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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十三回 「福祉宿」の女将が見た山谷

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。山谷は生活保護受給者を対象としている宿泊所が全体の9割を占めており、取材に難色を示す宿主が多い。そんな中、快く取材に応じてくれたのは、簡易宿泊所「登喜和」を母の代から70年続ける女将。「福祉宿」とも呼ばれる簡易宿泊所の女将から見た、山谷の変化とは・・・・・・?

 

体育座りのまま固まった遺体

     
 日雇い労働者が宿泊していた当時は、毎朝、労働者たちが働きに出ると、それぞれの部屋を掃除するのが仕事だった。福祉宿に変わって以降は、生活保護受給者たちが部屋にこもっている時間が長いため、掃除ができない。だから日雇い時に比べて掃除の負担は減ったが、生活保護特有の対応を迫られることになった。菊地さんが渋い表情で語る。
「宿代を払わずにとんずらされたことが何度かありました」
 前述の通り部屋の戸は襖だ。鍵は宿泊客が独自に南京錠を取り付けていたが、中には鍵を掛けたまま、一向に戻ってこない宿泊客が何人かいたという。
「生活保護をもらう月初めにいなくなることが多かったです。鍵を掛けて荷物も置きっぱなし。だからこっちが片付けなきゃいけない」
 生活保護受給者は長期滞在者が多い。
 中には10年、20年と暮らす人もいて、登喜和の場合は、滞在期間の最も長い「長老」が一番風呂に入る権利を得られるという、宿泊者同士の暗黙のルールがある。自分の番が終わると、次の客の部屋へ行き、「お風呂どうぞ」と声を掛けに行くのだ。旅館といえど長期滞在者同士の集団生活である。門限も午後10時に決められており、あまり遅く帰宅はできない。こうしたルールを乱したり、迷惑行為が起きると、客同士のトラブルにもつながる。ある時、体臭のひどい客がいて、他の客からのクレームにつながった。
「その人が風呂に入ったのを見たことがないんだよ。だからものすごく臭う。トイレ行く時に廊下を歩くと体から臭ってくる。おまけに足のツメが伸びすぎてくるくるくるって巻いていたんです。私は『お風呂入ってね』とか『洗濯してね』という言葉しか掛けられないじゃない? まさか子供じゃあるまいし、風呂に突っ込むわけにもいかない。おまけに相手は男だし」
 やがて宿泊客から、「あいつが出ていくか俺が出ていくか」と二者択一を迫られた。
「だったら臭い方に出ていってもらったほうがいいじゃない? そう伝えたらすんなり出ていきました」
 話をしている自分がおかしくなったのか、菊地さんは吹き出した。
 登喜和での生活が長期化すると、特に高齢者は病気になったり、ちょっとした弾みで怪我を負うこともある。そんな時に119番をダイヤルし、救急車を呼ぶのも菊地さんの役割だ。たとえばこんな感じである。
「火事ですか、救急ですか?」
「救急でお願いします」
「どちら様ですか?」
「旅館の者です」
「どうされたのですか?」
「お客さんが転んで怪我をしました」
「動けますか?」
 状況を詳しく説明した後、当人の名前と年齢を伝え、救急車に迎えに来てもらう。呼ぶのは数カ月に1回の頻度。泥酔して痙攣を起こした客の対応では、1日に2回世話になった時もあったという。    
 そうした体調不良の客たちの安否を確認するため、菊地さんが目をつけたのが、部屋の前にびしっと整えられたスリッパだ。
「みんなきちっと揃えて部屋に入るんです。外出がなく、心配な客の場合、早朝の掃除の時に、スリッパを少しだけ敷居からずらすんです。しばらくしてそれが敷居にピタッと揃っていたら、トイレかどっか行ったんだなって安心します。プライベートがあるから部屋に行って襖を開け、何だかんだ言うのも悪いかなと思って。それでもやっぱり心配な場合は、午前8時過ぎならいいだろうってことで、部屋に行って『どうだい元気?』と声を掛けます。こうみえて、私なりに色々やってるんですよ」

 菊地さんは思い出したように話を続けた。
「昔ねえ、部屋を開けたらこんなふうにして亡くなっていた人がいたんです」
 私の目の前でパッと体育座りをして見せる菊地さん。
「そのまま固まっていました。布団の上で」
 前夜、体調が悪い様子だったのでその男性に「医者に行きなさい」と伝え、「明日行きます」と言われていたのだが、翌朝部屋に行ってみると、すでに手遅れだった。すぐに警察を呼び、遺体を運び出してもらった。
 風呂場からなかなか出てこないため、心配になって見に行ってみると、男性が入れ歯を胸の上に乗せたまま、仰向けになって湯船に浮かんでいたこともあった。体が小さかったので、菊地さんが両脇から抱えて男性を浴槽から引っ張り出し、床に寝かせた。首に手を当てると、かすかに脈の動きが感じ取れたため、救急車を呼んだ。だが、間もなく死亡が確認された。
「体を引っ張り出すなんて、今考えれば私も勇気があったわねえ」
 そうして亡くなった客の部屋には、当然だが荷物が残される。生活保護を受けていた自治体の担当者が遺族に連絡をするが、登喜和に取りに来たためしはない。だから菊地さんが処分しなければならない。衣類は捨て、それ以外の物は他の宿泊客に手伝ってもらって片付ける。粗大ゴミは指定日に玄関先に出す。
 家族と長年音信不通になり、山谷が「終の住処」となった生活保護受給者たちの最期は、菊地さんのような宿主たちが看取っていたのだった。

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