本との偶然の出会いをWEB上でも

【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第48話 とても悪い子

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第48回目は「とても悪い子」。彼女が去り際にくれたのは立ち上がったら背丈が五十センチくらいになりそうな人形。とても悪い子で、ときどき酷い意地悪をするという人形だったが、もらってからは部屋の本棚の上でいつもおとなしくしていた。しかし、彼女から電話で会うことになって……。

彼女がゆっくりと扉を開くと、薄暗い部屋の中から、無数の音のないざわめきの気配が漂ってきた。数十の――いや、百体は超えているかもしれない――人形の、そのそれぞれの二つの目。ガラス玉や石、硬い樹脂で作られた動かない瞳が、それでも皆一様に、こちらを見つめているかのようだった。

静かに部屋の中を見回すと、彼女は満足そうにほほえんだ。そして――

「いいわ」と言った。

「みんなとても、いい子にしていたみたい」

それからもう一度、ゆっくりと確かめるように、一つ一つの人形を眺めていく、その彼女の瞳が、ふいに曇った。

彼女は、棚の上に腰かけていた一つの人形を抱きあげた。かなり大きな人形だった。もし立ちあがったら、背丈は五十センチくらいになるだろうか――大人びた少女の顔をした、ひどく古い人形。金髪。灰色の瞳。肌は古びて、淡い象牙色に変色し始めている。そのくせ、妙に若々しい匂いがするようだった。

「この子は、とても悪い子なの」と、彼女は言った。

「ときどき、それはひどい意地悪をするのよ」

人形の髪をやさしく撫でながら、彼女はじっとぼくの顔を見つめた。そして、ごく真面目な声で言った。

「この子、あなたのことが気に入ったみたい」

おだやかな声。秋の終わりのひんやりとした空気が、薄暗い部屋の中で少しだけ動いたようだった。その微かなそよぎのように、彼女の声はおだやかだった。

「あたしの代わりに、この子をかわいがってあげてね」

「まるで遠くに行く人のようだね」

「そう、遠くに行くの」と、彼女は答えた。

「だから、この子はあなたにあげる」

彼女は、嘘はつかなかった。たくさんの人形をたくさんの人たちに分け与えて、一人でどこかへ行ってしまった。

ぼくがもらった人形は、部屋の本棚の上で、いつもおとなしくしていた。なにも悪いことなどしなかった。とてもお行儀のよい人形だった。

彼女から電話があったのは、ちょうど一年がすぎたころ、やはり秋の終わりのことだ。夜。蛍光灯の光が、いつもよりも少しだけ黄色っぽく感じられたことを、ぼくは忘れずにいる。

「あたしたち、もう一度、会ってみるっていうのは、どうかしら」

「それは――悪い考えじゃなさそうだ」

ぼくはそう答え、連絡先を尋ねた。北の地方にある小さなホテルのようだった。耳慣れない市外局番を持つ、そのホテルの電話番号をメモに書きつけて、ぼくは電話を切った。そのとき、人形と目が合ったのだ。動かないはずのガラスの目。

ずっと見ていたのか。

結局、ぼくは彼女とは会えなかった。メモをなくしてしまったからだ。一日中探し回って、ついに見つけだすことはできなかった。そのほうがよかったのかもしれない。彼女ともう一度会って、いったいなにをするつもりだったのか。そして、そこからなにが始まるはずだったというのか。

それに、見つからないメモを探し続けているうちに、そもそも彼女からの電話なんて本当にかかってきたのだろうか、あれはぼくの願望が生み出した妄想ではなかったろうか――と、そんな気さえしてきたのだった。

しばらくすると、彼女から手紙がきた。手紙の文面はおだやかで、べつにぼくを責める言葉もなく、ただそれは少しだけ素っ気なかった。

ぼくはその手紙を、書き物机の上に放り投げた。封筒は、机の上に座っている人形の肩に当たると、乾いた音をたてた。

彼女の唯一の贈り物。大人びた少女の顔をした、古い人形。

おかしな話だった。ぼくはいつ、この机の上へ人形を置き換えたのだろう。思い出せない。

人形をそっと抱き上げる。隠されていたものが現れる。それは四隅がねじれたように捲れあがった一枚のメモ。見つからなかった電話番号。ぼくは人形の顔を見つめた。そして言った。

「本当に、おまえは悪い子だ」

◆おまけ 一言後書き◆
もちろんこれは、スマホなんぞというものが存在しなかったころのお話です。ところで、これのどこがSMなのか? と、お怒りのかたもいらっしゃるかもしれませんが、シリーズ名は「どことなくSM」なのでありますから、ときにはこんな感じのものになったりもするのです。強いて申し上げれば、この「大人びた少女の顔」をした人形がSですかね。

2022年9月20日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

SM小説家美咲凌介の連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第48話 とても悪い子 | P+D MAGAZINE TOPへ