本との偶然の出会いをWEB上でも

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:小島毅(東京大学大学院教授)

昨今蔓延する日本礼賛の陰には、日本の自信喪失があると分析する東京大学大学院教授の小島毅先生。平成が終わるのを機に、現代日本をもう一度見直すためには、どうしたらいいのか。お話を伺いました。

 


第二十八回
「日本は、追い越されたのではない。」
ゲスト  小島毅
(東京大学大学院教授)


Photograph:Hisaaki Mihara

Img_28104縮小

小島毅(左)、中島京子(右)

天皇をめぐる諸制度の多くは、明治に創られた

中島 小島先生は中国の思想史がご専門ですが、ここ数年中国と日本の関係をひもときながら歴史を見直そうというテーマでたくさんの著書を出されています。『天皇と儒教思想』(光文社新書)もその中の一冊です。
小島 二〇〇五年に『義経の東アジア』(勉誠出版)を書いてから、日本に関する原稿の依頼が増えてきたんです。でも中国との関係を無視して日本の歴史は語れませんから、いい機会だと思い、日々原稿と格闘しております(笑)。
中島 二〇一九年、天皇明仁が生前退位し、「平成」が終わります。生前退位にいたる天皇のおことばや譲位について、どういうご感想をお持ちになりましたか。
小島 歴史の研究者としての視点から見ると、二百年ぶりの譲位表明であることに着目したい。しかも、明治二十二(一八八九)年に制定された旧皇室典範では、譲位自体が否定されています。そこには崩御するまで天皇であり続けるという規定があり、現在の皇室典範にも引き継がれています。ですから現憲法下で、天皇は自ら譲位したいとは言えません。だから非常に婉曲な、でも聞いている人の九十九パーセントが、そういう意味だよなと思うようなご発言をされたのでしょう。
中島 先生のお話を伺って、はっとしたのですが、歴史の教科書を読み直してみると明治以前は生前退位や譲位、天皇在任中の改元などもよく行われていました。天皇制に関しても、今私たちが大昔からの伝統のような気がしていることがほんとうにそうなのか、ちゃんと見直していく必要がありますね。
小島 何百年後の歴史の教科書には、日本では千年以上にわたって天皇は生前譲位をしていた。しかし十九世紀の初めから二十世紀の終わりまで生前譲位がないという異常な時期があった。そういう記述がされているでしょうね。
中島 なぜ明治時代になって、生前の譲位を禁止したのですか。
小島 生前退位つまり譲位を認めると、上皇と天皇の二重権力になるおそれがある。明治の皇室典範を決めるときに、そういう議論があったそうです。
中島 平安時代にも白河上皇など、譲位後も強い権力をもって院政を敷いた天皇もいますね。
小島 戦後の日本国憲法体制下では、さらにややこしいことが起きる可能性が指摘されました。たとえば天皇を退位された方が、国政選挙に出て当選したり、内閣総理大臣になる可能性も理論的にはあり得るんです。だから崩御されるまで、天皇であり続けなければならない。そのためにこの規定が設けられたと聞いています。
Img_28070縮小中島 確かに。可能か不可能かは別にして、もし皇籍を離脱すれば一般市民になりますものね。
小島 そういうことです。
中島 そして、次にどんな元号が使われるのか。改元も、日本国民にとって大きな関心事です。
小島 元号が始まったのは、二千年前の前漢時代の中国だと言われています。そして、天災や疫病などが発生すると、改元して気分を一新するようになったそうです。
中島 確かに現代に生きる私たちの気持ちの中でも、元号が変わると何か新しい時代が始まる気がします。そんな根拠はまったくないのに不思議ですね。
小島 中国の思想に大きな影響を与えているのが儒教です。儒教思想はもともと古代中国の王たちによって行われていた理想的な統治に基づくもので、春秋時代にそれを復活させようとした孔子によって基礎が整えられました。その後、時代が下るとともに、そういう呪術的な側面が強まっていったのでしょう。
中島 確かに儒教と聞くと、目上の人を敬いなさいというような、道徳教育的なイメージがすぐ浮かんできます。現在では天皇在任中の改元は行われていないのは、なぜですか?
小島 現在の天皇をめぐる諸制度の多くは、明治維新前後に創られたものです。明治の皇室典範では「一世一元制」を規定しています。歴史書を見ると、日本でも平安初期の頃は一世一元です。当時の中国でも一世一元が取り入れられていましたが、なぜ同時期だったのか、その理由はよくわかっていません。
中島 なるほど。中国でも、いろいろあったんだ。
小島 あくまで私の仮説ですが、中国の明王朝創設時に一世一元にしたのは朱子学の教義によるものと考えます。明治の皇室典範を作るときに、その制度を本格的に取り入れたのだと思います。
中島 朱子学は、先生がご専門に研究されている宋の時代に成立した儒教の一派ですね。読者の方々にも少し説明が必要だと思うので、ご著書の『天皇と儒教思想』から少々引用させていただきます。

「漢代の儒教では、皇帝が元号を改める(改元する)ことで時間を更新し、天変地異がもたらす災厄を逃れることができると考えていた。朱子学では、理にしたがった政治の遂行を重視し、改元という行為自体にそのような魔力はないとして、皇帝の代替わりのときだけ改元する制度(一世一元制)を主張した」

小島 日本でも明治改元時に、この中国の制度を模倣したのだという当時の記録があります。でも、公には異国の制度を取り入れたとはいわない。あくまで「明治天皇自身の発案によって、ご一新にふさわしい制度がなされた」というのが明治政府の公式見解です。
中島 中国で生まれた元号というシステムを今も使っているのは、日本だけなんですよね。
小島 中国だけなく、韓国やベトナムでも元号が使われていた時代はありますが、現在、公式の紀年法として使っているのは日本だけです。元号は皇帝に属するものですから、その国に皇帝がいなくなると元号自体が意味を持たなくなります。日本にはまだ王がいますからね。共和制になれば、元号はなくなります。

「神仏習合」は、明治政府が作った新しい伝統

中島 宮中で天皇が行う祭祀を見ていると、はるか昔からずっと続いてきた神道の伝統儀式のように思ってしまいますが、そうじゃないんだということに驚きました。
Img_28047縮小小島 もちろん昔から執り行われている儀式も多いでしょう。でも、たとえば「お田植え」は、昭和天皇が始められたものです。そういう新しいものもたくさんあります。元来日本では、古来仏教と神道に明確な境目はありませんでした。神々を祭る王としての天皇家の伝統、つまり神道の歴史はずっと続いて今に至っている。でも、奈良時代に東大寺を建てたのは聖武天皇でしょう。
中島 言われてみれば、確かにそうですね。
小島 『源氏物語』でも、天皇が病気になるとお坊さんを呼んできてお祈りをします。明治政府が神道を国教に制定するまで、千年以上実質的な神仏習合が続いていました。神仏習合という言い方自体が、明治時代以降にできた新しい言葉なんです。しかも「仏神」ではなく「神仏」。
中島 明治政府が「神」つまり神道を上に置いた。
小島 鎌倉時代や室町時代の人たちには、神仏習合なんていう発想自体がありません。いわゆる神道なるものは日本における土着的でローカルな仏教だと考えたのでしょう。仏というのは世界中どこにでも現れる普遍宗教の神様です。それが日本列島では日本の神の姿になって現れる。ところが、江戸時代になって仏教の力が強くなりすぎた。明治政府は、仏教の影響力を排除するために、仏教と神道を無理やり分けて、神道を国教に制定した。神仏習合という考え方自体が、明治政府によって作られたまったく新しい伝統なんです。
中島 神話的国家観を、近代国家作りに使った。
小島 人々がなぜ今、天皇を中心にした日本を考えるようになったかと言えば、日本というものの一体感を人々が感じるようになったからだと思います。律令時代に、日本という国はできたのですが、その時代に奈良に住んでいる人と九州に住んでいる人が同じ国の仲間だという意識はまずなかった。
中島 なるほど。
小島 江戸時代になるといわゆる鎖国をして、経済活動が盛んになる。原則として海外には行けないですから、完結された列島の中で人の行き来が行われるようになると、みんな同じだなと思うようになる。寺子屋などで教育がなされるようになり、人々の識字率が高くなってくる。すると本を読みますから、大昔に作られた『古事記』や『日本書紀』の話がよみがえってくる。天皇の皇子のヤマトタケルとかいう人がここに来たらしいという碑をどんどん作っていくわけですね。そのなかで天皇と将軍の関係についても大きな動きが出てきた。江戸の将軍は日本の王ではなくて、王である天皇から権限を委託されているんだという「大政委任論」です。
中島 そうした考え方が、「尊王攘夷」運動を生み、「大政奉還」に至る、いわゆる「明治維新」を準備したと。明治時代には、政治家や学者などを留学させて西洋文化をどんどん取り入れましたよね。でも一方で、その神話的な国家観が、第二次世界大戦の敗戦まで、この国を支え続けたわけですね。
小島 作られた歴史であるにせよ、長い年月をかけて人々の生活の中で醸し出されてきたものですから。
中島 近代化によって入ってきた西洋思想よりも、信じやすいところがあったんでしょうか。
小島 しかも明治政府が意識的に「神道」を立てた。神道は仏教やキリスト教のような宗教ではありません。信じる、信じないではなく、日本人の心の中にすでにあるものなのだと教え込まれていったわけですね。でも、戦争が終わって、アメリカの力で、ちゃらになったはずなんです。
Img_28099縮小中島 明治期に作られた神話的国家観のもとで、日本はいくつもの戦争をし、植民地にその国家観を押し付け、第二次大戦では大敗を喫して、国内にも国外にも膨大な犠牲者を出した。その反省から、民主主義国家として再生したわけですよね。「神の国」や「八紘一宇」などを公言される政治家さんたちには、もう少し歴史を学んでもらいたいです。
小島 私も以前は、政治家の方たちに対して、もっと勉強してくださいというスタンスだったのですが、ちょっと考え方を変えました。ある宗教の信者に、あなたの宗教は間違っている、というのは失礼でしょう。クリスチャンの方に、神の復活なんてあり得ないと言うのは、その人の心に土足で入る失礼なことですよね。私はそういうことをしたくないので、日本は神の国ですとか、八紘一宇の精神が素晴らしいとおっしゃる方々は、あなたの信仰としてそれは尊重します。ただ、私たちの政治にまで、個人的な信仰を持ち込まないでくださいと言いたい。

日本に自信がなくなっている

中島 第四次安倍内閣で文部科学大臣に就任した柴山昌彦さんが、『教育勅語』に触れて「今の道徳などに使える分野があり、普遍性がある」と発言されたでしょう。
小島 文部科学大臣というのは、日本の大学全体を企業グループに譬えると、持株会社の代表のような立場ですよね。柴山さん個人の政治信条がどうあろうと、それは構わないと思います。しかし文部科学大臣として就任直後の記者会見で、『教育勅語』を口にする。それは配慮が足りないか、俺は言うぞという確信犯かのどちらかですよね。恐らく後者のほうだと思うんですが。
中島 やっぱり、そうなんですね。
小島 『教育勅語』は教育の基本方針を定める明治天皇のおことばで、敗戦まで使われていたものです。その『教育勅語』を大切にしようという信条をお持ちの方がいらっしゃることに関しては、個人の自由です。しかし日本は戦争に敗れた。アメリカの指導があったにしろ、『教育勅語』も『大日本帝国憲法』も無効だと、日本の国会が議決したんです。国家がそう決めているのだから、大臣としてそれは守らなきゃいけない。
中島 「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」だから「排除」すると、国会が宣言(一九四八年衆議院決議)しています。
小島 日本は二十世紀の前半にアジア諸国に対してひどいことをしました。それを支えてきた思想のひとつが『教育勅語』です。だから日本はもうそれを使いませんという宣言をしているんです。
中島 今になってなぜ、それを復活させようなんて非常識な発言が出てくるのでしょう。
小島 反省してない人たちやその人たちの流れをくむ人たちの声が大きくなってきているんでしょう。『教育勅語』を部分的に抜き出して、・親孝行をする、兄弟姉妹仲良くする、夫婦互に睦び合う・、そういうことは普遍的じゃないかと問われれば、それはそのとおりです。『教育勅語』にも悪いことばかりが書いてあるんじゃない。悪いことばっかり書いてあったら戦前の日本はどういう国だったんだということになる。
中島 でも、そんなのただ「仲良くしようね」と言えばいいことで、『教育勅語』を復活させようというのは、別の意図があるんでしょ。
小島 『教育勅語』の中で「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とあるのは、日本国憲法に反する考え方ですし、そこが特に問題なのです。ところが、昭和二十年までの日本は誇らしい国だったという考えを持っている人にとっては、これは素晴らしい文章だとなるのでしょう。
中島 天皇のために戦いなさいという意味ですものね。ようするに、自分を捨てて国に殉じる、という考えを子どもたちに植えつけたいのでは。家族関係や夫婦関係についても、私は普遍的だとは思わないんです。その頃は今と違って、夫婦は対等ではない。女の人からは離婚も言い出せない時代でした。親のために子どもが身売りするのだって親孝行だといわれた時代。それを考えると、言葉だけ切り取って、今の時代にも通じる良いことだとは言えないんじゃないかと思うんです。
Img_28005縮小小島 私も一人の日本国民としては、同感です。ただ、私たちこそが正しくて、あなたたちは間違いだというのは逆の言論弾圧になりますから。『教育勅語』は良かったと考える人がいることは別に問題ないと思うんですよ。先程も申しましたが、政治家が立場をわきまえずに、自分の主義信条を国民に押し付けるのは間違いだと思います。
中島 ここ数年「日本はすごい、日本は偉い、日本の伝統は美しい」そういう言説がうるさいくらい聞こえてきて、なんだか嫌な感じがしていたんです。そういう人にこそ、先生の本を読んで歴史認識を考え直してほしい。
小島 自然発生的なのか、どこかで大きな力が働いているのかはわかりませんが、そういう発言をすることで、自己満足をする人たちがいることは確かです。人間は見たいものしか見ないっていうのが私の考え方です。聞きたくない話は聞いても頭に残らないし、知ろうともしない。日本は素晴らしいという言説を繰り返し言い合っている背景には、根本的に日本に自信がなくなっているのだと思います。
 一九八〇年代に、日本は素晴らしいなんてわざわざ言う日本人はいなかったんですよ、今とは違って。
中島 アメリカから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代ですけれども。
小島 それがいまや中国に追い越され、と皆さん言います。でも私は追い越されたのではなく、元の正常な姿に戻ったのだと常に言っています。たまたま、この百数十年間、中国の中でいろいろ問題があって、経済力が落ちていただけだと。経験していませんから追い越されたという意識を持つ、韓国についても同じようなことですね。中国人や韓国人は羽振りのいいような顔をしているけど、実は日本人のほうが心は素晴らしい、日本の文化のほうが美しいと慰め合っている。下品な表現になりますけど、そういう歴史認識のことを「自慰史観」と呼んでいます。
中島 確かにちょっと下品ですが(笑)、まさに、言い得て妙ですね。
小島 反中、嫌中の雰囲気が蔓延しているいまこそ、自慰史観を捨てて、日本が中国からいかに多くのことを学んできたのかを再認識しないといけない。でも、何かわからないことがあると知りたいと思うのが当たり前だと思っていたら、いけないんです。世の中みんなが、そうではない。むしろ多数派は日々の生活さえ楽しければいい、そんな難しいこと知りたくない。自分の興味のあるファッションやゲームのことなら、もっと知りたい。こういう歴史認識のずれや誤解をときたいとは思っていない人にも知ってもらうにはどうすればいいんだろう。私も日々、悩んでいるところです。
中島 それは小説家の悩みでもありますね。私もいっしょに悩むことにします(笑)。

構成・片原泰志

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、2016年、日本医療小説大賞を受賞。

小島毅(こじま・つよし)

1962年生まれ。東京大学卒業。専門は中国思想史。現在、東京大学大学院教授、中国社会文化学会理事長。著書に『中国近世における礼の言説』『中国思想と宗教の奔流 宋朝』『朱子学と陽明学』『儒教の歴史』など。日本史・日本文化を東アジアの中で捉える視点からは『義経の東アジア』『足利義満 消された日本国王』『靖国史観』『父が子に語る日本史』『儒教が支えた明治維新』などを著している。妻は東京女子大学での中島の同期生。

logo_144
豪華執筆陣による小説、詩、エッセイなどの読み物連載に加え、読書案内、小学館の新刊情報も満載。小さな雑誌で驚くほど充実した内容。あなたの好奇心を存分に刺激すること間違いなし。

<『連載対談 中島京子の「扉をあけたら」』連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:小島毅(東京大学大学院教授) | P+D MAGAZINE TOPへ