本との偶然の出会いをWEB上でも

月刊 本の窓 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 第六回 あなたの本能、「ぴっ」と働いていますか? ゲスト 枝元なほみ(料理研究家)

料理研究家として精力的に活動を続けながら、農業支援や被災地支援にも情熱を注ぐ、枝元なほみさん。そのバイタリティの源泉を探るべく、ご自宅にお邪魔してお話を伺いました。

 


第六回
あなたの本能、「ぴっ」と働いていますか?
ゲスト  枝元ほなみ
(料理研究家)


Photograph:Hisaaki Mihara

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第6回メイン

枝元なほみ(左)、中島京子(右)

中島 枝元さんと初めてお会いしたのは、今年(二〇一六年)七月に開催された「スペシャル憲法カフェ~おうち・食べもの……“改憲”で変わってしまうわたしたちの生活?」というイベントでした。弁護士の武井由起子さんが声をかけてくださって、私たちはゲストスピーカーとして呼ばれました。料理研究家の枝元さんと作家の私、そして法律家の立場から武井さんが登壇して三者三様の立場で鼎談を行ったのですが、事前打ち合わせもほとんどなしのぶっつけ本番にもかかわらず、なぜか意気投合して……。
枝元 参加者はみんな、ふだん憲法について考えることなんてほとんどないし、憲法を読んだこともない。そもそも憲法ってなんだろう、というところから参加者全員で武井さんのレクチャーを受けたんですよね。
中島 本来、憲法は権力が暴走しないように制御するためのものなのに、自民党の改正案は逆に国民を縛るような内容になっている。それが民主主義国家においてどんなに危険なものであるか、わかりやすく説明してくれました。
枝元 これはおかしいよねと、三人でしゃべっているうちに、どんどん戦争ができる国に舵を切る安倍政権や自民党の横暴に対して怒りがわいてきた。最後は、かなり暴走気味になっちゃいましたけれど(笑)。
中島 枝元さんの怒りは、ただ単に戦争は嫌だよね、という感情論ではなく、「食」という生きる上で最も大切なところに根ざしているから、参加者の心に響いたんだと思います。そしてイベントのあと、参加者全員にお料理を振る舞ってくれたでしょう。みんなで食卓を囲んで、美味しいものを食べていると、一気に空気が和んできた。参加されたみなさんは、枝元ごはんをいただきながら、憲法改正についての問題点も改めて咀嚼していました。食べ物の力は偉大です。枝元さんは、どういうきっかけで「食」に興味を持つようになったのですか。
枝元 いろいろありますけど、最初の記憶に小学生の時に見たビアフラの子どもたちの写真があります。やせ細った子どもたちのお腹だけがぽっこり膨らんでいる。衝撃的でした。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第6回文中画像1中島 一九六七年に、ナイジェリアのイボ民族などの部族がビアフラ共和国として独立を宣言したことが引き金になってナイジェリア政府との間で起きた戦争の時の写真ですね。ビアフラへの食料の供給が遮断され、三年間で餓死者・戦死者含め二百万人もの犠牲者をだした悲惨な事件です。
枝元 当時、世界の貧しい国の子どもたちを助けるために小学校でベルマークを集めていたでしょう。
中島 私の学校でも集めていました。
枝元 自分は毎日お母さんに「今日のおかずは、鯖の味噌煮? ハンバーグじゃなきゃ嫌だ」なんてわがままなことを言っている。でも、ビアフラの子どもたちは、何も食べられなくて飢えて死んでいる。そう考えるとベルマークを集めている自分がすごく偽善的に思えてきたんです。それなら、自分が食べているものやお小遣いを全部送ればいいのか。でも本当にそうしたら、自分たちが暮らしていけなくなっちゃう。どこに線をひいたらいいのかわからない。そんなもやもやが、心のなかでずっとくすぶっていたんです。
中島 今のように飽食の時代だとつい忘れがちですが、枝元さんのなかには「食べること」は「生きること」だという根源的な営みに対する畏敬があるんですね。

「いいものを食べる」から「ちゃんと食べる」へ

枝元 そこまで立派な信念があるわけじゃありませんが、私も料理研究家として活動を始めてからは、健康で楽しく暮らしていくために、すこし値段は高くても安全で美味しいものを食べようという主義でした。ところが、朝日新聞がやっている「オーサービジット」という企画で、ある高校に行って特別授業をしたときに、意識がコトリッと変わったんです。
中島 母校ではなく、まったく知らない学校ですか?
枝元 そうなんです。子どもたちからの手紙でリクエストを受けた著者がその学校に行って特別授業を行うものでした。最初は二〇〇七年だったかな。介護や保育の仕事を目指している奈良県のある高校のクラスでした。
中島 講演ではなく授業ですから、「食」というテーマがあったとしても、まったくの手探りですね。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第6回文中画像2枝元 そうなんです。だから、授業のきっかけを得るために、私が訪問する前の四日間に毎日三食どんなものを食べたのか生徒全員に「食事日誌」をつけてもらったんです。ところが、朝食=メロンパン、昼食=ご飯、エビフライ、鶏の空揚げ、スパゲティナポリタン、ポテトサラダ。ああ、コンビニ弁当なんだなって分かっちゃう。夕食=フライドチキンとサワークリームビスケット。これは、ファミレスかもしれない。想像していたよりも、ひどい食生活だなと驚きました。
中島 なぜ、自宅でご飯を食べないのでしょう?
枝元 先生に聞くと、この学校に通う子たちは、裕福とはいいにくい家庭の子が多いということでした。だから、子どもたちも、学校が終わったらアルバイトをしている。
中島 そういう事情があったのですね。それではコンビニ弁当でも仕方ない。
枝元 私は、それまで「できるなら有機野菜を食べてほしい。卵は一個五十円くらいのものを買おう」。そう言ってきたのですが、食生活が親の経済レベルや生活環境に大きく左右されることに直面して、平手打ちされたようなショックを受けました。
中島 理想は大切だけれど、現実はもっと切実だったということですね。
枝元 帰りの駅のホームで女子生徒に「授業に来ていただいて、ありがとうございました」と声をかけられて、少し話をしたんです。彼女は、お母さんと二人暮らし。でもお母さんが交通事故にあって働けないから、飲食店のバイトをしていて三年間一度も休んでない、と言うんですね。その飲食店では、無欠勤だと表彰メダルをくれるんだそうです。ほめてもらえると嬉しくて、自分は接客業に向いているから将来はUSJで仕事がしたい。だから、大学に進学するために、もっとバイトを頑張ってお金をためるんだ、と。彼女と話をしていて「一個五十円の卵なんてもうどうでもいい。何でもいいからちゃんと食べて、たくましく生きていって」。心からそう思ったんです。
中島 その学生さんたちとの出会いが、料理研究家としての枝元さんの人生観を変えたのですね。
枝元 さきほど中島さんがおっしゃったように「食べること」は「生きること」だという基本を忘れて、安易に誰かの食生活を否定すると、それはその人が生きることを否定することになってしまう。だからそれ以来、「こんなもの食べちゃだめ」と自分の価値観を押しつけるのをやめました。
中島 私たちは、ひとりひとり生まれ育ってきた環境も違うし、教育のレベルや経済のレベルも違いますものね。
枝元 そうなんです。自分と違う考えを持っている人に否定されると、ついムキになって強く反論しがちですが、否定からは何も生まれない。認めあうことから始めないといけないと考えるようになったんです。
中島 コンビニもファミレスも認めた上で、学生さんたちにはどんなアドバイスができるのでしょう?
枝元 「コンビニのお弁当もいいけれど、目玉焼きを作って、あったかいご飯にのっけて食べてごらん。安いけれど、すごく美味しいよ」。そういう簡単な料理を自分で作ることから始める方法を伝えたい。難しいことを偉そうに語るのではなくて、暮らしのなかでちょっと視点を変えるだけで新しい発見があることに気づいてもらえたらいいなと思うんです。
中島 NHKが「貧困女子高生」の特集を放送したら、そこに出演した女子高生がいきなりバッシングされたという事件がありましたね。千円のランチを食べていたとか、部屋にアニメグッズがたくさんあったとか、好きなバンドのコンサートに行っているとか。この家庭は、貧困なんかじゃないだろう。NHKのヤラセじゃないか、と。
枝元 しかも、それに便乗した片山さつき議員が「NHKに説明を求める」なんて言い始める始末。ポピュリズムの典型で、ふざけるな! と声高に言いたい。
中島 そもそもが、先ほどのビアフラのように、食べるものがない、着るものがない、生きるか死ぬかという究極の貧困の話じゃないんです。彼女の家庭は、経済的に恵まれていないため数十万円の学費を捻出することができず、大学進学を諦めざるを得なかった。そういう文脈の特集だったんです。
枝元 お茶の間で無責任にうわさ話している分にはいいんです。でも政治家が口を挟むと、公の問題になってしまいます。権力者である私が判断してみせようという、片山議員の上から目線に腹が立ちました。
中島 ネットではこの女子高生の素性探しが始まって、自宅の住所まで特定されたそうです。怖い世の中です。
枝元 国会議員という権威が同調することでさらに炎上して、標的になった女子高生のプライバシーが侵されるかもしれないという人道的な配慮がまったく欠けた行為だったと思います。

行動を起こせば、自分が変わる

中島 私は東京オリンピックの年(一九六四年)の生まれ。高度成長とともに大きくなった世代なので、社会全体が豊かになっていく高揚感に押されて、貧困の問題について真正面から考えることをしてこなかったような気がするんです。食に関してもわりと無頓着で。でも、原発事故にはさすがにショックを受けました。そしてあのころ、子どもたちに安全なものを食べさせようと考えたら、学校給食がいちばんいいだろうと思ったんです。子どもたちが学校で食べる一食だけは、絶対に安全なものを提供する。
枝元 子どもの健康をいちばんに考えるのが、人の道ですよね。
中島 人の道だし、政府や自治体など公の機関がやるべき最低限のことでしょう。私は、原発事故が起きるまでは、政治や国のあり方に対してあまり興味がなかったけれど、あの事故をきっかけに私たちが安全に生きていくための最低限の保障をするのが公的機関だろう。なぜそれができていないのか、考えるようになったんです。
枝元 現実はまったく逆でしたよね。福島の人たちにあんなに大きな傷跡を残しながら、原発再稼働の方針を決めるなんて常識的に考えてあり得ない。今年に入ってからも、熊本でも大きな地震が起きています。地震大国の日本なのに、政府が国民の安全な生活を第一に考えているとはまったく思えない。
中島 ほんとうに残念です。二〇一二年十二月の衆議院選挙だって、まだ震災からの復興がほとんど進んでいないなかで行われたでしょう。任期満了の選挙ならまだしも、解散総選挙。こんな時になぜ選挙なんてやるのか。政治家たちは、何を考えているんだ。もう腹立たしくて……。
枝元 それで中島さんも、いろんな活動に参加されるようになった。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第6回文中画像3中島 枝元さんに比べたら、活動とは言えないような些細なことしかしてないんですけれども、ただ黙って過ごしていると、もうこの先には暗黒の未来しかないと思い、自分にできることは何か考え始めたんです。政治になんて興味のなかった私が、安保法案廃止とか憲法改正反対とか、毎日のように何かに署名してる(笑)。まさか自分にそんな人生が立ち現れるとは、三十代のころの私は想像もしませんでした。
枝元 私もそうでしたが、実際にほんの少しでも行動を起こせば、まず自分が変わりますものね。
中島 確かに震災後の五年間は、悪いほうに向かって進んでいたかもしれない。でも、自分と同じような考えを持っている人たちとつながっていけば何かが変わるだろう。そういう希望のような感覚は確かにあります。今はもう解散しちゃいましたけれど、SEALDsの若者たちだってかっこいいなと思う。彼らのことを批判する人がいるのは知っているけれど、あてにできない政治家に頼るのではなく、自分たちで変えていこうと行動する。以前よりずっと多くの人がそういう姿勢を持ったということは重要だと思います。でも、選挙でもなかなか私たちが望む方向に光がさしてこないのは、悩ましい問題ですが。
枝元 私も安保法制反対のデモに参加したり、署名活動のため街頭に立ったりしましたが、街行く人たちに関心を持ってもらうことがこんなに難しいとは思いませんでした。もしかしてあまりに真剣で、真面目すぎるから、かえって伝わらないのではないかと。
中島 たしかに。「私たちは署名活動という社会的に意義のある運動をやっているんだ」というオーラが強すぎると、近寄りがたい感じがしますものね。
枝元 通りすがりのおばさんに「原発に反対するなら電気を使うな」なんて怒鳴られたこともあるんです。どんなにムカついても、ただひたすら我慢する。けっこうなストレスなんですよね。ところが、署名集めの最中トイレに行くついでに、ふらりと立ち飲み屋にはいって、焼酎のお湯割りを飲んじゃった。そうしたらすごく明るい気持ちになったんです(笑)。使命感にかられて前のめりになるのは仕方ないけれど、たまには自分を緩めて、ふかふかにしてみる余裕をもっていないと続かないし、人々にも伝わらないのかなあ、なんて思ったり。
中島 枝元さんの、そのブレのなさと、やさしいふんわり感は、実体験からくる気づきに支えられているんですね。お話を伺って、私も、五年くらい前から無駄に苦しかったよなあと、思い当たりました。このまま行くと日本は最悪の国になっちゃう、今すぐ変えなきゃたいへんなことになると、焦るわ、眉間にしわが寄るわ……。しかし政治や国を相手にした運動が、すぐに成果を生み出すことなどないわけで、非常に長い時間がかかる。その間めげないでやり続けることが大事だとわかりました。枝元さんがおっしゃるように、そのためにはどこかに楽しさがないと続かない。頑張りすぎると気持ちがへし折れてしまうこともありますから。ごはんとお酒、だいじですね(笑)。

生き物としての本能を磨く

枝元 子ども向けの料理教室もおなじで、いますぐに子どもたちの中に何かが芽生えることはないけれど、今日ここで体験したことが子どもたちの将来の糧になってほしいと願いながらやっています。
中島 枝元さんの料理教室なら、ほがらかですごく楽しそうだから、子どもたちも喜んでいるんじゃないですか。具体的にはどんなことをやっているんですか?
枝元 まず、料理とは何かを実感してもらうために、生肉の塊を見せるんです。そして、この生肉をそのまま食べたことある人はいるかと質問する。もちろん、誰も手を上げません。このままでは食べられないから、食べやすい大きさに包丁で切って、火や水を使って煮たり焼いたりする。火も包丁も扱いを間違えると危険なものだけれど、そういうものの力を借りて私たちが美味しく食べられるように変えていくのが料理なんだよって伝えるんです。
中島 スーパーにも加工食品があふれているから、生の肉塊や魚を見たことのない子どもも多いでしょうね。
連載対談 中島京子の「扉をあけたら」第6回文中画像4枝元 そうなんです。でも、包丁を取り出して「ここが切れるんだよ」と刃のところを見せると、みんな一瞬耳をうさぎのように「ぴっ」と立てて、こちらを注目するんです。「大事なことを言うから黙って聞きなさい」と言っても誰もちゃんと聞いてはくれないけれど、「ここが危ないんだよ。触るとすぱっと切れちゃうよ」と言うと「ぴっ」と反応する。
中島 子どもたちがいちばんやりたいのは、包丁でざくざく切ることなんですね。危険だけど、その先になにか面白いことが待っている。そんな予感がしているのかもしれませんね。
枝元 ほんとうにその通りで、あの「ぴっ」となる瞬間は、生き物としての本能だと思うんですね。
中島 生き物としての本能……。うーん、自分自身も含め、その本能が鈍ってる人が多くなっているかもしれません。枝元さんはそれに気づかせてくれるの。憲法カフェのときにされた「虫が食べたら死ぬものを、人間が食べていいのかなって思わない?」というお話も、私、自分の耳が「ぴっ」って立ちましたよ!
枝元 食べることに限らず、自分で感じたり考えたりしなくても、世の中を飛び交う情報にのっかっていれば何となく楽に暮らしていける。でも、それでいいんだろうか。いまいちばん大切なのは生き物としての本能を磨くことではないのかな、ってじわっと思っているんです。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立、1996年にインターシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で第42回泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で第3回河合隼雄物語賞、第4回歴史時代作家クラブ作品賞、第28回柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で第10回中央公論文芸賞を受賞。

枝元なほみ(えだもと・なほみ)

1955年横浜市生まれ。明治大学文学部英米文学科卒業。1981年劇団「転形劇場」研究生となり、役者として活動しながら、無国籍レストラン「カルマ」でシェフとして働く。1987年料理家デビュー後はテレビ、雑誌などで活躍。また、一般社団法人チームむかごを設立して農業生産者をサポートする活動も行う。著書に『毎日野菜いっぱい! 枝元なほみのぜんぶ・おかずサラダ』『具だくさんでおいしい食べるスープ ずっと作りたい決定版レシピ』など多数。

logo_144
豪華執筆陣による小説、詩、エッセイなどの読み物連載に加え、読書案内、小学館の新刊情報も満載。ページの小さな雑誌で驚くほど充実した内容。あなたの好奇心を存分に刺激します。

<『連載対談 中島京子の「扉をあけたら」』連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 月刊 本の窓 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 第六回 あなたの本能、「ぴっ」と働いていますか? ゲスト 枝元なほみ(料理研究家) | P+D MAGAZINE TOPへ