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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第四回 「暴動の街」と呼ばれて

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和35年に発生した第一次騒動をきっかけに「暴動の街」と化してしまった山谷。当時マンモス交番に勤めていた警部補による日常生活の記録は、住民側とは異なる肯定的なものだった。

 

酔っ払いと暴動

 

 マンモス交番の出だしは好調に思われたが、開所から1カ月も経たないうちに、早くも暴動の舞台となった。
 7月26日午後7時半ごろ、警察官が窃盗容疑の少年を追い掛けて取り押さえ、さらに付近のトラックの上でスコップを振り回して暴れていた酔っ払いを保護して交番に連行した。これを聞きつけた日雇い労働者たちが交番を取り囲み、「警官が乱暴したわけを説明しろ!」と食ってかかり、石を投げた。群集は千人規模に達し、警察側も機動隊を導入して沈静化を図ったが、騒動は未明まで続いたという。この結果、労働者4人が公務執行妨害で逮捕され、19人が負傷した。
 これらの暴動を追っていくと、警察VS労働者という構図が浮かび上がってくるが、常にいがみ合っていたわけではなく、日常生活においては心温まるエピソードもあったようだ。
 昭和36(1961)年に8カ月間、マンモス交番に勤めていたある警部補は、同じく「自警」で当時の思い出話を日記形式にまとめている。妻に逃げられ、娘を連れて北海道から山谷に流れ着いた50代男性に数日分の滞在費用を渡すと、涙を流して喜ばれたという話や、野球シーズンに巨人の試合がある晩はみんなテレビを見るため、山谷の大通りに酔っ払いが少なくなるといった現象などだ。そしてこう締めくくる。

「“ドヤ者”とか“山谷住人”と言われている人々の大半は、ふるさとのメロディーを耳にすれば涙さえ流す善良な人たちなのである」

 身内の雑誌への投稿であるから、肯定的な内容になるのは仕方がないとしても、住民側の意見としては、哲男さんが当時の苦い体験談を語ってくれた。

「宿所の窓ガラスが割られた時に、マンモス交番に電話しましたが、『ここで商売しているんだからその程度のことは覚悟して下さい』と言われ、取り合ってくれませんでした」

 以前、経営していた「あさひ食堂」の男性客が、正月に餅を喉に詰まらせた時のことだ。客の対応に追われていたため、従業員をマンモス交番に送り、救急車を呼ぶよう頼んだが、適切に対応してくれなかったという。男性はその後、死亡した。

「お客さんは顔が青くなっていたんですけどね。だからマンモス交番には『あんたたちの責任だよ』と詰め寄りました。ただ、山谷の警察官たちにとっても、小さな出来事をいちいち相手にしている暇がないという事情もあるんです」

 マンモス交番にも言い分はあるだろう。だが、暴動の発火点は「警察官の対応が不当だ」という不平、不満が大半と言われている。その根底には、日本の資本主義社会がもたらした日雇い労働者に対する搾取の構造がある。ピーク時は1万5千人の日雇い労働者が宿泊していたから、火種は瞬く間に広がり、群集心理がはたらいて交番を取り囲むという事態が繰り返された。
 一方で、山谷暴動には、別の側面も見られる。確かに帰山仁之助が言及した、安保闘争や三井三池争議の影響を受けた可能性はあるが、両者の違いは、酔っ払いが含まれているかどうかだ。山谷暴動の記事や文献を当たってみると、酔っ払いが絡んでいない事件を探し出すほうが難しい。そこには日米安全保障条約反対などという大義名分はなく、日常的にくすぶっている怒りの感情に、ある日突然、アルコール飲料が注がれて暴発するのである。
 当時、マンモス交番近くの、(なみだ)(ばし)交差点にある「世界本店」と呼ばれる酒場が賑わっていた。焼酎の売り上げに関しては日本一だったと、哲男さんが言う。

「カップ酒だけでも1日に700本も売れていたようです。店内で酔いつぶれた男たちを、若い店員が歩道へ引きずり出し、積み木のように重ねていた光景を思い出します」

 山谷における暴動の象徴的存在だったマンモス交番。老朽化に伴って平成6(1994)年に建て替えられ、現在は吉野通りを挟んだ向かい側に4階建てのビルを構える。名称も「浅草警察署日本堤交番」に変わり、「山谷」という地名は削除された。しかし、度重なる暴動で染み付いた街のイメージを簡単に拭い去ることはできない。警視庁は「交番では、喧嘩や酔っ払いの保護取扱いが多い」と説明しており、管内の観光名所などを誇らしげに解説している他の交番とは明らかに異なっている。
 やはり山谷の交番だけは独特の存在感を放っている。そして今日もまた、おっちゃんに対する警察官たちの職務質問は続く。

 

写真④浅草警察署日本堤交番では、高齢男性の対応に当たる警察官の姿が頻繁に見られる
(撮影:水谷竹秀)

 

〈次回は、12月10日(月)頃に更新予定です。〉

プロフィール

ヤマ王とドヤ王 水谷竹秀プロフィール画像

水谷竹秀(みずたに・たけひで)

ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。

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