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ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十五回 「あしたのジョー」で町おこし 吉原と山谷に挟まれた「いろは会商店街」の今

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、日本の「三大ドヤ街」と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた日雇い労働者たちが住み着いたかつての街は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。そんな山谷と色街、吉原の間に「いろは会商店街」はある。かつては商売人にとって倍率の高い「一等地」だったが、売春防止法の施行やオイルショックによる日雇い労働者の減少などで、衰退に歯止めが掛からなかった。ところが2012年に東京スカイツリーが竣工されたことで、町おこし活動へつながっていって……。

 

71歳の路上生活者から見える景色

 路上に敷かれた段ボールの上に1つ、また1つと黒いしみが増えていく。
 雨が降り始めたようだ。
 小柄なおじいちゃんは缶酎ハイや毛布、そして食べ残したカレーライスのパックなどを手にし、私は段ボールを片付け、2人とも対面に建つビルの軒下へ足早に移った。
 間もなく、雨が強まった。軒下とはいえ、少しは雨が体に当たる。段ボールの上にあぐらを搔いたおじいちゃんは、問わず語りに身の上話を始めた。
「この通りには10年も15年もいます。昔は長野のほうで大工をやっていました。運転免許もあったけど事情があって取られちゃって。それで東京へ出てきた。その当時は高田馬場に行って建築の仕事をもらっていたんだ。日当1万円。でも今は落ちぶれちゃったよ」

 缶酎ハイを握るその手はしわしわで、真っ黒く日に焼けていた。
 路上生活者と言葉を交わしたのは久しぶりだ。
 おじいちゃんは71歳で、吉田さん(仮名)という。
 10月上旬のある晩、「いろは会商店街」を訪れた時のことである。山谷と吉原に挟まれた全長370メートルのこの商店街は、ぽつぽつとしか店が開いていなくて、ほとんどがシャッターを下ろしていた。やっているのは蕎麦屋、洋品店、クリーニング店、酒場など20店舗あまり。日中でも人通りは少なく、見掛けるとしても自転車に乗った高齢者ぐらいで、常に閑散としている。
 通りでは夕暮れ時になると、どこからともなく現れた路上生活者たちが段ボールやテントを準備し、ねぐらを構える。これまで彼らに何度か声を掛けたことがあるが、ほとんどは警戒され、ゆっくりと腰を落ち着けて話し込むまでいかない。ところが吉田さんは酒の勢いもあったのか、段ボールの上に座って気分よく歌っていたので、そのノリにつられて「お話いいですか?」と伝えてみると、二つ返事で承諾してくれたのだ。
 そうして段ボールの上に2人並んであぐらを搔いた。しばらくすると、ボランティアとおぼしき男女5人組が近づいてきて、パックに入った五目ご飯を手渡してくれた。私も路上生活者と間違えられたのか、吉田さんに続いて差し出されたが、「僕は大丈夫です」と遠慮した。
 吉田さんは長袖のポロシャツに黒いズボン、そして裸足だった。段ボールの上にじっとしていると、毛布から漂ってくるアンモニアの臭いが鼻をつく。背中を丸めて語る吉田さんは、酒が入ると泣き上戸になるのか、何度も手で顔を覆ってすすり泣いた。
「もう70過ぎだよ。半分は死んだようなもんだ。情け無くて涙が出るね。俺が山谷へ出てきた時は、仕事もいくらでもあった。バブルが崩壊する前のことだ。酒飲んでいても『仕事行ってくれ!』って言われてたような時代だよ。もう1回バブルの景気が戻ってくるといいけどねえ」
 色々な事情があったのだろう。その詳細について私は、敢えて突っ込む気にはなれなかった。吉田さんの声色は弱々しく、言い知れぬ哀愁を帯びていたから、本人の語るままに任せた。
 話の合間、真後ろのビルに住む住人が何度か玄関を出入りした。こちらに視線を移すこともなく、すたすたと歩いていく。私たちの存在を気にしていないわけではないが、気にしても仕方が無いと割り切っているようだ。確かに難しい立場だろう。果たして私の家の前に路上生活者が毎晩、寝ていたら、どう振る舞うだろうか。
 そんなことを考えながら、吉田さんの話に耳を傾けていた。
「昔はここにアーケードがあったんだよね。その時は50人も60人も寝ていた。今は寂れちゃったっていうか何ていうか……」


アーケードに覆われていた頃のいろは会商店街(2017年10月撮影)
 

 私が初めていろは会商店街を訪れたのは、今から4年ほど前のことだ。その頃はまだアーケードで覆われていたが、屋根は穴だらけで、雨漏りがひどかった。通りの両側で寝ている路上生活者も30人ぐらいはいたが、4年近く前にアーケードが撤去されてからは徐々にその人数も減っていき、この日は、段ボールを敷いているのは吉田さんだけ。他には少し離れた路上にテントが2つ並んでいた。

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