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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第六回 「越年越冬闘争」の現場から

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
労働者の側にも立ってみなければ山谷を包括的に描くことはできないと考えた著者は、多面的に取材を行うことにした。そこで年末年始の恒例行事だという「越年越冬闘争」の代表者に取材することになったが......。

ヤマ王とドヤ王メイン画像

 

争議団VSセンター

 
 越年越冬闘争は12月29日から1月4日まで1週間続いた。スローガンは「山谷は日雇い労働者の街 労働者を排除する再開発反対!」。近年、山谷地域で相次ぐマンションやアパートの建設に伴い、路上生活者や労働者が排除の対象になっている可能性を指摘し、それを糾弾している。
 闘争期間中は毎日、委員会による即日発行のビラが参加者に向けて配布される。その中で今回の闘争の意義について、次のように説明している。少し長くなるが、引用したい。
 

 越年越冬闘争は、山谷を労働者の町として取り返すためのたたかいだ!
 いま、山谷の町が大きく変わっている。朝の寄せ場(筆者注*日雇い労働者が就労し、また生活する場所)は極端に縮小し、民間の業者の数も少ない。町を歩く人の多くは年をとった人たちだし、一度も建設日雇いの仕事をしたことがないという人たちも多くいる。ドヤに泊まっている人の8割は生活保護だという。
 これらを理由に、「山谷には日雇い労働者はいなくなった」「山谷にはホームレスはいなくなった」と、役所の連中が堂々と言いはじめている。山谷のセンターの役人、玉姫職安の職員、そしてそういう連中とつるんでいるやつらがそういうことを言っている。山谷のこれまでの歴史をなかったことにし、現在、下層労働者の置かれている矛盾に目をつぶって、特定の金持ち連中のご機嫌をとるということだが、ムシのいい話だ。
 例えば、山谷のセンター。日雇い労働をしている仲間が、利用者カードを作ろうと窓口に行っても、「もう日雇いの仕事の紹介をしていない」とか言って追い返している。ウソだ。センターから仕事の紹介を受けて働きに行ってる仲間は今もけっこういるじゃないか。

———中略———

 山谷越年越冬闘争は、こういったデタラメとウソを暴くためのものだ。「野宿者は大勢いる。日雇い労働者は大勢いる。お前らが山谷から追い出しているだけだ。」年末年始、行き場のない仲間がセンター前に集まる、それだけで、ヤツらのデタラメさが暴露される……

 
 センターの対応や再開発によって、山谷の日雇い労働者が排除されつつある現状に警鐘を鳴らし、反発している。「日雇い労働者はいなくなった」と主張するセンターやその他関係機関の思惑に抵抗するため、共同炊事を行い、日雇い労働者はまだ存在していると声を大にして訴えたいのだ。
 これに対して城北・労働福祉センターの担当者は、次のように説明した。
「確かに日雇いの仕事は減っているが、今でも毎日仕事の紹介はしている。山谷から『日雇い労働者がいなくなった』などと公言したことは一度もなく、委員会側の主張は事実無根である」
 さらに越年越冬闘争の現場はセンターの敷地内で、期間中は前の道路も一時的に閉鎖状態になるため、不法侵入、占拠に該当するという。しかし、年末年始の休業期間中のため、人員を確保して取り締まるのは現実的ではなく、頭を抱えているようだ。担当者は続けた。
「昨年までは、鉄柵で囲われたセンター敷地内の一角で越年越冬闘争が行われ、鉄柵の扉部分にかけていた南京錠が破壊されていました。今年はそれを阻止するため、南京錠の数を増やしました」
 これが委員会側の反発を招いたようで、越年越冬闘争期間中はことあるごとに「センターから我々は閉め出された」と怒りを顕わにしていた。向井さんは後日、この点について次のような見解を示した。
「もちろん常識で考えれば、法人が管理している鍵を壊し、中に入って勝手に屋根掛けをすることについては認められるものではないという話があるのはわかる。しかし、そこに集まっている人間がどういう人間なのか。センターや職安が山谷から労働者の追い出しを行っている現状を踏まえると、私たちはセンター敷地内や路上で越年越冬闘争をやることに意義があると考えます」
 少し強引な理屈に聞こえなくもないが、ともあれ越年越冬闘争はこうした複雑な状況下で実施されているのだ。その中心的なイベントとなる共同炊事には、委員会のメンバー以外に、山谷周辺に住む路上生活者、日雇い労働者、生活保護受給者、その他、活動に関心のある一般のボランティア、研究者、ジャーナリストらが集い、夕食時には平均200食を作る。作業はコメを炊く、野菜や魚介類を一口サイズに切る、かまどに薪を組んで火を熾す、煮込んで味付け、などの工程に分かれ、それぞれが分担して取り掛かる。メニューはクリームシチューのほか、カレー、もつ煮込みなどの汁物で、釜で炊いたご飯にぶっかける。
 
ヤマ王とドヤ王第6回3発泡スチロールのどんぶりに、野菜たっぷりの味噌汁が盛られた
(写真提供:山谷越年越冬闘争実行委員会)

 
 野菜などの具材は、「成田国際空港」の建設・存続に反対する、いわゆる「成田闘争」を継続中の反体制派組織や労働組合、越年越冬闘争に賛同してくれる民間業者からのカンパで賄われている。
 食べ終わって後片付けを済ませると、センター前に泊まる路上生活者たちのために、布団を重ねて敷く。そのほか越年越冬闘争では、山谷の実情についての学習会や路上生活者を訪ねるパトロールが行われ、劇団による芝居などの催し物も開かれる。
 
ヤマ王とドヤ王第6回4防寒対策のため、布団は何重にも敷く。ある路上生活者は「暖かいよ」と言って眠っていた
(写真提供:山谷越年越冬闘争実行委員会)

  
 それにしてもこれら一連の活動をなぜ「闘争」と呼ぶのか。山谷労働者福祉会館活動委員会が年2回発行している「山谷(やま)から」という冊子の154号(2017年5月)に、その理由が記されている。
 

(野宿者の)日々の寝場所は追い出しや襲撃との対峙の場所でもあります。生活の糧を得るための仕事であるアルミ缶回収は条例違反と貶められ妨害を受けています。
 野宿者が生きていくこと自体が闘いになっているのが現実です。越年は仲間が集まることで共に理不尽に対して闘っていこうと呼びかける場にしたい。だからこそ野宿者がお客さんになったり支援の「対象」とするのではなく、みんなの力を出し合うことで越年闘争を作っていこうというわけです

 

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