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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第40話 注文の多い依頼人――どえむ探偵秋月涼子の怒り

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第40回目は「注文の多い依頼人」。「どえむ探偵涼子」のもとに舞い込んできたのは特殊な身辺調査の依頼。それにはSのお姉さま・真琴さんの協力が条件で、やけに注文の多い依頼人を不審に思った涼子は真琴さん目当ての依頼だと推理するが……?

後に涼子が「注文の多い依頼人の事件」と呼ぶことになった出来事は、こんなふうに始まった。

十月半ばのある夜のこと。真琴さんは、そのときたいへん幸せな気分でいた。自室のベッドの上、薄い毛布にくるまって、同性の恋人である秋月涼子と抱き合ったまま、うとうととまどろみかけていたのである。

新宮真琴さんは、聖風学園文化大学文学部国文科の三年生。サークルはミステリー研究会(ミス研)に所属し、その美貌と長身、ときどき口から飛び出す辛辣な一言から、ミス研の女王と呼ばれている。そしてまた、実際になかなかのS気質でもあることを、自分でも自覚している。

真琴さんの腕の中に抱かれている秋月涼子は、一つ年下の二年生。やはりミス研の部員で、真琴さんのことを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い後輩――というだけでなく、真琴さんの大好きなSM遊びのお相手まで務めてくれる、自称M奴隷でもある。

一口にSM遊びといっても、マンネリに陥らないようにするのは、なかなか難しい。涼子は真琴さんのてのひらで尻を叩かれるスパンキングが大好きなのだが、いつもいつもスパンキングばかりでは、さすがに(主に真琴さんのほうに)飽きがくる。その点、今夜はなかなか新鮮な時間を過ごすことができた。涼子発案の演劇的SMということで、「尋問ごっこ」にチャレンジしてみたのだが、予想以上に楽しかったのだ。

「あの……お姉さま?」

快い眠りの穴の中に滑り込もうとしていた真琴さんに、涼子がそっと声をかけた。

「ん? ああ、そうだね。そろそろ送っていかなくちゃ」

涼子は、県下でも有数の資産家として知られる秋月家のご令嬢。大切な箱入り娘だけあって、マンションで一人暮らしをしていても、外泊は禁じられている。毎日、深夜の十二時に実家から部屋に電話がかかってきて――それも両親からではなく使用人から――ちゃんとマンションに帰っているかどうか、チェックが入るのである。だから、今夜のように真琴さんの部屋に遊びに来た夜も、そのまま泊っていくというわけにはいかない。きちんと送ってやらなくてはならないのだ。

「いいえ、まだ、時間はありますわ。それよりも、ほら……さっきのお話ですけど。探偵の件。お姉さま、協力してくださいます?」

「ああ、あれね」

探偵? そうなのだ。涼子は、単なる真琴さんの恋人、M奴隷というだけではない。卒業したら自分で探偵事務所を開くのだと宣言している。しかも、自分はドМだから、世界初のドМ探偵として、大活躍するのだという。ミス研に入ったのも、探偵になるための下準備だというのだ。バカなのか? バカなのだろう。

もっとも、時に涼子が明敏な推理力を発揮するというのも、否定できない事実ではある。

どうしようか?

真琴さんが迷っていると、涼子は重ねて問いかけてきた。

「いかがです?」

「涼子は、どう思うの?」

「せっかく依頼があったんですから、涼子としては、やっぱり引き受けたい気持ちが強いんです。なにか、特殊な身上調査というようなお話でしたわ。ですから、涼子の得意な謎解きや推理とは、特に関係のないお仕事なんですけど……でも、実際の探偵業務って、ほとんどが浮気調査や身上調査だと思います。贅沢は言っていられません。それに、あちらは、ちゃんと費用も払うと言っていますから、冷やかしなんかではないと思いますの」

「でも、どうして私にまで声がかかったんだろう」

「それは、あの……ほら、先月の遺産探しの事件。あれが噂になっているんです。涼子とお姉さまの二人で、すごい遺産を探し出したって、とっても評判になっていますの。ですから、涼子一人ではなくって、お姉さまと涼子の二人組で探偵をやっているっていうイメージといいますか、印象といいますか……」

噂になっているって、その噂を振りまいたのは涼子自身だろう。そんな気もしたが、真琴さんは怒らないことにした。今夜はSM遊びがとてもうまくいった――つまり、それだけ涼子が可愛らしかったので、腹を立てるような気持ちにはなれないのだ。

それに、今回は話に乗ってやってもいいかなと思う理由が、もう一つある。実は、今月――それは十月のことだった――経済的に少々苦しくなりそうなのだ。少しばかり本を買いすぎてしまったのである。

「相手が費用を払うってことはさ、私が協力したら、その分、私にも報酬が出るのかな」

「もちろんです、お姉さま」

「いくらくらいになりそう?」

「まだ正式に決まってはいませんけど、今回は単なる身上調査ということですから、あまり期待はできませんわ。涼子、まだアマチュアですし……せいぜい数万円といったところじゃないでしょうか」

「それでも、報酬が出るならありがたいな。実は私、今月は少し苦しくなりそうなんだ」

「でしたら涼子、お姉さまに全額差し上げてもかまいません」

「それは嫌だ。きっちり折半ということにしようじゃないか」

「お姉さまのお好きなように。……あっ、でも、お金といったら、涼子がお預かりしている百万円があるじゃありませんか。あれをお使いになったら?」

「いや、あれはやっぱり、涼子が預かっておいて」

先月の遺産探し事件で、涼子は二百万円以上の報酬を受け取った。真琴さんも少しだけ協力したので、ぜひその半分の百万円と少々のお金を受け取ってほしい。涼子はそう懇願したのだが、真琴さんは初めのうち、「たいした協力もしていないから」と、それを拒否していたのだ。ところが涼子はなかなか納得せず、押し問答のあげくに、今は涼子に預けっぱなしになっている。(「第16話 隠された遺産――どえむ探偵秋月涼子の首輪プレイ」をご参照ください。)

「お姉さまって、なんだか不思議です。前回は、報酬なんて要らないっておっしゃっていたのに、どうして今回は……」

「だって、今回は最初から私も指名されているんだろ? その点が前とはちがうよ」

そう言ったが、実は本当はそれだけが理由ではない。額の多寡も重要なポイントなのである。百万円などと言われると腰が引けてしまうが、数万円を折半ということなら、ずいぶんと気が楽だ。

要するに、私は貧乏性なんだな――

そう思うと、自分で自分がおかしくなった。資産家のご令嬢である涼子とはちがって、真琴さんは庶民の娘。金持ちの子女が多く通う聖風学園の学生でいられるのも、学費全額免除の特待生という資格あってのことなのだ。

「ところで、特殊な身上調査っていうけど、どのあたりが特殊なんだ?」

「それはまだ。明日、依頼人のかたとお話をするときに、くわしくうかがうことになっていますの。あの……じゃあ、お姉さま? 明日ごいっしょしてくださるっていうことで、よろしいでしょうか」

「了解」と、真琴さんは答えた。

依頼人は、大島陽太くんという名の男子学生だった。経済学部の二年生で、映画研究会所属。涼子はミス研の渉外を務めているが、大島くんも映研の渉外をやっているとのこと。その縁で、涼子と知り合ったらしい。

大島陽太という名前から、真琴さんはなんとなく大柄で陽気な人物を想像していたのだが、実際の大島くんは、その想像とは対照的な人物だった。身長は一六五センチくらいで、男としては小柄な部類。性格は、(少なくとも第一印象では)ごく大人しそうな感じで、話をするときも視線を伏せていることが多く、声もけっして大きくはない。

ただし、話の内容自体は、かなり突拍子もないものだった。

「身上調査ということですけれど、いったいどなたの?」と問いかけた涼子に、大島くんはこう答えたのだ。

「ぼく自身の身上調査をお願いしたいんです」

さすがの涼子も、少し驚いたらしい。

「ええっと。それはつまり……」

「つまり、このぼく、大島陽太の身上を、調査してもらいたいわけ」

涼子は、言葉遣いがとても丁寧だ。後輩に対しても、ときには「ですのよ、ですのね」などといった言葉を使う。いっぽう、大島くんはそれほどでもないらしい。同学年で既に知り合いなのだから当然なのかもしれないが、すぐに敬語を使わなくなってしまった。

「要するに、ぼくがぼくの身上調査を依頼したいということだね」

「それは、また……どうして?」

「そうだなあ」

大島くんは、ちらりと視線を上げてこちらを見ると、また目を伏せて、しばらく考えこむような仕草をした。

「うまく伝わるかどうか……簡単に言えば、調査の目的は、ぼく自身がサークルカーストで、どこに位置するかを知りたい。そんなところかな」

「サークルカースト? あまり聞かない言葉のようですけど……」

「スクールカーストっていう言葉は、聞いたことがあるよね」

「まあ、聞いたことはありますけど……そんなもの、本当にあるんでしょうか」

「もちろんあるんだよ」

そう言うと大島くんは、ひとしきりスクールカーストについての蘊蓄を披露した。それによると、スクールカーストというのは既に社会学の研究対象となっていて、心理学や教育学でも真面目な問題として取り上げられているということだった。

「まあ、ネットでちょっと調べただけのことなんだけどね。でも、ぼく自身の中学・高校時代の体験から考えても、スクールカーストっていうのは、厳然として存在していると思う」

「なるほど」と、涼子。

「それでね」と、大島くんは声をひそめるような口調になった。

「スクールカーストがあるとすれば、サークルにだってサークルカーストがあるはずだろ? というより、人間の集団があれば、その中には必ずなんらかの階層的なものが生じるのは、当然のことじゃないかな」

「それはそうかもしれませんけれど……カーストっていう言葉の響きが、ちょっと涼子にはどぎつく感じられて……お返事に困ってしまいます」

「いや、サークルカーストっていうのは、まあ一種の比喩みたいなものでさ。要するに、ぼくが映研という集団の中で、どういう位置にいるのかっていうのを、ある程度客観的に調べてみてほしいわけ」

「でも、どうして?」

「自分がどういう人間かっていうのは、常に気になることじゃない?」

「涼子、自分のことは、自分がいちばんよくわかっているんじゃないかって、そう思いますけど」

その言葉を聞くと、大島くんは「んん……」と聞こえるような声を出した。笑いを噛み殺したような感じだった。それから実際に、唇の端に微笑を浮かべて――

「秋月さんらしいなあ。すごく自分に自信があるんだね。でも、こういうことって、なかった? つまりさ、自分では自分のことを賢明だと思っているのに、他人からはバカだと思われていて、びっくりしたとか……反対に自分ではバカなことをしたって後悔していたら、他人から妙にほめられたとか」

「あっ。それならよくありますわ。今、大島くんは二つの例を挙げられましたけど、涼子によく起こるのは、その前のほうの例ですの。涼子自身は、自分をけっこう利口だと思っているのに、あの……」

そこで涼子は、ちらりと隣に腰かけている真琴さんのほうを見た。

「お姉さまったら、涼子のことをいつも、バカだなあっておっしゃいますの。でも涼子、お姉さまからそう言われると、なんだか胸がキュンとしてしまって……」

「涼子」

真琴さんは、少しあわてて言った。そのままSMの話でも始めるのではないかと思ったのだ。

「話がズレてるよ」

「じゃあ、具体的には、私とお姉さまで、映研の皆さんに大島くんの評判をうかがって、それを報告すればいいんですね」

「そう」と、大島くんはごく真面目な顔でうなずいた。

「さらに具体的に言うと、サークルカーストを五段階に設定して、ぼくがそのうちのどこに位置するか、その結論だけを知らせてくれればいいんだ。誰がどんなことを言ったかなんてことは、知らせてくれなくてもけっこう。というより、それは原則として口外しないということにして、ぼく自身にはもちろん、他の人にも秘密にしてほしい」

「もちろん秘密は守りますわ。でも、誰がどんなことを言ったか、本当に知りたくはありませんの?」

「もちろん。だって、そんなことを聞いちゃったら、それがまた気になって、今後の人間関係に悪影響を与えそうじゃないか。ぼくが知りたいのは、個々人がぼくをどう思っているかってことじゃないんだ。あくまで集団内での自分の位置づけなんだよ」

「五段階っていうのは?」

「段階をつけるなら、そのくらいがちょうどいいんじゃない? 三段階だと大雑把すぎるし、七段階とか八段階っていうのは、ちょっと細かすぎるし」

「そうですねえ」

涼子は、首をかしげた。

「涼子には、抽象的すぎて、まだなんとなくピンと来ないんですけど。それに、たとえば調査が終わってから、五段階のうち一番上でしたって報告するとしますね。でも、それだって結局、涼子の主観にすぎないじゃありません? それで大島くんは、本当に満足なさいますの?」

「もちろん、純粋に客観的とは言えないさ。でも、何人かの人に話を聞いて、そのうえで秋月さんと新宮先輩がじっくり考えて判断したとしたら、それなりに信頼性があるものとして、ぼくは受け入れるよ」

涼子はまだ納得しかねるといった顔をしている。そこで真琴さんは、ちょいと背中を押してやることにした。たしかに変な話ではあるが、特に危険なこともなさそうだし――涼子が探偵をするという話になると、真琴さんはいつも涼子の身の安全のことが心配になるのだ――何人かの人に話を聞くだけで数万円の稼ぎになるのなら、断る理由はないではないか。

「涼子。引き受けたら? 別に難しいことでもなさそうだし」

「お姉さまが、そうおっしゃるなら……。でも、お姉さま? 言うは易く行うは難しですわ。映研の人たちにお会いしてお話をうかがうって言っても、さりげなくそれをやるのは、実際にはとっても難しいと思います。変な二人組が大島くんのことを、こそこそ探っているって、すぐに噂になってしまうと思いますの。そうしたら、お話をうかがうどころか、会っていただくことだって、なかなか……」

「あっ。その点については、ぼくにちゃんと考えがあるんだ。秋月さんだけじゃなく、新宮先輩にも出馬をお願いするのは、まさにこの点が関わっていてね。今から説明するよ」

真琴さんは本当に驚いたのだが、大島くんの説明は、それからたっぷり二時間ほどもかかったのである。おとなしそうな風貌から、最初はどちらかと言うと無口な人なのかな? と思っていたが、大島くんはむしろ雄弁な人だった。ただし、その雄弁はあまり高揚感を伴うものではなく、小声でぼそぼそと続く、いささか粘っこい感じのものだったが。

話の途中で、真琴さんはレポート用紙とボールペンを取り出して、要点をまとめておくことにした。その様子をちらりと見ると、大島くんは――

「ありがとうございます、新宮先輩。ぼくのほうで、要望を最初からまとめておけばよかったですね」

そう言うと、また涼子のほうに顔を向けて、しかし視線は伏せがちのまま、ぼそぼそと話を続けていく。途中で涼子が「あら、どうしてですの?」「そんなこと、あるでしょうか?」などと質問をさしはさむので、話はますます長くなった。

ようやく一段落したところで、真琴さんはメモを書いたレポート用紙を、大島くんの前に差し出した。

「どう? 大島くん……あっ、失礼。大島さん……」

初対面でもあり、一応は依頼人なので、さん付けにしたほうがいいと思ったのだが、大島くんの意見はちがった。

「いや、新宮先輩。ふつうの後輩に対する言葉遣いでお願いします。そのほうが、今説明した設定に合いますから。調査中も、ぼくのことを話すときは、くん付けで呼んでください。そのほうが自然です」

「じゃあ、そうしよう」

真琴さんは、レポート用紙の列挙したリストの最後に「⑧ 調査中、SはO氏を、くん付けで呼ぶこと。」と書き加えると、それを改めて大島くんに見せた。

「これで大丈夫かな。確認してみてくれない? 字が汚なくて申し訳ない。O氏っていうのは、大島くんのことね。Aは秋月さんのA、Sは私。新宮のSだよ」

そこには、大島くんの長い話の要点が、こんなふうにまとめられていた。

**********

① 調査の目的=O氏のサークルカーストにおける位置づけを知る。(調査期間=1週間)

② サークルカーストは5段階と設定し、O氏がどの段階に位置するかを報告。

③ Sを依頼人と偽装する。重要!

④ ③の詳細。Sは推理小説の執筆を計画中。その登場人物のモデルとして、O氏を候補に挙げる。そこで、SはAに依頼して、映研のメンバーからO氏の話を聞くことにする――という設定。(調査の本当の依頼人・目的を隠すため。)

⑤ 調査は、必ずAとSの二人連れで行う。(できるだけ客観的に判断するため。)

⑥ 調査中、O氏は旅行する。これは偽装ではなく、実際に旅行する。(O氏とA・Sが鉢合わせすることを防ぐため。また、映研のメンバーがO氏に余計な助言などをすることを防ぐため。)

⑦ 調査中、Aは毎日PM10時に、誰と会ったかをO氏に報告。報告は公衆電話からO氏のスマホへ。SNSは使わない。(スマホにAの履歴を残さないため。)

⑧ 調査中、SはO氏を、くん付けで呼ぶこと。

**********

「どう? なにか付け加えることがあるかな」

「いや、これでけっこうです。うん。大事なことが全部書いてある。さすが新宮さんは、頭がいいですね」

「でも……」と、涼子は、まだどこか納得いかないといった口調で言った。

「ほかにも大切なことが残っていますわ。映研の皆さんから大島くんについてお話をうかがう。それはよくわかりましたけど、具体的には、どなたにお会いすればいいんでしょうか」

「ああ、その点についてだけは、ぼくがリストを作ってきたよ。この四人。会う順番については、お任せする。できれば最初に会った人から紹介されて次の人に会うって具合に、自然な流れで会えればいいんだろうけど、まあ、そううまくはいかないだろうね。だから、ほら、ここに電話番号も書いてある。いざとなったら、直接電話をかけてもいいと思う。ただ、ぼくから電話番号を聞いたってことは、絶対に言わないでね。さっきの秘密厳守って言葉、信用してるから」

「でも、どうして電話番号がわかったんだって聞かれたら、どうお答えすればいいんでしょう」

「そんなこと、どうとでも言えるじゃない?」

大島くんは、そこで笑顔を見せた。笑うと、どことなく愛嬌のある顔だった。

「そうだ。秋月さんは、探偵をしてるって宣言しているんだから、こう言ったら? 探偵にとっては、電話番号を調べるくらい、ごく簡単なことだ。ただし、どうやるかは業務上の秘密なので、教えることはできないって」

「うーん」と、涼子はまだ、どこか心配そうだ。真琴さんは、ちょっと不思議な気がした。真琴さんの目から見ると、涼子はけっして石橋を叩いて渡るといったタイプではない。どちらかと言えば、むしろ軽はずみな言動が目立つほうだ。それなのに、今回は妙に慎重な態度をとっている。

「大丈夫。どうにでもなるって」

大島くんが、畳みかけてきた。

「だいたい秋月さんって、あの秋月家のご令嬢、しかもなかなか可愛いってことで、映研でもけっこう有名なんだよ。だから、秋月さんから連絡があったら、みんな一度は会いたがるって。……で、どう? 引き受けてくれる?」

涼子は、真琴さんの顔を仰ぎ見た。真琴さんが軽くうなずいてやると、涼子は仕方なさそうな口調で、大島くんの問いに答えた。

「お引き受けする方向で考えますわ。それで、調査料のことですけど……」

この調査料を決めるのに、またしばらく時間がかかった。涼子が提示した「諸経費プラス十万円」という金額を、大島くんが例の粘り強い口調で値切りにかかったのである。三十分を超える交渉の結果、十万円が七万円になったところで、ようやく話が決着した。ということは、真琴さんの取り分は三万五千円ということになる。

真琴さんは、クルマで涼子をマンションまで送ってやった。その車内での会話。

「ああしてほしい、こうしてほしいって、えらく注文の多い人だったね」

「本当にそうですわ。それも変な注文ばっかり」

涼子は、ほっと溜息をつくと――

「お姉さま、どう思われます? 大島くんって、ちょっと変な人だって感じがしませんでしたか。これまでは涼子、そんなふうに思ったこと、一度もなかったんですけど」

「たしかに、変なことを言ってたな。涼子のことを、なかなか可愛い、だなんて。涼子は、最高に可愛いのに」

「お姉さまったら、ご冗談ばっかり。涼子、真面目に話しているんですのよ。そもそも今回の依頼自体が、なんだかインチキくさいと思います。サークルカーストがどうしたこうしたって、とても本当のことだとは思えません」

「私は、少しはわかるような気がする。他人からどう思われてるかが気になって仕方ないっていう人、一定数存在するんじゃない?」

「でも、涼子、大島くんがそんな人だって、どうしても思えませんの。もちろん、これまでそんなに親しくしていたわけじゃありませんけど……でも、ほら、サークルの渉外が集まる会議なんかでも、大島くんって我が道を行くっていうのか、空気を読まないっていうのか……あんなぼそぼそした言い方ですけど、主張はとっても強硬なんですの」

「たしかにね」と、真琴さんはさっきの様子を思い出して、少し含み笑いをした。

「あの値切り方はなかなかすごかった」

「そんなことは、どうでもいいんですけれど……」

涼子は助手席で、真琴さんの書いたリストに視線を落としている。

「冷静になって考えると、お姉さまが推理小説のモデルにするために、大島くんのことを知りたがっているっていう設定、かなり無理があると思います。そんなこと、大島くんに直接会って話をしたらいいじゃないかって、誰でもそう考えるんじゃないでしょうか」

「それを防ぐためにも旅行に出かけるんだって、大島くん、そう言ってたじゃないか。会おうと思っても、旅行中だから会えない、だから話を聞きにきたっていう、そういう流れだろ?」

長い話の合間に、大島くんはそんなこともちらりと言っていたのだ。

「それはそうですけど、それもなんだか無理にこじつけた感じがします。ああっ。涼子のこの気持ち、どう言ったらいいんでしょう? 大島くんの今日のお話、最初から最後まで、なにもかも変な感じがして……」

「胡散臭いって感じ?」

「そう、それです、お姉さま! 胡散臭い。まさにその通りですわ。今回の依頼自体が、初めから終わりまで、全部胡散臭いんです! これって、一つの謎ですわ」

「たしかにね。あの大島くんっていう人、一癖ある感じがする。はじめは、ただ大人しいだけの陰気な人って感じだったけど、そんな簡単な人ではなさそうだね。でもね……涼子? ある意味で、かえって調査はしやすくなったとも思うよ。つまり、私は本当に、大島くんに興味が出てきたんだ。だから映研の人に、大島くんがどんな人か教えてほしいって、割と自然に聞くことができそうな気がする」

「あら」と、涼子がいきなり頓狂な声をあげた。

「ん? どうした?」

「あらあらあら!」

「だから、どうした?」

「涼子、謎が解けましたわ!」

「どういうこと?」

「今、お姉さまがおっしゃったでしょう? 大島くんに興味が出てきたって。それが狙いだったんですわ。大島くんは、お姉さまに恋をしているんです。それで、まずはお姉さまに関心を持ってもらうために、こんな嘘の依頼を涼子に持ち込んできたんですわ。だから、涼子だけじゃなくって、お姉さまにも探偵をしてもらわなくてはいけないって、あんなに強硬に主張したのに違いありません」

「それは……どうだろう?」と、真琴さんは懐疑的な声を漏らした。

涼子が時々明敏な推理力を発揮するというのは事実だが、逆の場合――つまり、推理がすっかり外れてしまうことも、しばしばあるのだ。

「その推理は、ちょっと怪しいな」

「いいえ、きっと当たっています」

涼子は、確信ありげに言った。

「でも、涼子、これで安心できました。さっきまで依頼の本当の目的がわからなくて、とっても心配でしたけど、わかってしまえば対処は簡単ですわ。もちろん依頼はきっちり果たします。でも、大島くんのお姉さまへの恋は、この涼子がしっかりブロックいたします。ね? お姉さま。それでよろしいでしょう? ああ、でも、まさか……お姉さまが大島くんの恋を受け入れたがっているなんてこと……そんなこと、ありませんわよね、お姉さま。ね? ね?」

涼子は助手席から、真琴さんの腕をつかみかねないありさまだ。

「涼子。まあ、落ち着いて」

真琴さんは笑いながら言った。

「そもそも大島くんが私に気があるなんてことは、絶対にないと思う」

「そうでしょうか」と、涼子は不満げだ。

「だって、三時間近く話していたのに、あの子、私の顔をほとんど見なかったんだよ」

「恋心があまりに強いせいで、目も上げられなかったっていう可能性がありますわ」

「今どき、そんな男はいないよ」

「わかりませんことよ、お姉さま」

「まあ、万が一、涼子のその推理が当たっていたとしても、私の気持ちのほうは安心していいよ。たしかに大島くんっていう人に興味は湧いてきたけど、恋愛の対象にはならないな。絶対に」

「そうですの?」

「そうだよ。だって私は、私のことをじっと見つめてくれる人が好きなんだ。涼子みたいに」

「わかりました、お姉さま。じゃあ、涼子、マンションに着くまで、ずっとお姉さまのお顔を見つめていることにいたします」

真琴さんは、また笑い声をあげた。

10

大島くんが真琴さんに恋をしている――という説を、涼子はなかなか捨てなかったが、それはある意味でよい効果をもたらした。調査に積極的になり出したのだ。大島くんの魂胆がわかったので――少なくとも涼子はそう思い込んでいる――不安がなくなったらしい。

涼子がその気になると、非常に高度な社交性を発揮する。そのおかげで、調査は順調に進んだ。真琴さん一人だったら、そんなにうまくはいかなかっただろう。

「でもさ、涼子」と、真琴さんはこんなことを言った。

「この調査って、実は最初から結果は決まっているようなものだよね。だって、大島くんが五段階のカーストのうちのどの段階に属しているか、それを報告するってことだけど……結局、それは私たちで決めていいわけだろう? だとしたら、よっぽどのことがない限り、上から二番目って報告することになるんじゃないかな。下の二つの階層っていうのは、ちょっと報告しづらいし、真ん中でしたっていうのも当たり前すぎる感じだし、一番上でしたって言うと噓くさくなっちゃうしね。もちろん、会う人会う人がすさまじい悪口を言ったとか、その反対に誰もが賞賛の言葉を惜しまなかったとか……そういうことがあれば別だけど、一度会った印象では、そんなことにはなりそうもない。だから、結局は上から二番目でしたっていう結論を伝えることになるんじゃないかな」

「さすが、お姉さま。あのとき涼子がぼんやり感じていた気持ちを、とってもわかりやすく説明してくださいましたわ。ええ。涼子もなんとなく、そんなことを考えていたんですの。大島くんはサークルカーストがどうしたこうしたなんて言ってますけど、こんな調査をしたって意味がないんじゃないかって。でも、お姉さま? 今はもう、そんなこと問題になりません」

「どういうこと?」

「だって、ほら、申し上げたじゃありませんか。大島くんの依頼の本当の目的は、お姉さまに関心をもってもらうことにあるんだってこと。ですから、私たちが報告する調査結果なんて、実はどうでもいいんです。それどころか、これから会う人には、大島くんからあらかじめ、ぼくのことはこんなふうに説明してくれって、頼んであるんじゃないでしょうか。『一見すると目立たないけど、実はなかなかの人物だ』って、そんなことを言うように、もうすっかり頼んであるんじゃないかって、涼子、そんなことを思ったりしますの」

「どうだろう?」

真琴さんは相変わらず、涼子の説には懐疑的だった。非常に懐疑的だった。

11

大島くんのリストには、四人の名が記されていた。そのうち初めに会ったのは、映研の幹事である三年生の瀬高智也くんである。

ちなみに真琴さんはこれまで、サークルの部長と幹事の違いがよくわからなかった。だが、涼子の話によると、ほぼ同じものだということらしい。部活動なので正式には部長なのだが――ミス研では部長と呼ばれている――サークルによっては、それを幹事と呼ぶこともある。そういう話だった。なお、他の大学ではどうなのか、それは涼子も知らないという。

「大島くん? なかなかできる奴だよ。大人しいけど、芯があるっていうのかな。ただ、もう少し自分の意見をはっきり言えばいいのに、と思うことがある」

瀬高くんはそう言うと、しばらくなにかを思い出すような表情をしていたが――

「よく、こんなことがあるんだ。サークル内で意見がまとまらないようなとき、大島くんは、自分の意見を俺に言わせようとするんだ。ぼくはこう思うんですけど、先輩、どう思います? もし同じ意見だったら、先輩から言ってみてくれませんかって」

「それで、そんなとき瀬高先輩は、どうなさいますの?」と、涼子。

「なかなかいい意見が多いから、ぼくからみんなに言ってやるよ。大島くんがそう頼んでいるんだから。でも、自分で言えばいいのにって思うけどね」

「それはきっと、大島くんが瀬高先輩を尊重しているからだと思いますわ」

涼子がそう言うと、瀬高くんは、まんざらでもなさそうな顔をした。それから――

「それにしても、どうして大島くんのことが知りたいの?」

真琴さんは例の噓を話した。つまり、推理小説を書こうと思っていて、その登場人物の一人として大島くんを使うことを思いついた、それで大島くんに興味が出てきたので、話を聞いて回っているという嘘である。

「ぼくには、興味は湧かないかな」と、最後に瀬高くんはそう聞いてきた。すかさず涼子が迎え撃つ。

「あの……興味っていっても、けっして恋愛につながるような興味ではありませんのよ。お姉さま……新宮先輩には、もう決まった人がいて、二人はとっても強い絆で結ばれていますの。ですから、そんなことはないとは思いますけれど、もしも瀬高先輩が恋愛対象としてお姉さま……新宮先輩のことを考えていらっしゃるのなら、たいへんお気の毒ですけれど、その思いは届かないと思いますの」

12

次に会ったのは、岡崎桃花さん、三年生。映研の部誌である「聖風スクリーン」という雑誌の編集長ということだった。

「大島くんの映画評は、とてもしっかりしているわ。独特な視点を持っているし……」と、なかなかの高評価である。ただ、ときどき締め切りを守れないことがある、というのが唯一の不満点らしい。それよりも岡崎さんは、真琴さんが推理小説を書いている、そしてそのモデルにするために大島くんに興味を抱いている、という話に深い関心を示した。

「私も推理小説はときどき読むけど、人物像が不自然なことが多いっていうのか……」

映画も文学も、その究極の目的は人間を描くことにある、というのが岡崎さんの映画観であり、文学観であるらしい。それは少しばかり古いのではないかと真琴さんは思ったが、議論は避けて、「そうかもしれませんね」と、消極的な賛同の意を表しておくだけにした。ついでに「推理小説を書きたいと思ってはいるが、本当に書き上がるかどうかはわからない」と、予防線を張ることも忘れなかった。読ませてくれなどと言って、ミス研に押しかけられたらたまらない。そう思ったのである。岡崎さんは、いかにもそんなことをしそうな感じの人だった。

13

三人目は、二年生の志賀大和くん。これまでの二人は大島くんにとって先輩だったが、この志賀くんは同学年ということになる。この段階になると、たぶん幹事の瀬高くんから話が回っていたのだろう、真琴さんが推理小説を書くために、大島くんについて聞きたがっているという話は、既に伝わっていた。

「大島くんがモデルって、犯人のですか? それとも被害者?」

「どっちでもないよ」と、真琴さんは答えた。それからすらすらと嘘をついた。腐ってもミス研の部員なので、推理小説の話になると口が滑らかになる。

「探偵にヒントを与える人物っていうところかな。その人物は、重要な手がかりを知っているのに、しゃべらないでいる。それが手がかりだということは、意識しないままね。それで……なぜそのことをしゃべらないかと言うと、聞かれないと口を開かない、でも、聞かれたらぼそぼそと、でも正確に話をする……そういうキャラを考えてるんだ」

「なるほど。大島くんにぴったりだ」と、志賀くんは大きな声で言った。

「大島くんって、そういうところがありますよ。いろいろ考えてるのに、自分からは口を開かないっていうのか……そのくせ、一度主張を始めると、頑として譲らない。ぼそぼそぼそぼそ話し続けて、結局は相手を説得してしまうんです」

「映研の部員としては、どうですの?」と、涼子。

「けっこう存在感あるよ。映画にはすごく詳しいし、難しいこともよく知ってるしね」

「じゃあ、映研の中心人物っていう感じなんでしょうか」

「いや、どうだろう? そうはっきりとは言えない感じですね。というのは、あの人は、つきあいが悪いんですよね。カラオケに誘っても、飲みに誘っても、めったに参加しないんだ。映研の正式な活動にはきちんきちんと出てくるんですけど」

敬語を使ったり使わなかったりしているのは、志賀くんはこのとき、真琴さんと涼子を交互に見ながら話していたからである。真琴さんを見ながら話すときには敬語を使い、涼子に向かって話すときには、敬語なしのいわゆるタメ口を使っている。首が右に左に規則正しく動いて、機械仕掛けの人形のようだ。

「ああ、なんだかイメージが固まってきたよ。ありがとう」

そう言って、真琴さんは話を打ち切った。

14

リストに書かれていた四人のうち、最後に会ったのは、星野綾さん。一年生。後輩の代表といったところか。

星野さんは、まっすぐに相手の目を見て話す人だった。そういう意味では、真琴さん好みである。それに、細面のなかなか魅力的な顔立ちをしている――といったことは、涼子にもピンときただろうから、真琴さんは今回はなるべく口を閉じておくことにした。真琴さんが星野さんに過剰な関心を持っているのではないか? そんな無用の疑惑を抱かせて涼子をやきもきさせるのは可哀そうだ、と思ったからである。

だから、推理小説を書いていて云々――という嘘を言ったあとは、ほとんど黙っていた。もっとも、その話はやはり伝わっていたらしく、星野さんは「ええ、聞いています」とごく簡単に答えただけだった。

「それで、どういったお話をしたらいいんでしょうか」

涼子はその問いに答えて――

「たとえば、サークルの先輩として見た場合、どんな印象をお持ちでしょう?」

「初めはちょっととっつきにくいかなって感じでした。無口な感じで……でも、話してみたら、まあ普通でした」

「普通……」

「そうですね。特別に親切ってこともなくて……まあ、普通ですね」

「映画評を書くっていうお話も、お聞きしましたけど……その辺りのことは、どう思われます?」

「映画のことについては、いろいろと教えてもらっています。でも、そんなに特別にすごいっていう感じはしないかな。あっ、これは悪口じゃないですよ。もちろん私なんかより、ずっと映画のこと知っていらっしゃるし、評論なんかでも難しいことを書いていらっしゃるし……ただ、ほかの先輩に比べて特にすごいっていう感じではありません」

「なるほど」

星野さんの話は、全体としてかなり平板な感じがした。大島くんの性格なり能力なりをズバリと表すような言葉が、なかなか出てこない。というより、わざとそうした言い方を避けて、当たり障りなく済まそうとしているようにも感じられた。後輩なので、先輩のことをあからさまには評したくないのかもしれない。

あまり刺激的なインタビューにはなりそうもないな。――二人の話を聞きながら、真琴さんはぼんやりとそんなことを考えていた。

ところが、いよいよ会談も終わりというころになって、ちょっと妙なことが起こった。

「私のほうからも、質問をしていいですか」

真琴さんのほうをじっと見つめて、星野さんはそんなことを言いだしたのだ。明らかに自分に対して言われた言葉だったので、真琴さんは「どうぞ」と答えた。

「新宮先輩は、ミス研の女王って言われているって聞いたんですけど、本当ですか」

「ええ、まあ。でも、それ……それは別に、誉め言葉じゃないんだよ」

真琴さんは、珍しく少し口ごもりながらそう言った。星野さんがあまりまっすぐにこちらを見つめているので、ちょっとどきまぎしてしまったのだ。

「私の態度が横着で、言動ががさつだから、みんながふざけてそう言っているだけだよ。どっちかと言ったら、悪口だね」

「そうですか。でも、本当に新宮先輩は、すごい美人ですね」

「それは、どうも、ありがとう」

真琴さんはそう答えたが、なぜか誉められたという気持ちにはなれなかった。

「ところで、さっきの話ですけど」

「さっきの話?」

「ええ。推理小説のモデルにするために、大島先輩のことを聞いて回っているっていう、あの話です」

「ああ、うん。その話ね。それが?」

「それって」

相変わらず、星野さんは真琴さんの顔をしっかりと見つめていた。

「嘘でしょう?」

「いや、嘘じゃないよ」と、真琴さんは星野さんを見つめ返しながら、きっぱりとそう答えた。

15

「星野さんって、鋭い人でしたね」

クルマに戻ると、すぐに涼子がそう話しかけてきた。

「例の口実が嘘だってこと、見破っていましたわ。それにしても、お姉さまもさすがです。嘘じゃないよって、平然とお答えになるんですもの。涼子、お姉さまのことが少し怖くなったくらいです。あんなに平然と嘘をおつきになれるなんて、びっくりいたしましたわ」

「いや、昨日あたりから、本当に推理小説を書いてみたいっていう気分になっていたんだ。それこそ、大島くんをモデルにしてさ。それに、今回の調査で会った瀬高くんや志賀くん、岡崎さんや星野さんもモデルにしたら、おもしろいかもね。殺されるのは瀬高くん。犯人は星野さん。動機は……どうしようかな……」

「涼子は出てきませんの? 探偵役で」

「本当に親しい人は、かえってモデルにしにくい気がする」

「あっ。それって、クリスティも同じことを、どこかに書いていましたわ。ちらりと見かけたような人ならモデルにすることができるけど、親しくなってしまったら、もうモデルにはできないって……そんなことを……」

「だろ? とにかく、半分くらいは小説を書いてみてもいいかなっていう気分になっていたから、あんなふうに答えることができたんだよ」

16

真琴さんと涼子は、大島くんのリストに載っていた四人以外にも、さらに三人の映研の部員に会い、話を聞いた。しかし、だいたいそれまでに聞いたことと同じような話が繰り返されただけだった。ということは、調査は特に問題もなく終了したということだ。

「で、結局、どんなふうに報告する?」

「最初にお姉さまがおっしゃった通りでいいと思います。五段階のうち、上から二番目。大島くんも、そんな報告を予想しているはずですわ。というのも、くどいようですけど、大島くんの本当の目的は、サークルカーストにおける自分の位置を知りたいなんてことではないんですもの。お姉さまの関心をひきたい。できればお姉さまと親しくなりたい。それが目的なんですわ」

「私は今でも、その意見には賛成できないけどね」

「いいえ、涼子の考えが当たっているはずです。お姉さま? きっとそのうち、大島くんからなんらかのアプローチがありますわよ。でも、涼子、そのアプローチをがっちりブロックさせていただきます」

だが、その涼子の予言はすっかり外れてしまった。涼子から大島くんへの調査結果の報告、そして大島くんから涼子への調査料の支払いが滞りなく行われると、その後、真琴さんたちと大島くんの関係は、ぷっつりと切れたままになったのである。

「おかしいですわねえ」と、涼子は首をかしげている。

「いったいあの調査の目的は、なんだったんでしょう。まさか本当に、サークルカーストがどうしたなんて話のはずはありませんし」

「たしかに、謎だね」と真琴さん。

「でも、いいじゃないか。私にとってはいいお小遣い稼ぎになったし、別に不愉快な目にもあわなかったし」

「でも、とっても気になりますわ」

17

それからしばらく経ったある土曜日の夕方のこと。真琴さんは、涼子といっしょに大学の近くのレストランで食事をとっていた。大島くんと初めて会った、あの店である。今夜は、これから涼子を自室に連れ帰って、楽しいSM遊びに興じる予定なので、真琴さんは上機嫌だった。

食事を終えて、コーヒーを飲んでいたとき、涼子がはっと身構えるような仕草をした。

「どうしたの?」

「お姉さま、あれをご覧になって」

――という囁き声に促されて、後ろを振り返ると、レジのところに大島くんが立っていた。支払いをしているところらしい。大島くんは、一人ではなかった。真琴さんたちの嘘を見破った例の一年生、まっすぐに相手を見つめる癖を持つ、あの星野綾さんといっしょだった。

目が合った。大島くんは軽く会釈をして、店を出て行った。ところが、星野さんは真琴さんをしっかりと見つめたまま、少し早足でこちらに近づいてきた。

「新宮先輩、一応報告しておきますね」

真琴さんたちの席のところまでくると、星野さんは少しだけ刺々しい感じの声で言った。

「私たち……私と大島先輩、お付き合いすることになったんです」

「それは……おめでとう」

「どういたしまして」

星野さんはくるりと振り返ると、つかつかと靴音を響かせながら去っていった。

「なんだ、あれ?」

「まあ!」

いきなり涼子が頓狂な声をあげた。

「ん? どうした?」

「まあ! まあ! まあ!」

「だから、どうした?」

「涼子、今度こそ謎が解けましたわ! 大島くんの依頼の本当の目的は何かっていう、あの謎が!」

18

「ほう」と、真琴さんは我ながら間が抜けて聞こえる声を出した。涼子が興奮している理由がわからない。

「で、その目的っていうのは?」

「星野さんの気を引くためだったんですわ。ね? お姉さま、おわかりでしょう? お姉さまみたいな魅力的なかたが、大島くんに興味があるって宣言して、わざわざ映研まで訪ねてくる。しかも、それだけでなく、みんなに大島くんの話を聞いて回るっていうんですもの。推理小説のモデルにするなんていう、わかりきった嘘までついて。これって、映研の人たちにとっては、一つの事件ですわ」

「そうかなあ」

「そうですとも。こう考えると、サークルカーストの話も、まったく関係ないってことにはなりません。言ってみれば、大島くんは自分のサークルカーストを上げようとしたんです。お姉さまほどのかたが、大島くんのことを知りたがっている。ということは、あの大島くんって、ただ者じゃないぞ。そんなふうに、みんなが思うに決まっているじゃありませんか。それに、きっと大島くんと星野さんは、それ以前にかなり親しい関係になりつつあったって……涼子、そう思うんです。たぶん、大島くんは星野さんのことを気に入っている。でも、星野さんのほうは、気にはなるものの、まだ心が決められないでいる。そんな関係だったと思うんです。それは、ほら……星野さんだけが、変に大島くんのことを『普通の人』って強調していたことからもわかりますわ。あれは、気になっているからこそ、関心のないふりをしていたんです」

「そうかなあ」と、真琴さんはもう一度言った。

「そうですとも!」と、涼子はもう一度宣言した。

「そんな関係になっているときに、お姉さまが登場しました。星野さんは、どう思います? このままじゃ、大島くんをお姉さまに取られてしまうって、そう思うんじゃないでしょうか。そして、大島くんへと気持ちが急速に傾いていく。それを大島くんがうまく利用したにちがいありません。その結果、大島くんのもくろみ通り、二人はお付き合いすることになったんですわ」

「でも、涼子? その話は、私に限らなくてもいいじゃないか。涼子が現れたせいで星野さんが慌てだしたっていうことも考えられるよ」

「それは、涼子の存在も、少しは関係あったかもしれませんけど……でも、大島くんの狙いはお姉さまに定められていました。それは確実ですわ」

「どうして?」

「だって、大島くんの出した、あのたくさんの注文を考えてみたら、明らかじゃありませんか。調査は、涼子だけではなく、お姉さまと二人でやらなければならない。調査の依頼人はお姉さまということにして、しかもお姉さまが大島くんに関心を持ったからだという話をする。それに、調査のあいだ、お姉さまは大島くんのことを、くん付けで呼んでほしい……ね? どの注文にも、お姉さまが関わっているじゃありませんか」

「なるほどね。でも、それは全部、涼子の想像だろ?」

「想像じゃありません、推理ですわ。こう考えたら、すべてのピースがぴったりとあるべき場所に収まるんですもの」

涼子は、まるでポアロのようなことを言っている。生意気だなあ。真琴さんは、ちょっとおかしくなってきた。

19

ところが、涼子はひどく怒っているらしい。突然、こんなことを言いだしたのだ。

「涼子、許せませんわ。これだけは、許せません!」

「どうして?」

「だって、お姉さま、そうじゃありませんか。自分の恋愛のために、お姉さまをダシに使うなんて、とっても失礼ですわ。しかも、これはミス研に対する挑戦でもあります。ミス研の女王と呼ばれているお姉さまが、映研の一部員に手玉に取られるなんて……しかも、それをお姉さまのMである涼子が、知らないうちに手伝わされていたなんて。こんな屈辱ってありませんわ!」

「そう? 私は少しも腹は立たないけど?」

「どうしてです?」

「それはね……私は、女王だから。女王は、そんなくだらないことで、ぐちぐち言ったりしない」

「じゃあ、女王さまは、どんなふうにおっしゃいますの?」

涼子は突然、今までの怒りを放り出してしまったらしい。もともと、この美少女は、気分の切り替えが実に早いのだ。興味津々といった顔つきで、こちらを見つめている。大きな二つの丸い目。吸いこまれてしまいそうだ。

「そうだなあ」

真琴さんは、少し考えこんだ。それから、こう言った。

「一人称は、わらわ、でいい? ちょっと和風だけど。女王さまっていうより、お姫さまって感じかな」

「わらわ。素敵です」

「じゃあ……やってみるか。高貴なお姫さまは、こんなふうに言うの」

真琴さんは、少しだけ声の音程を高くした。

「小僧がわらわを利用して、自らの恋を成就させようとしたのかえ。下々の者というのは、こざかしいことを考えるものよのう。それで小娘が泡を食って、男とひっついたのかえ。下々の者というのは、かわゆいものよのう」

涼子は、さっきよりもさらに目を丸くして、こちらを見つめている。言葉も出ないようだ。どうやら、あきれはてているらしい。

これは……外したかな?

そう思って、真琴さんが照れ笑いを浮かべかけた瞬間だった。涼子が真琴さんのほうに、ぐっと上半身を伸ばしてきた。

「お姉さま、とっても素敵でした。涼子、胸がドキドキして……ああっ。もう、どうしたらいいんでしょう!」

「そ……そうか? それはよかった」

涼子は椅子から立ち上がった。すばやく真琴さんの隣の席に滑りこんでくる。そして、耳元に口を寄せると、こう囁いた。

「ね、お姉さま? 今夜のSMですけど、姫と腰元ごっこをいたしませんこと? もちろんお姉さまがお姫さまの役。涼子が腰元になりますわ。ね?」

「賛成」と、真琴さんはごく真面目な声で、そう答えた。

◆おまけ 一言後書き◆
今回の話は、時系列でいうと、「第17話 呪いの万年筆事件――どえむ探偵秋月涼子の屈辱」と「第18話 学園祭不連続盗難事件――どえむ探偵秋月涼子の鎖自慢」の間の話ということになります。次回はさらに時を遡って、真琴さんが二年生、涼子が一年生のころの話にしようと思っています。

2022年1月16日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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