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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十四回 「戦争花嫁」の落とし子

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。特に近年は外国人観光客が増えていたが、新型コロナウイルスの影響でその動きもパタッと止まった。そんな中で、「50年以上暮らした米国から2年前、日本に強制送還された」と話す日系アメリカ移民の宿泊者に出会った。山谷にたどり着いた経緯を聞くと、沖縄の戦後史やトランプ前政権の不法移民政策など、様々な事情が複雑に絡んでいて……。

 

山谷は「人種のるつぼ」

 山谷に通い続けていると、期せずして、向こうから勝手に何かが降ってくるような場面に出くわす。その度に、俗世間とは掛け離れた現実を突き付けられる。
 つい先日、とある生活保護受給者の男にLINEで連絡を取ったところ、
「暴行で逮捕され、警察にいます」
 という返信が届いた。
 この男は昨年1月に娑婆に出てきたばかりの常習犯だ。その時も酔っ払って知人に手を出し、懲役10月の実刑判決を受けた。だからまた酒の勢いでムショ入りしてしまうのかと、しばらく呆然とした。1時間ほど経過したところで、
「警察を出ました」
 と追加のメッセージ。電話をかけてみると、被害者の相手とは示談で済んだようだった。
 こんな男たちと接しているのが日常になった今、山谷という異世界が放つ独特の空気感に対する免疫は、私の中で出来あがりつつあった。ところがそれは、単なる思い込みだったと気づかされる出来事に、最近遭遇した。
 それはカンガルーホテル別館ロビーでのことだ。
「日本の生活に慣れず、寂しがっている外国人がいます。英語しか話せないので、一度、お話してみますか」
 オーナーの小菅文雄さん(55)からそう紹介されたのが、日系アメリカ移民のマイケル(仮名、61)という男性である。がたいが大きく、彫りの深い顔立ちで、日系という割には欧米人の風貌だ。米国暮らしが長かったが、どういうわけかこのほど来日することになり、山谷へ流れ着いた。しかも国籍は日本で、生活保護を受けながら滞在しているというのだ。
 その経緯について、マイケルは何のためらいもなく、英語でまくしたてるように語り始めた。
「2年前に米国から日本へ強制送還されたんだ。トランプ前政権が強行した不法移民排除政策の影響だよ。それで成田空港に送り込まれ、荷物も服もほとんどない状態でね」


沖縄で生まれ、米国へ移住した生い立ちを語るマイケル
 

 最初から突拍子もない話が出てきて、いささか戸惑った。さらに話を聞いてみると、彼はどうやら、米国に50年以上住んでいたが、不法移民とみなされて米当局の施設に収容され、2019年9月、日本へ強制送還されたという。永住権は収容期間中に有効期限が切れてしまい、取得の権利を主張していた米国市民権は国内法の壁に阻まれて認められなかったのだ。
「成田空港に着いた時、所持金は80ドルしかなかった。それを日本円に両替してコンビニで買い物をし、しばらく空港内で寝て過ごした。米国にいる妹に電話で連絡を取ったところ、教会に駆け込むようアドバイスを受け、近くにあるカトリック教会へ行ったんだ。その敷地内で野宿をしていたところ、信者のフィリピン人に声を掛けられて……」
 野宿の期間中は、近くにあった民家の庭から柿を取って食べ、凌いでいたという。
 私の目の前のテーブルには、大量の書類が並んでいる。生い立ちも含めた複雑な過去を説明するため、マイケルがあらかじめ用意してくれたものだ。大半は、米国の裁判や法律に関する英文の書類で、その中に、日本語で記載された戸籍が含まれていた。マイケルの身分事項を見てみると、

【出生地】沖縄県コザ市

 と記されている。コザ市は1974年まで沖縄本島中部にあった市で、日本で唯一のカタカナ表記の市名だ。同年に合併して現在は沖縄市になっている。
 書類の中にはそのほか、昨年2月に発行された日本の旅券も含まれ、姓は「MATSUSHITA」(仮名)と日本名になっていた。マイケルは戦後、沖縄に進駐した米兵と日本人女性の間に産まれた子供だったのだ。そんな過去を持つ人物に、山谷で会うとは思ってもみなかった。
 まさしくここは「人種のるつぼ」である。
 マイケルがまだ母のお腹の中にいる頃、米兵の父は沖縄で軍を除隊となり、母を残して米国へ帰還した。住所から察するに、嘉手納基地所属とみられる。2人は結婚していなかった。
 米軍統治下の沖縄で1960年3月、母はマイケルを産んだ。その1年後、別の米兵男性と結婚し、2人目の子供を出産。マイケルはその米兵男性と養子縁組し、63年に一家4人で渡米した。
 マイケルは当時3歳。以来、強制送還まで50年以上を米国で過ごし、母とも英語でコミュニケーションを取っていたため、日本語はおろか、日本のこともほとんど知らない。国籍が日本というだけで、友人、知人もいない「異国」の地に突如として放り込まれ、日本でも浮き草のような漂流生活を続けていた。
 マイケルは自身が置かれた状況をこう訴える。
「私は米国で育った。だから日本のことは何も知らない。母が日本人ってだけだ。しかも私は、ネットで最貧困地域と言われる山谷に住んでいる。英語しかできないから仕事を探そうにも見つからず、英語で話せる相手もほとんどいない。社会から孤立してしまったんだ」

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