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SM小説家美咲凌介の名著・名作ねじれ読み<第5回>『イーリアス』(ホメロス)――アキレウスの怒りとは?

大好評連載の第5回目。SM小説家の美咲凌介が、名だたる名著を独自の視点でねじれ読み!今回はホメロスの『イーリアス』。アキレウスの怒りとは?美咲凌介が迫ります。

mythology

怒る人々

今回は、『イーリアス』の話を書きたいと思う。最近、怒っている人が多いからである。しかも、なんだか「最近の日本人はなっちょらん!」みたいな怒り方をする人が多い。いやですね。

この数か月の間に、三人の人が、わたしに向かって、同じような怒り方をして見せた。一人は、わたしよりずっと若い、まだ十代の男の子。もう一人は、わたしとだいたい同じくらいの五十代の女の人。三人目は、わたしよりは少し年上の男の人である。

内容は概ね同じで、「最近の日本人は自己中心的で、けしからん。」と言う。そして、おかしなことに、その「最近の日本人」の中に、怒っている当人は入っていないらしい。さらにおかしなことには、聞き手であるわたしも、やはり入っていないらしいのである。

もし、直接「お前は自己中心的で、けしからん。」と怒られたのだったら、対応は簡単だ。本当にわたしが自己中心的にふるまっている場合(そういう場合もよくある)は、「その通りですが、なにか?」と古典的2ch用語で返答すればよい。また、わたしがわたしなりに相手に譲っている場合(それもまたよくある)なら、「いやいや、わたしはこんなにも自分の要求を抑えているのです。」と説明すればいい。

けれども、「わたしたち以外の人って、自己中心的だよね?」みたいな言い方をされると、非常に困る。「そうですね。」と答えると、なんだかわたしが自己中心的でないような感じがする。ところが、こちとらは、自己の欲望のままに相手をいたぶりたいというサディストを主人公として、SM小説とやらを何冊も書いてしまった身である。(わたしの書いたSM小説には、サディスト礼讃的な要素が多分にある。)

だからといって、「ちがうと思いますよ。」と答えると、今度は「今の日本人は自己中心的ではない。」と主張しているようにも聞こえる。ところが、わたしは、ほとんど全ての人間は自己中心的である、と思っているのだ。

さらに困ることがある。わたしの目には、こういう言い方をする人自身が一番自己中心的であるように見えてしまう、ということだ。けれども、怒っている当人に向かって、「いやあ、あなたが一番自己中心的ですね。」とは、なかなか言いづらい。つまらないことで憎まれたくはない、という自己中心的な理由からである。

『イーリアス』の主題も「怒り」

さて、こんなふうに、最近怒っている人が多いので、これから『イーリアス』の話をしたいと思う。「怒り」こそが、『イーリアス』の主題だからだ。

大学生のころ、古代ギリシャの叙事詩、『イーリアス』を読んだ。訳者は呉茂一。岩波文庫で上・中・下の三巻に分かれていたが、これを三冊、同時に買った。書き出しに惚れたためである。

怒りを歌え、女神よ、ペーレウスの子アキレウスの、
おぞましいその怒りこそ、数限りない苦しみを、アカイア人らにかつは与え、
また多勢の 勇士らが雄々しいたまを 冥王が府へと
送り越しつ、そのむくろをば 犬どもや あらゆる贄鳥しちょうのたぐいの
餌食としたもの、その間にも ゼウスの神慮は 遂げられていった
(呉茂一訳。以下、『イーリアス』からの引用は、全て呉茂一の訳によるもの。)

実にかっこいい――と、当時十九歳だったわたしは思った。そのかっこよさに感激しつつ、「アキレウスのおぞましい怒り」とは、いったいどんな怒りなのか、ぜひ知りたいものだ――と思い、いそいそと読み始めたわけだが、さて、どうなったか。

おぼろな記憶を辿ってみると、初めのうちは「ひどいな、なに、こいつ?」という気分だったような気がする。だが、読み進めるうち、その否定的な印象は次第に消えて行って、読了したときには、妙に高揚した気分になっていた。

『イーリアス』ってどんな話?

この心理的な変化をうまくわかっていただくには、どうしても『イーリアス』の概要を説明する必要があるだろう。話の都合上、しばらくお付き合いいただきたい。(なお、以下、神々の名や人名は、長母音の一部を省いた表記とする。つまり、「ホメーロス」ではなく「ホメロス」のように表記。ただし、引用では呉茂一の表記に従う。)

昔々、ギリシャの連合軍と、小アジア(今のトルコあたり)に位置する国トロイアが戦った。どのくらい昔かというと、呉茂一の説明によれば、該当する史実があったとしたら「紀元前十三世紀前後」のことだろうとの話。その戦争で活躍したギリシャの英雄アキレウスや他の多数の英雄たち、神々を描いたのが、ホメロス作と言われる叙事詩『イーリアス』。成立したのは、おそらく紀元前八世紀――と、まあ、多くの学者の研究では、そのようなことになっているらしい。ともかく、昔々のお話です。作者とされるホメロスについても、確実なことはほとんど何もわかっていない。

『イーリアス』は、トロイア戦争が十年目に入ったころを舞台としている。ギリシャ軍はトロイアをなかなか攻略できない。しかも、軍中には疫病が流行り、兵士がバタバタと倒れていく。それは、アポロンが目に見えない無数の矢を放ってはギリシャ陣営に打ち込んでいるからであった。(アポロンは疫病を流行らせる不吉な神でもあった。)

アポロンは、なぜギリシャ軍に災いをもたらすのか。これにはちゃんと理由がある。ギリシャ軍がトロイアの各都市を攻略したとき、クリュセイスとブリセイスという美しい二人の乙女を捕えた。そして、クリュセイスは総大将アガメムノンに与えられ、ブリセイスはアキレウスに与えられた。その後しばらくして、クリュセイスの父親が、莫大な身代金と引き換えに娘を返してくれと交渉に来たのだが、アガメムノンは口汚く罵って追い返してしまう。ところが、この父親というのがアポロンに仕える神官だったのだ。自分の神官に泣きつかれたアポロンは、得意の弓矢でギリシャ軍の間に病を流行らせたというわけ。

アキレウスの最初の「怒り」

その子細を知ったギリシャ軍では、アガメムノンとアキレウスの間で諍いが生じる。クリュセウスを父親に返してやれと主張するアキレウスに対して、アガメムノンが、「では、代わりにお前がもらった乙女ブリセイスを、こちらに寄越せ。」と言い出したものだから、アキレウスが怒るの、怒らないの――

アキレウスは、そもそもこの戦争に参加したのは、決して自分から望んでのことではない、自分はトロイアの人々に何の恨みもないのだから、と主張した後、このように言う。

それをただ、おお飽くまでも恥知らずな、御身を喜ばせようとばかりに、共々
メネラーオスや、犬づらをした御身のため、トロイエー人らに報復しかえししようと
いて来たもの。そうした次第を些かたりとも顧慮するどころか、
今度はその上私の分の褒美をさえ、自分で奪い取ろうなど脅かすとは。
そのためには私も随分骨折をした、それでアカイアの子らがくれたものなのを。
これまでだとて、御身に等しい褒美を、貰った覚えは一度もない、アカイア軍が
トロイエー人らの 構えもよろしい城市しろまちを 攻め落したのは度々ながら。

文中、「御身」とはアガメムノンのこと。「メネラーオス」はアガメムノンの弟。「褒美」とは、乙女ブリセイスを指す。

アキレウスというのは、純粋な人間ではなく半神である。父親は人間だが、母親は「白銀しろがねの足のテティス」と呼ばれる女神。このテティスは、アキレウスが生まれたとき、不死の身にしてやりたいと、冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸した。ただ、そのとき両の踵をつかんで頭から水の中に入れたため、踵にだけはステュクスの川の水がかからなかった。だから、アキレウスの弱点は踵にある。彼は踵に矢を受けたのが元で死ぬ。(踵からふくらはぎの辺りにかけての筋をアキレス腱というのも、この話が元になっている。優秀な人物の持つ唯一の弱点のことをアキレス腱と呼ぶのも同様。)

そこまで言ってはいけない!

さて、自分の船のもとに引きこもっているアキレウスの元に、心配した母親テティスが現れる。このときアキレウスは、とんでもないことを言った。神々の王であるゼウスに、こう頼んでくれというのだ。

どうにかしてトロイエー方に 加勢して、アカイア勢を船のみよし
海のほとりへ、押し込めてやり、どんどん斃れていくよう お計らいをと
……略……
またアトレウスの子の、広大なくにを治めるアガメムノーンも、自分の過誤を
思い知るよう、アカイア軍中一の勇士を ちっとも重んじなかったことを。

「トロイエー」とは「トロイア」、「アカイア勢」とは「ギリシャ勢」のこと。

整理すると、次のようになる。『イーリアス』の主題である「アキレウスのおぞましい怒り」とは、要するに褒美として与えられた乙女――ぶっちゃけて言うと女奴隷を、総大将のアガメムノンに取り上げられた「怒り」である。あげくに彼は、「俺の有難味がわかるように、敵のトロイアに手助けをして、味方であるギリシャ側の兵士をどんどん殺してくれるよう、ゼウスに頼んでくれ。」と母親にねだったのである。

これを、高校野球にでもたとえてみると、その無茶苦茶さ加減がよくわかる。あるチームのエースピッチャーが、マネージャーの女の子(別に女子マネージャーが女奴隷だと言っているわけではありません。誤解なきよう。)を取り合ってキャプテンと大喧嘩をやらかし、最後には「俺は試合に出ないからな。」と捨て台詞を吐く。さらには、母親にねだって、「俺が出ない試合では、敵チームが勝つよう審判に不正を頼んでくれ」と言っているわけだ。

さて、この言葉を聞いた母親のテティスは、「そんなわがままを言ってはいけません。」と息子をなだめただろうか。いえいえ、とんでもない。

……略……お前のためこの次第を 雷霆いかずちをはためかすゼウスへ告げに、
これから自身で 雪を戴くオリュンポスへと行って見ましょう、いてくれるか。
ところでお前は今のところは、進みのはやい船陣ふなでの傍でじっとしていて
アカイア人らに忿いかりつづけても 闘いからは全く手を 引いているがいい。

というわけで、子も親も実に身勝手、自己中心的、自分たちの都合だけを考えている。そのために味方の将兵がいくら死のうが(そして事実、夥しい数の味方が死ぬことになるのだが)、ちっともかまいはしない。わたしが大学時代、「ひどいな、なに、こいつ?」と思ったのは、まさにこの部分だった。

ただし、二人にも事情がないわけではない。実はアキレウスは、「トロイア戦争に参加すれば戦場で死ぬ」との予言を受けているのだ。母親の女神はその運命が悲しくてならず、愛しい我が子のためにはなんでもしてやりたいと願っている。アキレウス自身もまた、その予言を知っている。

もっとも、死が目前に迫っているからこそ、友のため味方のため、獅子奮迅の働きをしてやろう、と思ってもよさそうなものだが、アキレウスは決してそんなふうには考えない。あくまでも、自分の欲しいものを得ようとする。言い換えると、徹底的に自己中心的なのである。

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トロイア戦争はなぜ起きた?

そもそも、このトロイア戦争の始まり自体に、アキレウスとアガメムノンのとは別の、もう一つの女の取り合いが絡んでいる。

アキレウスの父のペーレウスと、母なる女神テティスの結婚式当日、争いの女神エリスが「最も美しい女神へ」と書かれた、黄金のリンゴを式場に投げ込んだ。臨席していた多くの女神のうち、ゼウスの妻ヘラ、知恵と戦いの女神アテナ、美の神アフロディテが、そのリンゴを巡って争う。三人とも、自分こそ最も美しいと己惚れていたからである。ゼウスは、トロイア王家の息子で当時は羊飼いをしていた美少年パリスに、その審判を委ねた。三人の女神は、自分を選んでくれたら素晴らしい贈り物をやろうと、パリスに賄賂攻撃を仕掛ける。ヘラは世界を支配する力を、アテナは全ての戦いにおける輝かしい勝利を、アフロディテは類いまれなる美女を与えよう、とそれぞれ持ち掛けたのである。パリスは、アフロディテを勝者とした。(選ばれなかったヘラとアテナは恨みに思い、トロイア戦争ではギリシャ方に味方してトロイアを滅ぼそうとする。)

この「類いまれなる美女」というのが、ヘレネーである。ただし、彼女は既にメネラオス(アガメムノンの弟)の妻となっていた。パリスはアフロディテの手引きでヘレネーを盗み出し、トロイアへ帰還する。妻を盗まれたメネラオスは激怒。兄のアガメムノンと語らってギリシャ連合軍を組織し、ヘレネーを奪還しようとトロイアへと攻め込んだ。これがトロイア戦争の発端である。(なお、その全ては、増えすぎた人間を戦争によって間引いてしまおう、というゼウスの計画に基づいている。全ては定められている、というわけだ。)

だから結局、これも一口に言ってしまえば、女の取り合いなのである。その引き金になったのは、女神たちの己惚れ、賄賂合戦。そして、三つの贈り物のうち、よりによって美女を選んでしまうというパリスの馬鹿さ加減――どいつもこいつも、あまりにも欲望剥き出し、自分勝手じゃないですかね。もうここまでくると、なんだか「すがすがしい」気持ちさえしてきます。

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正義を掲げないすがすがしさ

『イーリアス』は戦争の物語である。だが、近現代の実際の戦争にはつきものの「正義」だとか「大義」だとかいう「言葉」は、不思議なほどに出てこない。神々もまた、そんな「言葉」はめったに口にしない。代わりにこんなことを宣う。たとえば、ギリシャ側を応援するヘラが、ポセイドンに加勢を頼んだときの言葉。

あの者どもは、ヘリケーやアイガイで、いつも沢山御意にも召そう
御調みつぎを献げておりますことゆえ、貴神あなたも彼らの勝をはかって下さい。

つまり、これまでさんざん貢ぎ物を受け取ってきたのだから味方をしてやれ、とけしかけているわけ。決して、ギリシャ側に正義があるから、という理由ではない。これに対して、ポセイドンがどう答えたかと言うと――

ヘーレーよ、とんでもない、何ということを仰せられるのか。
いや、私はともかく、心を決めなど致しますまい、クロノスの子の
ゼウスと我々他の神とで喧嘩しようと。彼がはるかに強いのですから。

「ヘーレー」とはヘラのこと。ここでポセイドンは、ヘラの要求を断っているのだが、その理由は「ゼウスと喧嘩しても勝てないから」というだけのことである。こちらもまた、ゼウスのほうが正しいから、とは言っていない。もし勝ち目がありさえすれば、誘いに乗るのもやぶさかではない、といったところか。

アキレウスの二度目の怒り

こんな具合に神々を巻き込んで戦いは続いていくのだが、ゼウスがトロイアに味方しているため、ギリシャ側はすっかり苦境に追い込まれる。そこで、とうとうアキレウスの友達のパトロクロスが撃って出たものの、トロイアの総大将ヘクトールに返り討ちに遭ってしまった。事ここに至ってアキレウスも、ついに出陣の意志を固める。

といっても、これもまた「怒り」に任せてのこと。つまり、自分の愛していた友達がヘクトールに討たれた――そのことに対する新たな怒りが以前の怒りを溶かしてしまった、といったところか。けれども、パトロクロスが死んだのも、もとを正せばアキレウスに責任がないとは言えない。最初からアキレウスが戦場に出ていれば、少なくともパトロクロスは、こんなふうに死ぬことはなかっただろう。

アキレウスもさすがに心に疚しさを感じたのか、怒りというものが人の世から失せればよいのに、などと殊勝そうに言ったりもする。が、結局は友を失った怒りの全てを、敵将ヘクトールに向けるのである。

ただし、ヘクトールを討ち取れば、そのあとには自分もまた死ぬという運命が待っている。そのことを悲しむ母親のテティスに、アキレウスは――

直ぐさま死んでしまいたいもの、友達が殺されるという間際にさえも
護ってやれない始末ですから。それで彼奴あいつは 祖国くにから全く
遠いところで、私が破滅を 防いでやれないばっかりに死んだのでした
……略……
今こそ私は出てゆきます。愛しい友を斃した男、そのヘクトールと
うために。死の定業さだめは いつなりとも受けましょう、
ゼウスなり、余の不死なる神々なりが 果たそうと望まれる時。

『イーリアス』の世界には、正義はない。ただ運命があり、死がある。そして、アキレウスだけではない、多くの人の、神々の、怒りがうずまいている。その怒りは、どれもこれも全く身勝手だ。

自分の憤りは自分で抱えろ

「(わたしたち以外の)日本人は、みんな自己中心的だ」と言う人の、「自己中心的な他者への怒り」は、わたしを妙に苛立たせる。なぜだろう。たぶんそれは、「わたし以外の人は自己中心的だ」と言うその人自身が、自分のエゴイズムに気づいていないからではないか。彼らは実は、私憤を公憤へとすり替えているだけだ。彼らは自分の憤りを、公共のものに見せかけようとしている。

反対に、「アキレウスの自己中心的な怒り」は、不思議とわたしを、すがすがしい高揚感へと導く。たぶん、アキレウスが自分自身の憤りを自分のもの――自分だけのものとして大切に抱え続けているからだろう。

わたしは、利他的な人間にはなれないし、実はあまりなりたいとも思わない。「自分は自己中心的だということをよく知っている人」になりたい。

プロフィール

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。
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