を眺め、「ブラジルって、南米だよね」「うん、ここ。この国だね」などと、愚にもつかない当たり前のことを、だらだらとしゃべっていました。少年たちの班は、ブラジルについて調べることになっていたのです。

「ねえ、君。聞いてる?」

ふいに班長から声をかけられ、少年は目を上げました。

「君の担当は、日本との関係だからね。しっかりしてくれよ」

「日本との関係って……ええと……」

少年は、実はなんにも聞いていなかったので、あたふたと言葉を継ぎました。

「日本から見ると、ブラジルはちょうど地球の反対側にあるとか……そんなこと?」

「バカだな」と、班長はわざとらしいほど大きな声で言いました。

「それはブラジルの地理だよ。日本との関係っていうのは、ほら……輸出とか輸入とか……」

「あら」

少女が明るい、はっきりした声で言いました。

「位置関係だって、日本との関係にはちがいないわ」

「そりゃそうだけどさ」

班長は、ますます声を大きくします。

「この場合、そういう意味じゃないってことは、今までの話を聞いていたらわかるだろ。そんなことは、地理担当のぼくが調べるよ。だから君はね――」

「わかった、わかったよ」

少年は、班長の言葉をさえぎって言いました。

「つまり、貿易だろ。日本とブラジルの、貿易について調べればいいんだろ。それに、ほら、なんだ……姉妹都市とかなんとか……ちゃんと調べるよ」

苛立った調子が声に混じるのを抑えようとしたのに、抑えきれませんでした。少女のとりなすような言い方が――なんだか同情でもされたようで――少年の心をひどく泡立ててしまったのです。

少女と目が合いました。少女は少しびっくりしたような顔をして、少年を見つめていました。その右のてのひらは、しっかりと左手の甲をつかんでいました。

帰り道、少年と少女は並んで歩きました。家がすぐ近くなので、どうしたっていっしょに歩くことになるのです。

少女は、左手にカバンを提げていました。その左手の甲を、やはり右手のてのひらが覆っています。

少年は、その様子をちらりと見ては目をそらし、しばらくすると、またちらりと見ては目をそらしました。少女は気づいていないようでした。もう、すっかり暗くなっています。冷たい風が背中から吹きつけてきて、その風に追い立てられるように、二人は歩き続けるのでした。

とうとう、がまんできなくなりました。少年はふいに足を止めると、少女に言いました。

「どうして隠すのさ?」

二・三歩、先に行きかけた少女は、はっとしたように立ち止まり、少年のほうを振り返りました。その白い顔の右半分が街灯に照らされて明るく、左半分は暗がりの中で、大きな目だけが変に光って見えました。

少年は、とても意地悪な気持ちになっていたのです。

「その痣を、どうして隠す? 小さなころは平気だったじゃないか」

少女は、なにも答えようとしませんでした。ただ、不思議そうな顔をして、少年を見つめているのでした。少年はますます残酷な気持ちになって、言い募りました。

「どうせ君は美人で、人気者なんだから……痣を気にする必要なんてないのに。その痣、赤くてきれいだし。形も面白いしね。四国の形に似てる。オーストラリアにも。もちろん、四国に似ていればオーストラリアに似てるのは、当たり前なんだけどさ。ああ、ぼくはすごくバカなことを言ってる。それは、自分でもわかってるよ。でも、痣を化粧で隠すなんて、それもバカなことさ。ほら、こんなにきれいな色だよって、みんなに見せてあげてもいいくらいだ……」

なぜだかおかしなくらい、言葉がぽろぽろとこぼれていくのです。それなのに心はしんと静まり返ったまま、少年は少女の顔をじっと見つめているのでした。

泣くかな? きっと泣いてしまうだろうな――

そんなことを思っているのでした。そして、そんなことを思っていること自体に、ぞくぞくするほどの喜びを感じてもいるのでした。

少女の目に、みるみる涙があふれてきました。そして、一度瞬きをすると、大きな粒になって落ちました。

とうとう泣かせてしまった――

そう思った途端、また少年の口からは、言葉がこぼれ始めました。

「ぼくは、あの痣が好きだったな。本当は、四国よりも、オーストラリアよりも、蝶の羽に似てるんだ。少し歪んでるけどね。君の手の甲には、いつも赤い蝶が飛んでるんだ。うらやましいなあ」

少女は、涙ぐんだ目で、真っすぐに少年を見つめています。

少年は、覚悟を決めていました。これで終わり。この子は、ぼくを罵るのかな。それとも、なにも言わないで、駆け出していくのだろうか。どちらにしたって、もう終わりだ。でも、なにが終わるというのだろう。そもそもなにが始まっていたのだろう。

少女は言いました。

「君、やさしいね」

そうして、静かに少年のそばに近づきました。

「ありがとう」

はじめのうち、少年にはなにが起きたのか、よくわかりませんでした。それで、仕方なく黙っていたのです。そのうちに、自分の言った言葉が、聞きようによっては相手を励ましているように聞こえたのかもしれない、ということに思い当たりました。そして、かえって身の置き所もないくらいに――幼稚園児のころにもどったように――もじもじしてしまいました。

少年がそんなふうにもじもじしてしまったのは、少女の表情もまた、幼子のようにあどけなく見えたからかもしれません。少女が、また言いました。

「昔みたいに、また仲よくしてね」

少年は、こくりとうなずきました。そして、思いました。

君がときどき、こんなふうに涙を見せてくれるなら。

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◆おまけ 一言後書き◆

学生のころ別の筆名で、似たような展開の――ただし結末が全く異なる『少年たちのプロレゴメナ』という作品を書いて、文芸部の部誌に発表しました。そのころは「文学とは刺々しいもの」という妙な思いこみがありましたが、刺々しいSM小説を書きまくった後の今では、そんなものはすっかり消え果ててしまい、ご覧の通りの甘々の結末となっております。

2019年3月15日

プロフィール

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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