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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第20話 ヒュアキントスの死

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第20回目は、「ヒュアキントスの死」。美咲凌介流・ギリシア神話をSM的に読み解きます。今までにないBL要素のある内容。禁断の愛と悲しい結末に胸が締め付けられます。

ヒュアキントス……ギリシア神話に登場する、アポロンに愛された美少年。アポロンと円盤投げをして遊んでいたとき、円盤を頭に受けて死んだ。西風の神ゼピュロスが、嫉妬の余り風を操り、円盤をヒュアキントスの頭に当てて殺したのだという。ヒュアキントスの流した血からは、香り高い紫色の花が咲いた。少年の名をとって、その花を今もヒヤシンスと呼ぶ。

春が近づきつつあった。森の中、藁を厚く敷いて作った臥所に差す木漏れ日も、数日前よりはずっと暖かい。

だが、それ以上に熱いのが、アポロンの両腕に抱かれたまま臥所の上に仰向けに横たわっている、美しい少年の肌だった。上気し汗ばんで、桃色に濡れている。ヒュアキントスは、微かに震えていた。

「どうした? 汗が冷えて寒いか」

アポロンは、抗うヒュアキントスの腕を引き上げ、まだ体毛の生えていない滑らかな胸に唇で触れた。甘い匂いがした。

「いいえ」

少年は唇をわななかせた。ふくよかな、赤い唇だった。アポロンは、その唇を軽く噛んでやった。

「では……」

アポロンは半身を起こし、少年を膝の上に抱え上げた。そして、耳元に囁いてやる。

「なぜ、こんなに震えている?」

「恐ろしいのです」と、ヒュアキントスは答えた。

少年はうつむいて、どこかさびしい横顔を見せていた。

「私が恐ろしいのか?」

「いいえ」

「では、なにが恐ろしい」

「あまりにも幸福で、それが恐ろしいのです」

「愚かなことを」

アポロンは、短い笑い声をあげた。

「幸福とは、こんなつましいものではない。私は、もっともっとお前を幸福にしてやろう。お前を世界の果てにまで連れて行って、いろいろな珍しい物を見せてやってもよい。うなるほどの富を、授けてやってもよい。それとも、お前を国の王にしてやろうか。私の力で、その国をもっともっと大きくしてやることもできる」

「いいえ、いいえ」

ヒュアキントスは、身を固くして小さく首を横に振った。

「身に過ぎたことは望みません。ただ今のままで……それだけでも、幸福すぎて恐ろしいのです」

「なにも恐れることはない。私たちはこれから、もっともっと幸福になるだろう。それとも……」

アポロンは、ふと思いついて言った。

「お前は、私に謎をかけているのか? 二度も果てさせてやったが、それでもまだ、私の愛しようが足りないと?」

アポロンは、少年の股間に腕を伸ばし、そこにある肉の茎をそっと握りしめてやった。それは思っていた以上に熱く、硬くなっていた。

「どうやら、当たっていたらしい」

「そんなこと……」

そう言いながら、少年は激しく身もだえした。だが、その小さく開いた唇のそばに指を差し出してやると、舌を出して一心にしゃぶり始めた。

ようやくアポロンが飽いたときには、日はそろそろ西に傾きかけていた。少年の裸体はさっきよりも汗ばみ、肌から香り立つ甘い匂いは、さらに強くなっていた。

アポロンは言った。

「ヒュアキントスよ、さすがに疲れたか。だが日が沈むには、まだ間がある。今度は、私がお前の好きな遊びの相手をしてやろう」

「本当ですか」

ヒュアキントスは、寝床に横たわったまま、嬉しそうに微笑んだ。

「本当だ。お前は、他の人間の子となにをして遊んでいる? なにが楽しい」

「私は、他の子たちとは、円盤投げをして遊びます」

「見たことがある。あんなものが、そんなにおもしろいのか」

「それはもう、とてもおもしろいものです。アポロンさまと円盤投げができたら、どんなにか楽しいことでしょう」

円盤は鉄でできていて、ずっしりとした重さがあった。初めは取りやすいようにと、ゆっくりと投げてやる。ヒュアキントスは難なく片手で捕えると、アポロンに向かって投げ返してきた。緩く弧を描きながら、円盤はアポロンの胸に向かって、寸分たがわぬ正確さで戻ってくる。

「なかなか上手だ」

投げ返してやる度に、少しずつ速度を速く――そして、左右にずらしてやる。少年は俊敏に動いて、一度も取り落とすことがない。時には横跳びに体を浮かせながら、地に伏したときには、やはり片手でしっかりと円盤を掴んでいた。

「アポロンさまは、下手くそです」

ヒュアキントスは、自分の胸のあたりを指さしながら叫んだ。

「ここです、ここに投げるんですよ」

「わざと、横に外して投げているのだ。お前がどれだけ遠くのものを取れるかと思って」

「では、もっともっと外して投げてごらんなさい」

ヒュアキントスは、白い歯を見せて笑った。

「きっと、取ってみせます」

「言ったな。では、これではどうだ」

アポロンは、円盤をさっきよりもほんの少しだけ遠くに投げてやった。

ヒュアキントスが走り出す。そして跳んだ。美しい獣のような動作だった。しなやかに片手が伸びていく。髪が風になびくのが見えた。風に……風が……

アポロンが気づいたときには遅かった。さっきから吹き始めていた西風が、突如渦を巻いたのだ。鉄の円盤はヒュアキントスの指先をすり抜け、額に当たった。少年の首が空中でがくりと曲がったのが見えた。次の瞬間、その体と円盤とは、ほぼ同時に地面に落ちていた。

ヒュアキントスは、声も立てずに死んだ。

アポロンは、中空に向かって叫んだ。

「ゼピュロスよ、春風呼ぶゼピュロスよ、お前の仕業だな。なぜこんなことをした」

「なぜと問うのか、アポロンよ」

風の唸りの中から、ゼピュロスの声が響いた。

「それが分からぬとは、なんと愚かな」

「嫉妬か。この少年が私を愛したことが、お前の気に入らなかったのか」

「そうではない。私もこの者を愛していた。この美しい人の子を」

「ではやはり、嫉妬ではないか」

「違う。分からぬか」

「分からぬ。愛しているなら、なぜ殺す?」

「アポロンよ」

ゼピュロスは、ゆっくりと続けた。

「お前こそ、愛している者に、なぜ言い寄った。なぜ、情を通じた」

「愛していれば、当然のことではないか」

「考えてもみよ。この者は、人の子ではないか。われら神々とは違う。すぐに老い、すぐに死ぬ。お前には、老いさらばえたこの者を、愛し続けることができたのか」

アポロンは、口をつぐんで答えなかった。風の音が、また強くなった。

「しかも、この者は男ではないか。乙女ならば、まだよいかもしれぬ。神に愛され、神の子を産んだという誉れを頼りに、老いていくことができるやもしれぬ。だが、この者は男ではないか。子を産むことはできぬ。ただ神に捨てられ、醜く老いていくだけの、男ではないか」

アポロンは、やはり答えなかった。風が止まり、ゼピュロスは去った。

ヒュアキントスは、一滴の血も流さずに死んだ。だから、その血から花が咲くこともなかった。

ただその唇が――夕闇の訪れる気配の中、紫色に変わりつつあるその唇が――花のように小さく開き、楽しげに笑っていた。

◆おまけ 一言後書き◆
こんな話を書いて言うのもなんですが、私は相当に欲が深いのか、死んでもいいくらい幸せだと思ったことが、かつて一度もありません。情けないような、誇らしいような、変な気がします。次回もギリシア神話を題材にするつもりです。

2020年5月15日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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