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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第31話 ポルターガイスト事件――どえむ探偵秋月涼子の緊縛願望

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第31回目は「ポルターガイスト事件」。ポルターガイスト現象が起こると噂の喫茶店・ガラベルに向かう直前、「どえむ探偵秋月涼子」がSのお姉様・真琴さんに「お願いしたい」と持ってきたのは“緊縛用”の赤いロープ……!?

真琴さんは、目を覚ました。今、何時だろう。

「涼子?」と呼ぶと、キッチンから元気のいい返事が聞こえた。

「お姉さま、お目覚めになりましたのね」

ベッドから半身を起こし、分厚いカーテンを少しだけめくって外を覗いてみる。もう暗くなっていた。マンションの中庭にある街灯が、黄色っぽい光をベンチに投げかけている。

「はい、お飲み物」

いつの間にかベッドのそばまでやってきていた涼子が、真琴さんの好きなスポーツ飲料のペットボトルを差し出した。真琴さんはそれを一口飲んで――

「今、何時? 私、寝過ごしちゃったんじゃないか」

今夜は二人で、ポルターガイストの謎に挑まなくてはならないのだ。

「まだ七時です。お姉さま、お疲れだったんですねえ。お勉強のしすぎですわ。涼子、少しだけ心配です」

「いや、勉強じゃなくて……」

そう答えかけて、真琴さんは頬が紅潮するのを感じた。

新宮真琴さんは、聖風学園文化大学、文学部国文科の三年生。学費全額免除の特待生という特権を守るために、後期試験の期間中なかなか熱心に勉強していたのは確かだが、こんな妙な時間にだらしなく寝込んでしまったのは、決してそれが原因ではない。涼子のご奉仕のせいなのだ。

真琴さんは、後期試験最終日だった昨日、つまり一月二十八日の夜から、涼子のマンションに遊びに来ている。秋月涼子、十九歳。やはり聖風学園文化大学に通う二年生で、真琴さんのことを「お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い後輩――というだけでなく、今のところ唯一の性愛の対象でもある。いや、まだ言い足りない。ドSの真琴さんのSM遊びの相手を務めてくれる自称M奴隷でもあるのだ。

「なんだか盛り上がりすぎちゃったから、少し恥ずかしい」

「お姉さま、とっても素敵でしたわ」

後期試験の期間中、約二週間近く、真琴さんは勉強に集中するべく禁欲生活を続けていた。そのせいもあって、昨夜から今朝、そして午後にかけて、少し奔放に振る舞いすぎたようなのだ。

「あの……お姉さま? 涼子、お姉さまにもっと何度も、この部屋に来ていただきたいんですけど……」

「ダメだよ」

「どうしてですの?」

「だって、涼子があんまり私を甘やかすから。頻繁にここに来るようになったら、私、自堕落になっちゃう」

二人の誕生日とか、今回のように試験が無事に終わったときだとか――そんな特別な日以外、真琴さんはなるべく涼子の部屋には遊びに来ないようにしている。あまりにも居心地がいいからだ。涼子は、庶民の娘である真琴さんとはちがって、この地方屈指の資産家の箱入り娘。当然、非常に贅沢な部屋に住んでいる。しかも真琴さんが来たときの涼子は、こまねずみのようにくるくると働いて、少し気の毒なくらいだ。たっぷりと歓待してもらって、さて自分のアパートの部屋に帰ると、少し寒々しい気持ちになってしまうのもつらい。

「自堕落。その単語、なんだか官能的な響きがします。涼子、自堕落なお姉さまを見てみたい気もいたします」

「今、見てるだろ?」

「まだまだ足りませんわ。涼子、もっともっと自堕落になったお姉さまに、乱暴に罵られながら、それでもけなげにお仕えしてみたいって思ったりしますの」

どうだろう?

真琴さんは、心にそっと呟く。そんなことになったら、涼子は案外、真琴さんをあっさり見限ってしまうのではないか?

「ところで、お姉さま。お風呂をご一緒しませんこと? 涼子、お姉さまのお身体のすみずみまで洗ってさしあげます」

「そうだね。でも、また変に盛り上がらないように、注意しなくちゃ」

入浴を終えると、真琴さんに涼子がこんなことを言いだした。

「お姉さま、実は涼子、お願いがあるんですの。昨日は、お姉さまがあんまり情熱的だったので、つい言いそびれてしまって……」

真琴さんは、また頬が上気するのを感じた。

涼子は、たった今まで真琴さんの着付けを――といっても、別に着物を着たというわけではなく、ただセーターにジーンズというだけのことだが――手伝っていて、自分はまだ下着姿のままである。そんな恰好のまま、隣の部屋に駆けこんだかと思うと、またすぐに戻ってきて、ベッドのそばにひざまずいた。真琴さんは、ベッドに腰かけたまま、涼子が両手で差し出したものを見つめた。それは、真っ赤なロープだった。

「どうしたの? それ」

「あの……ネットで買ったんです。SM用の……」

「また、そんな軽はずみなことをして。パソコンの履歴とか、大丈夫なのか」

それからたっぷり五分ばかり、真琴さんは涼子にお説教をしてやった。というのも、真琴さんはそもそも既成の道具を使ったSM遊びには反対なのである。それよりも、日常で使う道具をうまく活用することのほうに興味がある。たとえばスパンキング一つとっても、SMグッズとして売られているものを使うよりは、アクリル製の五十センチの定規を使うといった具合。もっとも、実際には涼子の要望に従って、真琴さん自身のてのひらで打ってやることが最も多いのだが――

叱られているうちに、涼子の顔は少しずつ悲しげになっていく。その表情の変化をじっくり楽しんだあとで、真琴さんはこう言ってやった。

「でも買ってしまった以上は、有効利用しないとね。涼子はそれで、どうしてほしいの?」

花の蕾が開くように、涼子の表情がぱっと明るくなった。立ち直りが早いのが、この丸顔の美少女の特徴の一つなのだ。

「実は涼子、以前から緊縛に興味があって……」

「亀甲縛りとか? あんなの、私にはとてもできないよ。不器用だから」

「涼子も、あんまり凝ったものは、現実的ではないと思います。和風すぎるというのか……それに、ここ」

と、恥ずかしそうに股間を一度、ちらりと指さして――

「ここを通したほうが、もちろん刺激的なんですけど、動きづらいと思いますし。でも、胸の上下をぐるっと巻くだけだったら、動くのに邪魔にもなりませんわ」

「でも、それだけだと、縛る意味がないんじゃないか? だいたい縛るっていうのは、自由を拘束するためのものだろ?」

「いいえ、いいえ」

涼子は、真琴さんの言葉をきっぱりと打ち消した。

「とっても重大な意味がありますわ。お姉さまの手で縄をかけていただくことで、涼子の心そのものが、お姉さまに拘束されるんです。そして、縄の感触は涼子に、自分がお姉さまのものだっていう自覚を、深く深く刻みこんでくれると思いますの。ああっ、もちろん涼子の胸、お姉さまにくらべたらとっても貧弱で、縛る意味なんかないっていうお姉さまのお気持ちも、よくわかります。でも……」

「いや、私はそんなこと思ってないけどね。まあいいや、涼子がどうしてもって言うんなら、好きなように縛ってあげる」

「ありがとうございます、お姉さま」

真琴さんは、涼子の乳房の上下をローブで括ってやった。実際に手に取ってわかったのだが、ロープはかなり柔らかくできていて、肌触りが心地よかった。涼子の白い肌に、真っ赤なロープはよく似合った。

「こうして見ると、なかなかいいな。でも、涼子。今夜は特に気をつけなくちゃ。もし事故なんかに遭って病院に担ぎ込まれたりしたら、すごく恥ずかしいよ」

「ちっとも恥ずかしいことありませんわ。もし聞かれたら、涼子、胸をはって答えますもの。これは最愛の人からの贈り物ですって。それに、ああ……」

涼子の口調が、うっとりと熱を帯びていく。

「これで涼子の探偵的頭脳も、今夜は素晴らしくよく働くはずです。ポルターガイストの謎は、きっとこの涼子が解いて見せます。ドM探偵、秋月涼子、また勝利すること、間違いなしですわ」

そうなのだ。涼子は大学を卒業したら、名探偵――しかも、SM行為をすると途端に推理が働くドM探偵として活躍すると宣言している。有り余る実家の資産を利用して、そのための探偵事務所も既に用意してしまったのだ。バカなのか? バカなのだろう。

「それで、そのポルターガイストの話だけど……」

服を着終えた涼子に、真琴さんはそう問いかけた。昨夜は気が逸る余り、詳しく聞く余裕がなかったのである。

「具体的に、どういうことなんだ? たしか、ガラベルっていう喫茶店でのできごとらしいけど。ガラベルって、変な名前だな」

「略称です。正式には、ガラスのベルっていう名前のお店なんです。通用門の近くにありますわ。お客さんは、ほとんどうちの学生です。名前のとおり、テーブルごとに、ガラスのベルが置いてあるんです。風鈴を大きくしたみたいな形の……ほら、ファミレスで注文をとるときに、テーブルにあるボタンを押すシステムがあるでしょう? あのボタンの代わりに、ガラスのベルを振るんです。とってもいい音がしますわ。そうしたら、品のいいおばあさんがやってきて……ああ、そのお店は、お年寄りのご夫婦がお二人で経営なさっているんです。今回のポルターガイスト騒ぎでは、そのご夫婦も困っていらっしゃるようですわ」

「ということは、涼子はもう、その店に行ったのか?」

「はい。二回行ってみたんですけど、ポルターガイストには遭いませんでしたわ。でも、ポルターガイスト現象が起こったのは、確かなんです。何人かの人に、直接話を聞きましたの。そうしたら、間違いなく隣の部屋から怪しい物音が聞こえたって……それで、見てみたらコップやお皿が床に散乱して……」

「隣の部屋って?」

「その喫茶店、昔は手広くやっていたんですけど最近はあまり流行らなくて……それに、そのご夫婦もお年を召したこともあって、スペースを半分に区切ってしまったそうなんです。それで使わなくなった半分は、壁で区切って倉庫にしているんですね。つまり、客席の隣に倉庫があるっていう間取りになっているわけなんですの。ポルターガイスト現象は、その倉庫の中で起きるんです」

「つまり、隣の部屋から音が聞こえるだけで、皿やコップが空を飛ぶところを見た人は、誰もいないってことか」

真琴さんは、少しのあいだ考えこんだ。そして言った。

「あからさまに怪しいな。トリックの匂いがする」

「さすがです、お姉さま。涼子もそう思います。ポルターガイストなんてインチキで、実際は誰かがたちの悪い悪戯を仕掛けているだけなんですわ」

「その喫茶店のご夫婦にとっては、さぞ迷惑だろうね。それで涼子は、そのご夫婦から依頼を受けたわけ?」

「いいえ、そうじゃありませんの。マスター……そのご夫婦のおじいさんのほうですけど……マスターがおっしゃるには、実害が出たわけでもないし、あまりかまわないでほしいっていうことで……それでも、オカルト研究会の人たちが出張ってきて、倉庫にカメラやボイスレコーダーを仕掛けさせてくれって、ずいぶん交渉していましたわ。結局、三日間だけという約束で、機材を入れて調べることにしたんです。今夜は、その最終日ですわ。それから、占い研究会の人たちも、毎日交代で通っているんですって」

「なかなかの大事件になってるじゃないか。でも、試験期間中だというのに、みんな暇なんだなあ」

真琴さんは、少しニヤニヤした。涼子は自分が叱られたと思ったのか、すこし恥ずかしそうな声で――

「あの……涼子も勉強を完全にさぼっていたわけじゃありませんのよ。それなりに……」

「気にしなくていいよ。全体としてみんなが怠けてくれたほうが、ガリ勉の私にとっては有利になるんだから。成績っていうのは、相対評価の部分があるからね」

「ガリ勉って、なんだか古風な言い方ですわねえ。でも、だれもお姉さまのこと、ガリ勉だなんて思っていませんことよ。お姉さまは、美貌の才媛ですわ」

「お世辞はいいから、続けて。要するに、涼子は誰からも依頼されたわけではないのね。それなのに、どうして……」

「依頼されていないどころか、妨害されたんです」

涼子は、不服そうに声を高めた。

「妨害? 誰から?」

「蘭子先輩と、和人くんですわ」

「また、あの二人組か」

真琴さんは、苦笑した。蘭子さんと和人くん。なにかと言えば出てくるペアなのだ。

蘭子先輩というのは、加賀美蘭子さん、四年生。真琴さんたちが通う聖風学園文化大学を経営する加賀美一族の娘である。萩原和人くんは、その婚約者。蘭子さんより二つ年下の二年生。といっても、蘭子さんの加賀美家は、昔から和人くんの萩原家の家来筋に当たっていたということで――だから蘭子さんは年下の和人くんを「若さま」と呼んで、たいへん尊重している。二人は真琴さんたちと同様、ミステリー研究会の部員でもある。

「妨害されたって、具体的には?」

「まずは蘭子先輩から電話がかかってきて、ガラベルのポルターガイスト騒ぎからは手を引きなさいって」

「それで、もし手を引かなかったら命はないぞと、脅されたとか?」

「まさか。そんなことはありませんけど。ただ、オカルト研究会や占い研究会が出張っているところに、私たちまで出て行ったら、ガラベルのマスターも迷惑でしょうっておっしゃって……もちろん涼子、負けていませんでしたわ。ただ大人しくコーヒーを飲んでいるだけなんですから、迷惑になんかなるはずはないって、そう申し上げましたの。ああ、そうそう、ガラベルのコーヒーって、お安いけど、とってもおいしいですわ。お姉さま、今夜はぜひお試しになって。モカがおすすめです。それからケーキは……」

涼子の話には脱線が多い。以前は真琴さんもよく引きずられたものだが、最近はその気配を察知する能力が高まってきた。

「コーヒーとケーキの話はあとにしなさい。妨害の話はどうなった?」

「そうでした。それで、涼子、蘭子先輩のお言葉には従えませんって、はっきり申し上げましたの。そうしたら翌日、今度は部室で和人くんが……」

「和人くんが?」

「ガラベルに行ってもいいし、謎を解いてもいいけど、その答えは絶対にその場で言わないでくれって、そう頼んできたんですの。それで、それで……涼子、蘭子先輩のように高圧的に出られると反抗的な気持ちが湧いてくるんですけど、頭を下げて頼まれたら弱くって……」

「ああ、わかる」

たしかに、涼子にはそんなところがある。Mを自称している割には、圧力に対して反発する習性があるようなのだ。その代わり、下手に出てくる相手には必要以上に譲ってしまうところがある。だから時々、真琴さんは涼子が「ドM」だというのは、嘘なのではないか? と思うこともある。

「それに、和人くん、とってもいい条件を出してきましたの。もし今回、謎の答えをその場で言わないでいてくれたら、今後エピクロス倶楽部に関する事件は、全部涼子に依頼するっていうんですの」

エピクロス倶楽部というのは、蘭子さんが主催しているサークルめいたもので、学生を会員にしていろいろなイベントなどをやっているらしい。それで年間に数百万円の利益もあげているという話だから、真琴さんは羨ましいような、腹立たしいような気持を抱いている。蘭子さんというのは、ただの和風美人ではないのだ。

「でも、事件なんてそんなに起きないだろう?」

「そうでもありませんわ。だって、考えてもみてください。隠された遺産事件に、赤の女消失事件、それにモリアーティ教授の事件と、もう三つも事件が続いたじゃありませんか。これからだって、いろいろな事件が起きると思いますわ。探偵の活躍する余地って、けっこうたくさんあると思うんですの」

「まあ、そうかもしれないけど……」

たしかに涼子の言ったとおり、このところエピクロス倶楽部関係の事件――というほどでもないと真琴さんは思うのだが――が、立て続けに起こったことは否定できない。

「それで、涼子はその提案を受け入れたわけ?」

「そうなんです。謎解きは、明日エピクロス倶楽部でっていうことに……」

「でも、今夜ポルターガイスト現象が起きるっていう保証はないんだろう? それなのに、謎解きは明日って、決められないじゃないか」

「それがですねえ」と、涼子は口元に、もやもやっとした微笑の影を浮かべた。

「涼子がその条件を吞んでくれるのなら、今夜間違いなくポルターガイスト現象が起きるって、和人くんがそう言うんですの。お姉さま、それを聞いてどうお思いになります?」

「どう思うって、決まりきってるじゃないか。そのポルターガイストは、和人くんがトリックを使って起こしてる、インチキ現象だ。だから、蘭子さんは涼子を現場に行かせないようにした。そういうことだろ?」

「さすがですわ、お姉さま」

「バカにするな。だれにでもわかることだよ」

二人が喫茶ガラスのベル――通称ガラベルに着いたのは、九時半くらいだった。ドアに大きな張り紙が貼ってある。右肩上がりの、癖のある、しかし読みやすい文字で、こんなことが書いてあった。

お客様へのお願い。
最近、当店にてポルターガイスト現象が起こるという噂が広まっておりますが、これは毎日起こることではありません。ですので、「せっかく来たけど、ポルターガイスト現象に遭遇できなかったではないか」という苦情を寄せられても、当店では御対応できかねますこと、ご了承ください。それから、この現象は善意のポルターガイストであり、これに遭遇した人には幸運が訪れるという噂も飛び交っているようです。しかし、これも所詮噂にすぎないのでありますから、「ポルターガイストに遭遇したけど、なにも良いことが起こらなかった」という苦情にも、御対応は致しかねます。以上、何卒御諒解頂きたく、お願い申し上げます。

「変なクレーマーがいたのかな。だいぶお店は、迷惑してるみたいだ」

「ですわねえ。和人くん、なにを狙っているんでしょう。お姉さま、見当がつきます?」

「いや、わからない。今回の事件の最大の謎は、動機だね」

「でも、ポルターガイスト現象自体も、どうやって起こしているのか、けっこう難しいです。話を聞いただけでは、まだ五里霧中ですわ」

ドアを開くと、澄んだガラスの音が響いた。見あげると、ドアの上部と天井にフックがあり、その間に細い紐が通してある。その紐にぶら下がっている、朝顔の花の形をしたガラスのベルが、ドアが開閉する度に揺れて音を出す仕組みになっていた。古い店なのに、ほのかなピンク色をしたそのガラスのベルはよく磨かれていて、たいそう清潔な感じがした。その印象は、ざっと店を見渡すと、さらに強くなった。小さいが居心地のよさそうな店だ。

ただ、ずいぶん混んでいた。正面奥のカウンターに四人の客。ほかに四人掛けのテーブルが四つあるが、全部埋まっている。すぐに白シャツにブルーのジーンズ、それに黒のワンピース型のエプロンを着たおばあさんがやってきた。店を経営している老夫婦のうち、奥さんのほうだろう。

「すみません、今、満席なんです。ここでお待ちになります? もうすぐ何人かお帰りになるはずですから、すぐに空きますよ」と、声をかけた。

入口のところに長椅子が一つ置いてある。それに座って待てということらしい。

「ええ、そうします」と、真琴さんが答えた途端、左手奥から和人くんの声が聞こえた。

「あっ、新宮先輩。それに涼子ちゃん。ここすぐに二人空きますから、いっしょにどうです?」

真琴さんたちが寄って行くと、男の子二人が立ち上がって、席を譲ってくれた。その足元にカメラや折りたたんだ三脚のようなものが置いてある。ということは、この二人はオカルト研究会のメンバーで、仕掛けていた機材を撤収するところなのだろう。

和人くんは店の一番奥に、もう一人の男子学生と並んで座っている。和人くんの紹介によると、その人もオカルト研究会の一員で、宗像(むなかた)くんという三年生らしい。

宗像くんは言った。

「結局、三日間なにも起こらなかった。残念だなあ」

「霊だって、あんなに大げさにカメラが仕掛けられてたら、出てきたくないと思いますよ」と、和人くん。

機材を持って席から立とうとする二人組と狭い通路を譲りあいながら、真琴さんが二人の話を聞いていると、突然和人くんの背後にあるドアが開いて、背の高い痩せた老人が出てきた。つまり、それが問題の倉庫のドアだったらしい。

「あっ、マスター。異常なかったですか」と、宗像くん。

「ええ。そちらも忘れ物はありませんか」

「大丈夫です。でも、なにも起こらなかったのは、残念でした。できれば、もう一度日を決めて調べさせていただきたいんですが……」

「そうですねえ」と、マスターは思案顔である。

「私はねえ、あれはポルターガイストなんかじゃないと思うんですよ。ネコでも忍びこんで、暴れてただけじゃないかと……」

「いやいや。あんな高いところからは、ネコは忍び込めませんって。それに、あのときベルも鳴ったでしょう? ネコはベルを鳴らしたりしませんよ」

どうやら宗像くんは実際に、ポルターガイスト現象に遭遇したことがあるらしい。そして、ベルの鳴る音を聞いたらしい。そんなことを思いながら、真琴さんは壁際の席に着いた。和人くんと向かい合う位置だ。涼子が隣の席に滑り込んできた。

「そうだねえ」

マスターは、白髪頭を曖昧に振りながら、カウンターの中へと戻って行った。

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なるほど、涼子の言ったように、テーブルの上には小さなガラスのベルが置いてある。それを振ると、例のおばあさんが注文を取りにきた。真琴さんと涼子は、二人ともモカとチーズケーキを頼んだ。

「お客さんがいっぱいですのね」と、涼子はさっそく笑顔を振りまいている。

「ええ、お陰様で」と、おばあさんの笑顔も自然な感じで可愛らしい。

「こんなことになるんだったら、あの壁を作らなければよかったと思いますよ。ああ、でも、そうしたらポルターなんとかも起きなかったでしょうから、こんなにお客様もおいでにならなかったでしょうし。難しいですねえ」

「あの部屋、もとは客席だったんですの?」

「ええ、客席と、小さな広間のようになっていて……あちらのほうが広いくらいなんですよ。昔はアルバイトの人を雇って、ちゃんとした食事も出して、けっこう手広くやっていたんですけど、だんだんお客さんも少なくなって、それにほら……二人とも齢をとってきましたでしょう? ですからねえ……」

「このお店、できて何年くらいになりますの?」

「もうすぐ四十年になりますかしら」

涼子のお嬢様言葉も相変わらずだが、このおばあさんもかなり品がいい。真琴さんは、口を挟まず、二人の会話を黙って聞いていた。自分のがさつぶりがばれるのが嫌だったのだ。

「この小ぢんまりした感じも素敵ですわ」

「そうおっしゃっていただくと、嬉しいです。どうぞこれからもご贔屓に」

やがて、コーヒーとケーキがきた。どちらもなかなか美味で、真琴さんはけっこう気に入った。コーヒーとケーキを合わせて千円以内に収まるという価格設定にも――この大学はお金持ちの学生が多いので周囲の店はお高いところが多いのだ――非常に好感を抱いた。

ところで、涼子経由で聞いた和人くんの話では、今夜は必ずポルターガイスト現象が起きるはずなのだが、いったいそれはいつ起きるのだろう。

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オカルト研究会の宗像くんは、和人くん相手に熱弁を振るっている。

「……ポルターガイストというのは、騒がしい幽霊っていう意味でね、これはドイツ語だから、そもそも日本とは無縁だっていう人もいるんだけどさ、それは全く間違いなんだ。というのも、日本でも昔から家鳴(やなり)という現象が知られている。これは箪笥や棚がわけもなく揺れ出して音を立てるというものでさ、ポルターガイストと実質的には同じなわけ。その正体は、小さな鬼が悪戯をしているというんだな。でも、君はミス研の人だから、きっとトリックだと決めつけるんだろうね」

「いやあ」と、和人くんは例のヘラヘラ笑い――この子はいつもニコニコヘラヘラしているのが特徴である――を見せながら、

「ミス研の部員だからこそ、軽々しくトリックだなんてことは言いませんよ。だって、このポルターガイスト現象をトリックでやるとしたら、密室殺人のバリエーションの一つになるわけです。もちろん殺人は起きていませんけどね。ただ、鍵のかかった出入りのできない部屋の中で、明らかに不自然な物音がする。開けて中を覗いてみたら、死体はないけど、物が散らばっている。ね? 同じことでしょう? でも密室殺人なんて小説の中だけのことで、現実にはほとんどあり得ないわけですよ」

「じゃあ、君も心霊現象だと認めるわけだね」

「いや、一足飛びに心霊現象だとは言えませんけど、不思議な現象だということだけはたしかです」

なにを言っていやがる、お前がやらかしていることじゃないか――真琴さんはそんなことを思ったが、もちろん黙っている。和人くんはニコニコしながら(腹の立つ奴だ)ちらりとこちらを見ると、また宗像くんに向かって――

「でも、善意のポルターガイストっていうのは、どういう意味です? つまり、祟りなんかはない、悪戯をするだけってことですか?」

「それだけじゃなく、遭遇した者に幸運をもたらす可能性もあるね。座敷童(ざしきわらし)って知ってるだろう? あれと同じさ。霊が全部邪悪なものだとはかぎらないんだ。ぼくとしては、このポルターガイストは、そうした座敷童的なものじゃないかと思うんだ。なぜって、あのあと試験のヤマが、びっくりするくらい当たりまくったんだよ」

バカバカしい――と、真琴さんは思わず失笑しそうになったが、それをぐっとこらえて、涼子の様子をうかがってみた。どんな顔をして二人の会話を聞いているかと思ったからだが、感心したことに涼子は、ごく真剣な表情で宗像くんの与太話に聞き入っているのだった。目の前であんな顔をして聞いてくれる美少女がいれば、話にもさぞ身が入ることだろう。

「なるほど。そう言えば、ぼくもポルターガイストに遭遇したあとの試験は、全部うまくいった感じがします……ねえ、占い研究会としては、どう考えてるんです?」

和人くんは、通路を挟んで隣り合っているテーブルにも声をかけた。そこには、四人組の女子学生が腰かけていた。

そのうちの三人が、残りの一人の顔をじっと見た。

「福重(ふくしげ)さん、どう?」

「なにか感じる?」

上下ともに真っ黒な服を着て、とりわけ美人というわけではないが、一重瞼の切れ長の目がちょっと神秘的な感じのする女の子が、口を開いた。

「特に邪悪なものは感じません。ただ、特に善なるものの気配もありません」

ま、そうだろうな――と、真琴さんは心の中でひとりごちた。

12

壁の向こうからガラスのベルの鳴る音がしたのは、ちょうどそのときだった。

テーブルの上に置いてある小さなベルの音ではない。入口のドアに仕掛けられていたのと同じ、大きなベルの音だ。しかもそれは、明らかに入口のほうではなく、壁の向こうから――倉庫の中から聞こえてきたのだった。

真琴さんは、少し驚いた。犯人が和人くんであるからには、ポルターガイスト現象が起きるときには、和人くんがなんらかの行動――たとえばトイレに立つとか――をすると思いこんでいたからだ。しかし和人くんはずっと、真琴さんの目の前に腰かけてニコニコ――ではなくヘラヘラしていた。とすると、共犯者がいるのか?

ベルの音は三度、四度と、大きく鳴り響き、それからガラスが床に落ちるような音が続いた。それからは、もうベルの音は聞こえなかった。

「だれかが、放り投げたんだ」と、和人くん。

その直後に、ガタッ、ガタッと、なにか大きなものが倒れる音。続いてごく微かな、ゴーっという気味の悪い音が響き出した。そのころには、厨房にいたらしいマスターが、和人くんの背後――倉庫のドアのところまでやってきた。奥さんも、そのそばで心配そうな顔をしている。

マスターは、鍵を片手に持っている。その手が震えている。腹立たしそうな声で呟く。

「まただ……いったい、どうなってるんだ……」

今度はなにか小さなものが、立て続けに倒れる音がした。

ドアが開いた。宗像くんが真っ先に飛び込んでいったが、すぐに――

「マスター。明りを……明りをつけてください」

続いて入ったマスターが、電灯のスイッチを入れたらしい。蛍光灯が二三度、明滅して、ぼんやりとした明りが灯った。そのころには、真琴さんと涼子も倉庫の中に入っていた。当然、暖房は入っておらず、冷気が満ちている。少し遅れて和人くん、占い研究会の女の子たち、そして他の客たちも、倉庫の中へと足を踏み入れた。

13

みんながいっせいに、ガヤガヤと話し始めた。

「これはひどい」

「ベルは割れてないよ」

「テーブルの位置がこんなにずれてる。これ、かなり重いぞ」

「こんなところに、ボウリングの球が落ちてるわ」

「そこ、グラスが割れているから気をつけて」

倉庫の中は、ひどく散らかっていた。片隅に寄せてあったと思われる大きなテーブルが、ほぼ中央まで動かされていて、その上に置かれていたらしいグラスや皿が床に散乱している。入口から見て右手の壁には長机があり、その下にも小さな人形やけん玉、砂時計、いくつものミニカーといった、以前は店を飾っていたらしい小物が散らばっていた。何冊かの本も落ちていた。

左手の壁の中央、その上のほうに、フックが一つ付いている。さっき音を立てたガラスのベルは、どうやらそこに掛かっていたらしい。

「ああ、また片づけなくては」と小声で呟いたのは、マスターか。

14

「さ、お姉さま?」

涼子は、真琴さんの手をとると、機敏に行動した。まずは、今自分たちがそこから入ってきた客席へとつながるドアとは反対の、奥にあるもう一つのドアに向かう。

「内側から、鍵がかかっていますわね」

涼子は、背伸びをして真琴さんの耳にそっと囁いた。それから長机の側に寄って、しばらくじっと見つめていたが――

「お姉さま、ほら、この机少しだけ傾いています。あのとき、ゴーッとなにかものが転がるような音が聞こえたでしょう? あれはきっと、このボウリングの球が、この机の上を転がっていった音だったんです。そして、机の上にあった砂時計やなにかをはじき飛ばしていったんですわ」

次にぐるりと辺りを見回すと、入り口から見て右手の壁の上にある、小さな四角い窓のようなものを見つけ出した。ただし、ガラスははまっていない。

「なにかが出入りするとしたら、あそこしかありませんわ」

だが、それはいかにも小さな窓だった。それにしても、どうしてあんなところに開いているのか。

「ああ、それは昔、換気扇のあった穴なんだってさ」と、宗像くんが教えてくれた。

「ぼくもちょっと調べてみたけど、生身の人間があそこから出入りするのは絶対に無理。子どもでも不可能だよ。それに、近くに木もなにもないから、猫や犬も入れない。唯一、可能性があるのは鳥だけどさ……でも、ほら、見てごらん。今はこの部屋のどこにも、なんにもいないだろ? だからやっぱり霊の仕業なんだよ」

「本当に不思議ですわ」と、涼子は如才なく微笑んで、しかしその言葉をそのまま信用はせず、いったん店の外に出て、様子を見に行った。もちろん真琴さんもついていったが、宗像くんの言葉は全部本当だった。あの穴から、なにか生き物が出入りしたとは思えない。

真琴さんと涼子は、もう一度倉庫の中へと戻った。占い研究会の福重さんが、高らかに宣言する声が聞こえた。

「邪悪な気配は、少しも感じません。かえって、微かですが温かな好意的なものを感じます。本当にごく微かですけど……それに、なんだか愉快な、おかしな感じ……もし霊がここにいるとしても、悪い霊ではないと思います。悪戯な、子どものような性格の霊です」

そりゃあ、正体は和人くんだからな――と、真琴さんは思ったが、トリックはわからない。和人くんは、ずっと真琴さんの目の前にいた。共犯者の気配もない。いたとしても、この倉庫の中に入ることはできない。いったい、どうやったのか。

15

耳元で涼子の声がした。

「あら?」

「ん? どうした?」

「あらあらあら?」

「だから、どうした?」

「お姉さま、これ……」

涼子が、不意にしゃがみこんで、床からなにか拾い上げた。例の壁に空いた穴のちょうど真下あたりだった。

「ほら、ご覧になって」

「なんだ?」

なにか黄色っぽい、ぐにゃぐにゃしたものが、てのひらの上にある。

「切れた輪ゴムです。まだいくつも、同じものが落ちてます。これでたぶん、謎が解けましたわ」

涼子につられて、真琴さんも囁き声になる。

「本当か」

「ただ、まだ不自然なことが……」

涼子はじっと例の窓――というより穴というべきか――を見つめている。真琴さんもいっしょになって見つめてみたが、別に変わったこともなさそうだ。ただの埃っぽい、四角形の穴だ。

「ちょっと、たしかめてみますね」

涼子は近くにあった椅子を踏み台にして、その穴へと片手を伸ばした。宗像くんが、また近くまで来ていた。

「どう? その大きさじゃ、絶対に人間は出入りできないだろ?」

「本当にその通りですわ、宗像先輩。人間は絶対に出入りできません」

涼子は、穴の縁を右手の指先でそっと撫でながら答えた。

「でも……」

「でも?」

「いいえ、なんでもありませんわ」

16

帰り道。真琴さんのクルマの中での会話。

「涼子、あの場で謎解きをしたくってたまりませんでしたわ。誘惑を退けるの、本当に大変でした」

「ということは、全部わかったってこと?」

「ええ。犯人も手段も動機も、全部わかったつもりです」

「聞かせてくれないか」

「それが、その……」

「ん? どうした?」

「実は涼子、最近、もっと名探偵っぽくありたいっていう、不遜な望みを抱いていますの」

「なんだ? 名探偵っぽくありたいって」

「ほら、名探偵って、すごくもったいぶるじゃありませんか。ポアロでもホームズでも……そして、最後のとってもいい場面で、謎解きを始めるんですわ。涼子も、それを見習いたいと思いますの」

「だから、それは明日、エピクロス倶楽部でやればいいじゃないか。その前に、私にだけこっそり教えてくれてもいいだろ?」

「じゃあ、ヒントだけお教えしますわ。お姉さまも、涼子と同じものを見て、同じものを聞いたんですから、きっとおわかりになるはず……」

「まるでヘイスティングスに説教するポアロみたいな口をきくじゃないか。生意気だぞ」

「第一のヒントは……」

涼子は、真琴さんの抗議には一向に取り合う気配がない。いい気になって――と、真琴さんは少しむかっ腹を立てたが、とりあえず許してやることにした。涼子の言うヒントとやらを聞いてみたかったのだ。

17

「お姉さまが涼子にしてくださった拘束。この拘束のおかげで、今夜の涼子は、とってもよく頭が働きましたの」

「それ、ヒントなのか」

「ヒントなんです。そして、第二のヒントは、あの切れた輪ゴムですわ」

「うん。あれは私も気になった。でも、意味がわからない」

「そして、第三のヒントは、涼子のこの指です」

「指?」

しばらく走って、信号待ちになったところで、涼子は真琴さんの目の前に小さな右のてのひらを出して見せた。ほっそりと白い指が、真琴さんの目の前で花のように開く。

「きれいな指。噛んであげたい」

「お姉さまったら、もっと真剣に考えてください」

「どうしてそれがヒントになるのか、ちっともわからない」

「聞きたいですか、お姉さま」

「さっきから、そう言ってるじゃないか」

信号が青になり、涼子はてのひらを引っ込めた。クルマが再び走り出す。

「お姉さま、それなら……」

涼子はそこで間を置いた。どうやら、一生懸命もったいぶってみせているらしい。

「今夜も涼子の部屋に泊まってくださいません?」

「いや、今夜は自分の部屋に帰るよ。言っただろう? 涼子の部屋にいると、自堕落になっちゃうって」

「お姉さまは、もう少し自堕落におなりになってもかまわないと思います。そして、涼子はもっともっと、お姉さまのお世話をしたいんですの。それに……もし泊まっていただけたら、涼子、謎解きをすっかりお聞かせいたしますわ」

「そうやって条件をつけるなんて、本当に生意気」

「ええ、ですから謎解きをお聞きになったあとは、涼子を厳しく叱ってくださってもかまいませんの。ね? お姉さま、お願い!」

「まあ、そこまで言うなら、泊まってあげてもいいけど。それに謎解きって言っても、間違ってるかもしれないしね。明日エピクロス俱楽部で涼子が恥をかいたらいけないから、今夜、私が推理に見落としがないかどうか、チェックしてあげる」

「ありがとうございます、お姉さま」

18

二人は今、ベッドの中でふんわりと抱き合っている。

少しきつく縛りすぎたのだろうか。赤いロープを解いてやったあとの涼子の肌には、くっきりと痕が残っていて、少し痛々しかった。

「こんなになって、可哀そう。今度は縛るときは、もう少しゆるくしなくちゃね」

「そんな。涼子、もっときつくても平気です」

「ダメだよ。きつく縛りすぎて、涼子の肌が荒れたりしたらいけないもの」

「お姉さまって、本当にお優しいですわ」

「……で、謎解きはまだ?」

「犯人は、和人くん」

「それはわかってる」

「……と、それにもう一人。ガラベルのマスターです」

「そうなのか? で、方法は? どうやったんだ?」

「ロープですわ。というより、もっと細い紐のようなものでしょうけど。涼子、今夜はお姉さまに、縄化粧をしていただいたので……」

「縄化粧って言うな。なんだか、いやらしい」

「ごめんなさい。とにかく、お姉さまにロープで縛っていただいてたので、すぐにピンと来たんです。ほら、あたしとお姉さまがお店に入ったとき、マスターは倉庫の中にいたでしょう? たぶん、カメラなんかの機材を撤去したあとの点検っていう名目だったと思いますけど……とにかく一人で倉庫の中にいた。そのとき、テーブルの上に椅子やなんかをいろいろ乗せて、それから隠し持っていた紐をテーブルの脚に繋いだんですわ。紐は、全部で三本あったと思うんです。もう一本は、あのガラスのベルの取っ手に通して、フックに引っかけておきます。最後の一本は、ボウリングの球を転がす仕掛けに使ったんです。ほら、あの長机、少し傾いていたでしょう? その高い方にボウリングの球を置いて、本かなにかで動かないようにしておく。そして、その本に紐を結びつけるわけです」

「それで、その三本の紐を、あの壁の穴から外に出しておくわけか」

「その通りです、お姉さま。そして、いったん店の中に戻って和人くんたちと話をする。そのあとは、カウンターから厨房、そして、厨房のドアから外に出て、穴から出した紐をそっと引っ張って、厨房の中にまで引きこんでいくんです。ほら、一度外に出てみたとき、厨房から外に出るドアがあったでしょう?」

「気づかなかった」

「でも、涼子は気づいていたんです」

「偉そうに! まあいいや。それから?」

「それから、時期を見計らって紐を引けば、ガラスのベルは鳴るし、テーブルは動いて椅子は落ちるし、ボウリングの球は机の上の小物をはじき飛ばしながら転がっていくわけです」

「いや、でもおかしいぞ。音のしているあいだに、マスターはもう私たちの側まで出てきていたじゃないか。あのとき、紐なんか持っていなかった」

「さすが、お姉さま。記憶力抜群ですわ」

「お世辞は要らないから、説明しなさい」

「そのためのボウリングの球なんです。ボウリングの球を押さえていた本を、紐を使って外すとしますね。でも、机の傾斜はゆるやかだから、すぐには動き出しません。最初は、ゆっくりゆっくり動いていくわけです。そのあいだにマスターは、さっと厨房を飛び出して、私たちのところまでやってきたんですわ。そして、どうなってるんだ……なんて言って、驚いてみせたわけです」

「なるほど」

「ですから紐を引っ張る順番は、まずはガラスのベルを鳴らす紐、次にテーブルをずらす紐、最後にボウリングの球を固定していた本を外すための紐。この順番だったはずです。たぶん、色違いの紐を使って、間違えないようにしたんだと思いますわ。涼子、自分だったら絶対にそうします」

19

「いや……でも……」

真琴さんは、今涼子の言ったことが、実際に可能かどうかを頭の中で想像してみた。現実には、まだ難しい問題が残っているように思われた。

「そんなに都合よく外れる結び方ができるかな。たとえば、机の脚に紐を結びつけたとして、厨房から紐を引っ張ると、ずるずるとテーブルが動く。それはいいよ。でも、都合よく外れて紐だけが戻ってくるような結び方なんて、できるのか」

「そこで、二つ目のヒント。切れた輪ゴムですわ。直接紐で結んだんじゃないんです。紐と、それに結びつける物との間に、輪ゴムを使ったんです。そうしたら、どこかで必ず輪ゴムが切れて外れますもの」

「ああ、だから、あの穴の下に輪ゴムの切れ端が落ちていたのか。でも……あんな大きなテーブルを動かせるのかな。すぐに切れるんじゃ……」

「それは、輪ゴムの本数を調節すればいいんです。ベルを鳴らす紐だと輪ゴムは一つ、でもテーブルを動かす紐には五つくらいまとめて使えば、調節できますわ。」

「なるほど……それで、三つ目のヒントが涼子の指って、どういう意味だ?」

「この推理を考えついたとき、一つだけ大きな矛盾点があったんです。それは、あの穴が埃を被っていたということですわ。もし、あの穴から紐を使って物を動かした、その音がポルターガイスト現象の正体だったとしたら、あの穴には紐で擦れた痕が残っているはずです。でも、見た目はあの通り、どこもうっすらと埃を被っていて、もう何年もだれも触ったことがないようでした」

「たしかに。ということは……どうなる?」

「それで、涼子。椅子を踏み台にして、自分の指で触ってみたんです。あのとき自分で触るだけにして、お姉さまにも触っていただかなかったのは、涼子のズルでしたわ。ごめんなさい。もしお姉さまも触ってみたら、きっと気づかれたことだろうと思います。でも、あのとき近くに宗像先輩がいらっしゃいましたし……」

「それで、触ってみて、どうだったんだ?」

「埃なんか少しもなかったんです。埃のように見えたのは、絵具で色を塗ってあったからなんですわ。だから、クルマの中でお姉さまにお見せしたとき、涼子の指、ちっとも汚れていなかったでしょう?」

「そういうことか。で、その絵の具を塗ったのは……」

「和人くんです」

「だね」

真琴さんは、しばらく考えこんだ。なるほど、犯人は和人くんとマスターの二人。手段は紐を使った遠隔操作。推理の傷はどこにもないようだ。残った問題は、一つだけである。

20

「それで、動機は? どうしてマスターまでいっしょになって、ポルターガイスト騒ぎをでっちあげてるんだ?」

「客寄せですわ」

「客寄せ?」

「ほら、おばあさんのお話では、以前は手広くやっていたのに、だんだん寂れて、ホールもつぶして倉庫にしてしまったって、おっしゃってたでしょう? でも、今夜はとっても混んでいて、繁盛していたじゃありませんか。ポルターガイスト現象が、お客さんを引き寄せているんです。それから、あの張り紙……あれはポルターガイスト騒ぎで迷惑していますっていう意味にも読めますけれど、少し見方を変えれば、この店にはポルターガイスト現象が起こるんですよ、それも、お客様に幸運をもたらす善意のポルターガイスト現象なんですよって……そういう宣伝にもなってるじゃありませんか」

「そうか」

「涼子、今回のポルターガイスト騒ぎで、お店の人が迷惑をしているって思い込んでいましたの。でも、よく考えてみると、この騒ぎであのお店が一番得をしているんですわ。たぶん、潰れかけていたけど、息を吹き返したっていうところでしょう」

「なるほど。筋は通ってる。きっとそれが正解だな。そして、和人くんはその店の売り上げ回復に協力していたってわけか。だから、涼子に謎を解かれると困るって言ったわけだ。だとすると、あの店とエピクロス倶楽部は、提携でもしてるってことかな」

「涼子もそう思います。蘭子先輩、経営コンサルティングもやってみたいっておっしゃっていましたから、その一環なのかもしれません」

「ずいぶん無茶なコンサルティングだね」

「和人くんが一枚噛めば、そういう具合になりますわ」

「たしかに」と、真琴さんはうなずいた。

21

「でも、まだ一つだけ疑問が残ってる」

「なんです?」

「オカルト研究会の宗像くんは、きっちりだまされていたと思うんだけど……」

「涼子も同感です」

「でも、占い研究会の福重さんは、どうだったんだろう? 今から思えば、なんだか和人くんに都合のいいことばかり言っていたみたいだけど……ほら、邪悪なものは感じませんとか、温かな好意を感じますとか……」

「そればっかりは、涼子にもわかりませんわ。グルなのか、偶然なのか……明日、エピクロス俱楽部で和人くんに聞いてみます」

「それよりも本人に聞いてみるというのは、どうだろう」

「え?」

「だって、あの子、ちょっと魅力的だったし……それに、これは私のただの勘だけど、あの子もMのような気がする」

「まあ、お姉さまったら!」

涼子が力をこめて抱きついてきた。

「お姉さまのMは、この涼子だけですわ」

「そう?」

「そうですわ」

「じゃあ、それをご奉仕で証明しなくちゃ」

「もちろんです」

真琴さんはなんだか、これからますます自分が自堕落になっていきそうな予感がした。

◆おまけ 一言後書き◆
今回、またちょっと長くなってしまいました。最後までお読みくださった方、ありがとうございます。次回、秋月涼子は推理をしないかもしれません。代わりに人生の謎にチャレンジするかもしれません。(ただし、まだ決定ではありません。)

2021年4月16日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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