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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第15話 奴隷契約書――どえむ探偵秋月涼子の性的同意

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第15回目は、インパクト大の「奴隷契約書」! そして……、「どえむ探偵秋月涼子の性的同意」。冒頭からドキドキさせられる展開に、思わず引き込まれてしまいます。ぜひ、めくるめくSMの世界に浸ってみてください。

美咲凌介のどことなくSM劇場 3

真琴さんが背後から左右の乳首をそっとつまみ上げると、鏡に映っている涼子の唇が緩く開き、唾液に濡れた白い歯がちらりと見えた。そのまま右の耳たぶを軽く噛んでやる。今度はやわらかな声がこぼれた。

「あ、ん……」

「大きな声を出しちゃダメ」と、真琴さんは、耳元で囁いてやる。はい……と、涼子もやはり囁き声で答えた。

「素直なお返事ね。いい子、いい子」

今度は、ゆっくりと胸を揉みしだく。涼子の唇の間から、また声が漏れた。

「じゃあ、もっと素直になって、今度はどこをさわってほしいのか、ちゃんと自分の口で言いなさい」

「お姉さまの……お望みのところを……涼子、どこをさわられても、それがお姉さまのお望みなら……受け入れますわ」

「涼子、ちょっと待って。今の言葉は聞き捨てならないぞ」

真琴さんは眉をひそめ、涼子の小ぶりの……だが弾力のある乳房を揉みしだいていた手をぴたりと止めた。

「あら、どうしてです?」

涼子はきょとんとした表情で、鏡の中から真琴さんを見つめている。

九月の終わりのある夜。涼子を裸にしてもまだ寒がることもない、とてもいい季節。聖風学園文化大学三年生の新宮真琴さんは、一学年下の同性のパートナー秋月涼子を相手に性的な遊戯――ぶっちゃけて言えばSM遊びにいそしんでいるところであった。

真琴さんは大学のミステリー研究会に所属している。部内ではミス研の女王と呼ばれる、自他共に認めるドS美女である。一方涼子は、自らドMと称する小柄、色白、丸顔の、お人形さんのような美少女。二人が結ばれたのは、涼子の言葉を借りれば「定められた運命」なのだそうな。もっとも真琴さんは、それを幸運だとは思っても、運命だとまでは思っていない。

真琴さんは今、涼子を全裸にして椅子に腰かけさせ、両手は首の後ろで一つに組むよう命じている。そして、両の手首を赤いタオルで一つに縛ってやったので、腋をすっかり露わにした格好だ。真琴さんはその背後に立って、無防備な涼子の裸体を、好きなだけ弄んでやろうというわけ。

「だって、涼子。お前の今の言い方だと、まるでわたしが下劣で淫らな欲望の持ち主みたいじゃないか。そして、お前のほうは、虐げられる清純なお姫さまみたい。ずるいぞ」

「でも、でも……」

涼子はいやいやをするように、裸身をねじって――

「Mの涼子の口から、Sであるお姉さまに、ここをさわって、あそこをさわってなんて、命令するのはおかしいですわ。それに、お姉さまはSなんですから、涼子の希望なんて無視して……それこそ無慈悲に踏みにじって、お好きなように振る舞ってかまわないと思うんですの」

「無慈悲って、お前……」

「その無慈悲なお姉さまに圧倒的な力で虐げられて、涼子は恥じらいに身悶えしながら、あさましい姿をさらしてしまいます。でも、そんな屈辱に塗れながら、Mの涼子は心ならずも悦びを感じてしまうんですの。それこそが正しいSMのあり方ですわ。ですから、Sのお姉さまが涼子の希望なんて聞く必要は、全くないんです」

「待て待て待て」

真琴さんは、少しばかり慌てて言った。どうも涼子の言う「正しいSM」というのは、真琴さんの考えるSMとは、だいぶ異なっているようなのだ。

「わたしの考えるSMは、それとはちょっとちがうぞ。あさましくいやらしいのはMのほう。Sのわたしは、涼子がいやらしいことばかりねだるから、仕方なくその欲望を満たしてあげるの。そして、淫らなMの涼子に、罰を与える。それがSの役目なんだ」

「それはちがいますわ、お姉さま。さっきも申し上げたように、それだとMがSに命令することになってしまうじゃありませんか。命令するのはSで、Mはそれに従うべきですわ」

「いや、だから……どこをさわってほしいかちゃんと言うように、SのわたしがMのお前に命令したんじゃないか」

「ですから、お姉さまのお好きなところをさわってくださるようにと、お答えしたんですわ」

「もう、この子は、屁理屈ばっかり言って……」と、真琴さんはしばらく考えこんだが、そのときふと脳裏に浮かんだ言葉があった。

「でも、それだと、わたしが涼子の性的同意を受けていないってことにならないか?」

「お姉さまのお好きなようにしていいって、そう申し上げているんですから、それが性的同意じゃありませんこと?」

「いや、それじゃ曖昧だ。ちゃんと、どこをどうしてほしいか言ってもらわないと……」

「そもそもSMに性的同意なんて必要ないと思います」

「そんなことはない。だいたい考えてもみてごらん。仮に……仮にだよ? わたしたちの関係を、涼子のお父さんに説明しなければならなくなったとき、わたしが性的同意もなく涼子の体を蹂躙したなんて思われたら、大変じゃないか」

「あら、お姉さま。じゃあ、いよいよ父に会ってくださるお気持ちになったんですの?」

実は、しばらく前から、涼子は真琴さんを両親に紹介したい――それも今後生活を共にする性的パートナーとして紹介したいと迫ってきているのである。真琴さんもいずれはそうしなければならないとは思っている。思ってはいるものの、今のところは、まだ時期尚早ではあるまいか。

涼子の秋月家は、この地方では屈指の富豪として知られている。この自称ドMの美少女は、正真正銘のお嬢様、箱入り娘なのだ。それを考えると、真琴さんはときどき、自分がとんでもないことをしているのではないかと、首筋が冷えるような気分になることがある。

「いや、あくまで仮に……の話ね」

「残念ですわ。でも、うちの父は、今の話をそのまましても、別に気にしないと思いますけど……。性的同意なんて、父にはピンと来ないんじゃないかしら」

「バカ、そんなはずないだろ」

「ところで、お姉さま。お姉さまのお時間、あと十分ほどしかありませんけど、このままお話をつづけていてもいいんでしょうか」

たしかに九時までは、あと十分ほどしか残っていない。真琴さんと涼子のあいだには一種の取り決めがあって、八時から九時までは真琴さん主導の「拘束」の時間、九時から十時までは涼子主導の「ご奉仕」の時間ということになっているのだ。

今夜、真琴さんは自分の時間に涼子を焦らせるだけ焦らし、恥ずかしい言葉をいっぱい言わせてやろうと思っていた。しかし、議論をしているあいだに、すっかり時間を無駄にしてしまったようだ。

「ああっ。もう。仕方ないなあ」

かえって真琴さんのほうが焦れてしまっていた。涼子が快楽によがる顔を見ないと、気が済まない。

「よけいなことばかり言う口は、こうしてあげる」

真琴さんは、涼子の口をキスでふさいだ。そして、右手の指を涼子の股間へと忍び込ませた。涼子は、喉の奥でくぐもった声を出した。

数日後。

授業を終えた真琴さんが、ミステリー研究会の部室のドアを開けると、見慣れない外国人が一人、椅子に腰かけていた。両隣には例の怪しいペア、加賀美蘭子さんと萩原和人くんがいる。

加賀美蘭子さんは、四年生。この聖風学園文化大学を経営する加賀美一族の孫娘である。和人くんは蘭子さんの許嫁で、二年生。だから、結婚すれば姉さん女房ということになるのだが、年上の蘭子さんは和人くんを「若さま」と呼んで、常日頃から下にも置かぬもてなしをしている。和人くんの萩原家というのは、昔々この辺りを領地にしていた小大名だか、その家老だかの子孫なのだそうで、加賀美家は代々その世話になってきたのだという。

先祖代々由緒正しい貧乏人の子である真琴さんには、その辺りの事情はピンと来ない。もともと女子大だったというこの聖風学園文化大学は、涼子、蘭子さんを筆頭に、お金持ちの娘が数多く通っているのだが、真琴さんは学費全額免除の特待生として入学してきた。いわばこの大学では異端児のような存在なのである。

蘭子さんと和人くんに挟まれた外国人は、オーストラリアからの留学生だった。背はそれほど高くない。グレーの目の下にポツポツとそばかすのある、なかなか可愛い顔をしている。二人の紹介によると、トム・ホワイトという名前で、国際なんとか学部の留学生だとのこと。別にミステリー研究会に入部するというわけではなく、和人くんが自治会長をやっている関係で親しくなったらしい。(萩原和人くんが自治会長に立候補した経緯については、『どえむ探偵秋月涼子の観察』をお読みください。)

「よろしく」

握手を交わすと、真琴さんは少し離れた椅子に腰かけ、勉強を始めた。ミス研の部室は、居心地がいい。真琴さんは、普段からこの部室を勉強部屋代わりにしているのである。

蘭子さんと和人くん、そしてトムは、おしゃべりの続きを始めた。英語である。聞くともなしに聞いていると、蘭子さんはかなり流暢な感じだ。それに比べると和人くんの英語は明らかにたどたどしいが、物怖じしない性格が功を奏してか、けっこう会話は成立しているようだ。

トムがかき口説くような調子で、盛んに二人になにか訴えかけている。その内容はというと――どうも、よくわからない。

実は、真琴さんは英会話がかなり苦手なのである。まちがいなく成績優秀なのだが、それはあくまで大学入試、および大学でとった講義に関しての話。入試には英語の読解問題や英作文はあったが英会話はなかったし、文学部国文学科なので、大学では教養課程以外では英語に触れない。そして、勤勉とはいっても、真琴さんは自分が当面必要とする勉強しかしないというタイプ(それは決していいことではないという自覚はあるのだが)なのであった。

そこで、真琴さんは三人の会話は無視して、自分の勉強に集中することにした。

十分ほどもたっただろうか。蘭子さんが、真琴さんの肩をつついた。

「新宮さん。すみませんけど、このあとトムの相談に乗ってあげていただけないかしら。わたしと若さまは、これから出かける予定があるの」

「お願いします」と、和人くん。「トムは、とても悩んでいるようです。一人でも多くの日本人女性の意見を聞きたいそうですよ」

「困ります」と、真琴さんはきっぱり言った。「わたしは、英会話は苦手なんです」

「あら、あなたにも苦手なものがあるの?」

蘭子さんは、唇の端に微笑を浮かべた。

「謙遜じゃなくって?」

「本当です。実際、今までの話を聞いても、ちっともわからなかったし」

「大丈夫ですよ、新宮先輩。全然問題はありません。トムは日本語もかなり上手に話せますから」

和人くんは、相変わらず楽観的である。いや、この子の場合、楽観的というよりも、物事を舐めてかかっているのだ。

「それに、どうせ涼子ちゃんと待ち合わせでしょう? 彼女が来たら、通訳してもらえばいいじゃないですか。涼子ちゃん、英文科だから、ぼくらよりずっと英語はできるはずですよ」

どうだろう? だが、涼子の英語力を実地に試すのもおもしろい気がした。できなかったらからかうネタになるし、もしすらすらと話せるのなら、そんな涼子の様子を思い切りほめてやりたい。

「じゃあ、とにかく……」

真琴さんは、和人くんに言った。

「相談の内容だけでも、ざっと教えてくれ。そうしたら、なんとか相手をするから」

「トムは先日、ある日本人の女の子にキスを迫ったそうなんです」

「ほう」

「トムの言葉によれば、そのとききちんと、キスしてもいいという同意を得たんだそうです。ところが、いざとなると、その女の子は激しく拒絶して泣き出してしまったというんですね。それで、トムが言うには、いったいなにが悪かったのか教えてほしい、アドバイスがほしい……と、まあ、ざっと言えば、そういう話ですね」

「それで、和人くんと加賀美先輩は、どんなアドバイスをしたわけ?」

「いや、なにも。だって、意味不明じゃないですか。ちゃんと同意をとった。その直後に拒絶されたっていうんですから。彼女はなぜ、瞬時に気持ちを翻してしまったのか? これは一つの小さな謎ですよ」

蘭子さんが、短く笑った。

「ドM探偵さんになら、謎が解けるかも。見事、謎が解けたら、わたしたちにも教えてね。でも、どうかしら。無理かしら」

「はあ……まあ、そうなったら、報告はします」

ドM探偵というのは、涼子のことである。涼子は大学を卒業したら、自分で探偵事務所を開く、そしてドM探偵として活躍すると宣言しているのだ。バカなのか? バカなのだろう。だが、バカはバカなりに用意は周到で、既に事務所運営の資金として、祖父から相当な額の金を生前贈与の形で受け取っているのである。(涼子の祖父母は、もう滅茶苦茶に涼子を可愛がっているらしい。)

「ワタシ、彼女言いました。キス、OK? 彼女、言いました。イエス。これ、本当。彼女、イエス、言いました!」

トムは、和人くんが言っていたほどには、日本語がうまくない。しかし、真琴さんが恐れていたほど下手でもなかった。なんとか話は通じそうだ。

「それで、そのあと、トムはどうした?」

「彼女のイエス、聞いた。それですぐにコーイする、よくないです」

「コーイする? なに?」

「コーイするは、動くことです。こう……こう……」

トムは、抱き寄せるような仕草をしている。「コーイする」とは、「行為する」のことだと、ようやく真琴さんにもわかった。時々、妙に固い漢語が混じるのがおもしろい。

「すぐコーイする、よくないね。フンイキこわれます。それでワタシ、彼女をホメたです。あなた、ウツクシイ。カワイイ。彼女、ノー言いました。ワタシ、ほめた。彼女、言った、ノーと。なぜですか」

「まあ、それは謙遜というものだね」

「ケンソン? ナンですか」

「説明するのがむずかしい。そのあと、どうしたの?」

「ワタシ、もっと彼女のこと、ホメました。ウツクシイ。カワイイ。ニホンゴ、まだよく知らない。それで、うまくホメること、できなかった。でも、彼女、少し笑いました。そしてサンキュー、言いました」

「それで?」

「ワタシ、もう一度聞きました、彼女に。キス、OK? 彼女、言いました。イエス。これ、本当。でも、ワタシがキスする、彼女、急にノー言いました。そして、彼女、手をこう、こう……」

さかんに腕を前に出す動作をしている。

「ああ、突き飛ばされたのね。わかった。それで?」

「彼女、泣きました。ワタシ、わからないね。なぜ、急にココロ変わるですか。日本の女性、ミステリアス。とてもミステリアスね」

「いや、日本の女が特別にミステリアスということはないと思う。どこの国でも、たいして変わらないだろ?」

「では、なぜ彼女、急に心を変えましたか?」

「たしかに、イエスと言ったのね」

「たしかに言いました」

「じゃあ、迫り方が悪かったのでは?」

「セマリ……カタ?」

「ああ、いや。そのときの様子、もう一度、ここでやってみて」

「あなたに?」

「そう」

「ワカリました」と答えると、トムはなんだか、うっとりとしたような顔つき(つまり演技をしているわけだろう)になって――

「あなた、とてもウツクシイ、とてもカワイイ」

なにもそんな手前のところから再現する必要はないのだが、説明するのも面倒だったので、真琴さんはたった今トムから聞いたとおりに――

「ノー」と首を横に振った。

「あなた、ウツクシイ。カワイイ。これ、本当。ウツクシイ。カワイイ」

こんなふうに繰り返しほめられるのも、いいものである。真琴さんは思わずニヤニヤして

「サンキュー」

「ワタシ、アナタにキスする、OK?」

「イエス」

そう答えると、トムはそっと近寄って、真琴さんの肩を抱いた。ふむ。別段、異常に力がこもっているということもなく、指先がいやらしく蠢くということもない。許容範囲である。

そのままじっとしていると、次第にトムの顔が近づいてくる。ふむふむ。息が臭いというわけでもない。ちょっと鼻息が荒いかな。どんどんトムの顔が大きく見えてきて、そばかすの点々もはっきりしてきた。ん? 近い。近い近い。近すぎる。

真琴さんは、とっさにテーブルの上に置いていたノートを掴み、自分の顔とトムの顔の間にすべりこませた。いわば、ノートを盾にしたのである。涼子の頓狂な声が響いたのは、そのときだった。

「あら?」

そういえば、つい今、ドアをノックする音が聞こえていたような……。

「あらあらあら?」

「涼子、たぶん誤解……」

だが、その真琴さんの声は聞こえなかったらしい。つかつかと歩み寄りながら、トムに向かって――

「あなたっ、何者ですか! 今、お姉さまに襲い掛かろうとなさっていましたね。あたしのお姉さまに……涼子の大切なお姉さまに……レイプ? レイプですかっ?」

「ノー」と、トムの戸惑ったような声が真琴さんの耳に聞こえたときには、涼子はもう二人の間に割って入っていた。そして、小さな両のてのひらを広げて、トムの胸をトーンと突き放した。

「オウ、ノー」と、トムの力ない声がまた流れた。

言い争いは――というよりは涼子の一方的な糾弾とトムのしどろもどろの弁明は、五分間ほど続いただろうか。真琴さんは、少し離れたところにある椅子に座り直して、その様子を眺めていた。騒ぎが起きたときには、いっしょに騒ぐよりもある程度の距離をとったほうがよいということを、体験的に知っていたからである。その知恵を真琴さんに授けたのは、仲は悪くないのだが、年に二、三度は決まってド派手なけんかをする真琴さんの両親だった。

初めのうちは、涼子の早口の日本語(それも外国人にはわかりにくいであろう極端なお嬢様言葉)と、トムのたどたどしい日本語のやりとりだった。当然、通じない。しかし、何かの拍子にトムが英語で呟いたのをきっかけに、会話の中に英語が次第に増えていった。最後には、ほぼ英語だけのやりとりになり、そうすると涼子も急速に事態を呑み込んだようだった。

涼子の英語は、蘭子さんに勝るとも劣らない立派なもののようだ。真琴さんは、なんだかしみじみ嬉しく感じた。

一通り話が終わると、涼子は真琴さんのほうを向いていった。

「涼子、誤解をしていたようですわね」

「微妙なところだけどね。なんだか本当にキスしてきそうな気配だった」

真琴さんがそう答えると、再び一分間ほどの応酬が繰り返され――

「お姉さま。トムさんは、あくまでお芝居だったと言い張っていますわ。本当でしょうか」

「まあ、そういうことにしておこう」

「それで、問題はトムさんの彼女が、どうして突然、気が変わったのか? ということですね」

「その通り。そしてね、涼子。加賀美先輩が、こんなこと言ってたよ」

真琴さんは、蘭子さんの口真似をして――

「ドM探偵さんになら、謎が解けるかも。でも、どうかしら。無理かしら」

「まあ。蘭子先輩ったら、涼子のことをバカにして。許せませんわ」

「で、どう? この謎が涼子に解ける?」

「もちろんですわ、お姉さま。というより、涼子、もう謎は解けていると思いますの」

「本当か。だとしたら、なかなかすごいぞ。加賀美先輩にも和人くんにもわからなかったんだから」

「そもそも、謎の立て方が間違っていたんだと思います。トムさんの日本語が、まだあまりお上手でないというところに、問題の核が潜んでいると思いますの」

「どういうこと?」

「ちょっと待ってください。今、たしかめてみますから」

そう言うと、涼子はまたトムと英語で熱心におしゃべりを始めた。その中に、聞き慣れた日本語の単語が二つほど混じっていた。ああ、そうか……と、真琴さんにも、やっと答えがわかったような気がした。

トムとのやりとりを終えると、涼子は再び真琴さんにむかって言った。

「やっぱり涼子の思った通りでしたわ」

「わたしにも、わかった」

真琴さんは言った。

「こういうことだろう? トムがキスを迫ったとき、相手の子は『いいです』と言ったか、『けっこうです』と言ったか、とにかくそういうような返事をしたんだ。そのどっちも、イエスの意味で使われることもある。だから、トムはOKをもらったと勘違いした。でも、『キスしていいか』とか『キスしたい』と言われた場合の『けっこうです』や『いいです』は、ノーの意味だね」

「その通りです。やっぱりお姉さまって、頭脳が明晰でいらっしゃるのねえ。トムさんの彼女は、『けっこうです』と答えたそうですわ」

「だろうね。『いいです』だと、外国人でも二通りの意味があるって知っていそうだし」

「ええ。だから、涼子は今、トムさんに『けっこうです』は『いいです』と同じように、イエスとノーの両方の意味で使われるって、説明いたしましたの」

「さすが涼子。ちゃんと謎を解いたね。それに英会話も上手なんだなあ」

「まあ、お姉さまったら」

涼子は赤面した。何日か前の夜、真琴さんが淫らな言葉を言うように迫ったときよりも、ずっと恥ずかしそうだった。

翌日の夜。

涼子は、また真琴さんのアパートに遊びにきた。

「お姉さま。涼子、昨日のことで反省いたしましたの。やっぱりお姉さまのおっしゃる通り、性的同意ってとっても大切なことですわ」

「だろう?」

「ですから、涼子、これを作ってまいりました」

そう言って涼子は、カバンから数枚つづりの冊子のようなものを取り出した。

「なに?」

「奴隷契約書ですわ!」と、涼子は言った。

「また……どこでそんな変なことを覚えてくるんだ?」

「ちっとも変じゃありませんわ、お姉さま。欧米のセレブの間では、結婚の際にセックスの回数まで定めた契約書を交わすって聞いたことがあります。ですから、あたしたちのSM関係も、こういう書面できちんと契約するべきだと思いますの。それに……これがあれば、このあいだお姉さまが心配していたことも、ちゃんと解決できますし」

「わたしが心配していたことって?」

「ほら、おっしゃっていたじゃありませんか。あたしの父に二人の関係を説明するとき、誤解されたら困るって。でも、この奴隷契約書を見せれば、父も納得するにちがいありませんわ」

バカなのか? バカにちがいない。英会話が少しくらいできたって、バカでないことの証しにはならないのだ。

「こんなもの、見せられるわけないだろ?」

「そうでしょうか」と、しばらく口を尖らせていたが、涼子はすぐに気を取り直して(涼子の気を取り直す早さときたら!)、床にひざまずいたまま、すっと真琴さんの足元に寄ってきた。そして、契約書を差し出すと

「とにかく、さあ。お姉さまもサインなさって。涼子はもう、ここにサインしていますの。それにハンコも」

見ると、冊子の三枚目、最後のページにSとM二つの記入欄があり、Mの欄には「秋月涼子」と肉筆での署名があった。印も押されている。どうやら普通の契約書では甲・乙となるところ、この奴隷契約書とやらではS・Mとなっているらしい。

「さ、どうぞ」と、涼子は万年筆を差し出した。

「待て、涼子。中身も読まずにサインはできないよ」

「まあ、お姉さま。涼子のことが信用できませんの? 悲しいですわ」

悲しい……と言いながら、涼子の唇の端には、もやもやっとした、どこかずるそうな微笑の陰が浮かんでいる。油断ならない。

「ともかく中を読むから、しばらく待っていて」

ざっと眺めると、一枚目には「Mは……」という書き出しの文が並んでいる。どうやら主にMの負う義務について書かれているらしい。二枚目は逆に「Sは……」で始まる文が並んでいる。三枚目には「SとMは……」という書き出しの文が並び、下の方にさっき見た署名欄がある。

一枚目、前文のあとの第一条には、「MはSの命令を最大限の感謝をもって受け入れなければならない。」とある。

「最大限の感謝ねえ」

「涼子がいつも感じている気持ちですわ」

「でも、このあいだは、ちっともわたしの言うことをきかなかったようだけど?」

「それは、第七条を読んでくだされば、おわかりになります」

「どれどれ? MはSが誤った命令を発したと思われる場合には最大限の愛情を傾けて助言を行わなければならない。ふむ。あれは反抗じゃなくて、助言だったんだ? それにしても『最大限』が多いなあ」

「ね、おわかりでしょう? サインをなさってもなにも心配はありませんわ。これまでのお姉さまと涼子の関係を、文字にしてなぞっただけですの」

「待て待て。最後まで読んでみなくちゃ」

真琴さんの勘は当たった。二枚目には、容易ならぬことが書かれていたのである。

「ええっと。なんだって? 第十二条、Sは特段の事情がある場合を除きMの真摯な奉仕を決して拒絶してはならない。つまり、わたしは涼子の奉仕を絶対に断れない……と」

「だってお姉さまは、涼子のご奉仕の全てを受け容れてくださるって、涼子、知ってますもの」

「さあ、どうかな?」と、真琴さんは軽く牽制しておいて――

「第十八条、SはMの忠誠心を満足させるに足る、高邁な人格と断固たる実行力そして比類なき美貌を持たなければならない。えらく抽象的だなあ。それに変なプレッシャーを感じる」

「お姉さまの実際のお姿を、文字に写しただけです」

「三枚目も読んでみよう」

「そこはただ、形式的なことが書いてあるだけですわ」

「どれどれ? 第二十三条、SはMを唯一の奴隷として認め、MはSを唯一の主人として認め、互いに敬愛の念を惜しんではならない……と。ん? この『唯一の』っていうのは、省いたほうがいいんじゃないか」

「いけません、いけません。それはお姉さまの淫らなハーレム願望を抑止するために、ぜひ必要な文言ですわ」

「二十五条、これが最後だね。SとMは以上の関係を死が二人を分かつまで決して途切れることなく結び続けなければならない。……死が二人を分かつまでって、大げさだなあ。ところで、涼子?」

「はい、お姉さま」

「とてもこんな約束はできないな。涼子はできるつもりなの?」

真琴さんは、少し声を冷たくしてみた。わざとそうしたのである。

「そのつもり……ですけど」

「奴隷の分際でこんなこと書き散らして、自分で生意気だとは思わなかった?」

「少しだけ。……ごめんなさい、お姉さま」

「この契約書は、このまま涼子が預かっておきなさい。そのうち、どこを修正すればいいか、教えてあげる」

「じゃあ、いつか修正したら、サインしてくださるんですの?」

涼子は、またじわりと真琴さんのほうにすり寄ってきた。真琴さんは、その頭を少し乱暴に撫でてやった。髪がさらさらで、実に手触りがよかった。

「ちゃんと修正したらね」

でも、真琴さんは頭の片隅で、こう考えていた。なんの修正もしないまま、いつか自分はこの契約書にサインすることになるのかもしれない――と。

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◆おまけ 一言後書き◆
今回、初めて真琴さんと涼子の学部・学科が判明しましたが、他の二人についても述べておきます。蘭子さんは歴史学、和人くんは社会学を学んでいる、という設定です。もっとも今後、設定を活かす機会があるかどうかはわかりませんが……。

2019年12月15日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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