本との偶然の出会いをWEB上でも

ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第五回 「福祉の街」を垣間見た

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和37年に山谷で起きた暴動の目撃者を探し始めた著者。そこで出会ったのは当時の目撃者ではなかったが、思いもよらぬ出会いの流れに身を任せてみると…

ヤマ王とドヤ王メイン画像

炊き出しの現場から

 約束の午前9時半に指定の簡易宿泊所に着いた。玄関に誰も待っていなかったので、受付窓口で「こちらに荒木さんはいますか?」と尋ねると、応対してくれたおばさんは眉をひそめた。
「荒木さんなんていう人はここにはいないよ。違う名前じゃないの?」
 やられた、と思ったのも束の間、間もなく白いパーカーを着た、こぎれいな格好の荒木が玄関先に現れた。
「だから言ったじゃないですか? 宿の前で待っていてって」
 白いスニーカーを履きながら、決まり悪そうに話す荒木は、偽名を使っていた。山谷の簡易宿泊所に滞在する男たちの多くは、身元を明かしたくないために偽名で通すのが暗黙のルールだ。たとえ「本名です」と言われたとしても、身分証明書を確認しない限りは、偽名の可能性がある。ましてや我々メディアの人間に、そう簡単に本名など明かさないだろう。
 私たちは、炊き出しが行われる男子修道院「神の愛の宣教者会」に歩いて向かった。そこは、昭和56(1981)年に山谷を慰問したマザー・テレサのブラザーたちによって創設された。

修道院
白いコンクリート造りの修道院。炊き出しの時間になると、行列ができる。
(撮影:水谷竹秀)

 中に入ると、薄汚れた冬服を身に(まと)った男たちが、長テーブルに座って待っていた。ざっと50人ほどだ。間もなく、修道士たちによる「主の祈り」が始まった。
「天におられる私たちの父よ み名が聖とされますように み国が来ますように みこころが天に行われるとおり……中略……わたし達を誘惑におちいらせず 悪からお救いください アーメン」
 祈りの時間が終わると、ご飯に味噌汁がぶっかけられたどんぶりが各々に手渡された。具材はにんじん、大根、白菜、わかめなど。少し酸味がしたが、普通に美味しくいただいた。食べ終わった人から1人また1人と出ていき、外で列を作っていた第2陣が中へと入っていく。
 山谷では毎日、どこかしらで炊き出しが行われている。主な場所は、この修道院、いろは会商店街、玉姫公園、白鬚橋などで、炊き出しの主催者によって、曜日毎に時間が決まっている。荒木のような長期滞在者は、炊き出しの時間、場所、メニューはほぼ完璧に頭に入っている。
「生活保護が支給された翌日は、炊き出しに来る人数は減ります。支給日は皆、夜遅くまで酒を飲んでいるので、朝っぱらから飯なんか食っていられるか! という気持ちになるからです。ところが支給日が間近に迫ると金がないから、増えるんです」
 修道院を出た私たちは、その足で1キロほど離れた白鬚橋(しらひげばし)に向かった。昼の炊き出しに並ぶためだ。
「正直、お腹はそんなに空いてないんですけどね」
 そう言って荒木は苦笑いを浮かべた。朝の炊き出しを終えて3時間後には昼の炊き出しだ。
 荒木の生活保護は月額14万5千円ほど。宿代を支払うと手元には8万円が残る計算だ。炊き出しをうまく食いつなげば、生活には特に困らないだろう。荒木は言う。
「確かに月8万円あれば普通に生活するのに十分です。ここにいる人は酒に博打、パチンコが多い。あとはお馬ちゃんですね。残りは飲み屋のつけで消えるみたいです」
 荒木自身も月に数回は飲み放題、歌い放題のカラオケスナックに入り浸っているという。生活保護受給者ならではの心の苦悩が口から飛び出すのかと思いきや、そのあっけらかんとした物言いに、私は拍子抜けしてしまった。しかも荒木はスマホ2台とタブレット1台を携帯し、Wi−Fiルーターも持っているのだ。
 一方で、玉姫公園やいろは会商店街、隅田川流域など山谷とその周辺地域には、ブルーシートでこしらえた小屋に路上生活者150人(2018年10月現在)が暮らしている。これから始まる冬の、特に冷たい雨が降りしきる日は、体に応えるだろう。なぜ生活保護を受けないのか。以前、城北労働・福祉センターの担当者にこの疑問をぶつけたところ、次のような答えが返ってきた。
「かつては簡易宿泊所に住んでいましたが、集団生活や門限などのルールに馴染めず、人間関係でこじれた方が路上に出るケースが多いです。役所の世話になりたくないというプライドを持っている人もいて、何度説得を試みても、保護は受けたくないと頑なに拒否しますね」
 

記事一覧
△ ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第五回 「福祉の街」を垣間見た | P+D MAGAZINE TOPへ