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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第17話 呪いの万年筆事件――どえむ探偵秋月涼子の屈辱

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第17回目は「呪いの万年筆事件」。「事件」という響きが、想像力を掻き立てます! そして、「どえむ探偵秋月涼子」が味わう屈辱とは……? 万年筆とSMがどのように繋がるのか、ミステリアスな展開に目が離せません!

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ノックの音がした。

「どうぞ」という真琴さんに応えて

「わたしよ。入っていい?」

蘭子さんは返事を待たずに、ドアを開きっぱなしにして部屋の中に入ってきた。空気がわずかに動き、九月の夜の微かに冷たい気配が、ベッドにそっと近づいてくる蘭子さんの身体にまとわりついているようだった。

和人くんから借りたのか、蘭子さんは男物らしいぶかぶかの青いジャージを着ている。そのせいで、ふだんよりもずっと小柄で愛らしく、また頼りなげに見える。

「どうしたんです?」

「若さまがいないの。あなたたち、若さまが部屋を出るのに、気づかなかった?」

「いいえ」

「つい、うたた寝をしてしまって。それで、ふと目を覚ましたら、いなくなってたの。どうしたのかしら」

「母屋じゃないんですか」

「でも、母屋には明かりが点いてないのよ。それに母屋に行っても、万年筆はないはずだし……」と言いかけて

「万年筆は、無事でしょうね?」

「そこにあります」

真琴さんは丸テーブルの上を指さした。蘭子さんはケースを開けて、中を確かめた。

「五本ともたしかにあるわね」

「あら?」

――と言ったのは、涼子だ。

「ん? どうした?」

「あらあらあら?」

「だから、どうした?」

「あの声、なんでしょう?」

「声?」

耳をすますと、たしかに妙な声が聞こえた。だんだん大きくなっていく。外から――裏山のある方角、つまりこの部屋の窓に面した方角から聞こえてくるようだ。

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真琴さんたちは、窓から外をのぞいた。窓はベッドの上にある。最初からベッドに入っていた真琴さんと涼子のあいだに割り込むようにして、蘭子さんもベッドの上に膝をつく格好になった。

「か……せ……んひつ……かえ……」

初めは、そんなふうに聞こえた。やがて、だんだんはっきりしてきた。

「返せ……万年筆を……返せ」

「あっ、若さま」

窓の外、十メートルほど先の地面の上に、和人くんの顔が、ぼんやりと浮かび上がっていた。生首か――と見えたのは錯覚で、顔だけがぼんやりと明かりに照らされているのだ。

「光ってます」

涼子のおびえた声。

「顔だけ、光ってますわ」

「怖がらなくていい。下からライトを当ててるだけだ。スマホの明かりかなにかだよ」

「返せえっ!」

闇の中で、和人くんの身体が激しく動いた。

「あっ。なにか投げたぞ」

真琴さんがそう叫んだ瞬間、部屋の中が真っ暗になった。同時に、なにかがどこかに激しくぶつかる音がした。それも一か所からではない。ほぼ同時に、あちこちから激しい音が鳴り響いたのだ。

悲鳴を上げたのは蘭子さんか、涼子か――それとも真琴さん自身だったのか。

「明かり……明かりを……」

蘭子さんの声が上ずっている。

やがて例の間接照明が、再び黄色っぽい光を取り戻した。床の上にピンポン玉ほどの大きさの石がいくつか落ちていた。

「あいつ、石を投げつけたのか」

「でも、お姉さま。ガラスは割れていませんわ」

「そんなはずないだろ? 石がガラスを素通りするはずがない」

「でも、ほら……」

涼子が窓を指さしている。本当だ。たしかにガラスは割れていない。

「若さま! 若さま!」

蘭子さんが、外に向かって叫んだ。和人くんは、上半身を斜め下からの――真琴さんの見立てではスマホ画面の――光に当てて、顔に気味の悪い陰影を作りながら、草原の上に突っ立っている。その両腕がゆっくりと上がっていった。指に、なにかを掴んでいるらしい。なにを掴んでいる? 何本かの細長いもの。万年筆? まさか。

「取り返した、取り返したぞおっ」

和人くんの叫び声。つんざくような声だ。人間に、あんな声が出せるだろうか。

「あっ」

蘭子さんがベッドから滑り降りて、丸テーブルのほうに駆け寄った。ケースを開ける。その様子は、真琴さんもはっきりと見ていた。細工をする暇はないように見えた。

「ないわ」

蘭子さんが、低い静かな声で言った。ケースの中には、万年筆は一本も残っていなかった。

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「お姉さま、蘭子先輩。見て。あれを見てください」

涼子の声が聞こえた。振り返ると、涼子が窓にはりつくようにして、身体を強張らせていた。真琴さんは、再び外を見た。蘭子さんもまたベッドの上に上がってきた。

和人くんの口が大きく開いている。その口から緑色の煙のようなものが立ち上っていた。

「エクトプラズム?」

「違いますよ、加賀美先輩。トリックです、トリック!」

「だって……だって……」

「煙草の煙かなにかですよ。それに下から緑の光を当てているだけです。ペテンです。涼子……」

「はい?」

「あの煙を吐く前、一度光が消えなかったか? それか、和人くんが後ろを向くとか……そういうことがなかったか」

「そう言えば、一度かがみこんで、それからもう一度立ち上がったときに、あの煙が……」

「そのかがみこんだときに、煙草に火をつけて、煙を吸い込んだんだ。そして、明かりの色を変えただけだよ。ペテンだ」

「でも、万年筆がなくなったじゃないの!」

蘭子さんがそう言った瞬間である。和人くんの顔を照らしていた光が、ふっと消えた。暗闇の中で、和人くんの身体が、ひざからゆっくりと崩れ落ちていった。

「ああっ。若さま!」

蘭子さんが、もう一度、高い叫び声を上げた。

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「加賀美先輩、待ってください」

真琴さんの声に、蘭子さんはくるりと振り返った。大きく開いたドアから、もう部屋の外に足を一歩、踏み出している。

「なぜ止めるの? 若さまが倒れたのよ? 放っておくつもり?」

「和人くんは大丈夫ですよ。あのエクトプラズムは、やりすぎです。あれで、インチキだってことがわかってしまいました。その直前までは、わたしも本当におかしくなったのかと、少しは疑っていたんですけどね。やりすぎると、わざとらしくなります」

「でも、あなたも見たでしょう?」

「だから、トリックです。たった今、説明したじゃないですか」

「でも、万年筆は? この部屋から消えて、若さまの手にもどっていたわ。なにか恐ろしいことが起きているのよ。あなたには、わからないの?」

「その万年筆ですが……」

真琴さんは、蘭子さんの目をしっかりと見つめて言った。

「今、加賀美先輩が持っているんじゃありませんか」

「あなた、おかしなことをおっしゃるのね」

蘭子さんは、開いていたドアを、ピタリと閉じて、真琴さんのほうに振り返った。

「もう少し、くわしく伺いたいわ」

「なにが目的かは知りませんけど、加賀美先輩もグルだっていうことですよ」

真琴さんは、ゆっくりと話し始めた。もう全てわかっている。少なくとも、真琴さん自身は、全てわかっているつもりでいた。

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「簡単なんです。和人くんがなにかを投げるような素振りをしたとき、いきなり明かりが消えましたよね? あれは、照明のコードを足に引っかけるかなにかして、加賀美先輩が消したんだとすれば、説明がつきます。そして、先輩はこっそり持ってきていた石をいくつか、壁に放り投げた。それで、あのひどい音がしたわけです。先輩? そのジャージのズボンには、ポケットが二つ、左右についてますね。かなり深いポケットなんじゃありません? その中に石を隠しておくことはできたでしょう?」

「実際にそうしたかどうかは別として、石をいくつか隠しておくことくらいは、できたでしょうね」

「突然、真っ暗になる。なにかが飛び込んできたような、ひどい音がする。それで、わたしと涼子が慌てているうちに、先輩はケースを開けて、中の万年筆を取り出した。そうじゃありませんか? 五本の万年筆は今、石の代わりに、そのポケットに入っているはずです。そう考えれば全て説明がつくし、それ以外に説明のしようもありません」

「たしかに、説明はそれでつくようね。でも、そうすると、新宮さん? あなたは、わたしがずっと嘘をついてきたと主張することになるのだけれど、本気でそんなことをおっしゃってるのかしら」

蘭子さんの顔が、ふいに厳しくなった。表情自体は、ほとんど変わらないように見えるのだが、
明らかに雰囲気が変わった。

蘭子さんの顔は、不思議だ。真琴さんは、これまでも時々そう感じたことがあった。端正な顔である。しかし、ひどく地味な感じがして、すぐにはその美しさに気づかない。写真などで見たときには、特に目立たない。

だが、なにかの拍子に喜びや怒りの感情が走ると、オーラとでもいえばいいのか、驚くほど生き生きした迫力が、その端正な顔に添えられることがある。今も、そんな感じだった。

だが、真琴さんは怯まなかった。全てはもう、わかりきっていることなのだ。

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「新宮さん、あなたは、このわたしに疑いをかけているわけだけれど、それが間違いだとわかったとき、責任をとる覚悟はあるのかしら」

「間違いかどうかは、すぐにわかりますよ。涼子?」

「は、い……」

なんだか少し、脅えたような声で、涼子が答えた。涼子にしては珍しいことだ。

涼子は、ベッドに腰かけたままの真琴さんと、ドアの側に立っている蘭子さんの、ちょうど中間の位置にいた。空になった万年筆のケースが置かれている、丸テーブルの近くに立っている。

「涼子、加賀美先輩のポケットを探ってみて。万年筆は、絶対にそこに入っているはずだ」

「でも……」

「どうした? わたしの命令がきけないの」

「わかりました、お姉さま」

涼子は、蘭子さんに近づき、そのジャージのズボンに、そっと手を触れようとした。しかし、蘭子さんの手が、それを邪険に払いのけた。

「気安くさわらないで」

涼子は戸惑って、真琴さんのほうを見た。途方に暮れたような顔つきをしている。

「ほら、加賀美先輩。触られるのを嫌がるのが、その中に万年筆を隠しているという、なによりの証拠じゃありませんか」

「いいえ、そうじゃないのよ」

蘭子さんは、ごく落ち着いた声で返事をした。

「そうじゃないの。わたしは本当に、他人に気安く触れられるのが嫌いなの。その証拠に、今からこのジャージを脱いでさしあげてもいいわ。上下とも脱いで、それをあなたたちに渡すから、じっくり調べてごらんなさい。そうすれば、あなたが間違っているということが――つまり、わたしが万年筆を隠したんじゃないってことが、ちゃんとわかるから。ただしね、新宮さん?」

「なんです?」

「万年筆がなかったときには、わたしを嘘つきと辱めた罰を受けていただくわ。その覚悟があるかしら?」

「どうしろというんです?」

「そうねえ」と、蘭子さんはしばらく考えるような仕草をして――

「わたしが下着姿になるんだから、あなたは下着まで全部脱いで、丸裸になっていただくというのは、どうかしら? でも、それだとまだ足りないわね。人を嘘つき呼ばわりしたんですもの。丸裸で、床に土下座をして、きちんと謝罪していただくというのは? あなたにそれだけの覚悟があるのだったら、わたし、このジャージを脱いでさしあげてもいいわ。若さまがせっかく貸してくださったジャージですけれど、冤罪を晴らすためには、仕方のないことでしょう?」

「いいですよ、先輩」

――と、真琴さんが答えてしまったのは、あるいは蘭子さんの不思議な迫力のようなものに、呑み込まれてしまったからかもしれない。いや、ほかにも理由がありそうな気もした。心の片隅で、真琴さんはちらりと、蘭子さんの下着姿を見てみたいと思ったのではなかったか。

「お姉さま?」

涼子の声の語尾が、心細げに少し震えているようだ。

「大丈夫だって、涼子。加賀美先輩はハッタリをかましているだけだ。裸にすると脅せば、わたしが矛を引っこめると思ってるんだよ。でも、そんな脅しには、わたしは乗らない」

「けっこうね」と、蘭子さんは微笑んだようだった。

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