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【町屋良平『1R1分34秒』ほか】孤独な闘いを描く、傑作“ボクシング小説”4選

第160回芥川賞を受賞した『1R1分34秒』(町屋良平)を始め、純文学作品には孤独に闘うボクサーの姿を描いた「ボクシング小説」が数多くあります。今回は、そんなボクシング小説の傑作を4作品ご紹介します。

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左右の拳だけを武器に、リングの上で壮絶な闘いを繰り広げるボクシング。パンチを受け、時に顔をアザだらけにしながらも闘い続けるボクサーの姿に、思わず熱い思いを抱いたことがある方も多いのではないでしょうか。
文学の世界でも、窮地に立たされたプロボクサーの闘いを描く小説『1R1分34秒』(町屋良平)が第160回芥川賞を受賞し、いま、大きな注目を集めています。

『1R1分34秒』を始め、純文学作品には、ボクシングというスポーツの過酷さや泥臭さ、そしてその先にある面白さを描いた名作が数多くあるのです。
今回は、何度打たれても立ち上がり続ける“ボクサー”の姿を描く、日本のボクシング小説の傑作を4作ご紹介します。

第160回芥川賞受賞作! 内省的なボクサーを描いた『1R1分34秒』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4103522712/

第160回(2018年度下半期)芥川賞を受賞した町屋良平『1R1分34秒』は、デビュー戦を華々しくKOで飾ってからというもの、なかなか勝つことができず葛藤を繰り返しているプロボクサーの“ぼく”を主人公とした物語です。

“ぼく”は、負けた試合のことを何度も反芻したり、人からかけられた言葉の真意をずっと考え続けたりしてしまう内省的な性格。

試合前に連日みる夢のなかで、ぼくはかならず対戦相手と親友になってしまう。研究肌の自分はビデオをみて対戦相手を分析し、ジム周辺の環境をGoogle Mapsで調べあげ、ブログやSNSなどをチェックし、そこでの発言と試合の動きとの関係において、数年来の友だちより相手のことを理解したつもりになってしまう。

想像の中で対戦相手と親友になってしまうほど内向的な“ぼく”は、長年のトレーナーに見捨てられ、変わり者のトレーナー・ウメキチと出会うことで、少しずつ変化していきます。ウメキチの親しげなコミュニケーションや指導の仕方に不信感を覚え、始めは彼を警戒していた“ぼく”でしたが、いつしか、ウメキチと向き合うときは本音をぶつけられるようになっていたのでした。

ストレッチする場にしゃがみこんだまま、ぼくは自分の正直を試した。いつかこういう日がくると、わかっていた。
「正直な、ぼくは勝ちたいか勝ちたくないかもうわからねえんだよ」
「おい、おまえタメ口すごいぞ。前はあんなに素直ぶってたくせに」
「体育会ひとみしりなんだよ。合わないの、精神論とか」
「もっとはやくそういえよ」

“ぼく”とウメキチの弾むような軽妙な会話はもちろん、実際の試合のシーンではなく、試合に向けたトレーニングのシーンがひたすら描かれることで、プロボクサーとしての“生活”にスポットが当てられているのが本作のなによりの魅力。ボクシングの経験者はもちろん、スポーツにはあまり縁がないという読者にとっても、プロフェッショナルとして生きていくとはどういうことかについて考えさせてくれるオススメの1冊です。

諦めきれなかった「世界王者」の夢をもう一度追う──『春に散る』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4022514418/

沢木耕太郎の長編小説『春に散る』は、若き日に世界王者を目指し夢破れたボクサーの広岡仁一という男が、引退後、かつて共に世界王者を狙っていた3人のボクサー仲間と共に“共同生活”を始めるという物語です。2015年から2016年にかけて朝日新聞紙上で連載され、その描写の濃密さと先の読めない展開から、大きな反響を呼びました。

主人公の広岡は、ボクサーとして世界の頂点を目指すという夢を捨て、ホテル経営者としてアメリカで大成功をおさめた人物。自分がまだボクシングにけりをつけられていない、ということに気づいた彼は、40年ぶりに日本に帰国し、かつて自分と共に切磋琢磨していた3人のボクサーと再会を果たします。
かつての仲間たちは皆違う道を歩んではいたものの、それぞれに若き日に夢見た世界王者という夢に囚われ、虚無感を抱えながら暮らしていました。

「仁、俺は生きてるか?」
死んでいる、サセケン、おまえは死んでいるぞ。口まで出かかったが、広岡はその言葉を飲み込んで言った。
「……生きてるよ」

かつての夢を引きずり続けている4人は、ひょんなことから若手のボクサー黒木翔吾と出会い、自分たちが叶えられなかった夢を彼に託すべく、技術指導を始めるのです。

翔吾がチャンプを見ながら言った。
「俺も、チャンプみたいにリングの上で自由になれるでしょうか」
「なれるさ」
すると、翔吾が月に眼を向けて言った。
「自由の向こうには何があるんでしょう」
それは、たぶん月の裏側のように自分が見られなかったものだ、と広岡は思った。

世界の頂点を極め、リングの上で本当に自由になれた者にはなにが見えるのか。そして、広岡たちに託された世界王者という夢を黒木は叶えられるのか──。手に汗握るような試合シーンのあとには、あっと驚くような結末が待っています。かつて一度でもスポーツに熱中した経験がある方には、ぜひ読んでほしい極上のエンターテインメント小説です。

モダン・ジャズのようにボクシングを描く──『あゝ、荒野』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4094064680/

『あゝ、荒野』は、歌人で劇作家の寺山修司が生涯で唯一遺した長編小説です。
1960年代の新宿を舞台に、吃音障害に悩む建二という男と少年院上がりの新次という男が出会い、もがきながらもプロボクサーを目指していくこの物語は、2017年に菅田将暉主演で映画化もされ大きな話題を呼びました。

因縁の相手・裕二に勝ちたいという一心でボクシングにのめり込んでいく新次とは対照的に、“バリカン”というリングネームを与えられた建二は、己の弱さに打ち勝ちたいという思いでボクシングを極めていきます。

<バリカン>は、遠いな、と思った。ほんの五メートルも離れていないのに、客席とリングの上の自分とは、何億光年も離れているようにさえ思われるのだった。そして、リングの上は煌々と照っているのに、客席の方は真暗だった。

第五ラウンドへ入ったとき、<バリカン>はまっすぐに進んでくる豊作を見たと思った。彼は、それをかわそうと無意識に右手をのばすと、何かがそれに当った。ほんの一寸したアクシデントだった。<バリカン>は、屋上まで響くような群衆の声援を聞いた。はっとして、身構えようとしたが、もう相手はいないのだ。

リングの上で相手が見えなくなってしまうほど内省的な建二と、勝つことばかりを考えている好戦的な新次。
ふたりはまるで正反対の性格ながらも、ボクサーとして成長するお互いの姿を見つめる中で、単なるライバル心を超えた信頼や憎しみ、愛情を抱いていきます。建二と新次が試合で初めて拳を交えるラストは、圧巻のひと言です。
寺山修司は本作のあとがきの中で、

この小説を私はモダン・ジャズの手法によって書いてみようと思っていた。幾人かの登場人物をコンボ編成の楽器と同じように扱い、大雑把なストーリーをコード・ネームとして決めておいて、あとは全くの即興描写で埋めてゆくというやり方である。

と述べています。まさに即興演奏のジャズのように、さまざまなエピソードや1960年代の流行歌、小説のフレーズなどが入り乱れる軽快な文体が、本作をより魅力的なものにしています。

ボクシングを通じて“恐怖”に打ち勝つ物語──『拳の先』

拳の先
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/416791154X/

角田光代の長編小説『拳の先』は、ボクシング雑誌の編集部員としてかつてボクサーたちの闘いを追っていた編集者の那波田なわた空也が、かつての花形選手・立花望と再会したことで、一度は離れたボクシングの世界に再び近づいていく物語です。

立花を始め、那波田が出会うボクサーやボクシングジムの生徒たちは皆、自分自身にしかわからない“恐怖”と闘いながら日々を送っています。
たとえば、立花に憧れてジムに通っている小学生のノンちゃんは学校でいじめを受けていますが、その環境から逃げることに負い目を感じています。ノンちゃんはある日、新進気鋭の選手に試合で惨敗したことをきっかけに、“階級を変えてやりなおそうと思う”と立花に告げられるのです。

「それってあの、それってあの、逃げるってことですか」
よほど言いにくいことを思いきって言ったのか、まるで泣き出すかのようにノンちゃんは顔をゆがめて、震え声で言った。(中略)
「うん、そうだよ」立花は膝を曲げ両足の裏をぴったりとくっつけ、ノンちゃんを見据えて笑顔で答えた。(中略)
「もしそこに、自分の場所がないなって思ったら、ほかへいったっていいんだよ。もっとおもしろそうなところがあれば、そこにいくのはぜんぜん悪いことじゃない」立花は言う。ノンちゃんはじっと立花を見ている。

いじめから“逃げる”勇気のないノンちゃんにとって、立花のこの言葉はひと筋の希望でした。

ノンちゃんや立花がボクシングを通じた出会いの中で自分自身の恐怖に打ち勝ち、ゆっくりと成長していく様子を、那波田は優しい目で見つめ続けます。ボクシングのシーンの白熱する描写が素晴らしいのはもちろん、人生の中でなにかに本気になることの意味について考えさせられるような、青春小説の傑作です。

おわりに

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プロボクサーたちはしばしば、ボクシングには「一度始めたらやめられない」魅力があると語ります。パンチ以外の攻撃をしてはいけない、上半身しか狙ってはいけない……といった制限の多いルールの中で、ボクサーたちは皆、たった一回のパンチに人生を賭けるような気持ちで試合に臨んでいると言います。

手に汗握るような試合のゆくえや、強くなりたいと願うボクサーの葛藤を文字で楽しむことができるのがボクシング小説の魅力。ボクシングファンや熱い青春小説が好きな方はぜひ、今回ご紹介した4冊の作品を手にとってみてください。

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