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【『やがて海へと届く』など】小説家・彩瀬まるのおすすめ作品

最新の作品集『新しい星』が直木賞候補となったほか、傑作長編小説『やがて海へと届く』の実写映画化が決定し、いま最も注目を浴びている作家のひとりである彩瀬まる。彩瀬まる作品を初めて読む方に向けて、特におすすめの小説を4作品ご紹介します。

2021年、連作短編集『新しい星』が第166回直木賞の候補作となり、いま、読書家たちからも絶大な支持を得ている若手作家・彩瀬まる。2022年4月1日からは、代表作『やがて海へと届く』を原作とする映画(主演:岸井ゆきの)が全国公開されることも決定しており、より一層の注目を集めています。

今回は、そんな彩瀬まるのおすすめの小説を4作紹介しつつ、それぞれの作品のあらすじと魅力を解説します。

『新しい星』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B09LY69H6L/

『新しい星』は、2021年発表の連作短編集です。彩瀬は本作で第166回(2021年下半期)直木賞にノミネートされました。

本作のストーリーは、青子、茅乃、卓馬、玄也という4名の人物を中心に進みます。彼女たちは、大学の合気道部の元同期。本作では、一見「普通」の人生を送っていた4人に、思いもよらない大きな変化が突如訪れるさまが描かれます。

表題作『新しい星』の主人公・青子は、夫・穂高と幸せな結婚をし、順風満帆とも思える暮らしをしていました。しかし、20代の終わり、青子は生まれたばかりの娘・なぎさを発育不良で亡くしてしまいます。それがきっかけとなって穂高と離婚し、実家暮らしに舞い戻った青子は、“見知らぬ惑星に寝転んでいるような、怪しく心もとない気分”を抱いて生活していました。

娘の死から時間が経ち、青子は夫や子どもを持たないひとりの人生を考え始めるとともに、亡くなったなぎさはいまも自分のそばにいてくれている、という確信を持ち始めていました。しかし、それを母の糸子に伝えると、彼女は青ざめた顔で青子の言葉を否定します。

“「一人でも、って……なに、なに極端なことを言ってるの。一人でなんてそんな……年をとってから後悔したって遅いのよ? あのね青子、辛いのは本当にわかるけど、ちゃんと現実を見なきゃ。気持ちを切り替えて、次の生活に踏み出すの。子供はいらないっていう男性だって探せばきっといるわ。一人なんてだめよ。だってなぎちゃんは、なぎちゃんは……」
もういないのよ、とうめく糸子の内部で悲しみがみるみる膨らみ、それ以外の感情や思考を塗りつぶしていく様が、見えるようだった。ああお母さん、いっぱいにならないで。青子は胸が詰まった。もう糸子にメッセージは届かない。青子が見つけたどんな真実も、幼稚な妄想として拒まれる。
新しい星で、青子はやはり一人だった。堕ちた砂地で途方に暮れて、すすり泣く母親を眺めていた。”

このように、本作では、再生や回復に向かってもがく主人公が世間の「普通」や「常識」の壁に何度もぶつかり、傷つく様子が容赦なく描かれます。しかし、青子を始めとする主人公たちはそれでも救いを求めて前進を続け、ときには同期たちとのささやかな交流や対話から、そのヒントを得ていきます。

理不尽とも思えるような人生の試練になんとか耐え、それを乗り越えようとする人の姿を、どこまでもリアルに綴る本作。都合のいい救いの手が差し伸べられたり、大きな事件が起きたりしないことこそが、「現実」に対する彩瀬の真摯な姿勢を反映しています。

『やがて海へと届く』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B07NCX5YD4/

『やがて海へと届く』は、2016年発表の長編小説です。本作は中川龍太郎監督・脚本で映画化され、2022年4月より全国公開されることが決定しています。

本作の主人公は、28歳の女性・湖谷真奈。真奈は都内のダイニングバーのフロア担当として働きながら、3年前、消息不明となった親友・すみれのことを日に何度も思い出す生活をしています。

“金曜日のお昼に、血液検査をした。(中略)刺されているときはあまり痛くなかったのに、なんの具合が悪かったのか、病院を出てしばらく経っても絆創膏を貼った傷口の熱が引かなかった。肘を曲げるたび、鈍い痛みが腕の芯へと絡みつく。”

“大げさで迫力のあるあざに見とれながら、唐突に、私には体があるんだと思い出した。少し加減を間違えるだけで傷がつき、強い力がかかればだめになる、有限の。ゆうげん、なんて単語は滅多に考えない。私の暮らしだと、限りを意識するのはせいぜい食材の賞味期限くらいだ。普段考えないことは心細い。なので、突風にあおられるようにすみれに会いたくなった。
すみれ、すみれ、と叫びたい気分で丸めた絆創膏を捨て、新しいシャツを着る。”

すみれは3年前、東日本大震災の前日に「ちょっと出かけてくる」と恋人の遠野に言い残し、旅に出ました。そのまま震災が起き、すみれの行方は分からずじまいとなってしまったのです。

ある日、真奈の職場を訪れた遠野が、かつてすみれと暮らしていた部屋を整理するので立ち会ってほしい、と告げます。真奈が渋々部屋に向かうと、そこにはすみれの荷物がまとめられていました。形見分けですみれのものをもらってほしい、という遠野の言葉に、真奈は強い違和感を覚えます。真奈は、すみれがいなくなってから3年が経つ現在も、すみれのことを“死者”とは思えないのでした。

すみれを忘れ、新たな人生に向かって歩みだそうとしているすみれの肉親や周囲の人々に、苛立ちと戸惑いを感じる真奈。真奈は遠野や職場の同僚・国木田との交流を重ねていく中で、すみれの存在を忘れ去るのではなく、彼女の記憶をたしかに心の中に留めながらも、自分の人生を生きていくことができないかどうか、奮闘するようになります。

大切な人を失ってから、その人のことを毎日思い出し続けているという方はきっと少なくないはず。“喪失”をめぐる人の心の動きをどこまでも真摯に、正面から綴る、傑作長編小説です。

『くちなし』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B086TV6Z9T/

『くちなし』は、2017年発表の短編集です。幻想・耽美的な作品を集めた本書は、第158回直木賞の候補にも選ばれています。

表題作の『くちなし』は、中でも飛び抜けて奇抜かつエロティックな1篇。本作は、別れを告げてきた不倫相手の男・アツタに「何か欲しいものはないか」と問われた主人公の“私”が、「片腕を贈ってほしい」と懇願するシーンから始まります。

“「とにかくなにか贈らせてくれよ。なんでもいいから」
「じゃあ、腕がいい」
「腕? 俺の?」
「うん。寝てるときに撫でてもらうの好きだった」
呻きながら、アツタさんは眉間にしわを寄せて考え込んだ。腕を交差させて両肩を包み、肘、手首へと撫で下げてからしげしげと左右のてのひらを開いて眺める。私はなにも言わずに返事を待った。やがてこちらを向いたアツタさんは、利き手でなくていい? と穏やかに聞いた。
「いい。いいよ、もちろん」”

奇妙なほどあっさりとその願いを聞き入れたアツタは、右手を左肩に回し、その場で左腕を取り外してみせます。

“骨が皮膚を押し上げている部分に親指を添えて、くっ、くっ、と押しながら曲げた左肘を小さく回す。不意に肩の位置ががくんと下がり、体に不自然な段差が出来た。アツタさんはもう一方の手で力の失せた左腕をつかみ、軽く回転させてぴりぴりと皮膚を破りながら、慎重にちぎり取っていく。
「はい、どうぞ。大事にしてね」
「ありがとう」
渡された温かい腕を素肌の太腿に乗せる。胴体から離れた腕は思ったよりも重く、抱えるのに力がいった。やわやわと戸惑い混じりに揺れる指に、こちらの指を絡ませる。指は迷いつつも動くのをやめて、ひとまず環境の変化を受け入れてくれた。”

その後、アツタから贈られた腕に点滴を与えたり、コートの中で手をつないで歩いたりと、腕との生活を楽しんでいた“私”。しかしある日、“私”の家に、アツタの妻を名乗る人物が現れます。

「主人の腕を返してください」と懇願する妻に対し、それはできないと冷たく答える“私”。感情的になった妻は、「あの人の体は、指の先まで私のものよ」と言います。「アツタさんの体があなたのものだとしたら、あなたの体はアツタさんのものなの?」と問いかける“私”にそうだとうなずく妻。それを聞いた“私”は、アツタの腕を返す代わりに、妻の腕をもらえないか、と提案するのです。“私”はそれ以来、渋々ながら提案を受け入れてアツタの妻が切り離していった片腕とともに暮らすようになります。

『くちなし』のように、本書の収録作には仄暗いフェティシズムを感じさせるものが多いですが、彩瀬の淡々とした筆致によって、読後感はさっぱりとしています。日常から逸脱した不思議な世界観を味わうことのできる1冊です。

『あのひとは蜘蛛を潰せない』


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/B01BHQQHNE/

『あのひとは蜘蛛を潰せない』は、2013年に発表された長編小説です。

本作の主人公は、28歳の女性・梨枝りえ。彼女は実家で母と二人暮らしをしながら、実家からほど近い、国道沿いのドラッグストアの店長をしています。梨枝が実家から通える距離の企業に絞って就職活動をしていたのは、気が強いわりにさみしがり屋の母のことを考えての選択でした。

仕事は至って順調で、貯金もできている。家に帰ればいつも、母が用意してくれた手の込んだ食事が待っている──。そんな生活に不満はないはずなのに、梨枝はときどき、“狭い穴の底にいる”ような気分になってしまいます。梨枝は、周囲から「優しい」と言われる自分の性格が、自信のなさゆえのものであることを自覚していました。そして、その自信のなさの原因が、幼いころから母に言われ続けた「あんたは人より頭が悪いんだから謙虚になりなさい」「みっともない女にならないで」といった呪いのような言葉にあることも、薄々感じています。

“スタッフには「意見を汲んでくれる優しい店長」と言ってもらえる。そうではないのだ。私は例えば自分が売り場を作ったときでも、なにか、なにか、わからないけれどもなにか致命的な失敗を実はしていて、例えばクレームや店内事故といった形でそれが背中から襲いかかってくるのではないかとこわくなってしまう。「店長のくせにこんなみっともない売り場を作って」などと陰でパートさんに笑われやしないかと震える。だからさりげなく周りに声をかけ、気さくな店長のフリをして確認してもらう。そのため、この書類のような誰にも「あってる」と確認してもらえない私個人の仕事は、仕上げるといつも不安で、濡れた綿のように疲弊した。”

梨枝に限らず、彼女の同僚や家族といった本作の登場人物たちは皆、自分の考えに確信が持てず、自分の始末を自分でつけることのできない人として描かれています。梨枝が勤めるドラッグストアの同僚で、一見、誰にでも優しく穏やかな人物・柳原も同様です。彼は長年連れ添った妻がいるにも関わらず、ある日、年若い女性と不倫をして行方をくらましてしまいます。柳原には昔から虚言癖があったと妻に聞かされた梨枝は、柳原がドラッグストアのレジを這う小さな蜘蛛の始末をつけられずに困っていた日のことを思い返し、「あれはきっと嘘ではなかった」と述懐します。

“蜘蛛だ。蜘蛛の始末を付けられない人だ。きっと蜘蛛がつまめないのは、嘘ではなかった。蜘蛛一匹の始末も付けられないから、自分の始末も付けられないのか。それが、あの人の病だったのだろうか。(中略)
私も遠くへさらわれたい時がある、と打ち明ければ良かった。そうしたら彼も、やるせない本当の病の話をしてくれただろうか。”

本作は、一見問題がないように思えるものの、それぞれに“病”を持っている人たちをめぐる物語です。過干渉な親と適切な距離を保てない悩みを抱えていたり、優柔不断ゆえに周りから「優しい」と評価されがちな人にとっては、共感なしでは読めない作品のはず。“自分の始末をつけられない”人物であった梨枝が、徐々に自分の軸で物事を見て判断できるようになっていく様子に、爽快感と救いが感じられる1作です。

おわりに

幻想や奇想をスパイスとして用いつつ、誰しもが日常の中で覚えたことのある違和感や疑問、葛藤を緻密に描くのが、彩瀬の作品の大きな魅力です。直木賞ノミネートの常連にもなりつつあり、今後より一層、注目度が上がっていくことが予想される彩瀬まる。エンターテインメント小説好きはもちろん、純文学作品が好きな方にも、迷わずに手を伸ばしてほしい作家のひとりです。

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