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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第32話 首を斬られた女神像の事件――どえむ探偵秋月涼子のおねだり

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第32回目は「首を斬られた女神像の事件」。「どえむ探偵涼子」との待ち合わせに遅れてしまったSのお姉様・真琴さん。到着した真琴さんの目に飛び込んできたのは“緊縛用”の赤いロープを手にした涼子と同級生の男子生徒で……⁉︎

一言前書き

前回の後書きで「次回、秋月涼子は推理をしないかもしれません」と書きましたが、その「推理をしない話」は、別の機会に回すことにしました。というわけで、今回も涼子の推理が的中(?)する話です。

二月中旬のある日のこと。聖風学園文化大学三年生、新宮真琴さんが、純喫茶「ガラスのベル」――通称ガラベル――に辿り着いたのは、約束の時間である午後四時を二十分も過ぎたころだった。古本屋巡りをしているうち、ついつい時間をとられてしまったのだ。

ガラベルの扉を開けて、店内を見回す。そして涼子を見つけ出したとき、真琴さんは少しびっくりした。涼子は一番奥の隅の席に、美術部の二年生、前原君と向かい合って腰かけている。

涼子が前原くんと一緒にいたから驚いた、というわけではない。前原くんに出くわしたという話は、あらかじめメールで知らされていたのだ。真琴さんがぎょっとしたのは、涼子が一メートルほどの長さに切った真っ赤なロープを手に取って、前原くんの目の前に差し出し、なにかさかんに話しかけていたからである。

まさか、SMの話をしているのでは――

秋月涼子は、真琴さんと同じ聖風学園文化大学の学生で、学年は一つ下の二年生。サークルも同じミステリー研究会に所属している。真琴さんのことを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い後輩――というだけでなく、真琴さんの(今のところ)唯一の性的パートナーであり、さらにはSM遊びのお相手まで務めてくれる、大切なM奴隷でもある。

その涼子はつい先日、ネット通販で緊縛用の真っ赤なロープを購入し、「勝手なことをして」と真琴さんから叱られたばかり。どうやらそのロープを持ち出して、前原くんに見せびらかしているらしい。バカ? バカなのか?

だが、二人の席に近づいていくうち、真琴さんの心配はかなり軽減された。

「……老人……結び目……」「ABCショップ……」

そんな単語を口にする涼子の声が、切れ切れに聞こえてきたからである。

「涼子、お待たせ」

そう言って、涼子の隣の席にドスンと腰を下ろす。お上品なお金持ちの子女が多く通うこの聖風学園の中で、庶民の娘である真琴さんは少し異質な存在である。授業料全額免除の特待生として入学してきたので成績は文句なく優秀、美貌も自他ともに認めるところではあるが、立ち居振る舞いは、あまり誉められたものではない。一口に言ってしまえば、少々行儀が悪いのだ。しかも長身なので、それが悪目立ちするところがある。しかし、ドMを自称する涼子にとっては、そんなところも魅力的に映るらしい。

涼子自身は真琴さんとは打って変わって、この地方有数の資産家、秋月家の箱入り娘である。それだけに、言葉遣いもおそろしく丁寧だ。

「あら、お姉さま。ごきげんよう」

真琴さんはモカを頼み、それから涼子に向かって――

「どうした? 変な紐なんか持ち出して。隅の老人を気取ってるのか」

「さすがですわ、お姉さま。どうしておわかりになりましたの?」

「だって、お前に『隅の老人の事件簿』を貸してやったのは、私じゃないか。それに、わざわざこんな隅っこの席に腰かけてるし、紐には変な結び目をこしらえてるし……」

「隅の老人」というのは、コナン・ドイルとほぼ同時代のイギリスの女性作家、バロネス・オルツィの創り出した姓名不詳の、謎めいた探偵である。いつもABCショップの片隅の席にいて、手にした紐に結び目を作ってはほどきながら、若い女性新聞記者ポリー・バートンを相手に難事件を次々に解決してみせる。いわば安楽椅子探偵のはしりとでもいったところか。

「隅の老人の作る結び目は、紐を引っ張るだけですらすらと解けるんだぞ。そんな結び方、涼子にできる?」

「ほら、ご覧になって」

涼子はロープでくるりと輪を作ると、その中に片方の手首を入れてこねくり回しながら、結び目を一つ作った。そうしておいて、次にその両端を引っ張ると、結び目はすぐにほどけてしまった。

「すごいな」

「たった今、前原くんに教えていただきましたの。引き解け結びっていうんですって」

「前原くんって、物知りなんだ」

「いいえ、たまたま知っていただけです」

生真面目な顔で、片手を小さく横に振って見せる。前原拓海くんは美術部に属する二年生。「赤の女」消失事件では驚きの女装姿を披露していたが、今日は普段通り男の子の格好をしている。(『「赤の女」消失事件――どえむ探偵秋月涼子の涙』をご参照ください。)

真琴さんがモカをすすっている間、涼子は前原くんに「隅の老人」の説明をしていた。といっても、真琴さんを放り出して話に夢中になっているわけではない。合間合間に真琴さんの顔を上目遣いでちらりと見つめ、ときには唇の端に微笑を浮かべたりする。「お姉さまのこと、決して忘れてはいませんよ」と、アピールしているつもりなのか。可愛い。

やがて話が一段落すると、ふうっと一つため息をついて――

「ですから涼子、アームチェア・ディテクティブにも憧れますの」

英文科だけあって――それに高校時代は、夏休みの度にアメリカにホームステイしていたらしい――「アームチェア・ディテクティブ」の発音が素晴らしい。

「気取っちゃって。安楽椅子探偵って、ちゃんと日本語で言いなさい」

「ごめんなさい、お姉さま」

意地悪なことを言われたのに、涼子はうっとりとした顔で上半身を傾け、真琴さんに身を寄せてくる。そして――

「ねえ、お姉さま。なにか、とっておきの謎ってありませんの? 涼子がこの紐に結び目を作りながら、すらすら解いてさしあげますわ。涼子、今日は、隅の美少女探偵になってみたい気分です!」

「隅の美少女探偵ねえ。どうしてそんなに己惚れられるのかが、謎と言えば謎かな。自分で自分のことを美少女って言ったり、どんな謎でもすぐに解けるって言ったり……」

「お姉さまったら、意地悪ばかりおっしゃって。美少女っていうのは、笑っていただくところですわ。でも……でも……謎があれば、きっと解けると思います。だって涼子、卒業したらすぐに探偵事務所の所長として……」

そうなのだ。涼子は大学を卒業したら、私立探偵になると宣言している。ミス研に入ったのも、その修業のためだというのだ。しかも、ただの探偵ではない。SM行為をすると途端に推理力の跳ね上がる、世界初のドM探偵として活躍するというのである。バカなのか? バカなのだろう。

もっとも、ただのバカだとも言い切れない。涼子が時に明敏な推理力を発揮するというのは、否定できない事実ではある。

「はい、黙って」

真琴さんは、片手をひょいと伸ばし、てのひらで涼子の口をそっとふさいでやった。一見乱暴なようだが、実は涼子はそうされるのが嫌いではないらしいことを、真琴さんは既に知っている。

「あんまり自慢すると、前原くんに笑われるよ」

「その謎なら、ぼくが提供できるかもしれません」

それまで黙っていた前原くんが、ふいにそんなことを言いだした。

「ずっと不思議だと思っていたことがあるんです。ただ、秋月さんに本当に解けるのかなあ」

「きっと解いてみせますわ。ぜひ聞かせてください。どんな謎ですの?」

「ええっと。どこから話せばいいのか……」

前原くんは思案顔である。そこで、真琴さんが助け舟を出してやった。こみいった話を簡潔にまとめるというのは、真琴さんの得意とするところなのである。

「話がうまくまとまらないときには、まずはタイトルをつけてみるといいよ。そうすると、自分がなにを話したいのか、はっきりするから」

「タイトルですか……そうですねえ。『首を斬られた女神像』っていうのは、どうでしょう」

「まあ、とっても面白そう!」と、涼子。

「で、次は何を話せばいいんです?」と前原くん。

「主な登場人物の紹介かな。それから、そのときの状況」

「主な登場人物ですか。まずは、ぼくと、それから一年生の内田くん。それから、三年生の高松先輩。三人とも美術部です。ほかにも何人か出てきますけど、脇役っていったところですかね」

「その内田くんって、どんな方ですの?」

「一言で言えば、大人しい感じの子」

「じゃあ、内気な内田くんって、覚えましょう。それから、高松先輩というのは?」

「対照的に、押しの強い人かな。自信家っていうのか……」

「じゃあ、『高』つながりで、プライドの高い高松先輩。とっても覚えやすいですわ」

前原くんは「ハハ……」と、笑い声をたてて

「ええっと、次は状況の説明か。今年の夏休みの話なんだ」

言葉遣いが敬語でなくなったのは、このあたりから涼子に向かって話す格好になったからである。前原くんと涼子は、どちらも二年生。同学年だし、自治会の活動を通じて以前からの知り合いだから、話しやすいのだろう。

「ぼくたち美術部の有志で、短い旅行をしたんだよね。旅行っていっても、遠くに行くわけじゃなくて……ほら、K海水浴場があるだろう? あそこのホテルに泊まったんだ」

K海水浴場というのは、聖風学園から五、六キロ離れたところにある、小さな海水浴場である。そこに瀟洒なホテルが建っているのは、真琴さんも知っていた。

「あのホテルって、高松先輩の実家が経営してるんだよ。そのコネで、美術部員は安く泊まれるんだ。それでまあ、八月の初めに、三泊四日の合宿みたいなことをやろうという話になったわけ。参加者は男女合わせて十人くらい。事件は、その三日目に起こったんだけど、ここで重要なのが……」

「なんでしょう?」と、涼子がわずかに身を乗り出す。

「ここで重要なのが、内田くんだけは、みんなとは別行動をとっていたということなんだ。というのは、そのとき内田くんは、粘土で等身大の女神像を作っていたんだ。最終的には石膏像にする予定だったけど、その原型を粘土で制作していたわけ。それには広い場所が要るだろ? それで高松先輩のアトリエを借りて、そこに寝泊まりしていたんだよ。彼は、そのアトリエから、ホテルに通っていたんだ」

「ホテルと、そのアトリエの距離は?」

「クルマで十分くらい。でも、内田くんはクルマを持っていなかったから、高松先輩やぼくが送り迎えしてあげてたんだ」

「うちの大学の男子でクルマを持っていないって、珍しいな」と、真琴さん。

「ああ、内田くんの家は、その……経済的にそんなに豊かでなくて……彼も新宮先輩と同じで、特待生なんです」

「急に親近感が湧いてきた」

「それで……首を斬られたっていうのは、その内田くんが作っていた女神像ですの?」

「そう。ああ、それからもう一つ、話のポイントが……そのとき内田くんの携帯は壊れていたんだ。そのせいで、高松先輩と内田くんの連絡をつけるのが、なかなか難しくてね。ぼくが二人の伝令役みたいになって、何度もアトリエとホテルをクルマで往復したのを覚えてる……うん、状況は、だいたいそんなところかな」

「では、その女神像の首か斬られたっていうお話を、そろそろうかがいたいですわ」

そのあとの前原くんの話は、だいたい次のような内容だった。

その日は、よく晴れていた。ホテルのほうでは、高松先輩を中心にした男女数人のメンバーが、浜辺で海水浴やスイカ割りに興じていた。が、前原くんは、内田くんから買い出しの手伝いを頼まれていたので、クルマでアトリエに向かった。

高松先輩は自他ともに認める美術部の中心人物で、内田くんはその秘蔵っ子のような存在。女神像制作のためにアトリエを貸したのも、高松先輩が内田くんの才能を高く買っていたからにほかならない。

だが、前原くんの目から見ると、この二人のあいだには、そのころ微妙な緊張関係が漂っているようだった。原因は、高松先輩の好意が厚すぎるということにあった。いやな言い方をすると、おせっかいがすぎるというのか――要するに、内田くんの作っている女神像に、高松先輩が口を出しすぎるのである。こうしたほうがいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないか――と、悪意はないのだが、傍で見ていても少し助言が多すぎるようだった。といって、内田くんにとっては、それを拒むことは難しい。アトリエを貸してもらえなくなったら制作自体ができないし、そもそも材料費も、幾分かは高松先輩に負担してもらっていたのだ。

さらに困ったことがある。高松先輩の助言が実に的を射ている、ということだ。内田くん自身もそれを認めていた。そして、その的を射ているということが、内田くんをいっそう憂鬱にさせてしまったのである。

「たしかに先輩の言ったとおりにしたほうが、作品はよくなるんです。それはぼくも認めます。でも、あれはもう、なんだかぼくの作品じゃないって気がするんですよ」

内田くんは、密かにそういった愚痴を前原くんにこぼすこともあった。そして、そんな内田くんの心中を読みとったのか、高松先輩の態度も少しピリピリしたものになっていたのである。

前原くんがアトリエに着いたのは、ちょうど午後二時くらい。女神像は、ほぼ完成していた。明日には軽トラに積み込んで、大学まで運んでいくことになっている。部内発表会に出品するためだ。夏休み中に発表会というのは妙なようだが、それが美術部の伝統なのである。そこで評価が高かったら――高いに決まっているが――そのあとは型をとって石膏像にし、大学祭で展示される予定である。

前原くんは、内田くんと一緒にしばらくのあいだ女神像を眺めた。古代ギリシア風だが、表情に一種の怒りのようなものを秘めているのが面白い。

「いい出来だね」

「ありがとうございます。いろいろあったけど、ぼくも今は吹っ切れた感じです」

内田くんも一時期よりは少し明るい調子で、そう答えた。

アトリエを出るとき、内田くんは大きなスポーツバッグを提げていた。仕上げに必要な道具と、それから今夜、アトリエに全員が集まって打ち上げをする予定なので、飲み物などを買わなければならないという。

出がけに前原くんは、トイレを借用した。そのときエアコンがつけっぱなしになっていることと、窓の一つに鍵がかかっていないことに気づいた。もうドアを開いて外に出ている内田くんに呼びかける。

「エアコンが、つけっ放しになってるけど」

「そのままにしておいてください。いったん熱がこもると、なかなか冷えないんです。つけっ放しのほうがかえって電気代が安いって、高松先輩も言ってました」

前原くんは窓の鍵をかけ、エアコンはそのままにして外に出た。ドアの鍵は内田くんがかけた。

買い出しは、一時間以上かかった。店を三軒も回ったのである。内田くんのスポーツバッグはパンパンに膨らみ、それでも入りきれない飲み物や菓子は、スーパーのビニール袋に詰めた。アトリエに戻ったのは、午後三時半くらい。まずは二人でキッチンに行き、大きな冷蔵庫に飲み物を運び入れる。内田くんはバッグに入っていたペットボトルを全部取り出すと、「残りはあっちの棚に……」と言って、女神像の置いてある部屋のほうに向かった。前原くんはキッチンに一人残り、飲み物を冷蔵庫に詰めこみ続けた。

それから一分ほどの時間も過ぎなかっただろう。なんだか妙な気配がしたので振り返ってみると、内田くんが固い表情で突っ立っていた。

「ん? どうした?」

「来てください。こっち……」

そう言うと、内田くんはくるりと背を向けて、歩き出した。女神像のある部屋の入口から、中をのぞく。

すぐ目の前に、椅子が置いてあった。さっき見たときは、部屋の片隅に寄せてあったはずだ。それが、入り口を塞ぐような位置に移動している。その椅子の上に、女神像の首が載っていた。日本刀で袈裟懸けに斬ったように、斬り口が右上から左下に斜めになっている。そのせいで首はかなり傾いでいた。鼻と耳が潰れて、顔全体が気味悪く歪んでいる。床には片方の腕が、ゴロリ……といった感じで無造作に転がしてある。

部屋の右奥にベッドがある。そのベッドの下から、女神の二本の足が突き出ていた。

内田くんはじっと黙っている。ただ、荒い呼吸の音が聞こえた。そのリズムがだんだん早くなっていく。細切れになっていく。

「おい、大丈夫か」

内田くんはそれには答えず――

「……松……ん輩を……」

「ん?」

「高松先輩を、呼んできてください。早く……今、海岸にいるはずです」

「わかった。でも、電話したほうが早くないか」

「駄目です。だって……」

内田くんの声が急に大きくなる。

「ぼくの携帯、壊れてるじゃないですか」

「そうか。でも番号がわかれば、ぼくの携帯で……」

「ああ、そうですね。いや……でも……」

内田くんは、妙な角度に身をよじりながら――

「すみません。覚えてないんです。ほら、一度登録したら、もう番号なんて見ないし……」

「そうか。そうだな。よし、行ってくる。落ち着いて待ってろよ。じっとして……」

クルマに乗りこむとき窓からちらりと見ると、内田くんは椅子の前にひざまずいて、斬られた女神像の頭を両手でそっとなでていた。

約三十分後、前原くんが高松先輩と他の男女の部員三人を連れて戻ってきたときには、内田くんはもう、女神像を見てはいなかった。床に膝を抱えて座りこんでいる。高松先輩の顔を見ると、ゆっくりと立ち上がり、一言だけ、「こんなことになって……」と言った。

高松先輩はなにも言わず、内田くんの肩をそっと抱いた。

「それで……」

話を聞き終え、十秒ほど黙ったあと、涼子はそう問いかけた。

「その後、どうなりましたの?」

「発表会には、もうどうしたって間に合わない。だから、内田くんが以前作っていた、別の小さな作品を出したよ。それも評判は悪くなかった」

「いえ、そういうことではなくて……そのお二人、内田くんと高松先輩の関係ですけど……」

「ああ……あのあと、少しぎくしゃくした感じはあったかな。でも、今はかなり復旧したみたい」

「よかったですわ。警察には届けましたの?」

「いや……なんだか二人とも、それには消極的だったんだ。結局、近所のたちの悪い子どもが悪戯したんだろうってことになって。アトリエには、防犯装置をつけることになったよ」

「でしょうね。それが賢明です」

そう言って涼子が大きくうなずいたので、真琴さんは少しびっくりした。実は、真琴さんはもう犯人――これを犯罪の一つだとした場合――は誰なのか、わかっているつもりだったのだが、もしその考えが正しければ、防犯装置など不要なはずなのだ。

「ところで……」と、真琴さん。

「前原くんは、誰が女神像の首を斬ったと思ってるんだ? まさか近所の子どもがっていう説に、賛成しているわけじゃないよね。それは、ほとんどあり得ないと思う」

「さすがです、お姉さま。涼子も同感ですわ」

「まあ……そうですね」と、前原くんもうなずいた。

「考えられる可能性を整理すると、こんなふうになるんじゃないかな」

論点を整理するのは、真琴さんの得意とするところである。

「第一に、近所の子どもたちが悪戯でやったという説。これはかなり可能性が低い。アトリエのドアも窓も、全部鍵がかかっていたわけだからね。次に、空き巣かなにか、プロの窃盗犯の犯行という線。プロだったら、ドアの鍵を開けるくらいのことはできそうだけど、動機という点では納得できない。なにかを盗むつもりだったけど、金目のものが見つからなかった。だから腹いせでやったという可能性は、少しはある。でも、わざわざ首を椅子の上に載っけておくというのが不自然だ」

「そこまでは同感です」と、前原くん。

「残りの可能性は二つ。高松先輩がやったか、内田くんがやったか……二人のアリバイはどうなんだろう。前原くんが内田くんと一緒に、ちゃんとした女神像を見たのが午後二時。買い物から帰ってきて首を斬られた女神像を見つけたのが、午後三時半。そのあいだ、高松先輩はどこにいたのかな」

「海水浴場のほうにいました。これは何人も証人がいます」

「それで、内田くんのほうは?」

「ぼくがずっと買い物に付き添っていたから、こちらもアリバイは完璧です」

「途中で抜け出してアトリエまで行き、また前原くんのところまで戻ってくるというのは?」

「不可能ですね」

「ということは、犯人がいなくなってしまうわけだね」

「そういうことです」

「でも、私は誰がやったのかわかるような気がする。ひょっとすると、前原くんにも見当がついているんじゃない? 思い切って言ってみたら?」

「そうですね」

前原くんは少し考えこむ仕草をしたあと、覚悟を決めた様子で――

「内田くんだと思います。彼以外、動機を持ってる人がいないので。内田くんはあの女神像を、もう自分の作品だとは思えなくなっていた。たとえ発表会で高く評価されたとしても、自分のものだという気持ちが持てなかったら、意味はありませんからね」

「私もその意見に賛成だな。涼子は?」

真琴さんが隣を見ると、涼子も深くうなずいた。

「涼子もそう思います」

そうなのか? それなら、どうしてアトリエに防犯装置をつける必要があるのだろう。だが、その疑問はとりあえず放っておいて、真琴さんは言葉を継いだ。

「動機から見ると、内田くんが最も怪しい。でも、彼には完全なアリバイがある。だから犯行――というのは大げさだけど、とにかく女神像の首を斬ることはできなかったはず。結局、謎はこの一点に絞られるわけだ」

「そうです。それが不思議なんです。だって、このぼく自身が、内田くんのアリバイを保証する立場に立っているんですから」

「でも、そのアリバイは、案外簡単に崩せるんじゃないかな」

10

「本当ですか、お姉さま」

涼子がよく響く、やわらかな声をあげた。別に皮肉で言っているわけではないらしい。上目遣いに真琴さんの顔を仰いでいる。

「すばらしいですわ。ぜひ、お姉さまのご意見を聞かせてください」

「でも、探偵役は、涼子のほうじゃないのか」

「まずは、お姉さまのご意見をうかがいたいです。それで、もしそのご意見が涼子のと同じだったら、とってもうれしいですし、もしお姉さまが間違っていたら、僭越ながらこの涼子が訂正してさしあげますわ」

「ふうん」

涼子はいつも通り、今日も生意気だ。

「聞かせてください」と、前原くんも身を乗り出してきた。

11

「やり方は、二つあると思うんだ。一つは、発見者イコール犯人のパターン。二人がアトリエに戻ってきてから、少しだけ離れた時間帯があっただろう? ほら、キッチンに前原くんを残して、内田くんだけが女神像のある部屋に行ったっていう……」

「ほんの一分くらいですよ」

「その一分のあいだに、内田くんが女神像の首をねじ切って、戻ってきたんだとしたら? そして、いかにも驚いたふりをする。それだけのことで、前原くんはだまされたんじゃないかな」

「いや、それは不可能です」

「どうして?」

「たぶん話を聞いただけだから、ピンと来ないんだと思うんですけど……粘土って、ちぎったり斬ったりするのは大変なんですよ。おまけに等身大ですから……あの首をねじ切るなんて、そう簡単にできません。それに首はノコギリかなにか、とにかく刃物を使って斬られていたんです」

「どのくらい時間がかかる?」

「ぼくも専門は絵のほうだから、はっきりは言えませんけど……少なくとも五分くらいはかかりそうです」

「そのノコギリは見つかった?」

「これかなっていうのは、見つかりました。アトリエの横に小さな物置があるんですけど、そこに放りこんであったんです」

「そうか。じゃあ、二つ目の方法。時間差で考えるんだ。二人は午後二時の時点で、女神像の無事な姿を見たんだよね。でも、実はそのとき、女神像の首が既に斬られていたとしたら?」

「でも、ぼくはちゃんと首がつながっているのを、確認しましたよ」

「うん。でも、首をつかんで揺り動かしたわけじゃないだろ? 材質が粘土っていうのがポイントなんだ。つまり、あらかじめ丁寧に女神像の首を斬っておく。そして、それをもう一度そっと肩の上に載せるわけ。粘土だから、粘り気があるだろう? 転がり落ちることはないと思う。そして継ぎ目を目立たないように、表面だけ薄く補修しておくんだ。そうしたら、実際は首は一度切れているのに、外見上はつながっているように見えるだろ? そうしておいて、例の一分の空白のあいだに、首をはずして椅子の上に置く。これなら可能なんじゃないか」

「いや、それもあり得ないと思います。あのとき、少しだけさわってみましたし。それに、ぼくだって腐っても美術部員ですからね、そんな小細工にだまされたりしませんよ」

「そうか」

真琴さんは、腕を組んでうなった。

「この二つの方法が無理なら、私にはもう考えつかないな」

「お姉さま、がっかりなさらないで!」

涼子がいきなり身を寄せてきた。

「お姉さまの二つ目の発想、とっても惜しかったですわ。あと一息でした」

偉そうに! 見ると、涼子は例の赤いロープを手首にきつく巻きつけている。

「涼子、それ、結び目をつくるんじゃなかったのか。隅の老人は、結び目を作ったりほどいたりしながら、推理するんだぞ」

「涼子のやり方は、少しちがいますの。やっぱりロープは、こうして縛るためにあるんですわ。こうして、きつく……きつく、お姉さまに拘束されていると思うと、涼子、次から次に推理が働き始めるんですの」

「ああ、うん、まあ……」

今にも涼子の口からSMという言葉が飛び出してきそうで、真琴さんはちょっとどぎまぎした。前原くんは、なんだか挨拶に困るといった曖昧な表情で、こちらを眺めている。

「とにかく涼子、お前の推理を言ってみなさい!」

12

「お姉さまの時間差っていうお考えは、とってもいいと思います。ただ、残念なことに方向が逆だったんですわ」

「方向が逆って?」

「お姉さまは、午後二時よりも前に首が斬られたって、お考えになったでしょう? でも、それは前原くんのお話で否定されてしまいました。だとしたら、残る可能性は一つだけ。女神像の首は、前原くんが高松先輩を呼びに行ったあと――内田くんが一人でアトリエに残っていたあいだに斬られたんです!」

「あり得ない。ぼくは間違いなく、女神像の斬られた首を見たんだから。それに、片腕も床に転がってた」

「でも、胴体のほうは、よく見なかったでしょう? たしかお話では、ベッドの下から足だけが出ていた。つまり女神像の上半身は、ベッドの下に隠れて、よく見えなかった」

「それは……たしかに……」

「女神像の首は、二つあったんです。偽物の首を椅子の上に載せるだけなら、十秒もあればできますわ。それに片腕も、本物とは別に一本だけ偽物を作っていたんです。それをポイッて床に転がすのに、五秒もかからないでしょう。それを見た前原くんは、女神像の首と腕が斬られたんだと勘違いする。ベッドの下までのぞいてみれば、本物の女神像にはちゃんと首も腕もついているのがわかるはずでしたけど、内田くんはすぐに、前原くんを追い出したわけでしょう? 高松先輩を呼んできてほしいって。そして、一人になったあと、ベッドの下から女神像を引き出して、ゆっくり首と腕を斬り落としたわけです。偽物の首と腕のほうは潰してしまって、余った粘土の塊――たぶんアトリエの中には、使いきれずに余った粘土がかためて置いてある場所があったはず――その塊にくっつけておく。そうしたら、証拠隠滅は完了です」

「でも、偽物の首と腕なんて……どこに? あのアトリエには、そんなものを隠しておく場所はなかったよ」

「内田くんのスポーツバッグの中ですわ! 内田くんは、あらかじめ作っておいた首と腕を、ずっとバッグの中に入れて持ち歩いていたんです。椅子の上に置いてあったっていう首は、あちこち潰れていませんでした?」

「たしかにひどい状態だった。鼻は曲がっていたし、耳も潰れた感じで……」

「バッグに入れて持ち歩いているうちに、そうなってしまったんですわ。もともと、そんなに丁寧に作っていなかったのかもしれません」

「そうか」

「携帯が壊れたっていうのも、内田くんの計画の一つだと思います。だって、そうじゃなかったら、前原くんに高松先輩を呼んでくるよう頼むわけにはいかなくなるでしょう? 電話して来てもらったほうが、ずっと早いですものね。でも、そうなったら一人になる時間がない。つまり、女神像の首を斬る時間がない。だから、携帯が壊れたっていうことにしたんですわ」

「だとすると……」

真琴さんは、ふと思いついたことを言ってみた。

「窓の鍵を一つ開けておいたのも、内田くんの計画だったのかも」

「その通りです、お姉さま。鍵のかかっていない窓から、誰かが忍びこんで悪さをした。内田くんとしては、そういうことにしたかったんだと思います。でも、前原くんが鍵をかけてしまった。だから密室状態になって、話が不自然になってしまったんです」

前原くんは、しばらく黙ってじっと考えこんでいた。それから、ぽつりと言った。

「そうかもしれない」

「そうですわ!」と、涼子が高らかに宣言した。

「でも、このことはこのまま黙っていたほうがいいかも」

「涼子もそう思います。お姉さまは?」

「賛成。私もなにも聞かなかったことにしよう」

13

その夜。真琴さんのアパートでのこと。

食事も済み、シャワーも終えて、いよいよ楽しみにしていたSM遊びの時間。十分に暖かくした部屋の中、ベッドに腰かけた寝間着姿の真琴さんの足元に、涼子は丸裸でお行儀よくひざまずいている。

「お姉さま? 涼子、おねだりをしてよろしいでしょうか」

「どんなおねだり?」

「あのロープのことですけど……隅の老人ごっこのほかにも、使い方があると思うんですの」

「本来の使い方がね」

「そうです。涼子、やっぱりロープは縛るためにあると思います」

「そうだなあ」と、真琴さんは少しニヤニヤして――

「私はまだ、一つだけわからないことがあるんだ。涼子がそれに答えてくれたら、おねだりを許してあげてもいいよ」

「なんでしょう?」

「さっき、高松先輩がアトリエに防犯装置をつけたっていう話が出ただろう?」

「ええ」

「そのとき涼子、それが賢明ですとか言って、妙に深くうなずいていたけど、その理由がよくわからない。だって涼子も、内田くんが犯人だって思っていたわけだよね。だとしたら、防犯装置なんて意味ないじゃないか」

「それは、あのお二人――高松先輩と内田くんの関係のことを考えてのことですわ」

「どういうこと?」

「涼子、高松先輩も、内田くんのことを疑ったにちがいないと思うんです。でも、それを内田くんに悟られたら、たぶん二人の友情にひびが入るとお考えになったんですわ。それで、これは外部の人間、まったくの他人がやったことなんだ、俺はそう思ってる。その証拠に、アトリエに防犯装置をつけるぞ――っていう、そういうお気持ちからだと思うんです」

「なるほど」

「それに……内田くんだって、高松先輩に疑われていることは、わかっていたと思うんですの。でも、高松先輩が防犯装置までつけて、これは外部の人間のやったことだと信じてるって……そういう態度を見せてくれたから、内田くんも安心できたんじゃないでしょうか。あのあとお二人の関係が修復したって聞いて、涼子、とっても安心いたしました」

「そういうことか。涼子って、なかなか考えが深いときもあるんだな」

「お姉さまったら、また涼子をバカになさって。それにしても涼子、あの二人にSMが足りていたら、そもそもそんな心配はなかったと思うんです」

「SMが……足りてたら? 意味がわからない」

「つまり、こうですわ、お姉さま。あのお二人が、お姉さまと涼子だとしますね。お姉さまが高松先輩、涼子が内田くんだとします」

「考えにくいけど……まあ、それで?」

「それで、涼子がなにか悪い企みを実行するとします。でも、涼子はMですから、ちょっとお姉さまに睨まれたら、すぐに告白してしまうと思うんですの」

「でも、そうしたら、私が腹を立てることになるだろう?」

「そこですわ、お姉さま。Sのお姉さまは、とってもお怒りになって、涼子に厳しい罰をくださいます。でも、でも……お姉さまは、涼子のご主人さま。だから、あとで優しく許してくださると思うんですの。それで涼子は、ますますお姉さまに深い忠誠を誓いたくなるんです。ですから、涼子とお姉さまのあいだには、内田くんと高松先輩のようなややこしい問題は生じるはずがありません。こんなふうに、人間関係ってSMが足りていれば、いろんな問題の解決が、とっても簡単になると思うんですの。涼子、これをSM最強説って名づけたいと思います」

「SM最強説ねえ」

「ところで、お姉さま? ロープのことですけど……」

「ああ、そうだった」

真琴さんは、涼子にむかってにっこり微笑んでやった。

「質問にちゃんと答えられたから、おねだりを許してあげる。さあ、好きなように縛ってあげるから、ここにおいで」

そう言って、両腕を広げて見せる。――と、次の瞬間、真琴さんの胸に、涼子の白い裸身が勢いよく飛びこんできた。

◆おまけ 一言後書き◆
「隅の老人」は、私の大好きなキャラクターです。ただの不愉快な爺様なんですけどね。まだお読みになっていない方は、ぜひ。

2021年5月16日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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