本との偶然の出会いをWEB上でも

ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十四回 「戦争花嫁」の落とし子

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。特に近年は外国人観光客が増えていたが、新型コロナウイルスの影響でその動きもパタッと止まった。そんな中で、「50年以上暮らした米国から2年前、日本に強制送還された」と話す日系アメリカ移民の宿泊者に出会った。山谷にたどり着いた経緯を聞くと、沖縄の戦後史やトランプ前政権の不法移民政策など、様々な事情が複雑に絡んでいて……。

 

実の父の存在

 戦争花嫁──。
 すでに死語になってしまったが、先の大戦後、日本に駐留した米国の軍人や軍関係者と結婚し、米国やカナダ、オーストラリアへ渡った日本人女性たちを指す言葉だ。敵国だった米国の軍人と結婚することは、日本社会から「売国奴!」などと蔑視されたほか、渡航先でも白人至上主義による差別や偏見の目にさらされた。そうした戦争花嫁は4〜5万人いたと推計され、マイケルの母もその1人だった。
「母の英語には日本語のアクセントがあったけど、それで差別を受けたとかいう話は聞いたことがないよ。ただ、母は自身の生い立ちについて本当のことを言わない場合があったので、単に話さなかっただけかもしれない」
 そう語るマイケルは4人きょうだいの長男で、下の3人とは父が異なるが、幼少期の頃は同じ父の子だと思っていた。
「でも私と違い、弟の髪がブロンドヘアだったのは気になっていたんだ」
 小学生の時、母親からは「父親は戦争で死んだ」と説明を受け、養子縁組の父親からは「実の父はマイケルを見捨てたんだ」と聞かされていたが、母親の言葉を信じていた。
 マイケルの一家は当時、カリフォルニア州南部に住んでいた。マイケルが12歳の頃、半導体企業が密集する同州北部のシリコンバレーに移り住み、そこで学生時代を過ごした。大学を1年で中退した後、電子部品を組み立てる工場で職を得た。その後も電子部品関係の職場を派遣社員として転々とし、40代になって配管工の会社に転職。独身で、子供はいない。養子縁組した父と母は離婚したため、母親と一緒に暮らしていた。その母も10年前に亡くなった。

 マイケルの経歴で驚かされるのは、その犯罪歴だ。20代後半から数年に1回のペースで逮捕されている。
 罪名はいずれも、暴行、窃盗、強盗など。刑期は最短で3月、最長で16月と凶悪犯ではないが、非行を繰り返していたのは間違いない。マイケルにその理由を尋ねても「米国は喧嘩が多い社会だから仕方がないんだ」と、要領を得ない答えしか返ってこない。だが、マイケルの米市民権問題をめぐって裁判所に提出された妹の供述書には、その手掛かりになるような、こんな背景が記されていた。
「私も小さい頃は、自分の父親がマイケルの父親と違うなどとは思ってもみなかった。マイケルがその事実を知ってから、彼の転落人生が始まったような気がする。アイデンティティーの喪失は、人間をダメにしてしまう。自分が信じていたことすべてが噓になり、なぜ父は自分を見捨てたのか?と自問する日々。マイケルは10代の頃から飲酒を始め、やがてアルコール依存症になってトラブルを起こした。酒が入ると、人に危害を加え、自殺未遂も図った」
 マイケルは2003年にも、不法移民として日本に強制送還されそうになった。それを機に妹は、実の父親探しに乗り出した。住所を特定し、手紙を送ると数日後に電話が掛かってきた。事情を理解してくれた父親は、出生証明書や軍の記録などを送ってくれ、DNAサンプルの提供も承諾してくれた。ところが裁判所の判断でマイケルは強制送還を免れることになり、その必要はなくなった。
 その頃にマイケルは一度だけ、実の父親と電話で話をしたことがある。
「家族を見捨てた父だと思っていたから、あまりうまく話ができず、口論になってすぐに切ったよ」
 父親はその数年後に亡くなり、息子たちにDNAサンプルの提供を求めたが、「関わりたくない」と拒否された。
 DNA以外にも、米国市民権の取得を阻む法的な壁が立ちはだかっていた。
 養子縁組した子供の国籍に関する法律によると、米市民権が取得できるのは、法律が施行された2001年時点で18歳未満の子供が対象だ。しかし、マイケルはすでに40歳を超えていた。
 米国の下院議会では2年前、18歳以上も対象に含めるよう求める改正法案が提出された。法案を推進する米下院議員によると、マイケルと同様の理由で米国市民権を取得できなかった養子縁組の子供は、2万5000人〜4万9000人と推計されている。
 一度は強制送還を免れたマイケルだったが、今から数年前、またも暴行事件に関与したとして逮捕された。逮捕後に保釈の身となったが、保護観察期間中に役所への報告義務を怠ったため、不法移民として収容され、今度こそ日本行きが確定した。
「私は米国に55年暮らし、英語以外の言語は理解できないし、日本の習慣や法律も分からない。私が幼い頃に米国へ連れて来られたのは、沖縄と米国のハーフだったためで、戦争の影響だ」
 マイケルのそんな訴えは当局には認められなかった。
 この背景に、トランプ前政権の不法移民政策が関係しているのだとマイケルは主張する。ところが同政策は主に中南米からの移民を対象にしており、マイケルのような日系アメリカ移民が強制送還されるケースの有無については不明だ。ただ、これまでに何度も逮捕されながら、一度も日本へ送還されなかったことを考えると、マイケルの言い分には一理あるのかもしれない。
 そうして降り立った日本でも、トラブル続きの生活が始まった。
 

記事一覧
△ ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十四回 「戦争花嫁」の落とし子 | P+D MAGAZINE TOPへ