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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第七回 「越年越冬闘争」の現場からⅡ

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。「越年越冬闘争」の全日程に参加した著者は、そこで出会った路上生活者たちから徐々に話を聞かせてもらうことになる。山谷へ辿りついたそれぞれの人生を紐解き、彼らの日常生活を追ってみると......。

ヤマ王とドヤ王メイン画像

 

夜のパトロール

 
 夜の上野公園は、静けさに包まれていた。
人通りはほとんどなく、外灯の明かりが遊歩道をほのかに照らし出す。道を逸れて木々の茂みのような一角に入り込むと、ブルーシートでこしらえた小屋がいくつも並んでいる。その1つ1つにゆっくりと近づき、餅つきの予定を知らせるビラ、そして使い捨てカイロ2個を置いていく。明かりを灯したまま、中に人がいる場合は、直接手渡す。夕食時だったためか、カレーを搔き込みながら受け取ってくれた男性もいれば、「どうもご苦労さんです」と丁寧に頭を下げる男性もいた。一方で、「俺はビラいいよ。明日は朝から仕事だから」と頑なに断る男性もいた。 
 元日午後7時半。越年越冬闘争実行委員会のメンバー6人は、「パトロール」と称する夜の見回りを行っていた。配布したビラは全部で50枚ほど。時間帯が早かったためか、小屋の中に人がいないことも多く、国立科学博物館沿いの歩道脇には、ブルーシートに覆われた荷物が等間隔に並んでいた。パトロールに同行していた路上生活者の高齢男性、山本茂さん(仮名)によると、それらの荷物は毎日午後9時以降になると、所有している路上生活者によって運び出されるのだという。
「毎日あの荷物を持って、所定の場所にテントをきちんとたてて寝るんです。えらいもんですよ。そして朝5時前には撤収します。その理由は、人に見られるのが嫌なのと、警備員や清掃員が見回りに来るからで、みんな原則、日の出前には消えます」 
 山本さんは、この界隈で10年以上路上生活を続ける事情通だ。
「上野公園は路上生活者同士の派閥がすごくあります。たとえば東京文化会館周辺にいる人はロータリーにいる人と口をきかない。自分も路上生活者なんだけど、他の路上生活者を嫌う。キレイな格好をする人もいます。古着をもらわず、年金が入ると新品の服を買うんです。上野は新品でも結構安く手に入りますから」
 当人たちにしか知り得ないルールや不文律があるようだ。
 東京都の調査によると、都内における路上生活者の人数は、2018年1月時点で1242人だった。地域別にみると、新宿区が124人と最も多く、続いて渋谷区が70人、台東区が69人だった。ただし、この調査は日中に行われているため、必ずしも実態を反映しているとはいえない。なぜなら、路上生活者の存在を把握しやすいのは、就寝中の夜間だからだ。
 山本さん以外にも、越年越冬闘争には路上生活者が複数参加していた。白い野球帽をかぶり、深緑色のコートを身にまとっていた石川康之さん(59、仮名)は、見た目が小ぎれいだったので、自ら言い出すまでは路上生活者だと思わなかった。
「3日に1回の銭湯や教会の無料シャワーなどで凌いでいるので、衛生面は何とか維持できています。人様にああだこうだって言われないようには整えています」
 山形県出身の独身。30歳の頃、関東地方へ出てきた。最初は自動車部品工場で働いたが、やがてコンクリート打ちや鉄筋組みなど土木関係の仕事を覚え、千葉県の飯場暮らしを長年続けた。しかし、一昨年の夏、熱中症と胃潰瘍で倒れてしまい、生活保護を受けて緊急入院した。2回の手術を受け、病院生活は3カ月間に及んだ。退院後、飯場が復帰を認めてくれなかったので、同じ敷地内にある生活保護受給者専用の施設で生活を始めた。だが、酒乱の入居者たちがいる環境に馴染めず、自ら路上に出た。場所は浅草界隈の商店街である。
「しゃーないから、青カン(野宿の隠語)やってその日暮らしで食べていければいいやって。飯場で得た情報によると、山谷には無料クリニックや支援団体もあるから、そこだったら何とかなるかもしれないなあと。千葉から電車に乗って浅草に辿りつきました」
 路上生活者になった今、生活保護は受けておらず、輪番制の公園清掃や産業廃棄物の仕分けなどの日雇い労働をこなし、毎月6〜7万円の収入を得ている。夜は、寝袋と毛布にくるまりながら寒さを耐え忍ぶ日々だ。
「湯たんぽがいいけど、路上生活だからお湯の入手先がない。お風呂屋さんに行ってもらってくるわけにもいかないし」
 石川さんは笑った。
「冬は寒いし、夏は暑い。蚊にも襲われる。生活保護を受ければ衣食住と医療は保証されるけど、やっぱり70歳までは仕事したいという気持ちがあるじゃないですか?」
 生活保護を受けながら、たばこや酒にふける人もいる一方で、清水さんや石川さんのように、体が動くうちは自分で何とか踏ん張ろうとする人もいる。
 石川さんに越年越冬闘争の感想を尋ねてみた。すると、左手で1つずつ数えながらこんなことを口にした。
「路上の人にとっては、人のぬくもり、お湯のぬくもり、火のぬくもりはありがたい。野宿生活をしていると、どうしても偏見の目で見られる。つまはじきにされたような疎外感があるが、そういう中で人の気持ちや温かさを感じることができました」
 昨年末から1週間続いた越年越冬闘争は、1月4日午前4時半からの撤収作業をもって終了した。
 夜明け前の暗がりの中、石川さんは衣類や日用品が入った黒いリュックを背負い、1人、浅草方面へ向かって歩いていった。

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