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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十四回 「戦争花嫁」の落とし子

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。特に近年は外国人観光客が増えていたが、新型コロナウイルスの影響でその動きもパタッと止まった。そんな中で、「50年以上暮らした米国から2年前、日本に強制送還された」と話す日系アメリカ移民の宿泊者に出会った。山谷にたどり着いた経緯を聞くと、沖縄の戦後史やトランプ前政権の不法移民政策など、様々な事情が複雑に絡んでいて……。

 

「国籍」という壁に阻まれた歪な現実

 マイケルが山谷の簡易宿泊所に連れて来られたのは、カトリック東京国際センターの判断だった。その経緯についてマイケルは最初、私の取材に、
「目黒の教会でしばらく生活をしていたが、私がキリスト教徒ではないことが分かってしまい、居づらくなって山谷に連れて来られた」
 と語っていたが、自ら言い出せなかったのだろう。
 事実は違っていた。
 保証会社から電話が掛かってきた日、マイケルはバーで女性店員2人に暴行を加えた疑いで逮捕されていたのだ。


山谷の路上で喫煙し、知人が通りかかると笑顔で声を掛けるマイケル
 

 目黒の教会に住み始めて以降、マイケルは妹からの送金でウォッカなどを買い、部屋で飲んでいた。センターのスタッフが朝、マイケルを見掛けると、酒臭かったことが何度かあったという。
 マイケルはその日も酒を飲みに出掛け、事件が起きたのは2軒目だった。起訴状には「椅子で店員ら女性2人の腕や頭部などを殴り、うち1人には全治3〜4週間の怪我を負わせた」などと暴行時の詳細が記載されているが、その背景にあった事情についてマイケルが説明する。
「お店でぼったくりにあったんだ。現金で1万7000円を持っていたが、それを超えて飲んでしまったようなんだ。だからATMにお金を引き出しに行き、その後も飲み続けた。ところが勘定をめぐって女性店員と口論になった。先に手を出されたので、やり返した。正当防衛だよ」
 傷害容疑で逮捕されたマイケルは警察署に勾留された後、東京拘置所へ移送された。その間も大迫さんたちは面会を繰り返し、東京地裁で開かれた公判も傍聴した。
「裁判のことを考えて、ズボンやセーター、Yシャツなどを差し入れしました」
 東京地裁で開かれた公判では、マイケルの主張は退けられ、懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。その日は奇しくもマイケルの誕生日で、東京拘置所に迎えに行った高木所長たちは、センターでささやかな誕生会を開いたという。外国人の支援が活動とはいえ、ここまで至れり尽くせりの対応には正直、驚かされた。
 私は以前、フィリピンで無一文になってしまった「困窮邦人」と呼ばれる男たちの本を書いたことがある。彼らの多くは中高年層で、日本でうだつの上がらない人生を送る中、ある日突然入ったフィリピンパブの女性に、ハマった。その女性たちを追って南国まで渡り、金の切れ目が縁の切れ目のごとくポイ捨てされ、ホームレスのような生活を送っていた。
「そんなの同情できない」
「ただのダメ人間」
 といった声が読者たちから寄せられたが、そんな彼らに差し入れをし、中には部屋を提供して助けていたのが、決して裕福とは言えない、フィリピン人庶民たちだったのだ。
 フィリピンは国民の9割がキリスト教徒だ。その点が共通しているのかもしれないが、それでもマイケルに支援を続けるセンターの対応は、私の中で南国の庶民たちの姿と重なった。
 大迫さんは、マイケルに手を差し伸べる理由を、こう説明した。
「日本で生まれ、数十年暮らした挙げ句、国籍が外国だから送還されたケースも見てきました。マイケルの場合もすべてが自己責任ではないから、何とかしてあげようとここまでやってきました。ただ暴行事件で被害者が苦しんだことは忘れないで欲しいです」
 東京拘置所から戻ってきたマイケルであるが、本人はあまり懲りていないようだ。センター側の注意にもかかわらず、飲酒は続け、事件が起きたバーの前も平気で歩く。そうした態度に加え、センターとしても、前科者の面倒を見つ続けることに対する世間体を考え、最後の切り札として山谷へ送る判断に至った。自立を促すためにあれこれ尽くし、その選択肢がことごとく失敗に終わった上での苦肉の策だった。
 高木所長が言う。
「アパートはもう借りられませんので、山谷しかないと思いました。マイケルが孤立しない居場所を、私たちなりに精一杯考え、トラブルが起きた時に理解してくれる人が側にいないといけない。それで山谷の教会にお願いしたんです。ブラザーたちとつながれば、色々な人間関係の輪が広がっていくかなと」
 そうしてマイケルは今年3月下旬、高木所長とともに山谷へやって来た。
 米国で人生の大半を過ごした前科者が、国籍が「日本」という一点だけで、日本の各関係機関が対応を迫られ、生活保護を受給するに至った。
「センターからの支援がなかったら私は野垂れ死にしていただろう。スタッフたちは私の命の恩人である」
 マイケルはそう感謝の意を述べているが、送り込んだ米政府の責任も問われてしかるべきではないだろうか。
 日本の法務省と外務省、在日米国大使館に確認してみると、その過去はどうであれ、やはり国籍が「日本」であれば、日本政府には「自国民の引き取り義務」が生じるため、マイケルは日本人と同等の権利が与えられるというのだ。
 法律ではそう定められているかもしれないが、すべて日本の社会保障制度で賄われている現状には、どうしても違和感が残った。それがマイケルの言うように、トランプ前政権による政策の影響なら尚更ではないだろうか。

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