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レンブラントの絵画のように美しい、文芸映画の決定版『シェイクスピアの庭』

現代のイギリスを代表するシェイクスピア役者たちが、名優ケネス・ブラナーのもとに集結し、晩年のシェイクスピア夫妻を描いた映画『シェイクスピアの庭』が、2020年3月6日に公開されました。没後400余年を経て、今なお世界中で愛される大作家の姿に迫る文芸映画の大作の魅力を、シェイクスピア作品の引用を交えてご紹介しましょう。

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1613年6月29日、イギリス・ロンドンにあった劇場グローブ座では、ウィリアム・シェイクスピア作の『ヘンリー八世』を上演していました。第一幕第四場まで進んだとき、舞台用の大砲の発火によって火災が発生、グローブ座は全焼してしまいます。座付きの脚本家であったシェイクスピアは筆を折り、故郷のストラットフォード・アポン・エイヴォンに帰っていきました。映画はここから始まります。

ヘンリー八世
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480045317/

20年もの間、ほとんど妻子と顔を合わせることのなかったウィリアム。妻や娘たちとの仲は、とうに冷えていました。帰宅した最初の晩、当たり前のように夫婦の寝室で一緒に休もうとするウィリアムを、アンは「家族にとってあなたは客人。客人には最上のベッドを」と拒みます。閉ざされたドアの前で戸惑うウィリアム。客用の寝室で1人休むことを余儀なくされてしまうのでした。

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シェイクスピア作品を彩るさまざまな草花や木々

帰郷したウィリアムは、17年前に11歳で世を去った長男ハムネットのため、庭づくりを始めます。幼いころから、よく詩を書いては見せてくれたハムネットに、ウィリアムは多大な期待を寄せていました。しかし、その最愛の息子が死んだとき、ウィリアムは遠くロンドンにいて葬儀に間に合わず、亡骸との対面もできなかったのです。遅まきながらもウィリアムは、息子の才能を惜しみ、死を悼むために庭をつくりたいと考えたのでした。今も多くのイギリス人が憧れる「カントリー・ジェントルマン」の生活を送るウィリアム。「雑草取りは一苦労だ」とぼやき、「森をダンシネーンに動かしたことならあるぞ」と自身の代表作『マクベス』を引き合いに出して冗談を言いながら、庭仕事に没頭していきます。
シェイクスピアの作品には、草花や木、それに鳥や動物たちといった、自然の動植物が数多く登場します。登場人物の美しさ、あるいは強さを称える比喩に使われたり、花言葉で心を表したり、というように使われているのです。

この森の中にじゃこう草の咲きみだれる土手があって、
桜草やすみれの花もうなだれながら咲き、
甘いすいかずらや、じゃこうばらや野ばらが
天蓋のようにその上におおいかぶさっている。
タイターニアは夜のひとときあそこに行って、
花にかこまれ、楽しい踊りになぐさめられて眠りにつく。

『真夏の夜の夢』第二幕第一場

真夏の夜の夢
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041010497/

これはローズマリー、花言葉は〈記憶〉。――どうぞ、覚えていてね。これは三色菫(パンジー)、花言葉は〈思い〉。

『ハムレット』第四幕第五場

ハムレット
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4042106145/

作品中に登場するこうした植物を集めた「シェイクスピア・ガーデン」が、アメリカ・ニューヨークのセントラル・パークなど、各地につくられています。

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そんな父ウィリアムに対して「何を今さら」と反発する、ハムネットと双子の次女ジュディス。母アンと同じく読み書きのできない彼女は、ハムネットではなく自分が死ねばよかったのだと口走りますが、実はウィリアムの知らない大きな傷を心に抱えていました。次第に気持ちの行き違いや、思いもよらなかった真実が明らかになっていき、家族はばらばらになってしまうかに見えますが、それを作家ならではの洞察力でひとつひとつ解きほぐしていこうとするウィリアム。その姿に家族の健やかな再生を願わずにはいられません。

 

シェイクスピア作品から引用された美しいセリフの数々が心を揺さぶる

ロンドンにある、ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵のシェイクスピアの肖像画からイメージをふくらませた役作り、時代考証に基づいてデザインされた衣装、当時を再現するために蝋燭の光だけで撮影された室内のシーン……。まるでレンブラントの絵画のように重厚で美しい『シェイクスピアの庭』ですが、もっとも注目すべきは、監督で主役を務めるケネス・ブラナー、妻アン役のジュディ・デンチをはじめとした、イギリスを代表するシェイクスピア役者たちによる丁寧な演技でしょう。前述の『マクベス』にちなんだ冗談のほかにも、『ソネット集』などの作品はもちろん、遺言書からまでもエピソードを取り込んで、物語はウィリアムの思いに迫っていきます。

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また、『真夏の夜の夢』、『タイタス・アンドロニカス』、『テンペスト』、『シンベリン』などのシェイクスピア作品から、多くのセリフが引用されており、それらはどれも美しく、心を揺さぶられずにはいられません。たとえば、ハムネットの幻がウィリアムに語りかけるセリフは、シェイクスピア最後の作品といわれる『あらし(テンペスト)』からの引用です。

吾らは夢と同じ糸で織られているのだ。ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる。

『あらし』第四幕第一場

夏の夜の夢・あらし
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/410202008X/

そうしたシェイクスピア作品を引用した演出のなかでも圧巻と言えるのが、イアン・マッケラン演じるサウサンプトン伯が、ストラットフォード・アポン・エイヴォンにウィリアムを訪ねてくる場面でしょう。
サウサンプトン伯はウィリアムにとって大事なパトロンでしたが、2人の間柄はそれだけのものではなかった……とは、古くから研究者の間で言われてきました。若き日のサウサンプトン伯は大変な美貌の持ち主で、ウィリアムは密かに彼に恋心を抱いていたというのです。ウィリアムの『ソネット集』は、その大部分がある「美男子」を描いたものですが、この美男子こそサウサンプトン伯であるとされています。
そんな2人の久しぶりの対面で、ウィリアムは愛を告げるかのように切々とソネットの一篇、29番を暗誦します。サウサンプトン伯は、人間ウィリアムの恋心に応えようとはしませんが、去り際に彼に向けて同じ29番を暗誦して返します。それは芸術家ウィリアム・シェイクスピアへの畏愛を強くにじませる、美しい朗読でした。稀代のシェイクスピア役者2人による「ソネット29番」の競演は、目と耳に焼き付けたい名場面です。

ソネット集
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4003220552/

 

原題『すべて真実』に込められたケネス・ブラナーの思いとは

映画『シェイクスピアの庭』の原題は『ALL IS TRUE(すべて真実)』。これはグローブ座を焼き尽くした火災の発生時に上演されていた『ヘンリー八世』の、その当時の題名でもあることが、映画の冒頭で紹介されています。
監督ケネス・ブラナーはこう語ります。「一人一人全員にそれぞれの真実があるということです。真実とは、特に家族の生活においては、矛盾を含むものかもしれません。どんなことにも人それぞれに自分の思う真実があり、それらすべてが真実なのだと」。ウィリアムにとっての真実は、妻アンや、2人の娘とその夫、亡き息子ハムネットにとってのそれと必ずしも一致しません。すべてを知り尽くしていたはずの天才劇作家も知らなかった驚愕の事実が、彼の家族のなかにも潜んでいたのです。それはシェイクスピア一家の失われた20年であり、それらを見詰め直すことが家族の再生に必要であったことを、この作品は教えてくれます。
映画の最後を締めくくるのは、長年ケネス・ブラナーとコンビを組むパトリック・ドイルが作曲した『もう恐れるな(Fear No More)』の、古風な美しいメロディ。この曲は『シンベリン』第四幕第二場で、シンベリンの2人の息子、グィディーリアスとアーヴィラガスが異父弟クロートンを悼んで歌う葬送歌が元になっています。

恐るるな 夏の暑さも
吹きすさぶ 冬の嵐も
汝いま この世のつとめを
 なし終えて 家路につきぬ
尊きも 卑しきもみな
みまかれば 塵と化すのみ。

『シンベリン』第四幕第二場

シンベリン
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4560070342/

ウィリアム自身も、妻と2人の娘がこの葬送歌を葬儀で読み上げ、送り出されます。
遺言により妻アンには「二番目に上等のベッド」がそのほかの家具とともに残されました。これはウィリアムの実際の遺言で、研究者の間では「なぜ二番目なのか?」が謎とされてきました。アンとの不仲の象徴と取る説もあるようです。しかし、ケネス・ブラナーは、ウィリアムが残したのは「夫婦の思い出」であったと考えました。だからこそ、前述のセリフ「客人には一番上等のベッドを」をアンに言わせたのでしょう。
シェイクスピア劇のスペシャリストたちが、彼への敬意をもって取り組んだ文芸映画『シェイクスピアの庭』。シェイクスピアの作品を知っている人が楽しめるのはもちろんのこと、知らなくても家族再生の物語として心にしみる作品となっています。そして観たあとはきっと、シェイクスピアの作品を読んでみたくなるはずです。

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3月6日(金)、Bunkamuraル・シネマ他全国順次公開

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