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【5回連続】大島真寿美、直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』独占先行ためし読み 第2回

作家生活30周年となる、大島真寿美さん。直木賞受賞後初の書き下ろし小説『たとえば、葡萄』が、9月16日に発売されます。独占先行試し読み第2回目では主人公の美月と母の昔からの友人・市子の関係が徐々に明らかに。仕事を辞めて市子の家に転がり込んだ美月は市子に甘えてばかりではなく、2、3ヶ月ゆっくり考えながら今後の可能性を広げたいと考えていましたが……?

 

【前回までのあらすじ】

一切先の見えない状態で会社を辞めてしまった美月(28歳)。実家を売り払った母は、父の住む長野に完全に移住してしまったため、頼ることができずにいた。そんな中、転がり込んだのは母の昔からの友人・市子(56歳)の家。家庭事情を知っている市子は、じわじわと折れて美月を住まわせることにしたが……。

 

【今回のあらすじ】

母の昔からの友人・市子とその周りの人間関係が徐々に明らかに。仕事を辞めて市子の家に転がり込んだ美月は市子に甘えてばかりではなく、2、3ヶ月ゆっくり考えながら今後の可能性を広げたいと考えていたが……?

【書籍紹介】

『たとえば、葡萄』9月16日発売予定

大島おおしま真寿美ますみ  プロフィール】


1962年愛知県名古屋市生まれ、1992年『春の手品師』で第74回文學会新人賞を受賞し、デビュー。2012年『ピエタ』で第9回本屋大賞第3位。2019年『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』で第161回直木賞受賞。その他の著書に『虹色天気雨』『ビターシュガー』『戦友の恋』『それでも彼女は歩きつづける』『あなたの本当の人生は』『空に牡丹』『ツタよ、ツタ』『結 妹背山婦女庭訓 波模様』など多数。

 

【本編はこちらから!】

 
 それがすでに師走も後半だったから、ひとまず晦日みそかまでは無になって、年が明けたら、今後の身の振り方をしっかり考えようと思っていた。無収入になったとはいえ、失業手当ももらえるはずだし、退職金もいちおう少しだけどもらえたし、あんまり手をつけたくはないけれど貯金もいちおう、少しはあるし、そんなこんなでしばらくしのげるとは思うけど、市子ちゃんにいつまでも甘えるわけにはいかないし、といったって、それなりに世間知はあるんだから、二ヶ月や三ヶ月、ゆっくり考えたら、なんらかのこたえはみつかるはず。そのうえで、必要ならば資格をとるとか、勉強し直すとか、やるべき道筋を着実に進んでいけばよい。そこから先は、そのときになってみないとわからないし、今はなるべく可能性を広げていろいろ考えてみたいんだよね。
 などなどと、おせち料理、といってもデパ地下で市子ちゃんが買ってきたお重なのだが、それをダイニングテーブルでつつきながら、元日の朝から、そんな話をしていた。
 市子ちゃんが、世間知ねー、とうっすら笑う。
「なに」
「いや、なんでもない」
 なんでもない、といったくせに、市子ちゃんは、ふーん、なるほどねー、世間知だって、ほー、と数の子を食べながらまだいってる。
「やな感じ」
「なにが」
「なんかいいたいことがあるんならいってよ」
「ないよ。べつにあんたの人生なんてどうでもいいし。それにしても、あんた、よく飲むね。けっこういける口じゃない」
「まあねー」
 レンジであたためた日本酒のぬるかんをお正月らしい金杯でちびちびと、かれこれ二時間近く、飲んでいた。
 あわただしい引っ越しを経て、それに、もしかしたら、仕事を辞めた環境の激変で気が張っていたのかもしれない、のんびりとお酒を飲んでようやく人心地ついたみたいで、ちょっとふわっと、いい気持ちになってきている。
「いつのまにあんた、そんなに飲めるようになったの」
 と市子ちゃんがきく。
「さあ」
 とろとろっとした気分でこたえる。
「そうかー、あたしが知らなかっただけかー。美月も、もういっぱしの酒飲みかー。いやさ、お正月から差しつ差されつ、あんたと、こんなふうにだらだらお酒が飲めるような日がくるとは思わなかったよ。あのちびっこの美月とねー。って、もうちびっこじゃないけど。そりゃそうか、私も歳をとるはずだわ。還暦まで残すところあとわずかだもんね、って、うわー、あと何年だよー」
「あ、それ、知ってる。還暦カウントダウンってやつでしょ。いつだか三宅みやけちゃんがいってたよ。そいで、あれでしょ、いよいよ還暦になったら三宅ちゃん、金髪にするんでしょ。このまま白髪が増えつづけて禿げなかったらそうするっていってた。ついでにひげもこう、ぐわっと生やして金髪にするんだって」
「なにそれ。パンク?」
「なんだろ。ふつうに還暦を迎えたくないんじゃないの。髭が似合う感じはぜんぜんしないけどね。つか、そんなに髭濃くないよね? やってもしょぼくなりそうじゃない? 金髪もどうだろ? 似合うかな? あんまりぴんと来ないよね。でも似合うとか似合わないとかじゃなくて、一度くらいそういうの、やってみたいのかな。あれか。赤いちゃんちゃんこの代わりか?」
「まったく、還暦、還暦って、あいつはうるさいんだよ。あんなことばっかりいってると早く還暦がきちゃいそうでいやなんだけど、三宅ちゃんにいわせると、還暦は新たな人生の始まりなんだってさ。だから、心して迎えよ、って。それで還暦カウントダウンとかいってるわけよ。新たな人生へのカウントダウンなんだってさ」
「おー、なんか三宅ちゃんぽくていいじゃん。てきとーに前向き感があって。それで金髪なのかな? 新たな挑戦? 笑える。三宅ちゃん、元気にしてる?」
「やめなさいー。うわさすると出てきちゃう」
「えーいいじゃん、いいじゃん、出てきたって。むしろ出てきてほしいよ。ここしばらく会ってないし。三宅ちゃんに会いたいよー。あ、まりちゃんは。まりちゃんは、元気にしてる?」
「してるよ。って、まりんとこで、あんたの友達、働いてなかったっけ? えっと、ほら、あの子。あんたが一人暮らし始めたとき、引っ越し、手伝ってくれた、あの子」
「あ、セブン?」
「セブン。それだ!」
「セブンはもうあそこにいないんじゃないかな。いるかな? どうだろ。あんま、よく知らないんだよね。つか、セブンは友達っつーほどでもないし、連絡取り合うような仲でもないし。なんせ、よくわかんないやつだからさ、セブン」
「セブン」
世武せぶ、って名字だからセブン。世界の世に武士の武、で世武。世武、なんだっけ、しょうま、だっけ。しょうた、だっけ。忘れた。とにかくセブン。弟がエイト。セブンの弟だからエイト。エイトの名字も世武なんですけどね!」
 セブンとエイトの兄弟は昔々、不登校児だった。
 二人兄弟の二人ともが不登校児になってしまって悩みに悩んだセブンとエイトのお母さんが、地域行事で知り合ったうちの母親に愚痴、というか悩みを相談するようになり、そしたら、どういう話からそうなっていったのか知らないけれど、うちの父親のいる長野に気分を変えるために二人は連れられていくことになり、あっちで畑仕事とかして土触っているうちに、ここでなら学校へいけるかも、みたいな感じになっていって、いつしか山村留学、とかいうものをすることになり、そうこうするうちに二人は息を吹き返していったのだった。息を吹き返しすぎてその後、なんだかよくわからない迷走を続けているようにみえなくもないが、あの兄弟はなんというか、台風の目みたいなところがあって、近づくとどうにもよくないあらしに巻き込まれそうで、ちょっと苦手、ではある。
 年下のくせにぜんぜん年上を敬わないし。
 なんかちょっとこわいとこ、あるし。
「セブンとエイトはどうでもいいけど、まりちゃんには会いたいなあ。まりちゃんとは、もうずっと会ってないんだよ。まりちゃんが山梨へいく直前くらいにみんなで集まったじゃない。あれ以来会ってない」
「てことは四年か、いや、そろそろ五年になる? へー、そんなに会ってないんだ。まり、たまーにこっちに出てくると寄ってくよ。だから運が良ければ会えるよ」
「運が良ければ」
「まあ、それもこれも、あんたがいつまでここにいるか、次第だけどね」
「ですなー」
 まりちゃんだの、三宅ちゃんだの、みんなもともとは母親の友人関係なんだけど、なんとなく自分もその一員のような感じでタメ口をきいて育ったから、なんだかふつうに友達のような気がしてならない。美月のことは赤ん坊の頃から知っている、とみんなにいわれつつ、それなりに対等に扱われてきたような気もするし、つまり学校の友だちとか会社の同僚とかとはべつの、私にとっては、ちょっと説明しづらい感じの人たちなのだった。
「ねえ、まりちゃんの身体からだは、もうすっかりいいの」
「いい。定期的に検査してるらしいけど、経過は良好だって」
「よかった」
 市子ちゃんがうん、とうなずく。
 まりちゃんは何年か前にちょっとやっかいな病気になって、それまでの仕事をすっぱり辞めた。ディスプレイの仕事はすごく好きだけど、激務だし、体力勝負のところもあるし、やっぱもう無理、ここらがわたしの限界だな、と、まりちゃんはいい、事実婚関係にあったパートナーの内藤ないとうさんと山梨に引っ越してしまったのだった。まりちゃんより十五歳年上の内藤さんはその頃すでに長年勤めた会社を定年退職していて、照明器具を扱う小さなセレクトショップみたいなのをやっていて、でも、まりちゃんのためにその店を畳んで、山梨で新たにネット販売を主体とする店を開いた。店、といっても対面販売はまったくしなくて、内藤さんはアンティークや中古の照明器具をいじって、使える状態にして売ったり、お客さんから頼まれたものを修理したり、内装会社からの相談を受けたり、設置を手伝ったり、といった照明全般にわる仕事をしている。まりちゃんはそれを手伝っている。セブンは、そこの倉庫や作業場がまだぼろぼろの物件だった頃に人足募集ときいて、手伝っていたのだった。
 そんなわけで山梨へいったまりちゃんはもうウィンドウディスプレイの仕事はいっさいしていない。
 せっかくキャリアを積んでもこんなふうになっちゃうのか、とその頃、働き出したばかりだった私は、まりちゃんが仕事をやめて山梨へいくときいて愕然がく ぜんとし、ぼんやりとした寂しさを感じたものだった。せっかくここまでがんばってきたのにやめちゃうなんて。
 そりゃ、身体がいちばん大事だっていうのはよくわかるけど、まりちゃんの作るディスプレイがとても好きだったから、やめちゃうんだ、と思ったら悲しくて仕方なかった。だってそのためにものすごく苦労してきたのもよく知ってるし、生き生きと働いていたところもよくみていたし。
 ままならないものだな、としみじみ思ったものだった。なんでこんなにも、なにもかもうまくいっているときに、大きい仕事もばんばんまかされて評価もされるようになったときに、それを手放さなくちゃならないんだろう。なんでこんなときに、病気にさせられちゃうんだろう。
 山梨へ遊びにおいで、と、まりちゃんにはいわれたけれど、なんとなく行かなかったのは、なんかこう、ままならない人生を目の当たりにするのが嫌だったからかもしれない。
 なんか違う、こんなのまりちゃんじゃない、とどうしても思ってしまうのだ。
 生きているとうれしいことばかりじゃなくて、悲しいことや苦しいことが不意打ちのように襲いかかってくるものだっていうのは、それはもう、よくわかってるんだけど。
 それでもみんな、こう、どうにかこうにかそれをなずけて、手綱を握りしめて、馬から落っこちないように、叩きつぶされないようにして、乗りこなしていってんだ、ってこともよくわかってんだけど。
 あきらくんのことだってそうだ。
 いなくなっちゃった旭くんのことを、みんな、なんとかして受け入れて、受け止めて、乗り越えてきた。
 旭くんに会いたいなー、と思っても、だれもそれは口にはしなかった。
 あれからもう十年くらいになるけど、市子ちゃんは今、どんなふうに思っているのかな、とふと思う。きいてみようか、きいてみたいな、と思いはすれど、やめた。そんなこと、きけない。
 少なくとも酔っ払って口にすることではない。
 代わりに、
「今年はいい年になるかなあ」
 といってみた。
「どうかなあ」
 と市子ちゃんがいった。
「私はいい年にしたいです」
「いい年にしてください」
 市子ちゃんが笑っていう。
「なんか他人ひとごとみたいじゃない」
「だって他人事だし」
「だけど、この新しい年はみんなに一斉にきたわけでしょ。つまり今年はみんなのものでもあるじゃない」
 そういいかえすと、市子ちゃんは、まあ、そうだけどさ、とつぶやいて、
「なんていったらいいのかなー、もうさ、今年がいい年になりますように、とかいちいち気負わなくてもいい、っていうかさ、ともかく、ふつうに暮らしていけたらそれでいいって思うようになってきてんだよねー」
 といった。
「でもさ、市子ちゃん、そうはいったってさ、今年がいい年だったら、みんなにとってもいいわけでしょ」
「そら、まあ、そうだけどさ、もうさ、今年が特別よくなくたっていいんだよ。そこそこでよしとしようっていうかさ。それだって、たいへんなことなんだ、って思うし。まあ、でも、あれか、あんたくらいの年頃だと、そうもいってられないか。そうだよね。そうだそうだ、若者よ、もがきなさい。いい年にしたいんなら、もがいてもがいて自分の手でいい年にしなさい。そうだそうだ、もっともっと、もがけもがけ」
 市子ちゃんも、ちょっと酔っ払ってるみたいだった。
「若者よ、っておっしゃいますけどね、市子ちゃん、わかってる? あたし、もうけっこういい歳なんですのよ?」
 と、言い返す。
「はあ? なに、それ。やめてよ、あんたの歳で、そんなこといっててどうすんの。まだまだこれからでしょうが。三宅ちゃんなんかみてごらんよ。まだ青春だっていってるよ。あたしの青春、返してーって男と別れるたんびに絶叫してるからね。懲りないんだよー、まだ失恋して泣くしね。あそこまでいくと立派」
 うううううう。
 わかるよー、三宅ちゃん。
 声なき声をあげた。
 私も去年、失恋して泣いたんです。長く付き合ってた人と別れたんです。でも誰にもいってないんです。三宅ちゃんみたいに泣いて騒げたらどんなに楽だったか。でもみんなに秘密にしていたから、誰にもいえなかった。私も、私の青春を返してー! って叫べたらどんなによかったか。ああああああ。うううううう。あの苦しみを思い出すと、まだ胸が痛い。ちっくしょう、あんなやつ。なんであんなやつとあんなに長く付き合っちゃったんだろ、ばかばかばか、と思ったら今更ながら泣きたくなってはきたけれど、ここで泣いたらとめどなく泣いてしまいそうで、いや、へたしたらいきなり号泣してしまいそうで、ぎりぎりのところでぐいっと口をへの字にして、どうにかこらえた。
 悔しかった。情けなかった。
 なおさら、いい年にしてやる、と心に誓ったのだった。

独占特別試し読み第3回に続く
(第3回は、9月1日配信予定です)

『たとえば、葡萄』第1回は、こちら!

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