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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十四回 「戦争花嫁」の落とし子

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。特に近年は外国人観光客が増えていたが、新型コロナウイルスの影響でその動きもパタッと止まった。そんな中で、「50年以上暮らした米国から2年前、日本に強制送還された」と話す日系アメリカ移民の宿泊者に出会った。山谷にたどり着いた経緯を聞くと、沖縄の戦後史やトランプ前政権の不法移民政策など、様々な事情が複雑に絡んでいて……。

 

教会による至れり尽くせりの支援

「何時間も掛けて探したんです。突然いなくなるような理由もありませんでしたので、とても心配しました。警察にも届け出ました」
 カトリック東京国際センターの高木健次所長(50)は、マイケルが日本に強制送還された直後の状況を、そう説明する。
 同センターは、外国人の自立サポートや出入国在留管理庁に収容されている外国人の支援を活動の中心にしており、目黒駅から徒歩5分の、カトリック目黒教会に隣接している。
 成田空港に強制送還され、空港内でしばらく過ごしたマイケルが、カトリック成田教会に駆け込んだ経緯は先に述べた。そこで出会ったフィリピン人の信者からの連絡を受け、高木所長は車を走らせ、成田までマイケルを迎えに行ったのだ。その足で、銚子市内の教会へ向かい、打ち合わせのためにマイケルを車に残したところ、いつの間にかいなくなっていた。
 マイケルは私の取材に対して、「車の中で待っていたら喉が渇いたので、自販機を探しに出掛けたところ、はぐれてしまった」と説明していたが、高木所長ら同センターのスタッフは、マイケルの対応には初っ端から手を焼いたようだ。
 マイケルはその後、自力で成田カトリック教会に戻り、再び連絡を受けた高木所長がまたもや出向き、目黒教会へ連れて来た。ここからは高木所長のほか、同センターのスタッフ3人を含む4人体制で、マイケルへのサポートが始まった。
 最初にまず戸籍謄本を取り寄せ、住民登録や国民健康保険の加入手続きを行った。続いて仕事の斡旋だ。言葉の問題に配慮し、外国人労働者が多い食品加工場を紹介した。寮も完備されていたため、食器や寝具などの生活用品までセンターが用意し、マイケルと一緒に車で搬送した。ところが数日後、「職場の人間とうまくやっていけない」という理由で、工場から雇用継続を拒否された。
 再び教会生活に戻った。
 最初の3カ月は、高木所長が主任司祭を務める潮見教会で、その後に目黒教会へ移動した。
 いずれもマイケルには部屋が与えられ、食事や衣類など必要なものはセンターから提供された。これに加えて米国に住む妹からの送金も続いた。だから生活費の面で特段、問題はなかったが、自立に向けて通い始めた日本語教室は、「先生の授業のペースを乱す発言をするなど協調性がない」(センターのスタッフ)というのが理由で、続けられなかった。
 仕事もダメ、日本語学習もダメと、日本社会への適応にはすでに黄信号が灯っていた。
 やはり自立を促すのは難しいかもしれない。
 そう判断したセンターはようやく、マイケルに生活保護を受給させ、近くのアパートに住まわせる作戦に切り替えた。だが、英語しか理解できない外国人向けのアパート探しは難航。しかも目黒教会から手の届く範囲となるとさらにハードルが上がる。同センターのスタッフ、大迫こずえさん(61)が語る。
「マイケルは60歳を超えています。日本語ができない上、生活保護を受給している。その条件でも受け入れてくれるアパートを紹介してもらったんですが、面接で落とされるんです」
 それでも大迫さんらスタッフは真夏の酷暑日に探し回り、ようやく一部屋を見つけた。マイケルの強制送還から、すでに1年近くが経っていた。
「マイケルと一緒に不動産屋へ行き、入居の申込書まで書きました。あとは保証会社から電話が入り、本人確認をするだけだったんです。ところがその当日、マイケルは電話に出ませんでした。警察に勾留されていたことが分かったのです」

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