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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第25話 メデューサはペルセウスと戦う―妖女メデューサの冒険④

人気SM作家・美咲凌介による書き下ろし掌編小説・第25回目は「メデューサはペルセウスと戦う―妖女メデューサの冒険④」。大好評のこのシリーズ。メデューサの過去とは、そしてその神秘的なパワーとは……。愛の交歓にはそこはかとなく妖しさが漂います。めくるめくSM世界を堪能してください。

メデューサ……ギリシア神話に登場する怪物。ゴルゴン三姉妹の一人。その目は宝石のように光り輝き、その姿を見た者は石に変えられる。もともとは類いまれな美少女であったが、不遜にもアテナ神と美を競ったため、呪いを受けて自慢の髪を蛇に変えられた。イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持つとも伝えられる。のちにペルセウスによって退治された。斬り落とされたメデューサの首からは、天駆ける馬ペガサスと黄金の剣を持つ怪物クリュサオルが生まれた。この両者は海神ポセイドンとの間にできた子であるともいわれる。

クロミオスは、アテナ神の神殿の門をくぐった。武人なのだろう、腰に長剣を携えている。

神殿の奥にある窓のない部屋に入ると、中央の寝台に裸で拘束されている女に声をかける。男にしては音程の高い、よく響く声だ。

「巫女殿よ、そろそろまた始めますか。それとも、もう私に従う気になりましたかな」

「クロミオスよ。汝は王族の端くれに生まれて、はや五十年以上。これまで何不自由なく暮らしてきたはず。しかも今では、わが国の将軍の一人ではないか。なぜ、その齢になって、このような大それた真似をする?」

女は古めかしい、そして男のような口の利きかたをした。だが、まだ若い。あらわにされた白い肌は、なめらかで瑞々しい。

革紐で寝台に仰向けに縛りつけられ、両腕はやわらかな腋をさらす形に、手首のところで一つに括られている。二本のすんなりとした脚は左右に大きく開かれ、膝が乳房に触れそうなほど深く折り曲げられている。

そんなあさましい姿勢をとらされているのに、女の声は冷たく澄んでいる。クロミオスとは対照的に、女としてはその声の音程はやや低い。

「今すぐに我を解き放つがよいぞ。そうすれば、このことを忘れてやる」

「私もこの齢になって、一つ大きな賭けをしたくなったのですよ、巫女殿。証(あかし)の石を手に入れて、この神殿の主になりたい。そうなれば、あなたの代わりに新しい巫女を立て、私の望む通りの神託を吐かせてやることができる」

「もう、老女殿に出鱈目を言わせているではないか。あのペルセウスとかいう若者にも、嘘ばかり吹き込んで……メデューサ退治など無駄なこと。あの若者が無事に帰ることはあるまい。クロミオスよ、心が痛まぬのか」

「あの小僧は、本当にバカですな」

クロミオスは、楽しげに笑った。

「持ち金を全部はたいて、あのインチキな盾を買っていきましたよ。万が一、あの小僧が化け物退治をやってのければ、この神殿にも箔が付くというもの。もっとも、そんなことは、しょせん遊びごとです。私の望みは、巫女殿……あなたもちゃんと知っているはず。戦ですよ。神託をいただいて、もう一度、ちょっとした戦を引き起こしたいですな。だが、王にその決心をさせるには、あの老婆一人では無理。やはり証の石を持った、ご立派な巫女でないと……」

「不埒な。アテナ神の罰を恐れぬのか」

男は、再び笑い声をあげた。

「一年にほんの数回しか神託を得られぬ巫女殿が、何を偉そうにおっしゃるのか。それに、適度な戦争は儲かりますぞ。この神殿だって潤う」

「そのために証の石が欲しいのか。手に入れたら、我を殺すのであろう。殺されるとわかっていて、誰が汝に証の石を授けようか」

「いやいや、巫女殿。なにも殺すとは決めていない。あなたはなかなか美しい。私の臥所の世話をする奴隷として、生かしてやってもいい」

「愚かなことを」

女は、上から自分の顔を見下ろすクロミオスに向かって、唾を吐きかけた。だが、その唾は男の顔には届かなかった。柔らかな弧を描いて落ち、女の裸の乳房を汚しただけだ。

「なんとも高慢なことよ。ふつう女は、こんなぶざまな格好をさせられたら心がくじけるものだが、この巫女殿は平気と見える。それとも恥知らずなだけなのか」

「黙るがよい」

「だが、いつまで続くかな」

クロミオスは、寝台の端に置いてあった鞭を手に取った。柳の枝で作った細い鞭である。細いだけに、皮膚に与える痛みは鋭い。女は目をそむけた。

「巫女殿は、怯えられているようだ」

「怯えてなど……」

だが、女は最後まで言うことができなかった。鞭が、高く掲げられて天井を向いている足裏をピシリと打ったのだ。口から悲鳴がこぼれた。

これまでさんざん打ちのめされたせいで、女の足裏の皮膚には血が滲み、幾つもの蚯蚓腫れができている。

「さっきまでは声をこらえていたが、もうそれもできなくなったようですな」

「黙れ、黙れ」

鞭は左の足裏に五つ、次は右の足裏に五つ飛んだ。その度に、女の悲鳴は高くなっていった。やがてその声に涙が混じり始めた。

「さあ、次はどこを打たれるか、おわかりかな?」

女は答えない。

「強情な。では……」

鞭がひときわ高く唸り、やわらかな下腹部を打ちのめした。女は激しく身もだえした。口からは、これまでとは全く違う、音程の高いひからびた悲鳴が飛び出し、そのあとに啜り泣きが続いた。

「私の優しさがわかりますかな、巫女殿。証の石をいただいたあとも、奴隷として生かしてやろうと思うからこそ、手加減してやっているのですぞ」

「黙、るが……よい」

途切れ途切れにそう答えた女の声は、完全に泣き声になっていた。

部屋の中に、別の女が入ってきた。裾の長い白い服を身に着けた、背の高い老婆だった。

「クロミオス様、いかがです?」

「おお、老女殿か。楽しんでおるよ。だが、なかなか手ごわい」

「鞭だけでは、難しゅうござろう」

老婆は寝台の側に近づき、泣きじゃくる女を見下ろしながら言った。

「この巫女様は、芯から高慢にできておりますからな。それに、巫女の代替わりの儀式が裸同然の格好で行われるからには、目立つ傷はつけられませぬし」

「それよ」と、クロミオスも考えこむ様子を見せる。

その途端、寝台の上で女が笑い出した。声にはまだ大量の涙が混じっていたが、明らかに嘲りの笑いだった。

「わかったか。証の石を取り出すことができるのは、聖なる処女巫女である我のみ。汝らには我を殺すことも、犯すこともできぬ。早々にあきらめて、我を解き放つがよい」

「なんとも、強情な女よ」

クロミオスは、それまで浮かべていた薄笑いを消し、憮然とした顔になった。老婆は、その耳元にひからびた唇を寄せ、そっと囁いた。

「安心なさいませ、クロミオス様。この私に、ちょっとした知恵がありますでな」

「ゴルゴンよ、メデューサよ。出てこい!」

そんな声が聞こえたので、メデューサは家の壁の崩れから。ちらりと外を覗いてみた。秋の初めの空は晴れ、中天に太陽が浮かんでいる。

家――といっても、石造りの建物が崩れかけた、いわば廃屋である。以前の戦で戦場となり、そのまま放棄されていたところに、一年ほど前から住み着いているのだ。

建物の外には、わずかな草がところどころに生えているだけの荒れ地が広がっている。その真ん中に男が一人、大きな楯を左手に持って立っていた。腰には剣を携えている。若い――というよりも、まだ少年だ。十五か、十六か――そのくらいに見える。

盾は青銅でできているらしい。きれいに磨かれて、日の光をきらきらと反射している。

「ゴルゴン三姉妹の住処はここか? メデューサよ、出てこい。勇者ペルセウスが、退治に来たぞ」

「メデューサは、私よ」

そう言いながら外へ出た。だが、少年の言っていることが、よくわからない。メデューサというのは自分の名前だからよいとして、それをなぜこの少年が知っているのか。巫女様は、誰にも漏らさないと言ってくれたはずだが――それに、ゴルゴン三姉妹というのは何のことだろう。

「出たか、メデューサ」

少年は、すばやく身構えた。だが、その構えも少し変だった。メデューサに正面から向かおうとせず、楯を高くかざし、斜めの方角を向いている。そして、その盾ばかり見ている。

「本当にメデューサだな? ステンノーや、エウリュアレーではないな。俺が退治しに来たのは、メデューサ一人だ」

「私がメデューサよ。それにしても、そのゴルゴンとかステンノーとか、エウリュアレーっていうのは、誰のことなの?」

「ごまかすな。知ってるぞ。ステンノーと、エウリュアレーと、メデューサで、ゴルゴン三姉妹。メデューサよ、お前はその末娘だろう」

「私、一人っ子よ。姉なんていないわ」

「そうなのか?」

少年は、相変わらずそっぽを向いたまま、高くかざした盾を斜めに見つめながら言った。

「お前、本当にメデューサか。なんだか、いろいろと変だな」

「変って、何が?」

「髪が蛇だっていうのは、聞いた通りだけど……」

メデューサは今、頭に生えている蛇を隠してはいない。アテネ神殿の巫女様が禁じてくれたおかげで、この辺りに人が来ることはめったにないし、たまに旅人が迷い込んできたときは、わざと蛇を見せて脅すようにしている。だから、町に自作の小さな木像や石像を売りにいくとき以外は、蛇を隠さずにのびのびと暮らしている。

少年は首をかしげて――

「腕は青銅で、背中からは黄金の翼が生えているって聞いたぞ。それに、口からはイノシシの牙が生えているって」

「それは嘘よ。ただの噂」

そう言えば、数か月前からそんな噂が流れているのを、町に出たときに小耳に挟んだことがある。ゴルゴン三姉妹というのも、そんな噂に、さらに尾ひれがついたものだろう。

だが、どうして急にそんな噂が流れ始めたのか。

「嘘なのか」

「そうよ」

「でも、お前を見たら石になるっていうのは、本当なんだろ?」

「そんな話、初めて聞いたわ」

「だまそうったって、そうはいかない。とにかく俺の名は、ペルセウス。メデューサよ、妖……妖女……ええっと、なんだっけな」

「どうしたの?」

「ちょっと待ってくれ。かっこいい台詞を考えてきたんだ。今、思い出すから」

ペルセウスと名乗った少年は、しばらく口の中でもごもご言っていたが、やがて――

「妖女メデューサよ、お前は悪いことばかりしてきただろう。この勇者ペルセウスが、退治してやる。神妙に死ぬがいいぞ」

「あまりかっこいいとは言えないみたい」

「そうか?」

ペルセウスはまた首をかしげ、考えこむような仕草をした。メデューサは、続けていった。

「私なら、こう言うわね。妖女メデューサよ、不埒な悪しき者よ。わが名はペルセウス、汝に無慈悲な死を与える者。汝、神の御心にかなわぬ哀れな女よ。避けられぬ死の定めを受け入れるがよい」

「おお、なんだかかっこいいな」

「でしょう? 私、字を知っていて古い書物だって、たくさん読んだんだから」

「俺だって字くらい知ってるぞ。まあ、いいや。とにかくお前を退治しに来た。俺の一撃で……」

と言った途端、メデューサの方を見ないまま、少年の身体が跳んだ。

あっと思ったときには、目の前にいた。いつのまにか、剣を鞘から抜き放っている。

その剣が、凄まじい速さで上から下――斜めに動いた。ぶん……と空気が低い音を立てる。その音が、剣の重さを感じさせた。小柄で細身の身体をしているのに、恐ろしく力があるらしい。

蛇の頭が二つほど落ちた。咄嗟に後ろへ下がっていなかったら、メデューサの首は胴から離れていただろう。

「まあ。いきなり乱暴じゃないの?」

素早さなら、メデューサも負けてはいない。頭の蛇の半数ほどを地面に降ろし、それをバネのようにはずませて横に跳ぶ。そのあと、さらに方向を変えて三度ばかり跳び、少年の後ろへと回った。蛇を伸ばし、胸の辺りに絡ませると、空高く持ち上げてやる。

殺すつもりはなかった。そのまま足を地面に叩きつけてやれば、それで済むだろう。

だが、気がついたときには、蛇を斬り払われていた。ペルセウスはくるくると身を回しながら、次の瞬間には地面に降り立っていた。猫のようだ。

「さすがだな、メデューサ」

そう言うペルセウスの息は、少しも乱れていない。メデューサのほうは、やや疲れていた。少年の剣で斬り落とされた蛇は再び頭上に戻っていたが、これを何度も繰り返すと体力が急速に奪われていくのだ。

「俺の抜き打ちの一撃をかわしたのは……」

「私が初めて?」

「いや、四人……五人目かな?」

「たくさんいるじゃないの」

「次で倒す!」

ペルセウスはまた、メデューサに身体の側面を向け、かざした盾を見つめながら、じりじりと近づいてくる。

「ええっと……ちょっと待ってくれない?」

「どうした?」

「あなた、さっきから、その盾に映った私を見ているみたいだけど、どうして?」

「お前に見つめられると、石にされてしまうからさ。だが、この盾はすごいんだぞ。これに映してお前の姿を見れば、石にはならないんだ」

「だから、それは嘘だって。私を見たら石になるなんて……」

「じゃあ、あれは何だ?」

と、ペルセウスが指さしたのは、メデューサの住処の前に立っている、等身大の三体の彫像だった。

今、メデューサが住んでいる廃屋は、戦争で荒れる前はどうやら彫像などを作る作業場だったらしい。彫刻家の娘だったメデューサには、なつかしさを感じさせる場所だった。だから、ここを住処に決めたのである。

彫刻される前の大理石の石柱が、いくつか残っていた。メデューサは暇つぶしに、それを使って三体の女神像を彫ったのだ。

石になる――という噂は、この石像を遠くから見た誰かが、思いついたのかもしれない。

「あれは、ただの石像よ。よくご覧なさい。いきなり石にされた人が、あんな格好をしていると思って?」

「言われてみれば、そうかな?」

「あれ、全部、私が作ったのよ。どう? いい出来でしょう」

メデューサは、得意げに続けた。彫刻の腕前には自信があるのだ。

「右から、アプロディテ様、ペルセポネ様、アルテミス様よ」

アプロディテは開いた大きな二枚貝の上に立ち、乳房と股間を左右の掌で隠している――が、隠しきれていない。ペルセポネは、片手に持った水仙の花の香りをかいでいる。そうしながら、上目遣いに誰かを見上げているようだ。アルテミスは弓を片手に、遠くを見つめている。獲物を探しているのか――。全て裸体像である。メデューサは、裸が好きなのだ。

「たしかに、みんなのんびりした感じの格好だな」

ペルセウスは彫像の前まで歩いて行くと、片手でそれぞれの女神像に触れながら――

「戦っている途中で石にされたのなら、裸でいるのもおかしいし……」

「でしょう?」

メデューサも、ペルセウスの横に立った。

「彫像だとしたら、なかなかいい出来だ。ただ、このアプロディテ様は……」

ペルセウスは、隣に立ったメデューサを見て

「胸はもっと大きなほうがいいだろ? アプロディテ様は、美と愛の神様なんだから」

「まあ! いやらしいわね」

「でも、こんなに薄っぺらな胸じゃなあ」と、ペルセウス。

「このくらいが、ちょうどいいのよ」と、メデューサ。

メデューサの頬は、少し上気している。実は、この三体の女神像の裸体モデルは、メデューサ自身の身体なのだ。なんだか自分の裸を覗かれ、おまけに無遠慮な批評をされたようで、少し恥ずかしくなったのである。

「いや、だまされないぞ!」

いきなり、ペルセウスが大声をあげ、メデューサの側から跳びすさった。また、盾をかざして、それに映ったメデューサを見ている。

「俺は、巫女様から聞いたんだ、メデューサには人を石に変える魔力があると。アテナ神殿の巫女様が、嘘をつくはずがない」

変だな――と、メデューサは思った。この町のアテナ神殿の巫女になら、メデューサも一度会ったことがある。あの巫女が、そんなでたらめを言うはずがない。

ほかにも、おかしなことがある。なんだったら、声をあげて笑い出したくなりそうな、おかしなこと。なぜなら――

「でも、あなた。もう何度も、私の顔を見たじゃないの?」

そうなのだ。彫像について話しているあいだ、ペルセウスは何度か、メデューサの顔をまともに見ていた。本人は、どうやら少しも気づいていなかったらしい。バカなのか?

「そう言えばそうだな。化け物にしては可愛い顔をしてるって、ちょっと思った」

「なかなか見る目があるわねえ」

「とすると、この盾はインチキってことか?」

「そうよ。だって、私が青銅の腕や黄金の翼を持っているっていうのも、噓だったでしょう? それにイノシシの牙も。だったら、石になる話も嘘でしょうよ」

「あの婆あ! だましやがったなっ」

その「婆あ」というのも変だ。神殿の巫女は、まだ若かったはずだ。

ペルセウスは、盾をカラリと捨てると――

「だが、そうなると、いよいよお前の命はないぞ、メデューサ。まともに見ていいのなら、俺の剣はさっきよりずっと速い」

その言葉は、嘘ではなかった。とにかく速い。踏み出しに勢いがある。

メデューサが蛇を地面に這わせ、それをバネにして背後に跳んでも、着地したときにはペルセウスはすぐ目の前にいる。次の瞬間には、剣が唸りをあげる。

メデューサは、それをかろうじて避け、蛇で相手の身体を絡めとろうとした。蛇は、ほぼ無意識のうちに動く。いわばメデューサが考えるよりも先に、蛇の群れは相手を襲おうとするのだが、ペルセウスの剣はそれよりも速かった。

数十匹の蛇が、一時に斬り払われた。剣の先が下がった隙を狙って、次の蛇の一群を繰り出したが、それも返す刀で斬り捨てられた。

切られた蛇は戻ってくる。だが、その戻る速度が、少しずつ遅くなっていくようだった。メデューサは、疲労を感じた。このまま続くと、動けなくなってしまいそうだ。

一度だけ、ペルセウスの身体を蛇で絡めとることができた。だが、もう宙高く持ち上げることはできなかった。少し離れたところへ、押し倒すことができただけだ。その蛇も、すぐに斬り払われてしまった。ペルセウスはすぐに立ち上がり、再びこちらに駆けてきた。休めない。

剣の唸る重い音が、耳に響いた。蛇では防げない。大半が斬り払われて、まだ戻っていないのだ。

メデューサは、両腕で防ごうとした。化け物と化してから、人と争うのに手を使ったのは、初めてだった。

手首から先が、左右ほぼ同時に斬り落とされた。

痛みは、少し遅れてやってきた。金属を擦り合わせたような嫌な声が、口から滴り落ちていく。

メデューサは、どんな怪我をしてもすぐに治ってしまう。腹に槍が突き刺さっても死ぬことはない。だが、こんなふうに身体の一部を完全に斬り落とされたのは、初めての経験だった。

戻るのか?

メデューサは、後ろへと跳びすさった。思ったほど距離がとれない。だが、その間に両手が元に戻った。

「うあっ、メデューサ」

今度は、ペルセウスが声を出した。

「お前、手が生えるのか。すごいな」

生えたのではない。斬り落とされた手首から先が一度砂のように崩れ、消え、それが再び戻ってきた感じだった。

10

「だが、何度でも斬る!」

メデューサは、ありったけの蛇を――蛇も少しは戻ってきていた――前に突き出した。その蛇の壁を突き破るように、ペルセウスが殺到する。身体を斜めにして剣をかわしながら、メデューサは再び腕を上げた。今度は右腕が肘のあたりから斬り落とされた。悲鳴をこぼしながら、メデューサは再び後ろへ下がった。

何度斬られても、腕は戻ってくるだろう。脚だって同じだ。だが、それが続くと最後にはどうなるのか――メデューサにはわからない。

メデューサは後悔し始めていた。初めは、ふざけ半分だった。メデューサの姿を見て、少しも怖がろうとしないところも、おもしろそうだった。だが、こんなにも強いとは――

もう何度目になるのか――前に突き出した蛇の群れが斬り捨てられ、次にまた両腕の先が斬られた。メデューサは、今度は横に跳んだ。ペルセウスの小柄な身体が、姿勢を低くするのが見えた。既に何度か見た姿勢だ。次の瞬間には、あっと言う間に距離を詰めてくる。

来る――

11

だが、来なかった。

ペルセウスは、そのままうずくまってしまったのだ。

メデューサは突っ立ったまま、斬り落とされた両手が元に戻るのを待った。やがて髪も――つまり無数の蛇も――戻ってきた。だが、息は荒いままだ。メデューサは、ひどく疲れていた。

ゆっくりと、うずくまったペルセウスの側に近づいてみる。少年はメデューサの顔を見ると、にっと一度微笑み、それから砂の上に仰向けに寝転んだ。

「もう動けない。疲れた」

「私もよ」と、メデューサは答えた。

12

「さあ、殺せ!」

いきなりペルセウスが叫んだ。

「俺を殺せ! 今殺せ! すぐ殺せ!」

「いやよ、私。人殺しなんて」

「でも、お前は人を殺して、その肉を食らうんだろう? 神殿であの婆あにそう聞いたぞ」

「それも嘘よ」

「そうか。でも、もういいや。殺してくれ。俺はもう、死にたいんだよ」

「どうして?」

「あのインチキな盾を買うのに、有り金全部使っちまった。もう一銭も持ってない。おまけに食い物もない。お前を退治して首を持って帰ったら、賞金がもらえるはずだったけど、それもダメだったし。生きていたって、もう仕方がないんだ」

「うちに肉があるから、食べさせてあげてもいいわよ」

メデューサは、なんだか少し可哀そうな気もしたので、そう言ってみた。それに、ペルセウスの強さには本当に感心したし、なにより自分の頭に生えている蛇を見てもちっとも怖がらないところが好ましいではないか。

「お金も半分くらいなら、分けてあげてもいいし」

「いくら持ってるんだ?」

メデューサが金額を言うと――

「本当に俺にくれるのか」

「あげてもいいわ」

「よし。じゃあ、行こう」

ペルセウスは、ひょいと起き上がった。たった今まで死にたいと言っていたのが嘘のようだ。急におしゃべりになる。

「その肉ってのは、何の肉だ? うさぎ? いいじゃないか。もう料理してあるのか? まだ? それなら俺が焼いてやるよ。おっと、忘れ物だ」

そう言うと、少し離れたところに置いてあった大きな袋を取りに戻って――

「この中に、料理道具や調味料が入ってるんだ」

「男なのに料理ができるなんて、偉いわね」

ずっと昔、まだ化け物にならず、ただの美しい娘でいたころ、メデューサは三人の婿候補と暮らしたことがあった。どの男も、料理は女の仕事と決めつけていた。それと比べたら、なかなか感心な発言ではないか。

「メデューサ。お前、俺の料理を食ったら、びっくりするぞ。あらまあ、こんなにおいしく肉を焼ける殿方がいたなんて、なんて素敵なんでしょうってね。惚れるなよ」

好ましいところはいくつかあるにしても、どうもこの少年は、とんでもなくバカらしい。

13

たしかに、ペルセウスの焼いた肉はおいしかった。食事の間、ペルセウスはこんな話をした。

ある国の王に、一人の美しい娘があった。悪い虫がつかないよう、父王は娘を王宮の奥まった一室に閉じ込め、どんな男の目にも触れさせないようにした。ある夜、ゼウス神が金の雨となってその部屋に入りこみ、娘と交わった。そうして生まれたのがペルセウスである。

ペルセウスとその母は、王国から追放された。王が、父親のわからない子を産んだ娘、つまりペルセウスの母親を憎んだからである。二人は小さな島で暮らすようになった。だが、島の王がペルセウスの母を見初めると、少年は自分が邪魔者扱いされていると感じるようになった。

ペルセウスは、旅に出た。

「噓、噓。あなたがゼウス様の息子で、王様の孫だなんて」

メデューサが笑うと、ペルセウスは――

「実は俺も、そこは少し怪しいと思うんだ。俺の母ちゃんは、けっこう茶目っ気あるから、平気でいろんな嘘をつくんだよ。俺におやじがいないのを可哀そうに思って、そんな嘘をついたのかもしれない」

「まあ、でも、噓と決めつけるのは、よくないわね。それで、お母様が新しい男の人と仲よくなったから、家を出たってわけか。それって、とってもいいことじゃないかしら。子どもはいつか独り立ちしなくちゃならないんだし、お母様だって新しい恋を楽しんでかまわないわけだし……」

「俺もそう思ったんだ。あんな小さな島で一生暮らすのも、うんざりだしな。それで、旅に出たのはよかったんだが……」

ペルセウスは、剣の腕前を頼りに賞金稼ぎとして、あちこちの国を回ったらしい。時にはけっこうな額の金も稼いだが、なぜかすぐに素寒貧になってしまうのだという。

「どうして?」

「いろいろと誘惑が多いじゃないか。博打とか……」

「博打はよくないわねえ」

メデューサはずっと昔、父親が賭け事に凝ったせいで、あやうく家も土地も取られそうになった話をしてやった。その挙句、金貸しの一家とその配下の荒くれ男どもを襲い、目を潰し、脚の骨を砕いてやったところまで物語ると――

「お前って、やっぱり悪い奴だったんだな」

「悪いのは私じゃなくて、あっちのほうだったのよ。私の話、聞いてた?」

「でも、そんな残酷なことをしなくてもいいだろ? 歩けなくして、目も潰すなんて。可哀そうに」

「どっちが? あなただって、賞金稼ぎで人をたくさん殺してきたって、たった今、自慢してたじゃないの。私はこれまで、人殺しなんて一度もしたことがないのよ」

「すっきり殺してやるほうが、慈悲深いじゃないか」

「そんなことないわ。目や脚だけじゃなく、指先も全部潰してやった男がいたけど、その男も自殺なんてしなかったもの。裸で家畜のように飼われることになっても、それでも生きていたかったみたい」

「裸に? メデューサって、変な趣味を持ってるんだな」

「あら、楽しいわよ。それまでさんざん威張り散らしていた男を裸にして、少しずついたぶってあげるの。あの怯えた、情けない顔ったらないわ」

「いや、それは違うぞ、メデューサ」

ペルセウスは、急にまじめな顔になって言った。

「たしかに恐怖にひきつった顔っていうのは、見ごたえがある。それは認めるよ。でも、裸にされるとか、骨をつぶされるとか、そういうのは本当の恐怖を薄めていくだけだと思うな。それより、自分は殺されるとわかった、その瞬間の顔。斬り殺される直前の顔のほうが、ずっと見ごたえがあると思うね。だが、メデューサ。さっきお前と戦ったとき、お前は一度もそんな顔をしなかった。それで、もう勝てないと思ったんだ」

さっきまでメデューサを残酷だと責めていたくせに、この少年はとんでもないことを言い出した。

「恐怖を薄めたらいけない。反対に、ある一瞬にまで濃縮するんだ。つまり、斬り合いの最後の瞬間ってやつさ。ああ、俺は斬られる、殺される……ってわかった瞬間の、あの怯えた顔。それを見るのが、賞金稼ぎの楽しみさ」

「あなたも、少し変じゃない?」

「そうかもしれない。でも、俺は悪い奴しか殺してないぞ」

「私を殺そうとしたじゃないの」

「それは、あの神殿の婆あにだまされただけだ」

「婆あって、なんだかひどい言い方ねえ。さっきから思ってたんだけど、ペルセウス、あなた少し口の利き方が汚いわ。ゼウス様の息子なんでしょう? もう少し上品に話せないの?」

「じゃあ、あのお婆様にだまされたんだよ。これでいいか?」

メデューサは少し笑って――

「でも、変ねえ」

14

メデューサは、この土地に来た初めのころに、アテナ神殿の巫女に会ったことがある。まだ若い、なかなか美しい女だった。これまでのいきさつもあって、メデューサは居を移す度、その土地にあるアテナの神殿を一度は訪れ、祈りを捧げることにしている。この町でも同じだった。そうして神殿を訪れたメデューサに――

「汝は、メデューサか」

いきなり、その若い女は言ったのだ。蛇を布で隠しているのに、なぜ見破られたのか――やはり巫女ならではの、なんらかの力を持っているらしい。

「昨夜、久方ぶりに、アテナ様からの神託を受けた。罪深い哀れなメデューサという女が、この神殿を訪れると。正体を現すがよい」

メデューサは布を取り払って、頭に巣食った無数の蛇を見せた。巫女は一瞬たじろいだようだが、気丈に居住まいを正すと、じっとこちらを見つめた。吸いこまれるような、大きな青い瞳だった。

「巫女様。私の罪とは?」

「不遜にも、アテナ様より美しいと公言したというではないか」

「まさか。私はそんなことを一言も申してはおりません。それどころか、心の内で思ったこともありません」

「おかしいのう」

「ああ、でも……」

メデューサは、大昔のことをふいに思い出した。

「こう言ったことはありました。男って、私のことをまるでアテナ様みたいにチヤホヤしてくれるけど、それもほんのわずかの間だけのこと……と」

「では、そのことであろう」

「全然違うではありませんか」

「黙るがよい。自分の美貌を誇るのに、アテナ様の名を持ち出すこと自体が不敬。慎むがよいぞ」

「そうでしょうか」

メデューサの声が、不満げに少し高くなる。そもそもアテナ神の名を持ち出したのは、メデューサではなく、男たちではないか――いや、そうではなかった。よく考えると、「アテナ様みたいに……」と言ったのは、メデューサ自身だった。それが驕りだったのか。

「そのことは、もうよい。それよりも、神託のお言葉を聞くがよい」

巫女は、そのあと少し黙り、やがて口調をいっそう厳かにして――

「メデューサよ、愚かしき不埒な者どもに罰を与えたこと、殊勝なり。わが憎しみも癒えた。これからは、永遠の命を楽しむがよい」

「ありがとうございます」

だが、メデューサはなんとなく腑に落ちなかった。命を楽しめとアテナ神は言うが、人間どもに忌み嫌われるこの恐ろしい姿のまま、なにを楽しめというのだろうか。思えば、蛇を敬う奇妙な国で神の使者のふりをしたのも、もうずいぶんと昔のこと。その後は、蛇を隠して木像や石像を売っては、森や荒れ地、廃墟などに隠れ、孤独な暮らしを続けてきた。

それとも、これから何か楽しいことがあるのかしら。

そんな話を、ペルセウスに聞かせてやった。

15

「若くてきれいな巫女様なんていなかった。汚い婆あが……おっと失礼。汚いお婆様が、あのインチキな盾を売りつけやがっただけだ。高かった。持ち金全部はたいたんだぞ」

「そして、いろんな嘘を吹き込まれたってわけね。私と目を合わせたら石になるとか、黄金の翼が生えてるとか、手が青銅でできてるとか」

「それに、口にはイノシシの牙が生えてて、それで人を噛み殺しては、その肉を食らうって言ってたな」

「全部でたらめじゃないの」

「ああ、それから、役人か軍人かよくわからないけど、長剣を持った変な男がウロチョロしていた。そいつが、メデューサを退治したら褒美をくれるって、約束してくれたんだ」

「怪しいわねえ。少し調べてみようかしら」

16

クロミオスが神殿の奥にある部屋の扉を開けると、すぐに女の押し殺した喘ぎ声が聞こえてきた。一人の声ではない。数人の女が、それぞれ音色の異なった、淫靡な声を漏らしているようだ。

この部屋を訪れるのは、十日ぶりのことだ。あの強情な巫女の誇りを打ち砕く方法がある――老婆がそう請け合ったので、クロミオスはその間、他の仕事に没頭していたのである。

ずいぶんと忙しい思いをした。証の石を手に入れ、巫女を奴隷に堕とした後、代わりを務める女を探さなければならない。どうせクロミオスの考えた偽の神託をばら撒くだけだから、本物の巫女の力は不要としても、見かけだけは美しい、高雅なものを持っていなければならない。それに、クロミオスたちに忠実で、決して裏切らない――つまり本当のことをしゃべらない――という保証も必要だ。

何人かそれらしい女も見つけたが、一長一短でなかなかこれといった決め手がない。

そんな折、老婆からの呼び出しがあったのだ。

「老女殿、何か面白いものを見せていただけるとか……おお、これは……」

声が思わず上擦っていく。目の前に、思ってもみなかった奇怪な光景が現れたのである。

部屋の中央に、丸裸に剥かれた巫女が、両手を上に手首を一つに括られて、吊られている。両脚は左右に大きく開かれ、膝は外側に向かって曲がっている。そんなぶざまな格好で、巫女は裸体を切なげによじらせているのだった。
裸の女が一人、巫女の前にひざまずいている。荒い喘ぎ声にまじって、時々唾液のはじける音が聞こえるのは、女が巫女の裸体のあちらこちらを舐めまわしているからだろう。両手は背中で一つに括られている。

ほかに二人、やはり手を背中で括られた裸の女がいた。中腰になって、左右から巫女の乳首に舌を這わせている。

巫女には、細い鉄を折り曲げて作ったらしい、奇妙な格好の口枷がはめられていた。そのせいで口が大きく開き、蠢く舌、それに白い奥歯まで見えている。やわらかなあごが、唾液に濡れていた。巫女はその口から絶えず弱々しい、しかし妙に淫らな喘ぎ声をあげている。ときにひどく身悶えすると、そこから大量の唾液が噴き出すのだった。

老婆がほくそ笑んだ。

「いかがです、クロミオス様。巫女様はこの一週間、ずっとこうしてよがり続けていますのじゃ。食事も与えず、眠る時間も、できるだけ削っておりますでな。今では快楽欲しさに、どんな恥知らずな真似もできるようになっております。じゃが、果てるのを許してやるのは、日に二度か三度……つまり、焦らし責めでございますよ。女は、これに弱いものでしてな」

「さすが、私が見込んだだけのことはある。老女殿は、なかなかの知恵者だな」

この老婆を神殿に送りこんだのは、クロミオスである。のちのち何か役に立つだろうと、この巫女が位に就いたときに、言葉巧みに薦めて下女として世話をしたのだ。

「だが、食事も与えないというのでは、死んでしまうのではないか。死なれたら元も子もない」

「ご心配召さるな。代わりに、ほら……これを与えております」

老婆は、部屋の隅にしつらえてある棚から、大きな壺を取り出した。中には、琥珀色のどろりとした液体が、たっぷりと入っていた。

「それは?」

「蜂蜜に、さまざまな薬草の汁を混ぜたものですじゃ。空腹のときにこれを一度でも舐めたら、もうどんな者でも次からは耐えられませぬ。それ……」

――と、老婆はたっぷりと蜜を塗りつけた指を、高く掲げて見せた。巫女に取りついていた女たちが、いっせいにこちらに向かってきた。

「お前たちは、後じゃ、後じゃ。ほれ、戻って巫女様をもっと慰めておやり」

「この女たちは?」

「舐め牝と呼んでおります。奴隷市で見目よい者どもを、買い求めましたのじゃ。あと三人おります。昼夜交代で、この淫らな巫女様をお慰めしているというわけで」

女たちを追い立てながら、老婆は指先を巫女の口元に寄せた。巫女は桃色の舌を伸ばし、その指を一心に舐め始めた。

「面白うございましょう。クロミオス様も、やってみなさるがよい」

うむ……と、一つうなずいて、クロミオスは右手の人差し指を、蜜の壺の中に入れた。たっぷりと指に絡ませ、巫女の顔のそばに近づけてやる。巫女は口枷の中から舌を伸ばし、懸命になって舐め始めた。

指を少し離してやる。巫女の舌が、さらに伸びた。クロミオスは、嘲って言った。

「おお、巫女殿の舌はよく伸びる」

三人の女は、再び巫女の裸体を舐めまわし始めていた。一人は正面から、残りの二人は左右から、巫女の裸体に取りついている。

「あ、あ、あ……」

――と、短い途切れ途切れの声をあげながら、巫女は舌を一心に動かすのだった。さっきから感じていた甘い匂いが、さらに強くなった。

17

「まだまだ、おもしろいものが見られますよ、クロミオス様。さ、どうぞ」

老婆は、椅子を一つ持ち出して、部屋の壁際に据え付けた。巫女の顔が正面から見える位置である。そして、巫女の足下にひざまずいていた女を追い立てた。

「お前は、後ろへお回り」

女は巫女の背後へと這って行き、また唾液を啜る音を立て始める。今度はどうやら尻を舐めまわしているらしい。

「クロミオス様。どこをさわってやったら、この淫乱な女が一番悦ぶと思われますかな」

「さて……股の間にあるものではないか」

「ところが、さにあらず。いずれ、この女は、クロミオス様の奴隷となる身。覚えておかれて損はありますまい。実は、ここですのじゃ」

老婆は、巫女の傍らに立ち、その右の耳たぶをそっと撫でた。その瞬間、巫女の口から音程の高い、やわらかな声が舞った。若く美しい裸の女は、激しく身をよじった。釣りあげられ、陸に放り出された魚が、ピチピチと跳ねまわっているようだ。

「クロミオス様、ご覧なされ。巫女様の、このぶざまな裸踊りを」

クロミオスは、甲高い下卑た笑い声をあげた。巫女の青い二つの目から、涙が溢れ出た。

18

「だが、老女殿」

しばらく笑ったあと、クロミオスは老婆の耳元で囁いた。

「この女、まだ証の石を渡そうとはしないのだろう。あれが手に入らないままでは、どうにもならぬ」

「安心なさいませ、クロミオス様。いくら高慢な女でも、こうなってしまっては時間の問題。今日、明日には無理でしょうが、あと一週間もすれば、クロミオス様の愛撫欲しさに、証の石も喜んで差し出すことでしょうよ」

「そうなればいいが……あの石なくしては、民どもが新しい巫女を信用することはあるまい。是が非でも手に入れなければ。頼んだぞ、老女殿」

そう告げると、クロミオスは腰につけた長剣をガチャつかせながら、部屋を出て行った。

19

その夜のこと。

「……というわけなのよ、ペルセウス」と、メデューサは言った。

「お可哀そうな巫女様。私たちで救ってあげなければ」

「まるで見てきたように言うじゃないか」

「見てきたのよ」

「どうやって?」

首をかしげるペルセウスに、メデューサは姿を消して見せる技を披露してやった。例の、身体を砂粒にし、さらに細かな目に見えない微粒子にして、意識だけを漂わせる技である。

ただ、これができるのはメデューサの身体だけ。衣服は、はらりと床に落ちてしまう。次に現れたときには、メデューサは一糸まとわぬ裸の姿だった。

「なかなかいい身体をしている」

「胸が少し、小さいんじゃなくって?」

「細かいことは気にするなよ」

じりっ、じりっと近づいてくるので、蛇を何本か振り回して追い払うと、メデューサは手早く服を着た。

「このあいだ戦ったとき、どうしてその技を使わなかったんだ?」

「これは、心が静かでないと使えないのよ。戦っているときには、心が波立っているからダメなの」

「なるほど」

「そんなことより、巫女様のことよ。救ってあげなくちゃ」

「俺も、あの婆あ……じゃなくて、お婆様には、だまされた恨みがあるからな」

「もう、婆あでいいわ」

「じゃあ……あの婆あ……許さん! それにあの男。クロミオスって言ったな。あいつも、賞金だなんだと嘘ばかりつきやがって。二人まとめて、一撃で叩っ斬ってやる」

「人殺しはやめなさいよ。それに賞金だったら、ちゃんともらえるわよ。そのうえで、巫女様を救ったご褒美も、たんまりいただくことにしようじゃないの」

「そんなこと、できるのか? 賞金をもらうには、メデューサ……お前の首を提げていかなきゃならないんだぞ」

「ほら、これよ」

メデューサは、寝台の下に隠していた袋から、何か重たそうなものを取り出して、床の上に置いた。石で作った女の生首だった。頭には髪の毛の代わりに、たくさんの蛇を絡ませている。

「よくできてるなあ。お前が作ったのか」

「そうよ。こう見えても、私って天才彫刻家なのよ」

「でも、これは石じゃないか」

「だから、こう言えばいいのよ」と、メデューサは、もったいぶった口調になって――

「メデューサが私を石に変えようとしたとき、私はこの神殿からいただいた、あの盾を高々とかざしたのです。すると、アテナ様のお力の素晴らしいこと! 輝く盾はメデューサの妖力をはじき返し、メデューサ自身を石に変えてしまったのであります。私は、その首を斬り落としました。ここにこうして持って参ったのが、その石の首であります。――どう?」

「なるほど」

20

ペルセウスは、うんうんと何度かうなずいていたが、その後、急にもじもじし始めた。そして、口ごもりながら、こう言った。

「ところで……ところでだね、メデューサ……」

なんだか、やさしい声である。

「どうしたの?」

「その巫女様の話も、なかなか刺激的だったし、その……今、お前の裸も見ちゃったし……」

「なんなの?」

「あの……大人の男女の裸の交わりってやつを、やってみないか」

「大人の男女って、あなた、まだ子どもじゃないの」

「もう二十一歳だ」

「驚いた。十五か十六くらいだと思ってたわ」

「ああ、よく言われるよ。でも、そのせいで女には喜ばれるんだぞ。まあ、この勇士様って、かわいいわ、素敵って」

「本当かしら」

「本当さ。それに、戦いのときにも有利なんだ。相手が小僧と思って、舐めてかかるだろ? そこを一撃で……」

「一撃はいいけど……なんだか変だわ」

「なにが?」

メデューサは、ペルセウスに出会ってから、ずっと不思議に思っていたことを打ち明けた。

「私がこの姿になってから、そんなことを言い出したのは、あなたが初めてよ。だいいち、あなた、私が怖くないの?」

「ああ、俺はね、そういうのがわからないんだ」

「そういうのって?」

「だから、怖いとか、恐ろしいとか、気味が悪いってやつさ。みんな、よくそんなことを言うけど、どういうことかわからない。いや、そういう言葉があるのは知ってるよ。でも、実感がちっとも湧かないんだ」

「それなら、大丈夫かも」

「よし、やるか?」

「いいえ、ちょっと待って。やっぱり、まずいわ……というのはね、この蛇なの。この蛇、私が意識しなくても、勝手に動くのよ。だから、ことの途中であなたの身体を打ちのめしたりするかもしれないし、ひょっとしたら絞め殺してしまうかも……」

「ああ、それなら……」

――と、ペルセウスは自分の袋の中身を、ごそごそとあさって、一振りの短刀を取り出した。

「もし蛇が襲ってきたら、これで斬り払ってやる。一撃で……」

「一撃は、もういいから。でも、まさかその剣で、私の首を掻き切ろうって魂胆じゃないでしょうね」

「そのときは、それこそ蛇で防げばいいじゃないか」

「それもそうね」

「じゃ、やってみるか?」

メデューサは、にっこり笑うと、深くうなずいた。

21

それは、世にも奇妙な交わりだった。

頭から生えた無数の蛇は、やはりメデューサが高ぶるにつれて、激しくのたうち回り始めた。次々に、ペルセウスに襲いかかっていく。

ペルセウスは、それを斬り払い、斬り払いしながら、徐々に腰の動きを速くしていった。

その間、メデューサは何度か絶頂を迎えた。やがて、ペルセウスも果てた。

事が終わったとき、メデューサは疲れ果てていた。斬り払われた蛇がすべて戻るまで、ほとんど動けずにいた。ペルセウスも、メデューサの腰を緩く抱いたまま、まだ喘ぎを息に残しながら、じっと目をつぶっている。

しばらくすると、メデューサはぽつりと言った。

「ねえ、ペルセウス。あなた、明日からも料理をしてくれる?」

こう尋ねたのは、ずっと昔、まだメデューサが人間であったころ、身体を許した男たちがそろって横暴になっていったことを思い出したからだ。

「当たり前だ。料理はお前なんかに任せられないよ、メデューサ。肉の焼き方もろくに知らないんだから」

「ありがとう」

「変な奴」と、ペルセウスは言った。

「変な奴」と、メデューサも心につぶやいた。

22

五日後の夜。

町から戻ったメデューサは、ペルセウスに言った。

「とうとう巫女様が屈服してしまったわ。明日の夜、証の石をクロミオスに渡すことになったの」

「その証の石って、なんなんだ?」

「真っ赤な宝玉よ。それを持っていることが、あの神殿の正式な巫女である証なの。代々、巫女から巫女へと伝えられてきたものみたい。地下室の壁に作った隠し棚の中に保管してあったのを、巫女様が泣きながら呪文を唱えて、取り出しなさったわ。例のお婆さんの意地悪なことったら。巫女様をさんざん淫らだの、淫乱だのって嬲ったあげくに、結局はまた焦らし続けているの。本当に満足したかったら、クロミオスにお願いしろって……」

「嫌な婆あだな」

「本当に嫌な婆あよ」と、メデューサもペルセウスの下品な言葉遣いが、少し移ったらしい。

「それで、あなたのほうは? 昼間、神殿に行ったんでしょう? 賞金はちゃんと手に入れてきたの」

「もらったよ。あの婆あ、値切ろうとしたから、少し脅してやった」

「あとで、ちゃんと半分、私によこしなさいよ」

「わかってるって。心配しなくても大丈夫。それより、その巫女様とやらを助けてあげたら、またちゃんと金は出るんだろうな」

「そうねえ」と、メデューサは、少しためらって――

「あの神殿、かなり貧しいみたい。巫女様が正直すぎるのね。めったに本当の神託は受けないらしくて、それをそのまま町の人たちに言ってしまうみたいよ。それだと、お金もあまり集まらないわ。適当に嘘でもつけばいいけど、それができない人のようね」

長い年月、あちこちのアテナ神殿を巡ったメデューサは、神官や巫女の神託や預言といったものの多くが、実は出鱈目であることをよく知っている。それどころか、数十年昔には、メデューサ自身が神の使者と称して、単なる自分の望みを神託として告げまわった過去があるのだ。

「それでも、いくらかにはなるんだろう?」

「まあ、神殿の危機を救うわけだから……ところで、ペルセウス。あなた、人を殺しちゃダメよ。神殿を血で汚したとなったら、それこそアテナ様の罰が下るかもしれないもの」

「そう思って、これを買ってきた」

ペルセウスは、きらきらと光る新しい剣を抜いて見せた。

「これは、斬れない剣なんだ」

「そんなものがあるの?」

「剣術の練習用さ。これでも殺そうと思ったら殺せるが……手加減してやれば、まあ、大丈夫」

「ずいぶん余裕があるみたいだけど、まさか負けたりはしないでしょうね」

「間違いなく勝つ。強い奴っていうのは、会った途端にわかるんだ。たとえばメデューサ、お前がこの家から外に出てきた途端、手ごわいなって感じたよ。だが、あの男にはそれがない」

23

全裸の巫女は、以前見たときと同じ姿勢で拘束されていた。吊られた両腕を高く上げ、脚を大きく開き、膝を外側に曲げるという、ぶざまな姿勢である。口枷が嵌められているのも同じ。その股間と両の乳房に三人の裸の女たちが取りついているのも、同じだった。

違うのは、巫女の目の前に小さな台があり、その上に真っ赤に光る大きな透明の石が置かれていることだ。

「これが、証の石か」

「いかがです? クロミオス様。素晴らしゅうございましょう」

老婆は、巫女の傍らに立っている。

「でも、もっと素晴らしいのは、この巫女様の変貌ぶり。今から、巫女様がクロミオス様に、ご挨拶をしたいそうですよ」

既にさんざん嬲りつくしたあとだというのに、老婆は「巫女様……」と呼んでいる。敬愛の思いからではなく、この誇り高かった女をさらに辱めてやろうという、意地の悪い意図からだろう。

老婆は、巫女の口から枷をはずした。

「さあ、巫女様。クロミオス様に、ご挨拶をなさいませ。私が教えてあげたとおりに。上手にできたら、クロミオス様がご褒美をくださるかも。ほら、どうしたの? よがってばかりいては、いつまでも満足させてはいただけませぬよ」

「あ、んあ、あ……」

巫女は、何度か力なく口を閉じたり開けたりしていたが、やがて――

「も、申し訳ございませんでした。クロ、ミオス様……」

「ほう、私をクロミオス様と呼んでくれるか。巫女殿の高慢な性根が、少しは治ったようだ」

「私……私は、思い上がっておりました」

以前は自分のことを「我」と呼んでいたが、今では「私」に変わっている。

「こんな淫ら……淫らで、あさましい女でありながら、クロミオス様に高ぶった口を利いたこと、どうぞ……どうぞお許しくださいませ。その償いのため、私……私は、巫女の位を退き、クロミオス様の奴隷……ああっ。卑しい奴隷として、生かしていただきとうございます。どんなことでも、致します。本当に、どんなことでも! ですから、どうぞこの淫らな女を、満足させてくださいませ。お願いいたします。お願い……一度だけでも……お願いいたします」

「なかなか殊勝なことを言う。気に入った」

男は、満足げな笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。

「ずいぶんと淫らな望みを抱いているようだ。だが、お前には、代替わりの儀式まで処女でいてもらわねばならぬ。だから、ほれ……」

クロミオスは、巫女の右の耳たぶを軽くひねってやった。巫女は、激しく身悶えした。大きく開いた口から、おびただしい唾液と共に、高い笛のような声が噴き出した。

「あさましいよがり声を出しおって」

男は無慈悲な笑い声をあげた。

「まったくぶざまなことよ。私の奴隷になったら、今のような恥知らずな声をあげるのは、許さん。よく心得ておくことだ」

「申し訳……ございません」

巫女は、泣き出した。もう声を抑えることも忘れ果てたようだった。

「では、これはもらってゆくぞ」

クロミオスが、台の上に置かれた証の石に手を伸ばす。その瞬間、部屋の隅から、なにか黒い紐のようなものが跳んできた。と、見る間にそれは赤い宝玉をさらっていった。

老婆の「ぎゃっ、ぎゃっ」と聞こえる、ひび割れた悲鳴が、部屋中に響き渡る。

クロミオスの視線の先に、新たな若い裸の女が立っていた。そして蛇……おびただしい数の蛇が、その頭の上にとぐろを巻いていた。次の瞬間、その無数の蛇がいっせいに襲ってきた。

24

メデューサは、奪い取った宝玉を大切にてのひらの中に包みこむと、あとは蛇だけを使った。老婆の身体を締め上げて、何度か振り回し、石造りの壁に足を叩きつけてやる。メデューサのいつものやり方だ。老婆はもう一度だけざらついた声をあげると、それきり動かなくなった。気を失ってしまったらしい。

クロミオスは、もう扉の外に出ようとしている。

「化け物……化け物が……」

「失礼ねえ」

そう言ったが、追わなかった。今日は一人ではないのだ。メデューサは、巫女の手足を拘束している革紐を、丁寧にほどき始めた。

扉の外から、ペルセウスの声が聞こえた。

「抜け。その長剣を抜け!」

しばらくして――

「抜いたな。では勝負だ。一撃で……」

その直後に、クロミオスの悲鳴――そして肉がきしみ、骨の砕ける気配が伝わってきた。革紐から解き放った巫女を蛇で抱きかかえ、外へ出てみると、クロミオスが倒れていた。両手が肘のところで変な具合に曲がり、脚の骨も砕かれているようだ。

その向こうに、ペルセウスが得意げな顔をして立っている。

「見ろ、一撃だ」

「一撃って……両手と両脚を砕いたんだから、少なくとも四撃なんじゃないの?」

「うるさいな。それぞれ一撃で砕いたってことだよ」

ペルセウスは口を尖らせて、そう答えた。

25

数日後、アテナの神殿の広間でのこと。

「メデューサよ」と、巫女が言った。

「礼を言うぞ。これから、どうするのか」

「このペルセウスと、しばらく旅をします」

「そうか。旅の無事を祈っておるぞ」

「でも、巫女様。旅を楽しむには、ご褒美の額が少々……」と、ペルセウスは不満げだ。

「許せ、ペルセウスとやら。この神殿は貧しくてな。それでも、ありったけのものを与えたのだ」

「ありがとうございます。しかし……」

なおも何か言いかけるペルセウスを、メデューサは片手で制して――

「ところで、あのクロミオスと老婆は、どうなさいました?」

「舐め牝どもといっしょに、この地下で飼っておる。我のような処女にも、ときには楽しみが必要だからの。我に従順である限り、無慈悲な扱いはせぬ。安楽に暮らさせてやるつもり。ただ、あの者どもは、見てはならぬものを見てしまった。だから、目は潰してある」

「うわ、残酷だなあ」と、ペルセウス。

「お前たちには、言われとうない」

美しい巫女は青い目を細め、にっこりと微笑んだ。最後に、巫女は言った、

「メデューサよ、よい友達ができたようだな。長い命を楽しむがよい」

深々と礼をして、メデューサはペルセウスとともに、神殿をあとにした。

◆おまけ 一言後書き◆
作中、ペルセウスの生い立ちについて一番大切なことが書かれていないではないかと、お怒りの方もいらっしゃるかもしれません。ですが、この物語は既に、本来のギリシア神話から大きくはずれたコースをとっております。ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

2020年10月19日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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