本との偶然の出会いをWEB上でも

連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:里中満智子

中島京子さんの『かたづの!』が、この春、里中満智子さんによって漫画化されました。その刊行記念として、おふたりに作品のこと、そして漫画を始めとする国際文化交流の可能性について熱く語っていただきました。

 


連載対談 中島京子の「扉をあけたら」
第三十三回

男目線の戦の世は、
終わりにしませんか
ゲスト  里中満智子
(漫画家)


Photograph:Hisaaki Mihara

Img_33003

里中満智子(左)、中島京子(右)

武士道的美学は、女性には理解できない

中島 里中さんが、私の小説『かたづの!』を原作にして作品を描いてくださると聞いたときに、うれしくて舞い上がるような気持ちでした。里中さんが『かたづの!』の世界をどう表現されるのか、ワクワクして、すべて里中さんにおまかせし、夢心地でお待ちしていました。じつは、直接お会いするのは今日が初めてで、お話ができるのを楽しみにしていました。
里中 こちらこそ、中島さんのお言葉に甘えて、こうやって本になるまでお目にかかることもなく失礼しました。
中島 完成した作品を読んだときに「ここよ、私が見た景色は」「これよ、私が知っているふたりは」というシーンがすごくたくさんあって、本当にびっくりしたんです。原作の中のドラマチックなシーンをピックアップして、ビジュアルアートとして完成させていらした。とても感動しました。
里中 私はこれまで、原作ものをやることは、ほとんどありませんでした。でも『かたづの!』のお話を頂いて、原作の小説を読んでみると、そこに描かれているシーンがつぎつぎと頭の中に浮かんできたんです。この作品は、私の手で漫画にしてみたいと思いました。
中島 そう言っていただけると、本当にうれしいです。小説の場合、あまり書き込み過ぎてしまうと、読者のイマジネーションが広がるのを邪魔してしまうところがあるんですね。だから今回、里中さんがすごくすてきな絵を思い浮かべてくださったのが、すごくうれしく、原作者としてほっとしました。
里中 『かたづの!』は、江戸時代初期の南部八戸に実在した女大名・清心尼と彼女を守った一本角の羚羊のお話ですよね。たとえどんなに小さくても一国の城主になるのは大変なこと。南部の場合も統一する親の藩・南部宗家があって、八戸のように田舎の小さな支藩は子会社のようなもの。親の顔色をうかがいながら、生きている。社会の仕組みって、人間がつくり出したものだから、いつの時代もそんなに変わらないんだなと思いました。
中島 いつ潰されるか、いつ仕事を取り上げられるか分からないというような、小さな藩の城主ですから、戦になったら勝ち目がないんです。たとえば、意のままにならない清心尼を苦々しく思う南部宗家から、遠野への国替えを命じられる場面があります。男の武将たちは、八戸を去れというのは死ねというのと同じだと考える。屈辱に生きるより、武士としての誇りだけは残して死にたいと、すぐいきりたってしまう。でも、皆殺しになったら何も残りません。彼女は、生きなければ、誇りも生き様も語る者などいなくなる、生きてこそだと国替えを受け入れるよう説得するんです。歴史の資料を読みこんでいるときにこの部分を発見し、清心尼の考えていることは私にも理解できると思い、小説化しようと決めました。
里中 豊臣から大坂冬の陣への出陣を求められたときもそうですね。要するに兵隊を出さないと、反抗しているとみなされて、嫌がらせされる。自分の所からも、兵を出さなければならない。このとき清心尼は、男たちに向かって、参戦したという義理だけ果たせばよいのだと諭し「八戸の兵は全員生きて帰ること!」と命じるのです。男の城主の場合、変なプライドがあって、そんなこと言えないんです。
中島 立派に戦えとか、たとえ死んでも、恥ずかしい振る舞いはするなと言うかもしれませんね。
里中 無理しているんですよ、男の人って。無理するから、早く死んじゃう。女は本当に合理的で現実的だから、家臣たちに死なれるよりは、みんな生きて帰ってきてほしいわけです。大きな戦の中で、小さい藩がどれだけ頑張っても、そう目立たない。よほどの戦功を挙げないと、中央からは気にもかけてもらえません。
Img_33087中島 無駄死にはするなということですね。清心尼の平和主義というか、戦わない姿勢は、すごく地に足が着いている。だから彼女の行動には、説得力があったのだと思うんです。もし彼女が現代に生きていても、すごく合理的できちんとした決断をするリーダーだったと思います。そうした、尊敬できるリーダーが女性だったということに、女性として勇気をもらいました。
里中 たしかにそうですね。武士道的男の美学というものがあって、女から見ると合理的ではないのですが、そこに美しさを感じるメンタリティーを日本の男性は持っているんです。だから、今なお戦国時代の武将たちは人気がある。その根底にあるのは、男はいかに美しく死ぬかということ。しかし『かたづの!』は、女の目から見た乱世。戦をどう収めるかではなく、どうすれば戦をせずに済むか。変なプライドを振りかざして、命まで捨てたら何にもならない。私たちもこれまでいわゆる武士道的男の美学に慣れきっていたのですが、実は女の視点に立つと、生き方にはもっといろんな選択肢があるのだということが分かる。
中島 清心尼によって、合理的なオルタナティブが示されるわけですよね。
里中 私がコピーライターだったら、この作品には「男目線の戦の世は終わりにしませんか」というキャッチフレーズをつけます。もし男の城主だったら、八戸は潰されるか、滅ぼされていると思うんです。そうならなかったのは、女だからこそできる冒険と決断と知恵があるから。もしかすると、『かたづの!』をきっかけとして、戦国から江戸時代にかけての時代小説の流れが大きく変わるかもしれないんです。あと三十年ぐらいたったときに、その転換期の本を私は読んだんだよと自慢するために、読者のみなさん、あと三十年は頑張って生きてくださいね(笑)。

本当の自分は強いんだと、
女の子たちに気づいてほしい

中島 里中さんがデビューされたのは、十六歳だとお聞きしました。当時としても早いデビューですよね。
里中 はい。一九六四年に、第一回講談社新人漫画賞を頂いたのがきっかけです。もはや戦後ではなく、いよいよ東京オリンピックが開催されるぞ、と世の中がわくわくしていた頃です。
中島 そして少女漫画ブームを牽引し、里中さんのあとを追うように、女性漫画家たちが誕生します。
里中 そんなにすごいことをしたわけではありませんが、私が描いた作品を読んで、この作家が十六歳でデビューできるんだから、私にもチャンスはあると感じた後輩たちはいたでしょうね。
中島 でも、その時代、漫画家の社会的な地位やイメージは、いまより高くなかったそうですね。
里中 私も両親や先生に、猛反対されました。漫画家になりたいというと、変人扱いされるような時代でしたから。私が小学生の頃、悪書追放運動というのがあって、漫画がバッシングの対象となり、手塚治虫先生の『鉄腕アトム』がやり玉に挙がっていたんです。
中島 『鉄腕アトム』のどこがいけないんでしょう?
里中 本当にばかばかしいのですが、ロボットどうしが戦って、腕がちぎれたりするシーンがありますよね。すると「これは残酷である。子どもがまねしたらどうするんだ」とか「いくら近未来といえども、ロボットが喜怒哀楽を感じるなんて、あまりにも非科学的過ぎる」とか言われたんです。でも、科学というものは『ドラえもん』じゃないけれど、「こんなこといいな、できたらいいな」というところから始まるわけでしょう。だから今実現していないからといって、それが間違った科学知識であるかどうかは誰も分からない。でも、大人たちはそういうことを言うんです。
中島 なんでしょう、それ。意味がわからない!
里中 漫画は文字が少ない。脳が発達する大事な時期は、ちょっと難しい文章を読んだほうが脳にいい。だから、漫画は子どもに読ませないようにしようという風潮。小説や伝記を読んでいると、「満智子ちゃん、いつも本を読んでいて偉いね」と褒められる。でも、漫画を読んでいると、「そんなもの読んでいる暇があったら勉強しなさい」。ほんとうに、窮屈な時代でしたね。
中島 私は子どものときに里中さんの『アリエスの乙女たち』などの作品を、一生懸命読んで育った世代なのですが、里中さんの作品からは、女の子が自分の意志を持って、自分の生きたいように人生をつかんで生きていくことができるんだ、という女の子に対する応援メッセージのようなものを感じていました。
里中 読者の大多数が少女でしょう。当時の女の子の幸せは、けなげにいい子でいれば白馬の王子様がやってくるというような、他力本願だったんです。少女漫画の中でも、女の子は何かというとすぐに泣く。男の子は強くて当たり前。泣きたくても、泣いちゃいけない。だから、男の子はみんなすごく無理しているような感じがしていたんです。現実に自分の周りを見ると、女の子のほうがしぶといんですね。せめて私の作品を読んでくれる少女たちには、本当の自分は強いんだと気づけば、もっといろんなことができる。人生の可能性が広がるんだということを知ってほしいと思いながら描いていました。
中島 『アリエスの乙女たち』を描かれていたのは、一九七〇年代ですよね。作品の中には、LGBTとまではいかなくても、女性が女性を好きになってどこがいけないのというような話も出てくるし、高校生の妊娠や出産の話も出てきました。
里中 もう五十年近く前になるんですね(笑)。高校生に何をさせるんだと、保護者の方からずいぶんと文句が来ました。でも私は、すぐに妊娠させる。ものすごく受胎率が高いんです(笑)。その裏側には、若い子が興味本位でそんなことをしちゃ駄目。妊娠する可能性があることは絶対に忘れないでほしいという思いがありました。
中島 性的指向や性自認の多様性も、最近ようやく認知されてきましたが、里中さんは何十年も前から、そういう問題に向き合われてきたんですね。本当にすごいと思います。

海賊版をきっかけに、
アジアとの文化交流が始まった

里中 私が漫画家になった頃は、まだ新しい分野だから社会的な地位がすごく低く見られていたんです。でも絶対に映画と同じように表現文化の一つとして認められるという確信を持っていました。ただ、漫画は子ども向けの分野だから、大人たちの支持が得られない。二百年くらいはかかるんじゃないかと思っていました。それまで私は生きていられないだろうけれども、そこに至る道程の敷石の一つにでもなれたらうれしいと思って漫画家を目指したんです。正直言って、自分が漫画家になる以外に、漫画を応援する手段を思いつかなかったんです(笑)。
中島 すごいですね。壮大なビジョンを持っていたんですね。十六歳の頃、私なんて自分のことで精一杯だった気がする。そして現在、現役の漫画家であることはもちろん、漫画界の牽引役として日本漫画家協会の理事長や大阪芸術大学の教授などの要職にも就かれています。
Img_33043里中 きっと、よくしゃべるからです(笑)。中島さんたち小説家の方々も同じかもしれませんが、私たちの仕事って、できることなら閉じこもって創作に没頭したい。引きこもりに対する憧れというか、ただ描き続けて一生を過ごしたいというタイプが結構多いと思うんです。だから才能にあふれて素晴らしい作品を描く人は、余計なことに振り回されずに、創作活動だけに没頭していただきたいんです。
中島 たしかに、私も引きこもりたいタイプ。漫画家さんたちが里中さんを頼ってしまう気持ちがわかります(笑)。
里中 たとえばA社の雑誌に描いている漫画家が、A社とけんかしたとしますよね。それならB社で描けばいいじゃないかと思うでしょう。ところがB社に行きたくてもA社からこの作家は使うなと言うおふれが回っている。それが漫画界の掟だと思っている人がいるんです。
中島 そんな事があるんですか?
里中 まさか!(笑)まったくの都市伝説です。
中島 どうしてそう思うようになったんでしょう。
里中 いろんな出版社の雑誌を読んでいれば、すぐに都市伝説だって分かるんです。でも今の若い子はおおむね、好きな作品しか読まないんです。『少年ジャンプ』を買っても「ONE PIECE」さえ読んでいれば幸せ。他の作品は読まない。「ONE PIECE」のようなものを描きたいといって漫画家を目指す。それでは、生涯「ONE PIECE」を超える作品は描けない。非常に興味の幅が狭いんです。
中島 かつてA社で描いていたあの漫画家は、B社でもC社でも描いているでしょうと言っても、いろんな雑誌を読んでいないから知らないんですね。
里中 B社で描いていて鳴かず飛ばずの人が、C社で化けることだってある。どこにも採用されなかった人をD社が拾って、そこで大化けした。そういう例だっていっぱいあるのに……。
中島 自ら可能性を狭めているようで、なんだかもったいない。
里中 時代が変わっただけじゃなくて、漫画家志望が増え過ぎたのも一因だと思います。昔は、変人扱いされるし、食べていけるかどうかも分からない。相当な覚悟が必要でしたから。
中島 先ほど二百年かかるとおっしゃいましたけれども、今や日本の漫画は世界にも認められ、その地位が確立されています。
里中 うれしい誤算ですね。漫画を通じて日本人の心が分かったと近隣諸国の人に言われると、こんなうれしいことはありません。二十五年以上前になるかしら。海賊版のことで韓国の漫画家から相談を受けたんです。韓国に出回っている海賊版は、ほとんど日本の作品です。それを何とかしたいと。韓国に来て、文化大臣に海賊版取り締まりを申し立ててくれないかと。私一人じゃインパクトがないでしょう。そこで、ちばてつや先生に声をかけて、一緒に韓国まで行ってもらったんです。
中島 ちば先生の作品は、韓国でも人気でしょう?
里中 ちば先生は韓国でも「生きている伝説」と言われる大きい存在でした。でももともと海賊版は日本の作品だということは伏せて流通していたので、それらの作品に感動してマンガ家を目指した人は日本の作品と知ってショックを受けたそうです。「鬼(日本人)の描いた作品に感動するなんて自分は鬼と同じ感情の持ち主か」と。
中島 反日感情も強かった時代ですからね。
里中 そのあとその韓国の漫画家は、自分は日本のことを何も知らなかったと感じ、思い切って日本を旅行したそうです。すると、日本を見る目が変わったと言っていました。
中島 これぞ、真の文化交流ですね。今、日本の若者たちの間では、韓国のドラマや音楽の人気が高いでしょう。もちろん歴史をきちんと知ることもお互い大事ですが、同じ感受性を持っている若者たちどうし、いま、ここで作られている文化を共有する意義は大きいですね。
里中 そのとき仲良くなった韓国の漫画家たちとも、せっかくだから一緒に何かをしようかという話になって、一九九六年に日本、韓国、中国、香港、台湾の五地域合同で、「アジアMANGAサミット」をはじめました。
中島 海賊版をきっかけに、文化交流がどんどん広がっていったんですね。なんて素敵なこと。
里中 長い間やっていると、お互いに気心が知れてくるでしょう。国民性や民族性も分かっているから、普通だったら腹が立つようなことも、本音で語り合えるんです。それこそ食事しているときなどに領土問題などについて、個々人の意見をぶつけ合うこともあるんですよ。
中島 それはすごいことです。漫画を通した文化交流が、政治の世界ではなかなか作れない国際平和の小さな芽を作っているとも言えそうですね。
里中 現在は、マレーシアとマカオなども加わってそれぞれの国と地域が持ち回りで開催しています。十八回目を迎える二〇一九年は日本の当番。十一月末から十二月の初旬にかけて北九州市で開催するので、皆さんご都合がよろしかったらぜひいらしてください。
 

構成・片原泰志

撮影協力 出版クラブ

プロフィール

中島京子(なかじま・きょうこ)

1964年東京都生まれ。1986年東京女子大学文理学部史学科卒業後、出版社勤務を経て独立。1996年にインターンシッププログラムで渡米、翌年帰国し、フリーライターに。2003年に『FUTON』でデビュー。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。2014年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。2015年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。『長いお別れ』で中央公論文芸賞、翌年、日本医療小説大賞を受賞。最新刊は『夢見る帝国図書館』。

里中満智子(さとなか・まちこ)

1948年大阪市生まれ。64年、高校2年生の時に『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞し、デビュー。74年『あした輝く』『姫がいく!』で講談社出版文化賞を受賞。82年『狩人の星座』で講談社漫画賞を受賞。2006年に全作品及び文化活動に対して文部科学大臣賞を受賞。10年、文化庁長官表彰受賞。13年『マンガ古典文学 古事記』で古事記出版大賞太安万侶賞受賞。14年、外務大臣表彰受賞。18年、文化庁創立50周年記念表彰。

logo_144
豪華執筆陣による小説、詩、エッセイなどの読み物連載に加え、読書案内、小学館の新刊情報も満載。小さな雑誌で驚くほど充実した内容。あなたの好奇心を存分に刺激すること間違いなし。

<『連載対談 中島京子の「扉をあけたら」』連載記事一覧はこちらから>

記事一覧
△ 連載対談 中島京子の「扉をあけたら」 ゲスト:里中満智子 | P+D MAGAZINE TOPへ