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【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第52話 奇妙なしぐさと残酷な想像――どえむ探偵秋月涼子の戦慄

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第52回目は「奇妙なしぐさと残酷な想像」。ミステリー研究会の萩原和人くんの奇妙な仕草が気になったSのお姉さま・真琴さんと、その謎をあっさりと解いてみせたどえむ探偵・涼子。褒められて気を良くした涼子は、真琴さんの残酷な想像を推理することになり……?

「若さま、そろそろまいりましょうか」という蘭子さんの問いかけに、和人くんが立ち上がる。その気配を感じて、真琴さんは少しほっとした。実はさっきから、仲のよい婚約者同士の邪魔になっているようで気づまりだったのだ。

季節は四月の半ば、時刻は午後六時をすぎたくらいか――場所は、聖風学園文化大学のミステリー研究会(略してミス研)の部室である。

四年生の加賀美蘭子さんは、この大学の理事長の孫娘。萩原和人くんは、その婚約者で蘭子さんよりは二つ年下の二年生である。蘭子さんがその和人くんを「若さま」という変な呼び方で呼ぶのは、先祖伝来の事情があるそうで、なんでも和人くんの萩原家は、昔々この辺りを治めていた大名の家老かなにかの子孫にあたり、蘭子さんの加賀美家はその萩原家の庇護を受けて大発展してきたのだという。庶民の娘である真琴さんから見ると、なんだかなあ……といった妙に釈然としない感じを禁じ得ないのだが、それはそれとして、二人はたいへん仲がよい。

今も、別にイチャイチャするというわけではないのだが、控えめに交わされる会話にもしっとりとした円滑さがあって、それだけに真琴さんは自分が余計者に感じられ、少しばかり具合の悪い思いをしていたというわけ。

しかし、真琴さんにも事情があるのだ。

「新宮先輩は、涼子ちゃんを待ってるんですか」と和人くん。

真琴さんは軽くうなずくと、壁の時計にちらりと目を走らせながら答えた。

「ご飯の約束をしてるんだ」

そのあと涼子の部屋に泊まる予定であることは、黙っておくことにした。

「涼子ちゃんが先輩を待たせるのは、珍しいですね」

「美容院が混んでるんだって」

新宮真琴さんは、三年生。学費全額免除の特待生として入学し、三年生になった今も立派にその資格を保持している才媛。というだけではなく、ミス研の女王というあだ名に恥じない、ドS気質の高身長美女である――と、少なくとも本人はそう思っている。

そのドSの真琴さんを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕ってくれる可愛い後輩が、秋月涼子。和人くんと同じ二年生で、真琴さんのM奴隷を自称する美少女だ。

「もう、ほかに来る人もいないでしょうから、戸締りはお願いしますね」

蘭子さんがそう言って、和人くんのほうにそっと視線を走らせた。それに答えて歩き出しながら――

「じゃあ、お先に失礼します」

そう挨拶をしたとき、和人くんは妙なしぐさをした。片手を下に垂らしたまま、ぶるぶるっと震わせたのである。それが、なにかの合図のように見えた。

なんだ?

敏感に心に響いたのは、ほかにも誰かが同じようなしぐさをしているのを見た記憶があったからだ。たしか、昨日の部会のときに、別の男子部員が同じような動作をしているのを、見たような気がする。それから、もう一人――

それ、どういう意味? と聞こうとしたが、できなかった。ちょうどそのとき涼子がやってきたのである。

「皆さま、ごきげんよう」

――と、涼子はいつも元気な声だ。といっても、騒がしいというのではない。やさしい、まろやかな声なのだが、不思議と響きが深いのである。

「いかがです? この髪」

「あら、ずいぶん思いきったのね」と、蘭子さんはごく冷静に答える。

和人くんは、ニコニコしながらしばらく見つめたあと、「そうだなあ」と首をかしげた。

「悪い意味で言うわけじゃないけど、金太郎を思い出すね。まさかりかついだ金太郎」

と言ったのは、これまでセミロングだった涼子の髪が、プチボブというのか、かなり大胆なショートになっていて、おまけに前髪がパッツンと、本当に音でも聞こえそうな感じで、まっすぐ横に切りそろえられていたからだろう。

「お二人がけっして誉めてくださっていないということは、あたしにもわかります」と、涼子はやはり上機嫌のまま答えた。

「でも、涼子、探偵をやっていくには、このくらい活動的な髪型のほうがふさわしいと思いますの」

探偵? そうなのだ。涼子は常々、大学を卒業したら、私立探偵として身を立てるのだと言っている。ミス研に入部したのも、その修業の一環だというのだ。バカなのか? バカなのだろう。

「なぜって、いざというとき、髪が邪魔になって、素早い行動がとれないようでは困りますもの。探偵たるもの、外見になど構っていられませんわ」

だが、涼子の行ってきた美容院が、相当にお高いところであることを、真琴さんは知っている。

「お姉さまは、どう思われます?」

「完璧。すごくいい」

真琴さんは本心から答えた。以前の髪型もよかったが、どこか男の子みたいな今の髪型も、嘘のように可愛く見える。というより、真琴さんの目から見る限り、涼子は完全無欠な美少女なのだ。色白で、どちらかというと丸顔。大きな二つの目。あまり自己主張をしないが、形がとてもよい鼻。ふっくらとした唇。口は少し大きめなのだが、それがなんとも愛嬌がある。とにかく非の打ちどころがないので、どんな髪型だろうと、似合って見えるのである。

「お人形みたい。可愛い!」

蘭子さんと和人くんが立ち去ったあとも、真琴さんたちはしばらく部室に残って話をした。涼子の予約したレストランの場所や、そこまでの移動の手段、そして今夜のSM遊びの段取りなど、あれこれしゃべっているうちに、思ったよりも時間が経ってしまったらしい。壁の時計に目を走らせると、七時近くになっていた。

「あら、お姉さま。腕時計は、どうなさいましたの?」

「よく気づいたね。涼子って、観察眼が鋭いな」

「だって探偵ですもの。それで、どうなさったんです? 失くしてしまわれたんですか」

「いや、壊れた」

「壊れた? 電池切れとかではなくて」

「うん」と、真琴さんはうなずいて――

「電池は、二か月くらい前に交換したばかり。実は……知らないうちに、どこかにぶつけたのかな? ガラスがとれちゃったんだ。見る?」

そう言うと、いつも持ち歩いている大きな布バッグの底から、壊れた腕時計を取り出した。白い文字盤に銀色の針とインデックスのある、ごく安い時計。もともとは父親のものだったのを、入試のときに借りて、そのまま大学入学後も使いつづけていたのである。真琴さんはガラスがとれたといったが、厳密にはガラスではなく、透明なプラスチック。要するに文字盤を覆う風防がとれてしまったのだ。おまけに、長針も少し曲がっている。それでもまだ、中の機械は無事だったらしく、秒針が時を刻んでいるのがいじらしい。

「さすがに、これをつけているのは恥ずかしいから、外しておいたんだ」

「それで、この時計、どうなさいますの? 修理にお出しになります?」

「いや。もともと千円くらいだったって聞いてるし、この機会に買い替えるよ。でも、しばらくはいいかな。スマホもあるしね」

「では、お姉さま。この時計、涼子にくださいませんこと?」

「いいけど、どうして? そんなもの、どうするんだ」

「大切にとっておきます。だって、ほら……この時計、涼子とお姉さまが初めて知り合ったとき、お姉さまがこの時計でなにか推理をしてごらんって、おっしゃって……」(「第37話 消えた部誌の事件――どえむ探偵秋月涼子の登場」参照)

「そうだったね。なつかしい」

「ですから、涼子、この時計を記念として大切に保管しておきたいんです。ね、お姉さま。いいでしょう?」

真琴さんは、涼子の願いをかなえてやった。

夜の十二時すぎ。真琴さんは、涼子の部屋のベッドに腰かけてスマホを眺めていた。隣の部屋からは、電話の受け答えをする涼子の声が聞こえてくる。

秋月家といえば、蘭子さんのところの加賀美家に匹敵する大金持ち。涼子は、その秋月家の箱入り娘なのだ。だから、一人暮らしを許されたといっても、原則として外泊は禁止。毎日、深夜の十二時に実家から――それも教育係らしき使用人から――在宅を確認する電話がかかってくる。

話に聞いているだけのあいだは、ごく簡単に済む電話かと思っていたが、実はそうではなかった。その日あったことを、かなり詳しく報告させられるのである。といっても、涼子自身が話し好きのせいなのか、相手の聞き方が巧みなせいなのか、けっこう楽しそうに会話をしている。今も、髪型を変えたこと、真琴さんと食事をしたこと、その真琴さんが泊まりに来ていることなどを、ときどきは笑い声を交えながら報告している。

毎夜毎夜、その日の出来事を報告させられるなんて、さぞ面倒なことだろうと思うのだが、当の涼子はさほど気にならないらしい。幼いときからずっとそうして育ってきたから、慣れているのだろうか。

二人とも、もう入浴も終えて、パジャマに着替えている。真琴さんは濃いめの青、涼子は淡いラベンダー色。今夜は四月にしては少し冷えるが、部屋には軽く暖房が入っていて快適だ。つまり、SM遊びの準備は万端なのだが、涼子の電話はもう少し時間がかかりそうな気配。

さて、今夜はどんな趣向で楽しもうか――スマホをいじりながら、そんなことをぼんやり考えているうちに、ふと思いついて「放置プレイ」という語で検索をかけてみた。それには、次のような理由がある。

しばらく前のこと、あるちょっとした出来事があった。その出来事を、涼子は早速「謎めいた隠語の事件」と名づけたのだが、実際は事件というほどのことでもない。ちょっとしたクイズ程度のものだった。それはさておき、その出来事のあった夜、紆余曲折の末、真琴さんと涼子は放置プレイに挑戦してみたのだが、なにがおもしろいのかちっともわからないという、残念な結果に終わってしまったのである。

そもそも、やり方がよくわかっていなかった。真琴さんの部屋のベッドに涼子を一人にしておいて、こちらはしばらくキッチンに隠れている。五分ほどたったところで様子を見にいく。そんなことを繰り返してみた結果、どうやら放置プレイというのは、こういうものではないらしい、ということが判明しただけだった。

検索をかけると、すぐにいろいろな記事が出てきた。まず目についたのはウィキペディア。しかし、ウィキにはあまり生々しいことは書いてあるまい。次に目についた記事にはSMという単語がでかでかと出ていたので、さっそく開いて読み始めてみたのだが、こちらの内容もそれほど具体的とはいえない。では、さらに別の記事を――というところで、涼子の声が聞こえた。いつのまにか電話は終わっていたらしい。

「お姉さま、なにが調べ事でも?」

「いや、別に」と、真琴さんはスマホをバッグの中に戻した。

涼子はベッドのそばまで歩いてくると、真琴さんの足許にお行儀よくひざまずいた。そして、上目遣いにこちらを見つめると、ごくさりげない口調で言った。

「放置プレイのやり方でしたら、涼子が調べてレポートにまとめましょうか」

どうしてわかったのだろう。一瞬、スマホの画面を盗み見たのかと疑ったが、どう考えても見える位置にはいなかった。都合のよい場所に鏡があるわけでもない。謎だ。

「私が放置プレイについて調べてたってこと、どうしてわかったんだ?」

こんなふうに正直になってしまうところは、真琴さんの美点の一つかもしれない。あくまでしらを切ってやろう、というタイプではないのだ。それに今の場合は、なぜ涼子が真琴さんの行動を正しく言い当てることができたのか、その理由を知りたい気持ちのほうが強かった。

「やっぱりそうでしたのね。でしたら、ご心配は要りません。涼子も、このあいだの放置プレイって、やり方が間違っていたと思います。ですから、今度しっかり調べて、レポートにして提出いたしますわ」

そう言えば、涼子は以前、スパンキングについて調べたレポートを、真琴さんに差し出したこともあった。

「それはいいけど……でも、どうしてわかったんだ?」

「ごく簡単な帰納的推理ですわ」

「帰納的……推理?」

「そうです。帰納的推理――つまり、個々の体験から一般的な法則に遡っていくという帰納法に基づいた推理です」

「なんだか難しいことを言い出したね。涼子にそんな高度な思考ができるなんて、意外だな」

「お姉さまったら、また涼子をバカになさって。でも、簡単なことですのよ。種明かしをしたら、なんだそんなことかって思われるかもしれませんけど、お姉さまのために説明いたします」

「お願いします」

涼子は、いかにも得意げに話し始めた。こんなときの涼子は、本当に無邪気に見える。

「お姉さまが涼子のことを放っておいて、スマホに見入っているってこと、そんなに多くはありませんけど、それでもこれまで十数回はありましたわ」

「そうかな」

「ええ。それで、そのうちのほとんどの場合は、ほら、これを見なさいって――涼子にも画面を見せてくださいましたの。今のように、すぐにスマホを隠してしまわれたのは、これまでたった二回だけでした。そして、その例外的な二回――涼子にスマホの画面を見せてくださらなかった二回には、共通したことがあるんです。それは――」

と、涼子はそこでもったいをつけるように、少し間を置いた。

「それは?」

「どちらのときも、お姉さまはそのあとに、新しいSMの提案をなさいましたの。ということは、きっとSMについて調べていらしたんですわ」

そう言えば――と真琴さんは思い出した。一度は「言葉責め」、別の一度は「焦らしプレイ」だったか、とにかくそんな用語で検索したことがあったような気がする。

「ですから、涼子、今回もなにかSMのことを調べていらっしゃるんじゃないかって、そう思いましたの。つまり、これまでの事例から、お姉さまがスマホを隠すときには、SMが関わっているという法則が導き出されますわ。これ、すなわち帰納法です」

「なるほど」

「そして、SMのことを調べるなら、このあいだ失敗した放置プレイのことにちがいないって考えましたの。というのも、実は涼子も、あのときの放置プレイは、やり方がまちがっていたにちがいないって思っていたものですから」

「なるほど」と、真琴さんはもう一度そう言った。くだらない案件ではあるけれど、そうバカにしたものでもない。

「ホームズの話にも、似たようなことがなかったかな。ほら、ホームズがワトソンの考えていることをズバリと当てて、ワトソンが驚くっていう場面」

「お姉さま、ありがとうございます。そんなふうに誉めていただけると、涼子、とっても幸せです」

真琴さんはまだ、涼子がホームズみたいだ――と言ったわけではない。だが、涼子はすっかりそんな気分に浸っているらしい。

いい気になってるなあ。

そう思ったが、可愛いから黙っていてやることにした。

涼子は、満足そうに言葉を継いでいく。

「当たっていて、よかったですわ。だってほら……このあいだの『謎めいた隠語の事件』では、涼子、ちっともいいところがなかったでしょう? ですから、早く汚名返上したいって思っていましたの」(「第42話 謎めいた隠語の事件――どえむ探偵秋月涼子の放置プレイ」参照)

「でも、たまたま当たっただけかも」

「また、そんな意地悪おっしゃって。それなら、お姉さま? ほかになにか、謎はありませんか。このドM探偵、秋月涼子が、その謎をきっと解いて見せます」

涼子は単に、私立探偵になる、と言っているだけではない。SM行為をすると、途端に推理力の跳ね上がるドM探偵とやらになる、と主張しているのだ。やっぱりバカなのかもしれない。

「謎なんて、そうそう転がっていないよ」

「残念です」と、目を伏せる涼子を見ながら、真琴さんはふっと思い出した。そう言えばさっき、なにか変だと思ったことがあったはずだ。

「いや、ちょっとした謎が一つ、あるといえばあるのかな」

「まあ、どんな謎です? ぜひ聞かせてください」と、涼子は再び視線を上げた。

真琴さんは、さっき目撃した和人くんの奇妙なしぐさについて話した。

「片手をだらりと下げたまま、ぶるぶるっと震わせたんだ。それが、なにかの合図のように見えてさ。あれ、なんだったんだろう」

「震わせる……片手を……」

「そう。犬や猫が濡れたとき、水をはじき飛ばすために、体をぶるぶるって震わせるだろ? あれを片手一本でやってる感じかな」

「実際にやってみてくださいます?」

「こんな感じ……かな?」

真琴さんは、右手を涼子の前に差し出すと、手首をくるくると回転させて見せた。しかし、和人くんがやっていたのとは少し違う感じがした。和人くんは、もう少し脱力した様子だったようにも思う。

「それが、なにかの合図のように見えたんですね。お姉さまへの? それとも蘭子先輩への合図でしょうか」

「あのときの位置関係だと、蘭子先輩には見えなかったんじゃないかな。でも、私が和人くんから、秘密の合図を受けるいわれはないし……あっ。そうそう。ほかに何人か、同じような動作をしてた連中もいるんだ」

涼子は首をかしげたまま、真琴さんの真似をして、右腕を動かしている。何度かやっているうちに――

「あっ、今のそれ! 今の動きが、そっくりだったよ!」と、真琴さんが声をかけてやると――

「お姉さま? 和人くんが動かしたのは、右手でした? それとも左手?」

「ええっと。たしか……左手だったような」

「それでしたら」と、涼子はにっこりした。

「たぶんわかりましたわ」

「本当か」

「ええ。その証拠に、和人くんと同じ手の動きをしたっていう人の名前、涼子が当ててみせます!」

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涼子は、四人の男子学生の名を挙げた。四人ともミス研の部員である。真琴さんが見た二人の学生の名は、どちらもその中に含まれていた。

「当たってる。ということは、どういうことなんだ? あの動き」

「時計ですわ」

「時計?」

「ええ。腕時計です。実は涼子、お姉さまの知らない情報を持っていたんです。ですから、すぐにわかったんですわ。でも、情報収集も探偵の大切な仕事ですから、このことはやっぱり、涼子の探偵としての優秀さを示す証だと思いますの」

また、いい気になって――

そう思ったが、その情報とやらを知りたい気持ちのほうが強い。

「それで?」

「今言った四人と和人くん、計五人で今、腕時計のコレクションに凝っているんです。その腕時計というのに条件があって、古い自動巻きの時計でなくてはいけないってルールになっているんです」

「ああ」

自動巻きという言葉は、聞いたことがある。たしか腕の振りでゼンマイが巻かれ、それを動力に針が動くとかいう仕組みのことだ。

「つまり、和人くんは自動巻きの腕時計をはめていた。だから、腕を振り回してたってこと? でも、あんなにぶんぶん振り回さなくても、ちゃんと動くようにできているんじゃないか」

「ちゃんとした自動巻きの時計はそうですわ。でも、和人くんたちの集めているのは、リサイクルショップなんかで投げ売りされている、動くかどうかわからない時計なんです。ジャンク品っていうんですって。それを買ってきて、磨きをかけて、動かない場合はできる限り自分で修理して……そういった時計を合計一万円以内で、各自三本ずつ集めて見せびらかし合うっていう遊びです」

「くだらないなあ」

「でも、男の子って、そういうことが好きみたいですわ。自動巻き三本勝負って名づけたそうです。それで、和人くん、言ってましたわ。動くことは動くけど、ちょっと油断したら止まってしまうって……だから、暇があれば腕を振ってるんです。きっとそれが、癖になったんですね。ほかの四人も、同じことだと思います。それに、自動巻きの時計って、振ること自体が楽しいんじゃないでしょうか」

「なるほど。まあ、予算を決めて遊ぶっていう点には、好感が持てるかも。金にあかせて高級時計を買いまくるというよりは、上品そうだ」

「ただ、あまり正確じゃないって言っていましたわ。そもそもかなり古いものですし。一日に、二分も三分も狂ったりするんですって」

「それだと、あんまり意味がないなあ……なるほど、腕時計ねえ」

――と呟きながら、気がつくと真琴さんは、ベッドに備え付けの棚の上に置かれた目覚まし時計を眺めていた。そろそろ十二時半になろうとするところ。真琴さんの心の中を、涼子がまた言い当てたのは、そのときだった。

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「ええ、お姉さま。買い替えをなさるなら、電波時計のほうがいいと思います」

真琴さんは、時計から視線を外すと、涼子の顔をじっと見つめた。涼子は唇の端に、微笑を浮かべてこちらを見ている。

「また当たった。たしかに今、腕時計を買い替えるなら、今度は電波時計がいいかなって考えてたよ。どうしてわかった? 当てずっぽう? それとも推理したのか」

「もちろん推理です。簡単です。お姉さまの様子を見ていたら、お考えになっていることが手に取るようにわかってしまいます」

「本当? 説明してみて」

「ええ、よろしいですわ。涼子が、和人くんの自動巻きは狂いが大きいって申し上げたら、お姉さまは、それだと意味がないっておっしゃって、ご自分の手首をちらりとご覧になりました。左手の手首を――そして、ほんの少しだけ寂しそうなお顔をされました」

「そうか?」

無意識のうちに、そんな表情をしていたのだろうか。

「ですから、お姉さまが壊れた時計のことを思い浮かべられたってことが、涼子にはすぐにわかりましたの。もちろん、それはほんの一瞬だけのことで、お姉さま自身、はっきりと意識はされていなかったかもしれませんけど。そして次に、お姉さまはその時計……」と、棚の上の時計を指さして

「その時計を見て、考えこむようなお顔をされました。その時計が電波時計で、一秒も狂わないってことを、涼子、以前お姉さまにお話ししたことがありますでしょう? ですから、お姉さまはそのことを思い出していらっしゃるにちがいないって、涼子、そう思いましたの。そうしたら、次に出る結論は決まっていますわ。壊れた時計の代わりに、今度は電波時計にしようかなって……お姉さまがそうお考えになっているってこと、火を見るより明らかでした!」

そんなふうに言われたら、そうだったような気もしてくる。とにかく、涼子に声をかけられたとき、電波時計のことを考えていたことは、否定できない事実だ。

「涼子、今夜は冴えてるじゃないか。これで三連勝だよ。まずは放置プレイ、次に和人くんの妙な動作、そして今の電波時計。全部バッチリ当たってる。シャーロック・ホームズみたい」

「ありがとうございます、お姉さま。でも、言わせていただくなら、ホームズはしょせん小説の登場人物にすぎません。どんなふうにだって書けますわ。それに比べて、この涼子は、現実に生きています! ですから、ホームズよりも、もっとずっとすごいって、ひそかに自負しておりますの」

少しも「ひそかに」ではないじゃないか――真琴さんは、少しおかしくなって言った。

「ちょっと誉めてあげたら、また調子に乗って。この子は、とんだうぬぼれ屋さんだね」

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「ごめんなさい、お姉さま」

お行儀よくひざまずいたまま、視線をつつましく伏せて、涼子はか細い声で言った。どうやら涼子の中では、既にSM遊びが始まってしまったらしい。

「涼子、すぐに調子に乗ってしまって、恥ずかしいです。ですから、罰を受けますわ」

そう言って、真琴さんの膝の上に這いのぼってきた。

「待って。初めは、拘束の時間のはずじゃなかった?」と、突然の展開に、真琴さんはやや戸惑い気味。

二人のSM遊びには大まかなルールがあって、前半は拘束の時間、後半はご奉仕の時間ということになっている。これは、SMの本質はSによるMの拘束にあるという真琴さんの意見と、MによるSへのご奉仕こそがSMの神髄だとする涼子の意見が、激突した結果生まれた妥協の産物。

だが、涼子が膝に乗ってくるというのは、スパンキングの罰を受けたいという意志表示なのだ。このスパンキングの扱いについては、二人のあいだにしばしば意見の隔たりが生じるところで、真琴さんは拘束の時間が終わったあと、ご奉仕の時間へのつなぎにしたいと思うのだが、涼子はむしろ初めをスパンキングの時間にして、拘束をつなぎにしたいという意見のようである。

「さあ、お姉さま。調子に乗った生意気なMを、存分に叱ってください」

涼子は、真琴さんの緩く開いた両膝の間に、控えめな胸の膨らみを押しこむようにして、腹ばいになっている。

「ねえ、涼子。もう少し身体をずらして、お腹が腿の上にくるくらいにできない? これだとお尻が遠くて、叩きにくいんだけど」

わざと意地悪く、そんなことを言ってやる。しかし、涼子はこの点、けっして真琴さんの命令通りにしようとはしないのだ。

「でも、そうしたら涼子の恥ずかしいところが、お姉さまに見えてしまいます。お姉さまが、そんなところをのぞきたがるような、お下劣なかたではないってこと、涼子、ちゃんと知っていますもの」

「いつも言ってるけど、私はかなりお下劣な人間だよ」

「いいえ、いいえ。お姉さまはきっと、涼子のお願いを聞いてくださるはず。涼子、お姉さまを信頼しています」

こんな調子で、話にならないのだ。結局今夜も、涼子の希望通りにしてやるしかなかった。真琴さんは、パジャマと下着を下げてやると、涼子の裸の尻を五つ、優しく叩いてやった。

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もう一度パジャマをきちんと着直すと、涼子はまたベッドの下にひざまずいて、ふうっと長いため息をついた。それから、静かに頭を下げて――

「ご指導ありがとうございました」

そこまではよかったのだが、そのあとに、聞き捨てならないことを話し始めたのだ。

「涼子、もっと強く叩かれても平気なんですけど……お姉さまって、優しすぎますわ」

「でも、あんまり強く叩いてたら、皮が厚くなっちゃうぞ。そうなったら涼子もいやだろ?」

「もちろん、お姉さまの優しさに、涼子いつも感謝しています。でも、時にはもっと厳しいお叱りを受けてみたいって、そんなことを思ったりしますの。でも、でも……やっぱり無理ですわねえ。お姉さまって、意地悪そうに見えますけど、心の底はとっても優しくって、残酷なことなんて思いも浮かばないっていう……なんと申し上げたらいいのか……とっても好人物というか……」

「そんなわかったふうな口きいて、大丈夫なのか」

「だって、涼子、お姉さまことはなんでもわかってしまいますもの。さっきだって、お姉さまのお考えになっていること、涼子にはお見通しでしたし」

「自分で『お見通し』なんていうのはやめなさい。それにしても、今夜の涼子って、本当に生意気。私は、優しくしかできないから優しくしているんじゃないんだぞ。涼子が可愛いから、特別に優しくしてあげているだけなんだ。私がどんなに残酷なことを考えられるか、その影をちらっと見ただけで、涼子は泣き出しちゃうかも。スパンキングだって、もっとずっと怖いやり方があるんだけど、涼子が怯えるといけないから、黙っていてあげてるんだ」

せいぜい脅してやったつもりだが、あまり効いたようには見えない。涼子は、うふん……と聞こえる含み笑いをして――

「噓、嘘。お姉さまには、そんな怖いことなんて考えられませんわ。涼子、すっかりわかっています」

「それなら」と、真琴さんもウフッと笑った。

「さっきみたいに推理で当ててごらん。今、私が考えている恐ろしいスパンキングのやり方をさ。もし当たったら、許してあげる」

「その挑戦、受けて立ちますわ!」

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「そうですねえ」と、涼子。

「そのお姉さまの、しなやかな力強い腕で、思いっきり叩くとか? でも、涼子、耐えて見せますわ」

「痛みと恐ろしさをいっしょにしているところが、まだ甘いな。私の考えている怖い罰っていうのは、そんなに痛くはないの。肉体的な痛みより、精神的な苦痛のほうがずっと強いんだ」

「そうですねえ」と、また考えこんで――

「じゃあ、お姉さま? こういうのじゃありません? 一つ叩かれる度に、とっても屈辱的な言葉を言わされるとか。たとえば、涼子は生意気でした、許してくださいっていうような」

「そういうのもいいけど。でも、そんなのは涼子がもう、自分から言ってるじゃないか。叩かれる度にってわけじゃないけど……最初の挨拶や、終わったときの挨拶で。ダメダメ。もっと大胆に視点を変えなきゃ」

「視点を変える……あっ。わかりましたわ。以前、お姉さまが少しだけおっしゃっていた……あれでしょう? お膝の上ではなくって、涼子が床に四つん這いになって、後ろからお姉さまが涼子を定規で叩くっていう……もちろん、それはつらいですけど……どうしてもっておっしゃるなら、涼子、お受けいたします」

たしかに以前、そんなことを提案したことがあった。そのときは頑なに拒否していたくせに、今はちがうことを言っている。

「でも、定規でっていうのが、お姉さまの優しさですわ。涼子、本物の鞭でだって、きっと大丈夫です。以前から思っているんですけど、お姉さまのお許しがあったら、涼子、SMの本格的なお道具を揃えてもいいって思っていますの」

「黙って。私は、いかにもSMですっていう仰々しいものは嫌いなんだ。なんだか、バカバカしくなっちゃう。それに、答えは全然ちがってるぞ。前に私が言ったことを、今さら当てさせるはずがないじゃないか」

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涼子はそれからもいくつかアイディアを出したが、すべてちがっていた。最後には、焦れてしまったらしい。

「わかりました。涼子、降参いたします。ですから、その恐ろしいスパンキングのやり方を、教えてください」

「大丈夫? 聞いたら私のこと、怖くてたまらなくなるかも」

「平気ですわ、お姉さま。失礼ですけど、涼子、やっぱりお姉さまにはそんな残酷なこと、お考えになれないっていう気がいたしますの」

「本当に、最後の最後まで、生意気な態度をとっちゃって。じゃあ、言うよ。覚悟はいい?」

ひざまずいたまま、真琴さんの顔を見上げ、涼子はこっくりとうなずいた。

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「私の考えているスパンキングはね、自分スパンキングっていうの」

「自分スパンキング?」

「そうだよ。自分スパンキング」

「なんだかゴロの悪いネーミングですけど……いったい……あっ」

「そう。自分で、自分のお尻を叩くの。いつでも 私から親切に叩いてもらえるなんて、そんな甘えた気持ちはダメ」

「でも……」と、涼子の目が少し泳いだ。

「自分で叩くって、いったいどうするんですの?」

「まず、涼子が裸でベッドの前に立つのね。わかる? それから少しかがんで、お尻を後ろにつき出して……そうだなあ、膝も少し開いたほうがいいかな。あっ、もちろん、踵はぴたっとくっつけておくんだよ。それで、膝だけ大きく左右に開くっていうのはどうかな。とってもぶざまに見えるでしょうねえ。そして、両手を後ろに大きく広げて、左右同時にピシッと……」

「ああっ、お姉さま!」

突然、涼子が胸に飛びこんできた。そのまま真琴さんを押し倒し、自分もするするとベッドに上がると、やや斜めに横たわっている真琴さんの隣に、ぴたりと寄り添った。

いつも思うのだが、こういうときの涼子の身のこなしは、実にスムーズでしなやか。歩き方がどこか玩具みたいにトコトコしていたり、驚いたときには両手を変にバタバタさせたり――と、涼子の動作は、けっして常にスマートであるとは言えないのだが、ことベッドの上でとなると、不思議に洗練されているのだ。

「お願い、お姉さま。それ以上、おっしゃらないで」

「どうしたんだ? 急に」

「ああっ。涼子、反省しています。お姉さまのこと、わかった気になっていたなんて、本当に身の程知らずでしたわ。お姉さまがこんなに恐ろしい考えをお持ちだなんて……涼子、お姉さまの心がどんなに深いか、ちっともわかっていませんでした。自分で叩くなんて……屈辱的すぎます。涼子、今のお話をうかがって、戦慄してしまいました」

「戦慄って、大げさな……」

それに、別に心が深いわけじゃない、ただお下劣で変態的なだけだよ――という言葉は、口に出さずにおいた。それにしても、涼子の極端な反応には驚いてしまう。そっと抱き寄せてやると、パジャマの内側でやわらかな皮膚が微かに震えているようだ。

「ああ、涼子……もし本当に、そんなことを命令されたら、きっと耐えられません!」

「だから、命令はしないんだ。涼子が可愛いから。私の優しさの本当の意味、わかってくれた?」

涼子は黙って、深くうなずいた。のぞきこむと、二つの目がしっとりと潤んでいるようだ。

「本当に、涼子、いい気になっていたこと反省しています。その償いを……」

あれ?

涼子の手が、真琴さんのパジャマのボタンを外している。

「涼子、なにしてるの?」

「ですから、償いのために、これからお姉さまにご奉仕いたしますわ」

「ちょっと待って。拘束の時間は?」

だが、真琴さんはその質問を、最後まで言うことができなかった。涼子のふっくらした唇が頬に触れて、ぞくりと震えてしまったのだ。気がつくと、涼子のほうはもう震えてはいない。

じゃあ、さっきのは、芝居?

どうだろう? 芝居であんなふうに震えることができるだろうか。だが、なんだかもう、どうでもよくなってきた。涼子の唇がすっと動いて、真琴さんの口もとに迫ってくる。ゆるく唇を開くと、舌がそっと差し入れられた。真琴さんは、その舌を軽く吸ってやった。

◆おまけ 一言後書き◆
今回のお話は、真琴さんが三年生になってすぐのころに起きた出来事――という設定です。この少し前に起きた「第42話 謎めいた隠語の事件――どえむ探偵秋月涼子の放置プレイ」も、よければいっしょにお楽しみください。

2023年1月19日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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