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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第五回 「福祉の街」を垣間見た

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和37年に山谷で起きた暴動の目撃者を探し始めた著者。そこで出会ったのは当時の目撃者ではなかったが、思いもよらぬ出会いの流れに身を任せてみると…

ヤマ王とドヤ王メイン画像

暗黙の了解

 そこでまずは、あさひ食堂が破壊された当日に日雇い労働者だった目撃者がいるかどうか、山谷の街を散策してみることにした。あれからちょうど56年。当時20〜30代の若者だったとしたら、現在は70〜80代半ばだから、どこかで暮らしている可能性はあるはずだ。まずは、常宿「エコノミーホテルほていや」近くの路上で、発泡酒片手にたむろしているおっちゃんたちに当たった。電柱の近くで飲んでいるおっちゃん2人を見つけたので、早速話し掛けてみると、帽子をかぶった背の低い方が話し始めた。
「うちらはまだ山谷に来て間もないから知らないな。城北労働・福祉センターの地下に娯楽施設があるからそこで聞いてみればいいんじゃないかな。酒は飲んじゃダメだよ。追い出されるから」
 少し離れた場所から私たちのやり取りを聞いていた別のおっちゃんが、気にくわなかったのか、私に向かって突然、怒鳴り始めた。
「よお、こら! おめえ、何だこの野郎! 人を詮索しやがって。しつこく聞きやがってよ。お前は何者なんだよ!」
「私は物書きをやっています」
「どうせ人から聞いて大げさに書くんだろう。あっち行けよこのやろう!」
 私を睨み付けるおっちゃんの目は今にも飛び出しそうで、顔が膨れている。大声を張り上げられたため、私も驚いて固まってしまった。恐らく酔っぱらっているのだから、まともに取り合ってくれそうにもない。私はとりあえず詫びたが、おっちゃんの怒りは収まりそうになかった。
「はやくあっちに行けよ!」
 娯楽施設について教えてくれたおっちゃんからも、「早く行ったほうがいいよ。ここにはああいう人がいるんだから」と小声で促されたので、私はこれ以上、騒ぎを荒立てないようにするためにその場を立ち去った。決して失礼な物言いをしていたわけではないが、ノートとペンを手にしていたのが相手の癇に障ったようだ。  
 山谷では、おっちゃんたちの来し方を聞くのは「御法度」という暗黙の了解がある。しかし過去の取材では、山谷の裏事情を含めて色々と教えてくれた路上生活者もいただけに、それほど厳禁というわけでもなく、結局は人によるのではないかと勝手に理解したつもりでいた。
 外はすでに暗くなっていた。私は歩いて「ほていや」に向かった。すると、背後から「カランコロン」と下駄の音を鳴らしながら、誰かが近づいてくる気配を感じた。
「どうも。論文か何か?」
 そう尋ねてきた男性のほうを見ると、右手に竹製の杖を持ち、全身黒ずくめの格好。白い髪の毛は肩まで伸び、鼻の下にも白い髭を蓄えている。まるで仙人のようだ。
「いえ、私はフリーの物書きで」
 すると男性はここぞとばかりに即答した。
「僕は直木賞を取った山口瞳先生とつながりがあって、よくお茶を飲んだりしていました」
 この返答の真偽はともかくとして話に耳を傾けてみると、怒鳴られた際の私の対応に好感を抱き、話し掛けたくなったそうだ。彼は山谷に住み始めてまだ1年足らず。現在は近くの簡易宿泊施設で生活保護を受けながら暮らし、山谷に来るようになったのは「人の縁」だという。年齢は70歳。以前は都内で「心身健康道場」という施設を運営し、弟子に心と体について教えていたと誇らしげに語る。
「命って何? 生きるって何? あるいは病とは何なのか。僕は心と体を健康にする研究をしてきた。自然体です。地球と闘わず、地球に全身全霊を委ねる修行をやってきました……」 
 こんなやり取りをしばらく続けていると、スーパー「まいばすけっと」から出てきた、紺のジャンパー姿の中年男性からも声を掛けられた。
「何をやっているんですか。報道の方ですか?」
 私が肯くと、中年男性は続けてこう切り出した。
「実は、弱者をいじめる福祉宿があるんです。証拠となる録音テープも持っています。私は殴られて追い出されたんです。そこの管理人は、女性従業員の制服のにおいを嗅いでたんです。それを指摘したら、逆ギレされました」
 その中年男性は「(あら)()(みつる)」と名乗った。54歳の生活保護受給者だ。これまでに詐欺、器物損壊、虚偽告訴などの犯罪を繰り返し、全国各地の刑務所を出たり入ったりしている元受刑者である。社会福祉事務所の担当者から以前、タクシーに乗せられ、山谷に連れて来られたのがこの街との接点だったという。そういった訳ありの人々の受け皿的な存在として山谷が機能しているという話は聞いていたが、まさかこんなに自然な成り行きで知り合うとは思ってもみなかった。その荒木は、管理人を私に告発して欲しいらしく、詳しくは翌日に話すとのことで、炊き出しに同行するよう誘われた。
 暴動当時の目撃者を探すはずが、偶然か必然か、よく分からない出会いが立て続けに起きたことで、私はその流れに身を任せることにした。

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