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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第37話 消えた部誌の事件――どえむ探偵秋月涼子の登場

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第37回目は「消えた部誌の事件」。Sのお姉さま・真琴さんと「どえむ探偵涼子」の馴れ初めの話。部室で入部希望者を待っていた真琴さんの元に現れたのは、特別礼儀正しい涼子。会った瞬間に強く惹かれてしまった真琴さんは唇を重ねたい衝動に駆られ……。

各種のサークルが、大学の構内のあちこちに机や椅子を出して新入部員や新規会員を勧誘する活動を、「机出し」という。そのことを、新宮真琴さんは数日前に知った。指定の場所に机や椅子を運び出すこと自体だけではなく、その机と椅子を使った活動全体を「机出し」と呼ぶのである。これはなかなか興味深い名づけ方だ――と、真琴さんは思う。国文科の学生だけあって、言葉についての関心が深いのだ。

四月も半ば。とくに今日は気温が高いようだ。真琴さんはその温かさに軽い眠気を誘われながら、ぼんやりと考えている。

――これはつまり、本来はその活動の一部分を表す言葉が、活動全体の呼称となっているわけだ。比喩の一種に、そんなのがあったな。たしか提喩とかいう……あれはたしか、全体の呼称で一部を表したり、一部の呼称で全体を表したりするといった方式の比喩。「机出し」の場合は、一部の呼称で全体を表していることになる。他の例でいえば、「ご飯」という語で「食事」全般を表すといった……ということは、「机出し」は提喩の一例といっていいのか。いや、少し違う気もする――

そんなことを思っているうちに、真琴さん担当の一時間はすぐに過ぎて、午後六時になった。交代要員の福間くんがやってきた。

福間琢磨くん。なんだか脚韻を踏んだような名前のこの男子学生は、真琴さんと同じくミステリー研究会(略してミス研)に属する新二年生。ミス研では、主に新二年生が机出しをやることになっているのだが、中でもこの福間くんは熱心だ。感心なことである。

「どう?」と、福間くん。

「だめだった」と、真琴さん。

「一人も?」

「いや……何人かとは、話をしたよ。でも、名前を書いてくれた人はいない」

真琴さんは、机の上にある入部希望者リストを指さした。そこにはまだ、三人の氏名しか書かれていない。これは一時間前、真琴さんがここに来たときには既に書かれていたものである。だから要するに、真琴さんはただの一人も新規の入部希望者を獲得できなかったわけである。

「まさか、入部希望者を追い払ったりはしていないだろうね」

「とんでもない。可能な限りフレンドリーに接したぞ。一人なんか、私が横溝正史が好きだって言ったら、古い古い、古すぎる――って、マウント取りに来たけど、にこやかに対応してやった。君は最新のミステリーに関して、豊かな蘊蓄と立派な見識を持っているようだ。ぜひ入部して、その蘊蓄と見識を聖風学園文化大学ミステリー研究会で大いに発揮していただきたい。君こそ私たちの待っていた人材だって、口を極めて褒め称えてあげたけど、残念ながら……」

「たぶん嫌味だって思われたんだろう。君のような美人からあんまりストレートに褒められると、男はちょっと身構えちゃうんだ」

「まあ、そうかもしれない」

真琴さんは自分の美貌にかなり大きな自負心を抱いているので、美人と言われても別に謙遜はしなかった。それに、もともと嫌味で言っていたのだから、「嫌味だって思われたんだろう」という福間くんの判断は正しい――とも思ったわけである。

「ところで、新宮さん」

福間くんは、少しばかり済まなそうな表情になった。この表情は危険である。福間くんがなにか物を頼むときのサインなのだ。

「君、これからすぐに帰るの?」

「いや。部室で少し暇つぶしをするつもりだけど」

実はここに来るまで、真琴さんは部室で勉強をしていたのである。聖風学園文化大学は、金持ちの子女が多く通う、学費の高い私立大学。それだけに、サークルの部室もきわめて居心地がよくできている。学費全額免除の特待生として入学してきた真琴さんは、この大学の他の多くの学生とちがってなかなかの貧乏人なので、自分のアパートの電気代倹約のためにも、部室を勉強部屋代わりに使うことにしている。

それに、『濃夢』も読んでおかなくてはならない。『濃夢』というのは、ミス研が定期的に出している部誌の名である。部員たちのあまり上手とはいえない推理小説や評論、エッセイなどが載っている。真琴さんは今回それに、「横溝正史のトリック流用について」という、評論めいたものを出している。それを読み直したくもあったし、他の部員の作品も精読しておく必要がある。というのは、新入部員勧誘のための期間が終わるとすぐに、その『濃夢』の合評会が予定されているからだ。

それで、この机出しのあいだに『濃夢』を読んでおこうか、とも思っていたのだが、ついうっかり部室に忘れてきてしまった。真琴さんの『濃夢』は今、教科書やノートなどといっしょに、部室に備え付けの大きな机の上に載っているはずである。

「それなら、部室に八時まで待機していてくれないか。今、みんな出払っていて、誰もいないんだ。ほら、入部希望者が直接部室に訪ねてくるかもしれないしね」

「誰もいないって、どうして? ちゃんと手配していたはずだろ?」

「それが、来るはずの人が来なかったり、ホールのほうに手を取られたりで……」

ホールというのは、学内の一画にある学術文化部会ホールという建物の略で、文化系のサークルはこの新入部員勧誘の期間に、そのホールで発表展示会を行うことになっている。どちらかといえば、そちらのほうが部員獲得のための真面目な活動なのだ。主に新三年生が中心となってやっている。

「ホールのほうは盛況なの?」

「かなりいいみたい。で、どうかな? 頼めるかな?」

「八時までなら、OK。それにどうせ、そのあと片づけにも駆り出されるんだろうけど、それにも協力するよ」

それほど厄介な頼み事でもなかったので、真琴さんは快くそう答えた。

福間くんは、どこか気遣わしげな顔つきで付け加えた。

「ひょっとしたら、昨日入部した新入部員の人が一人、部室に来るかも。で、来たら、八時までそのまま引き留めておいて。失礼のないようにね」

「なんだ? 失礼のないようにって。新入部員なんだろ?」

「加賀美先輩の知り合いなんだ」

「ああ、なるほど」

加賀美先輩というのは、真琴さんたちより一つ年上の三年生で、フルネームは加賀美蘭子さん。ミス研の中心人物である。それだけではない。加賀美家というのはこの地方きっての資産家で、そもそもこの聖風学園文化大学も、その加賀美家が経営しているのだ。蘭子さんはこの大学の理事長の孫娘なのである。

「男の子? 女の子?」

「女子だって。秋月さんっていうらしい」

「大丈夫。私は、年下の女子には好かれるほうだから」

そう答えたが、福間くんの顔はなんとなく心配そうだった。

なるほど、福間くんの言っていたとおり、部室には誰もいなかった。みんなホールのほうに出張っているらしい。

戻ってきて、すぐに気づいたことがある。机の上に置いて出たはずの『濃夢』が見当たらないのだ。変だな。ひょっとしたら部室に忘れたというのは勘違いで、ずっとバッグの中に入っていたのかもしれない。そう思って、布製の大きなバッグの中をかき回していると、ノックの音がした。

「どうぞ」

そう言ったが、人の入ってくる気配がしない。しばらくして、またノックの音。

「どうぞ」と、さっきよりも少し大きな声で言って、真琴さんはドアを開けてやった。廊下に小柄な女の子が立っていた。

「あの……わたし、秋月涼子と申します。昨日、こちらのミステリー研究会に入部いたしました。よろしくお願いいたします」

そう言ってから、深々とお辞儀をした。それは実に優雅な身振りだった。

「あっ、うん。聞いてるよ。まあ、どうぞ、入って」

「今日は蘭子先輩……失礼しました。加賀美先輩から、こちらの部室で待っているようにとのお言いつけで……」

ひどく丁寧な口のききかただ。この聖風学園文化大学の学生は概して礼儀正しいが、この子はさらにまた特別のようである。

「ああ、うん。それも聞いてる。まあ、ここに座って」

真琴さんは自分の椅子に戻ると、隣の椅子を指さした。秋月涼子と名乗った少女は、トコトコと歩いてくると――その歩き方はなんだか玩具みたいで、さっきの綺麗な形のお辞儀とは、また印象が違っている――ちょこんと椅子に腰かけた。そして、真琴さんの顔を少し上目遣いに見つめた。

真琴さんは、女にしては長身のほうだ。あと少しで一七〇センチというところ。それに比べると、涼子はかなり小柄に見えた。一五〇センチくらい? いや、もう少しありそうだ。

「先輩……で、いらっしゃいますの? あの……お名前は?」

「ああ、失礼。二年生の、新宮です」

「新宮先輩。新宮、先輩……」と、繰り返して――

「下のお名前も、うかがってよろしいでしょうか」

「マコト。真心の真に、楽器の琴と書いて、真琴です」

「新宮真琴先輩。素敵なお名前です」

そう言って、また上目遣いにこちらを見つめてくる。色白で、どちらかといえば丸顔。大きな二つ目の目。高くはないが、すっきりと形のいい鼻。ふんわりとした唇が、また軽く開いて――

「本当に素敵なお名前」

なんだ? この可愛い生き物。真琴さんは、涼子の唇にいきなり自分の唇を重ね合わせてみたい欲求にかられた。そうしたら、きっとものすごく気持ちいいだろう。そんな気がした。

自分はいわゆるバイセクシャルという奴らしい。真琴さんは高校二年生のころから、自分のことをそう思っている。今は関係を断っているが、男子といっしょのベッドに寝てそれなりに楽しんだ経験もあるので――高校時代の真琴さんは成績優秀な優等生であると同時に、かなりのマセガキでもあったのだ――純粋な同性愛者ではないはずだ。だが、どちらかといえば女の子――それも年下の女の子のほうに、性的興味が向かいがちなのである。ただし、まだ女同士で性行為に及んだことはない。キスだけなら何度かあるが、それは冗談半分のものだったので、勘定には入らないと思っている。

「それはどうも」

涼子の賛辞に対してやや素っ気なく答えたのは、照れくさかったからである。けっして好意がなかったからではない。むしろ、会った瞬間にこんなに強く惹かれたのは、今まで経験のないことだった。だが――

どうもこの子は、たいへんなおしゃべりだ。

そうなのだ。最初に見た瞬間は、無口な子なのかな――と思ったのだが、実際は正反対だった。涼子はさっきからずっと、途切れることなくおしゃべりを続けているのだ。ただし、そのおしゃべりは、聞くのに少しも苦にならない。声が実に真琴さん好みなのである。音程は高いが、まろやかで尖ったところがなく、なんと表現すればいいのか――開いた桃色の唇のあいだから、中間色の綺麗な玉がぽろぽろとこぼれ続けている――そんな感じがする。

それに、真琴さんは元来、聞き上手なほうである。というより、聞き流し上手とでもいうべきか。あまり話の内容に深入りせず、適度に相槌を打ちながら、人のおしゃべりを聞き流してしまうのが得意なのだ。

だから、真琴さんは話の内容を理解するというよりも、涼子の声の響きを、音楽を聴くように楽しんでいたのである。同時に、どこかに行ってしまった自分の『濃夢』を探し続けていた。布バッグに入っていたものを、一度全部出して机の上に並べ、それをまたバッグの中にしまった。ついでに服のポケットの中にあったものも――そんなところに部誌があるはずもないが――全部取り出してチェックしてみた。さっきコンビニで買い物したときのレシートが出てきたので、それは失くさないように、手帳に大切に挟みこんだ。

真琴さんの『濃夢』は、やっぱり出てこない。いったいどこに行ったのか。

ぼんやり聞き流していたとはいえ、その間に真琴さんは、涼子のおしゃべりからずいぶんたくさんの情報を得ることができた。

――涼子は、文学部英文科の一年生。小学校のころから聖風学園に通い、エスカレーター式に大学まで上がってきた、いわゆる「聖風っ子」である。ミステリーの好みはかなり古典的で、コナン・ドイルとクリスティが大好き。加賀美蘭子さんとは、小学生のころからの知り合い。昨日、涼子といっしょに入部した一年生に、萩原和人くんという男子学生がいるが、この萩原くんというのは、蘭子さんの許嫁である。近いうち、正式に婚約発表をするらしい。蘭子さんは、この萩原くんを大切にして、下にも置かぬもてなしをしているが、その背景には先祖代々ずっと続いてきた両家の関係がある。というのも、和人くんの萩原家は昔々、このあたりを治めていた殿様の家柄で、蘭子さんの加賀美家が財を成すには、この殿様の力添えがあった――

そのうち涼子は、妙なことを言いだした。

「……このミス研に入部したのは、ミステリーについていろいろ教えていただきたいっていう理由だけじゃありませんの。実は、涼子、大学を卒業したら本物の探偵になりたいって思っていて、その修業にもなるかなって……」

「探偵?」と、真琴さんが聞き返すと――

「そうです。探偵ですわ」

「え? バカなの?」

――と言ってしまった瞬間、真琴さんは深く後悔した。つい普段の口の悪さ、育ちの悪さが出てしまった。これまで、それで嫌われてきたことが何度もある。もっとも真琴さんは人に嫌われることをあまり怖れない性なのだが、この涼子という美少女だけには嫌われたくなかった。真琴さんは、あわてて付け加えた。

「あっ、ごめんね」

涼子は、ふと身じろぎした。怒ったのか。怒って立ち上がるのか――。だが、反対に涼子は上半身を傾けて、すっとこちらへ身を寄せてきた。

「今の先輩の、バカなの?って言い方、とっても素敵でしたわ。涼子、なぜだかキュンとして……」

「そう……なのか?」

「ええ。でも、先輩? どうしてバカってお思いになったんですの?」

「いや、本当はバカだなんて思ってないよ。ただ、ふっと口から出ただけで。気にしないでくれる?」

「じゃあ、どうしてバカって、口から出てしまったんでしょう」

「そうだなあ。整理するから、ちょっと待っててくれないか」

三十秒ほど黙って考えたあと、真琴さんはこんなふうに言った。

「理由は、主に二つあるかな。第一に、探偵になるって言ったら、どこかの探偵事務所で働くことになるかと思うんだけど、大学を卒業したばかりの女の子を雇ってくれるところなんて、あまりないんじゃないかってこと。ふつうは、元警察官とか、元新聞記者とか、そういう人を雇うんじゃない? だから、卒業してすぐに探偵になるっていうのは、現実には難しいように感じる。第二に、ミステリーのトリックとか推理とかは、実際に探偵をやるときには、ほとんど役に立たないんじゃないかなってこと。今は日本にも探偵事務所と称するところがたくさんあるみたいだけど……」

真琴さんも、探偵事務所についてネット検索をして調べたことがある。別に探偵を頼もうと思ったわけではない。以前、自分でも推理小説を書いてみようかと思ったとき――結局それは書かなかったのだが――今の日本に探偵というものが実際にどのくらい存在しているものか、ちょっと興味が湧いたからである。そのとき少し驚いたのは、探偵事務所というものは思っていたよりもずっとたくさんある、ということだった。

「現実の探偵事務所が扱うのは、たいてい浮気調査や身元調査ばかりだろう? だから、探偵修業のためにミス研に入るっていうのは、少しピントが外れてるような気がする」

「今のお返事をうかがって、新宮先輩がお考えの深いかただっていうことが、よくわかります。涼子、先輩とお知り合いになれて、とってもよかったと思いますわ。でも、今の二つの理由ですけれど、この涼子には当てはまらないと思いますの」

「どうして?」

「第一の理由ですけれど……」

涼子は、腰かけているキャスター付きの椅子を真琴さんのすぐ側まで引き寄せ、大きな二つの目でこちらを見あげながら、考え考え言葉を継いでいく。その様子が、実に愛らしい。

なに、この可愛い生き物――と、真琴さんはさっき思ったことを、また心に繰り返した。

「実は、涼子、自分で探偵事務所を開くつもりなんですの。どこかに雇われるのではなくて。ですから、大学を卒業したばかりの女の子を雇ってくれる探偵事務所なんかないだろうっていう点は、問題にはなりません」

「でも、いきなり探偵事務所を開いても、お客さんが来ないんじゃないか」

「その点は、涼子の大学生活にかかっていると思いますの」

「どういう意味?」

「つまり……こういうことですわ。この大学には、裕福なお家のかたが多く通われているでしょう? 将来の顧客という点で見ると、宝の山だといえます。そこで、この涼子が、大学生活の四年間のあいだに、人脈をどんどん広げて、ついでに大学内で起こる事件をいくつか解決したりして――ほら、ホームズの『グロリア・スコット号』の事件みたいに――そうして評判を高くしておいたら、卒業してすぐに事務所を開いても、お客様はちゃんと来ていただけると思いますの。で……その在学中に事件を解決するっていっても、ただの英文科の秋月涼子では、通りが悪いと思うんです。ミステリー研究会の秋月涼子というほうが、断然探偵っぽく聞こえますわ」

そうだろうか? かなり疑わしい気もしたが、真琴さんはとりあえず話の先を聞くことにした。

「それで?」

「人脈を広げるという意味でも、このミステリー研究会は最適です。なんといっても、蘭子先輩がいらっしゃいますもの」

涼子はもう、蘭子先輩を加賀美先輩と言い直さなくなった。それだけ話に夢中になっているのだろう。

「なるほど。それで、第二の理由については?」

「ミステリーでの推理やトリックの知識は、実際の探偵業務では役に立たないだろうっていうお話ですね。たしかに、ある意味では、それは正しい意見だと思いますわ。だって、たとえば密室殺人のトリックなんて、現実にはほとんどあり得ませんものね」

「だろう? 私は、ミステリーのトリックでは密室トリックが一番好きなんだけれど、それは現実離れしているからこそなんだ。私がミステリーに求めているのは、そういう非現実的なおもしろさなんだよ。この世ならぬ物語が読みたいっていうのかな」

「それもよくわかります。でも、別の考え方をすれば、ミステリーにおけるトリックや推理も、なんらかの役に立つのでは? と、思うんですの。たとえば、ホームズのお話には、よく最初のほうに、ちょっとした手がかりから依頼人の素性をズバリと当てる場面が出てきますでしょう? ああいったことは、現実の浮気調査や人探しなんかでも、十分に役に立つと思います。少なくとも、間接的には役に立つのではないでしょうか」

「ああ、あれねえ」

ホームズ物は嫌いではない。だが、今、涼子が言ったような場面については、真琴さんはいつも胡散臭さを感じるのだ。たとえば、ホームズが帽子を見て、「この帽子は大きい。だから持ち主の頭も大きいはずで、それなら脳も大きいのだから、頭脳も優秀なはずだ」といったような推理をする場面がどこかにあったと思うが、ずいぶんいい加減だとあきれた記憶がある。

真琴さんがそれを言うと、涼子は――

「もちろん、あれはお話ですから、そういった妙なところもありますけれど……でも、けっして全てがバカバカしいっていうものでもありません。たとえば、涼子……今、お話をしているあいだに、先輩のご様子を拝見しながら、いろいろと推理をしてみたんです。それで、いくつかのことはかなり自信をもって断言できると思いますの。しかも、その推理はきっと当たっていると思うんですのよ」

なに? このおもしろい生き物。

真琴さんは改めて、目の前にいる小柄な少女の顔を見つめた。可憐なだけではない。実に興味深い存在ではないか。

「本当? ちょっとその推理とやらを披露してみてくれないか」

「ご披露してもよろしいですけれど、涼子、一つだけ心配なことがありますの。先輩にとっては、少し不愉快なことを言ってしまうかもしれません。でも……」

「わかった。絶対に怒らないから、言ってみて」

「いいえ。お怒りになってもかまわないんです。でも、そのときは、こんな子は嫌いって見捨てるのではなくって、優しく叱っていただきたいんですの」

なんだか変なことを言っている。

「生意気なことを言ってはダメだよって、優しく叱っていただければ、涼子も反省しますから。ああっ、でも……またいつか、同じように生意気なことを言ってしまうかも。で、そのときはまた、優しく叱っていただければ、涼子……」

「キリがないなあ。とにかく、たぶん怒りもしないし、もし怒ったとしても、見捨てるなんてことは絶対にしないから、とにかく早く言ってみて!」

「もちろん、そんなにたくさんのことが、わかったわけではありませんのよ」

涼子はつつましげな口調で、そう語り始めた。

「ただ、次のようなことは、ほぼ断言できると思うんです。まず、新宮先輩はT市か、その近くのご出身だろうということ。T市のご実家からこの大学に通学するのは不可能ではありませんけど、おそらくは大学の近くで一人暮らしをなさっているだろうって推察いたします。それから、クルマをお持ちですね。でも、そのクルマはかなり古いか、あるいは比較的、あの……廉価なクルマだろうっていうこと。そして、新宮先輩は、家計簿をつけていらっしゃるんじゃありません? 最後に、先輩はこの大学に特待生として入学してこられた、とっても優秀なかただっていうこと。学部は文学部、国文科だと思います」

「すごいな。全部当たってる」

真琴さんは、ううむと唸って、少し考えこんだ。そのうち、ふいにからくりがわかったような気がした。

「ひょっとして……加賀美先輩から、私のことを聞いていたとか……」

「いいえ、ちがいます」

涼子は、にっこりと微笑んだ。

「種明かしをしたら、新宮先輩も、なんだ、そんな簡単なことだったのかって、納得されると思いますわ。それこそ、ホームズのお話と同じように、バカバカしいほど簡単なことじゃないかって」

「じゃあ、その種明かしをしてみて」

「まず、ご実家のことですけど」と、涼子は話し始める。ちょっとだけ自慢げな口調になっているようだ。

「先輩があたしのことを、秋月さんって呼ぶときのイントネーションが、このあたりのかたと少しだけちがいますの。涼子の母の知人にT市のかたがいらっしゃるんですけど、先輩のイントネーションは、そのかたのイントネーションとそっくりです。ですから、きっと先輩もT市か、あるいはその近くの出身ではないかって、推理したわけですの」

真琴さんの実家のあるT市は、二十年ほど前まではT郡と呼ばれていた土地で、県の南東部にある。ここからT市へ行くには、山を二つほど越えなければならず、方言もかなり異なるのだ。

「なるほどね。じゃあ、一人暮らしとクルマの件は?」

「先輩、さっきなにか探し物をしていらしたでしょう? そのバッグの中のものを全部出して、机の上に並べていらっしゃいましたわ。そのあとまた、バッグの中にしまってしまわれましたけど。それから、服のポケットの中にあるものも、一度全部出して確認していらっしゃいました。――そのとき、不動産屋さんの封筒がありましたわ。たぶん、一年ごとの契約更改があって、今日か昨日か、とにかくごく最近、不動産屋さんに行かれたんだろうって思いましたの。ということは、実家から通っているわけではない。そもそもT市から毎日通学なさるって、遠すぎて現実的ではありませんものね」

「的確だね。その通りだ」

「それから、鍵束もありました。その鍵束に、明らかにクルマのキーとわかる鍵がついていましたわ。ただし最近のクルマって……あれは、なんていうんでしょう? 鍵を差しこまなくてもエンジンがかかるのが、流行っていますでしょう? あのキーは、独特の形をしていますわね。でも、先輩の鍵束についていたのは、昔風の差し込んで使うキーでした。我が家のクルマも十年くらい前までは、そのタイプでしたわ。ですから、先輩のお持ちのクルマは、古いクルマか、それともあまりお値段の高くないクルマじゃないかって、そう推理しましたの」

「ばっちり当たってる」

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「じゃあ、家計簿の件は?」と、真琴さんは続けて問いかけた。

「さっき、ポケットからレシートが出てきましたでしょう? 先輩は、それを大切そうに手帳の中に挟まれましたわ。でも、ちらりと見たら、そのレシート、コンビニの名前が付いていました。コンビニで買い物をしたレシートをきちんと取っておくのは、家計簿に記載する必要があるからだろうって、推理しましたの」

「それも当たり。それじゃ、特待生の件と学科の件は? どうしてわかった?」

「先輩がさっき、そのバッグからお出しになったノートパソコン、学費全額免除の特待生だけに、大学からプレゼントされるものでした。涼子も実は、その特待生になるつもりで勉強していたんです。残念ながら、そのノートパソコンを手にすることはできなかったんですけど……でも、そのおかげで、一目見て、あのパソコンだってわかりましたの。天板に大学のマークが付いていますし。それから、学部の件ですけど、さっき宇野浩二っていう名前の作者の『芥川龍之介』っていう題名の、古い文庫本が見えました。付箋がいっぱい付いていて……ですから、お勉強のために読んでいらっしゃるってことが、すぐにわかりましたわ。涼子、宇野浩二っていう人のこと、あまりよくわからないんですけど……たしか文学史で何度か名前を見たような……そんなあまり知られていない作者の本をお勉強なさるっていうことは、国文科のかたにちがいないって推理したんです」

宇野浩二があまり知られていない、という点には異論がある。だが、考えてみたら真琴さん自身も、高校時代には宇野浩二の本など一冊も読んだことがなかったのだから、大きなことはいえない。それよりも、涼子の観察力の高さ、推理の鋭さには驚かざるを得ない。まるで本物のシャーロック・ホームズのようではないか。この子は、バカではなかったのだ。

「すごいな。感心したよ」

「そんな……涼子、少し恥ずかしいです」

唇の端に微笑の影を浮かべながら、あまり恥ずかしそうでもなく、涼子はそう答えた。恥ずかしそうどころか、かなり威張っているようにも見える。でも、その表情に独特の愛嬌があって、憎めない。

同時に今の話から、真琴さんは自分の『濃夢』がなくなっていることを思い出した。いったい、どこにいったのだろう。ロッカーの中かもしれない。

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だが、真琴さんはロッカーを開けてみる前に、左の手首にはめていた腕時計を外した。大学入試のときに父親から借りて気に入ったので、そのまま返さずに自分のものにしてしまった、安い男物の腕時計である。白い文字盤に銀色の針と目盛りのあるアナログ式で、日付機能は付いていない。ロッカーの中身を確認するあいだ、それを涼子に渡して、推理させてみようと思ったのだ。少し前までは、合成皮革のベルトがちぎれかけてみっともないことになっていたが、二、三日前に大学の近くの時計屋でベルト交換をした。だから、今では人に貸すのもそんなに恥ずかしくはない。ただし、時計本体は千円だったと聞いているのに、ベルト交換で二千円取られたのには、少し釈然としなかったのだが……。

「ねえ、秋月さん。次は、この時計でなにか推理してみてくれない? ほら、ホームズもそんなことをしたことがあっただろ? ワトソンの時計を見てさ」

「『四つの署名』ですね。でも、さっきも申し上げましたように、ホームズって、しょせんは小説の登場人物ですから……実際には、そう簡単にはいきませんわ」

さっきまでとは反対に、今はなんだか涼子のほうが現実主義者のような顔をしている。生意気な――そんなことを思いながら、真琴さんはベルトをティッシュできれいに拭くと、涼子に手渡した。

「そう言わずに、とにかくやってみて。ほら」

「はい、先輩」

涼子は、そう返事をすると、両手のてのひらを合わせて時計を受け取った。真琴さんは立ち上がって、壁際にあるロッカーへと向かった。ひょっとすると無意識のうちに、自分の『濃夢』をその中にしまいこんだのではないかと思ったのだ。

「あの……新宮先輩?」

「ん?」

「涼子、スマホでちょっと調べ物をしてもかまいませんか。これだけだと手がかりが少なくて。時計のメーカーなんかを調べてみたいと思うんですの」

「いいよ。それに、私からもヒントをあげる。その時計はね、一年と少し前に、ある人からもらったものなんだ」

「ありがとうございます」

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『濃夢』は、ロッカーの中にもなかった。真琴さんは、小さく舌打ちをした。もう探せるところはすべて探してしまった。部室の隅の段ボール箱の中に、『濃夢』はまだ何冊も残っている。部員は一冊百円で買うことができるようになっている(一般には三百円で販売)が、また百円を出すのも腹立たしい。それに、合評会に備えて既にあちこちに書きこみをしていたのだが、その作業を繰り返すのもバカバカしい気がする。

なんとも釈然としない気分で、真琴さんが振り返ると、涼子が椅子に腰かけたまま、まっすぐにこちらを見つめていた。その二つの目は、なぜか涙ぐんでいるようだ。

「どうしたの?」

「あの……先輩? こんなこと申し上げると、叱られるかもしれませんけれど……」

涼子の声が、急に芝居がかった悲劇調のものに変わっていく。

「ああっ。でも、涼子……思い切って申し上げますわ。先輩にも、いつまでも忘れられないかたって、いらっしゃると思います。そのかたは、亡くなったのかもしれません。それとも、なにか深い事情があって、先輩のもとを去らなければいけなかったのか……それは涼子にもわかりません。そのかたを想いつづけていらっしゃる新宮先輩の深い愛……とっても美しいと思います。でも……でも……やっぱり未来にも目を向けなければいけないって、涼子、そう思いますの。ね? 先輩。先輩の傷ついたお心、この涼子が慰めてさしあげますわ。ですから……ですから……」

「ええっと」

真琴さんは、椅子にドスンと腰かけると、頭の後ろで手を組み、大きく胸を反らせて深呼吸をした。とにかく落ち着こうと思ったのだ。

涼子の顔を見つめる。二つの目がすっかり潤んで、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうだ。

なんだ? この不思議な生き物。

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「言ってることがよくわからないんだけど……いったい、どうしたの?」

「推理したんです」

「うん」

「涼子、この時計を見て、推理したんですわ」

「そうだね」

真琴さんは、涼子を刺激しないように、優しく言ってやった。この美少女は、さっき真琴さんが舌打ちしたのをなにか勘違いして、ナーバスになっているのかもしれない。

「それで、どんなことがわかったの?」

涼子は、少し早口になってしゃべり始めた。それでもやっぱり、声はまろやかで、耳に心地よい。

「この時計、男性用ですわね。それで、先輩のお話では、一年と少し前にプレゼントされたものだとか……ということは、先輩が高校三年生だったとき。どなたか、先輩の大切な人からの贈り物だったのではないかって、そう思いますの」

まあ、父親は父親だから、大切な人であることは間違いない。だが、そもそもこの時計は、はたして贈り物だと言えるだろうか。父親から借りて、そのまま返さずにいただけなのだ。考えてみたら、さっき真琴さんの出したヒントは、期せずしてミスリードになってしまっていたのかもしれない。

だが、そのことは言わずに、真琴さんは話の先を促した。涼子の勘違いの正体が、おぼろげにわかってきたような気がする。

「それで?」

「この時計、スマホで調べてみたら千円くらいでした。ですから、時計自体には、そんなに大きな価値はないと思うんです。でも、ベルトはとっても新しいものです。これは、つい何日か前に交換したものではないでしょうか」

「その通り」

「ベルトを交換するということは、この時計を今後も使い続けるおつもりだということですわ。でも、やっぱりスマホで調べてみたんですけど、ベルト交換だけで、元の時計の値段よりも高くなってしまうことがわかりました。経済的に考えると、ちょっと変な話です。それでも先輩がこの時計にこだわるのは、どうしてだろう? それで、涼子、次はこんなふうに考えてみたんです。もう一度申し上げますけど、この時計、男性用ですわ。もちろん、ファッションとして、わざと男性用の時計をつける女性もいますけれど、先輩の場合は、それには当てはまらないようです。なぜって、コーディネイトとしては、少しちぐはぐですもの。つまり、先輩は別に、ファッションとして男性用の腕時計を好んでいらっしゃるわけではありません。そう考えると、そもそもこの時計をプレゼントされたっていうお話自体が、不自然なんです」

「というと?」

「だって、新宮先輩がファッションとして男性用の腕時計を好んでいるわけでもないのに、男性がこんな時計をプレゼントするはずはありませんわ。もしプレゼントするなら、女性用のものにしたはずです。ですから、これを贈られたっていうのは、普通の意味でのプレゼントではなくって……ああっ。涼子、これ以上語るのが恐ろしいです。つらいです。でも……でも……思い切って申し上げますわ。この時計は、ある男性の形見なんです! そうとしか考えられません。その男性は亡くなったか……そうでなくても、二度と先輩とは会えないところへ行ってしまった。先輩は、その男性の家族のかたから、たぶん形見としてこの時計を受け取られたんです。そして、そのかたをけっして忘れない。そんな誓いのもと、この時計をつけていらっしゃるのに違いありません! でも……いつまでも亡くなったかたのことを悲しんでいるばかりではいけません。その男性も、先輩がそんなふうに過去にとらわれ続けることは、きっと望んでいらっしゃらないはず!」

涼子の声が、ひときわ高くなった。とうとう両の目から、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

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「いかがです? 新宮先輩。この推理、外れてまして?」

「ああ、いや、うん」

真琴さんは、この可憐な美少女に対して抱いた感想を一度変更していたが、それを再び変更することにした。

やっぱり、バカなのか? そうだ。きっとバカなのだろう。

涼子は、真琴さんの顔を見つめて――

「あの……ひょっとして……少し外れてましたでしょうか?」

「いや、少しじゃなくて、全部外れてたよ」

「あら!」

しかし涼子は、どことなく嬉しそうな顔をしている。ハンカチを出して涙を拭うと――

「じゃあ、先輩。あの時計は……」

「父親からもらったんだ。まだ死んでない。ピンピンしてるよ。ほら、受験のとき時計があったほうがいいだろ? それで、父親の持っている奴の中から一番安いのを借りて、そのまま使ってるのね」

「女性用の腕時計に変えないのは、どうしてです?」

「このほうが文字盤が大きくて、見やすいから。それから、コーディネイトとして変だっていう話だけど……実は私には、そのあたりのことが、あまりよくわからないんだ。ファッションに興味がなくって。そんなに変なのかな」

「それほど変ってわけではありませんけど……。それじゃ、ベルト交換したのは? 同じような男性用の時計を買ったほうが、安く済んだんじゃありません?」

「たしかにね。ちょっとバカバカしいような気もした。このベルト交換に、二千円かかったしね。でも、その交換を頼んだ時計屋には、二千円以下で、私好みの時計が売ってなかったんだよ。千円くらいで買える時計もいくつかあったけど、どれもデザインが妙に派手で……ほら、この時計……」

真琴さんは、涼子の手から腕時計を受け取ると、それを手首にはめて――

「飾りがなくて、シンプルなデザインだろ? こういうのが、なかったんだ。それに私は、まだちゃんと動いている機械を買い替えるっていうのが苦手なのね。だから二千円出して、使い続けることにしたんだよ」

「それをうかがって、涼子、とっても安心いたしましたわ」

15

涼子はなぜか、ほっとしたような様子だったが、すぐにまた表情を改めると、こんなことを言いだした。

「でも……推理がすっかり外れるなんて、涼子、悔しくてたまりません」

真琴さんは、思わず短い笑い声をあげてしまった。

「その前は、あんなにズバズバ当たってたのにね」

「そうですわ。あのときは、先輩に誉めていただいて、涼子、とっても得意な気持ちでしたのに。こんなことになってしまって……先輩が今、涼子をご覧になる目、すごくバカにした感じで……」

「いや、そんなことはないよ」

「そうでしょうか」と、涼子は疑わしそうに真琴さんを軽く睨むと――

「ところで、先輩。さっきからずっとなにかを探していらっしゃるみたいですけど」

「鋭い推理だね」

「まあ。また、涼子をバカになさって。そんなこと、だれが見たってわかるじゃありませんか。それにしても、いったいなにを探していらっしゃいますの?」

「うん。『濃夢』っていってね、うちの部誌。自分用に一冊持っていたんだけど、どこにも見当たらないんだ」

「その雑誌でしたら、涼子も昨日、一冊いただいてさっそく読んでみましたわ」

「偉いな。私のも読んでくれた? 『横溝正史のトリック流用について』って奴だけど」

「あっ。あれは先輩の書いたものだったんですね。とってもおもしろかったです。涼子、横溝正史が捕物帳も書いてるってこと、よく知りませんでした」

「『人形佐七捕物帳』ね。あれは、かなりおもしろいよ」

真琴さんは、横溝正史の作品をずいぶんたくさん読んでいる。実家に母親の集めた角川文庫が七十冊ほどあり、いっぽう父親の集めた春陽堂の『人形佐七捕物帳全集』が全十四巻、すべて揃っている。そのせいで中学生のころから横溝正史を読み漁っていたのだが、そのうちに気づいたのは、「人形佐七捕物帳」で使われたトリックが、現代――といっても昭和の話だが――を舞台にした金田一耕助ものなどに、いくつも流用されている、ということだった。

最初はそのトリック流用の全リストを作るつもりだったのだが、いざ取りかかってみると、なかなか困難だった。そこで、二、三の作品だけに焦点を当てて書いてみたのが、今回の『濃夢』に載っている「横溝正史のトリック流用について」という文章である。

「人形佐七捕物帳、涼子も読んでみたいです」

「じゃあ今度、貸してあげるよ」

「ありがとうございます。でも、その先輩の『濃夢』って、いったいどこへ行ったんでしょうねえ。あっ、そうだ!」

「どうしたの」

「涼子が、その消えた『濃夢』の行方を探り当てたら、先輩は涼子のこと、見直してくださいますか」

「そうだね。見直すと思うよ。それだけじゃなく、すごく感謝すると思う。実はさっきから、見つからなくてイライラしてるんだ。私は、気になったことを一つ一つ解決していかないと気が済まないところがあって……よくない癖だと思う。自分でも直そうと思ってるんだけどね」

「大丈夫です。この少女探偵、秋月涼子が、きっと探し出してさしあげますわ。涼子、この事件を『消えた部誌の事件』って名づけたいと思います」

「そういうことは、見つけてから言ったほうがいいと思う」

16

涼子は、部室の中をゆっくりと歩きまわりながら、真琴さんに次々と質問を出していく。なんだか得意そうだ。どうやらポアロの真似でもしているらしい。ままごとでもしているような気分になって、真琴さんはなぜかしら椅子の上で笑いたくなってしまう。

「じゃあ、先輩は午後四時五十分まで、この部室にいらっしゃったんですね。そのときには、『濃夢』はたしかにありましたか」

「もちろん。だって、そのとき読みながら、書き込みなんかしていたんだから」

「そして、机出しのために部室を出た……」

「そう。五時から六時までが、私の担当だったからね。そのとき、『濃夢』をこのバッグの中に入れて持って出たつもりだったけど――」

真琴さんは、大きな布のバッグを持ち上げて見せた。

「向こうに着いて確かめたら、入ってなかったんだ。だから、私は部室に忘れたんだろうって思ったわけ」

「忘れたとしたら、どこに置いていたと思われます?」

「この机の上だね。ほら、この本。西洋文学概論の教科書だけど、この本やノートを、机の上に置いていたんだ。私は、この部室でレポートとかをやっつけることが多いから。あのときも、この本とノートが机の上にあって、その隣にでも置いたんじゃないかと思う」

「そのとき――つまり、新宮先輩が部室を出られるとき、ほかにだれかいました?」

「何人かいたよ。秋月さんはまだ名前を知らないだろうけど……あっ。でも、加賀美先輩のことは知っているんだったね。その加賀美先輩と、ほかに二人、三年生の人たちがいた。でも、そのあと私が帰って来る前に、みんなホールのほうに行ったみたいだね」

「ひょっとしたら……」

涼子がふいに立ち止まった。

「だれかが嫌がらせのために、先輩の『濃夢』を持ち出したってことは?」

「ああ、それはちょっと思ったけど」

実際、真琴さんはさっき、そんなことまでちらりと考えたのだ。だが、その考えはすぐに消えてしまっていた。

「可能性は、ごく薄いと思う」

「なぜです?」

「一つは、時期が変だってこと。もし以前からの私の知り合い――たとえば、このミス研の部員のだれかとかね――そんな人が、嫌がらせのために私の物を隠すなんてことをするのなら、去年のうちにやってたんじゃないかな。だって私は、去年の秋あたりから、この部室でレポートなんかをやっつけるようになって、ノートや本をよく机の上に置いていたんだし……ときにはパソコンとかまでね……でも、これまで一度も、こんなふうに物がなくなったことはなかったんだ。それを、この四月になっていきなりやるっていうのは、ちょっと考えにくい。それから、もう一つ。もし嫌がらせのために物を隠すとしたら、この本やノートを隠したほうが明らかに効果的だってこと。なくしたら、すぐに講義に差し支えるわけだから。それに比べると、『濃夢』を隠したって、私に実質的なダメージはほとんどないもの」

「先輩って、冷静で論理的な頭脳をお持ちですのねえ。涼子、とっても感心してしまいました」

17

涼子は、再びゆっくりと歩きまわり始めた。

「そのなくなった『濃夢』には、先輩のものだっていう印かなにかあります? たとえば名前を書いていたとか」

「あるよ。マルシンマークが付いてる」

「マルシンマークって?」

「ほら、これ」

真琴さんは、バッグの中からノートを取り出して、その裏表紙を見せた。そこには、「新宮」の「新」の文字を大きくマルで囲んだマークが、手書きで描いてある。同じものを、『濃夢』の裏表紙にも描いていたのだ。

「なるほど」

涼子はそれを見ると、また立ち止まった。そして言った。

「涼子、先輩の『濃夢』を見つけられそうな気がします。たぶん犯人がわかりましたわ。もっとも犯罪というわけではなくて、ただのちょっとした間違いだと思いますけど……」

「本当か。それで、犯人っていうのは?」

「先輩が、まだお会いになったことのない人物です。ああっ、でも……さっきみたいに外れてしまったら、涼子、とっても恥ずかしいです。ですから、一本だけ電話をかけさせてください」

そう言うと、机の上に置いていたバッグからスマホを取り出し、それを持ってドアのほうへと歩き出した。

「すぐに戻ってまいります」

どうやら廊下に出て、誰かに電話をかけているらしい。「裏表紙」「マルシンマーク」「新宮先輩」といった単語が、切れ切れに聞こえてくる。

涼子は、すぐに部室に戻ってきた。そして高らかに宣言した。

「先輩、喜んでください。今度の推理は当たっていましたわ!」

「おめでとう」と、とりあえず真琴さんは、そう返事をした。

18

新入部員らしい。なんだかすごくニコニコしている男の子だった。すらりとしていて、最初は背が高く見えたのだが、近くで見るとそれほどでもない。真琴さんより少し高いだけだから、一七〇センチくらいか――『濃夢』を一冊差し出して、深々とお辞儀をした。この男の子も、涼子に負けないくらい礼儀正しい人のようだ。

受け取った部誌を見ると、たしかに真琴さんのものだった。裏表紙に、例のマルシンマークがくっきりと描かれている。

「すみません、先輩。間違って、ホールのほうに持って行っちゃってました」

「でも、どうして」

「それはですね……」と、その子が説明を始めようとした途端、涼子が割りこんできて――

「あっ。それは涼子が説明しますわ。和人くんは、早く蘭子先輩のところまで戻っていってあげたほうが、いいと思います」

そう言いながら背中を押して、その男子学生を廊下に追い出してしまった。でも、今の言葉でその子の名前だけはわかった。

「今の人が、蘭子先輩の許嫁の、萩原和人くんです」

「らしいね。でも、どうして彼が私の部誌を持っていたんだろう」

「実は涼子、先輩の持っていない情報を、自分だけ持っていましたの」

「というと?」

「こちらに来る前に、LINEで和人くんと連絡を取り合っていたんです。それで、和人くんが五時半くらいに部室に着いて、それから蘭子先輩たちに頼まれて、部誌をホールのほうに運んだっていう話を知っていたんです。それで涼子、こう思いましたの。和人くんは、持って行く部誌――たぶん十冊か二十冊か――それをまず机の上にドンとまとめて置いたんですね。そして、しばらく誰かとお話なんかをして……さて、これから持って行こうとしたときに、近くにあった先輩の部誌が、目に入ったと思うんですの。それで、ああ、これも忘れてはいけないって、いっしょにして持って行ったんじゃないか。涼子、そう推理したんです」

19

「なるほど。でも、聞いてみたらごく簡単な話だね」

「あっ。それは、ホームズの種明かしを聞いたときの、依頼人たちの台詞にそっくりですわ。それでホームズはいつだって、種明かしなんかしなければよかったって、後悔するんです。……いけません、いけません。先輩は涼子に感謝してくださるって、さっきはっきりおっしゃったじゃありませんか」

「いや、もちろん感謝はしているよ」

「では、あの……あの……」

涼子は、両手のほっそりとしたきれいな指を胸のところで絡ませながら、真琴さんの隣の椅子に腰かけた。そして、さっきのように身を寄せると――

「先輩のその感謝の気持ち。形に表していただきたいってお願いしたら、わがまますぎるでしょうか」

「形に表すって、どうしてほしいの?」

「たとえば、頭をそっと撫でていただくとか……」

「そうだなあ」

真琴さんは、しばらく考えこんだ。そして言った。

「それはいいんだけど、ちょっと危険なことになりそうな気がする」

「危険なことって?」

「頭を撫でていたら、キスをしたいっていう気持ちになってしまうかも。だって、秋月さんは、すごく可愛いからね」

「涼子、その危険は、甘んじて受け入れる覚悟です」

「本当に?」

「本当ですわ」

真琴さんは右手を伸ばし、涼子の髪を撫でた。さらさらして、実に心地よい感触がした。涼子は、目を閉じて顔を仰向けている。真琴さんは、その顔に自分の顔をそっと近づけた。そのとき、ノックの音がした。真琴さんは時計を見た。約束の八時になっていた。

20

はじかれたように、涼子が立ち上がる。真琴さんも椅子を少し後ろにずらした。ドアが開き、福間くんの顔がのぞいた。

「あっ。秋月さん、こんばんは。新宮さん、時間だよ。片づけ――手伝ってくれるかな」

「了解」

そう言って真琴さんが立ち上がり、ドアのほうに向かうと――

「あっ。わたしもお手伝いします」と、涼子もついて来た。

そのときのことである。背後から、「ああんっ、もうっ」と、小声で呟く涼子の声が聞こえた。真琴さんは振り返ると、にっこり笑って言った。

「惜しかったね。でも、またの機会に……ね?」

「はい、先輩」と、涼子は少し足を速めて、真琴さんの腕に自分の腕を絡めてきた。

◆おまけ 一言後書き◆
今回は、真琴さんと涼子の馴れ初めの話を書いてみました。当然、まだSM行為には至っていません。悪しからずご了承くださいませ。

2021年10月17日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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