本との偶然の出会いをWEB上でも

ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十三回 「福祉宿」の女将が見た山谷

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。山谷は生活保護受給者を対象としている宿泊所が全体の9割を占めており、取材に難色を示す宿主が多い。そんな中、快く取材に応じてくれたのは、簡易宿泊所「登喜和」を母の代から70年続ける女将。「福祉宿」とも呼ばれる簡易宿泊所の女将から見た、山谷の変化とは・・・・・・?

 

70年前の面影残る旅館

 西日が窓から強く差し込んでいた。
 掘りごたつに座る白髪の女将と向き合っていると、突然、「ドンッ!」という何かが転落したような音とともに、床が軽く振動した。
「ああ、また落っこちたな。ちょっとごめんね」
 そう私に言うなり、女将は立ち上がり、隣の帳場のドアを開けた。その隙間に、真っ赤なTシャツと短パン姿の中年男性が、のそのそとした足取りで廊下を歩いているのが見えた。目が完全に据わっている。男性に向かって女将は、子供を叱りつけるように声を張り上げた。
「また飲んできた? せっかく今朝まで飲まないでいたのに。また転んで救急車騒ぎになるよ。飲んじゃダメだって言ったじゃないの!臭うよ、ホント!」
 男性は聞こえているのかどうか分からない様子で、階段をゆっくりと上っていく。その後ろ姿を見届けた女将が、帳場のドアを閉め、あきれたようにこう口にした。
「懲りねえんだねえ。先週も酔っ払って転んで怪我して、救急車を呼んだばかりなのに……」 
 女将の名は菊地博子さん(80)。山谷にある簡易宿泊所「登喜和」を母の代から続けて70年──。


 

 古びた木造モルタル2階建てのその宿泊所は、「トキワ」というカタカナ文字がくり抜かれたバルコニーがトレードマークである。なみだばし交差点から浅草方面に歩いて数分、城北労働・福祉センターの側に建つ。いわば山谷の中心である。昭和26年暮れに完成して以来、リフォームされた一部以外は今も当時のままだ。深緑のヤツデが生い茂った玄関の戸を開けると、左手に古びた木製の下駄箱があるのだが、1人分の収納スペースがやたらと大きい。右手は、木枠の窓ガラスに「一泊 2150円」とマジックで書かれたメモ用紙が貼ってあるだけの、簡素な帳場である。


 

 客室は約20部屋。広さは3畳一間で、戸は未だに襖である。そのほか往時を偲ばせるのは、黒ずんだ部屋番号の木札、扇形にくり抜かれた小壁、ニスがはげ落ちた褐色の廊下、裸電球にかぶせる木製の笠……。その佇まいの1つ1つが、歴史を感じさせる。こうした木造タイプの旅館は現在、山谷に建ち並ぶ簡易宿泊所135軒(令和3年3月現在)のうち、20軒程度ある。事情に詳しい別の宿主が語る。
「ビジネスホテルとして使用する客の増加に伴い、昭和60年ごろに木造から鉄骨へ建て替えるラッシュが起きました。ところが資金力が十分になかった個人経営の旅館はその流れに乗ることができず、現在に至っています」
 登喜和に暮らしているのは、50代後半〜70代半ばの男性11人で、いずれも生活保護受給者である。生活保護受給者を対象にしている宿泊所は全体の9割を占め、別名「福祉宿」とも呼ばれる。一般の観光客を泊める宿泊所に比べて、「生活保護受給者から宿泊代を徴収している」という後ろめたさからか、取材には難色を示す宿主が多い。
 そんな中で、菊地さんは寛容な心の持ち主だった。とにかくよくしゃべりよく笑う、下町人情溢れるおばあちゃんである。若くして夫に先立たれ、娘と一緒に暮らしているものの、実質的には宿泊所を1人で切り盛りしている。趣味は社交ダンス。新型コロナの感染拡大前は週5日、練習に通うほどの熱の入れようだった。それでいて、年下の生活保護受給者の面倒もみているのだ。先の酔っ払い男性について話す。
「あれじゃ働けないね。生活保護の人みているとあきれるだけだよ。だって、結構みんな元気そうだよ。最初はどういうふうな形で生活保護をもらったのか分かんないけどさあ。私は病気持ちですよとでも言うのかね。でも顔見てると働けそうだよ」
 宿主から見た、生活保護受給者の素顔である。


登喜和の女将、菊地博子さん。押し入れにあった資料を手に、当時の山谷を懐かしそうに語っていた
 

 登喜和の宿泊者11人中、4人は毎月2回ほど清掃の仕事に行っている。山谷で暮らす人々のために東京都が実施している「特別就労対策事業」で、公園や公道の清掃で日当約8000円が支給される。もう1人は週4日、ゴミ出しの仕事をしているという。ところがあとの6人は、
「酒かお寝んね」
 と、菊地さんは苦笑いを浮かべた。
 菊地さんら山谷の宿主は、彼らの様子を日々、内側から観察しているため、ありのままの姿が分かってしまうのである。生活保護は、病に倒れるなどやむにやまれぬ事情から受給し、自助努力で脱する人もいるだろう。だが一方で、受給後の生活ぶりに首を傾げざるを得ない人がいるのもまた事実である。

記事一覧
△ ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十三回 「福祉宿」の女将が見た山谷 | P+D MAGAZINE TOPへ