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犬が主役の本5選

長い間、人間の相棒であり続けている犬。その歴史は古く、『枕草子』には、平安時代の宮中の人々が犬を可愛がる様子が記されています。コロナ禍で在宅時間が増え、犬などのペットを飼う人が増えたという現在。小説からエッセイ、児童書、ノンフィクションまで、犬と人間の絆が描かれた作品5選を紹介します。

嘉悦洋、北村泰一『その犬の名を誰も知らない』 ~南極越冬隊の奇跡の犬・タロとジロ。実はもう一頭生きていた~


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 1956年、南極越冬隊のソリひきのため、同伴したカラフト犬たち。やむを得ない事情で南極に置き去りにされた15頭の犬たちの知られざる真実を、当時の越冬隊員だった北村泰一が語り、元新聞記者の嘉悦洋が記したノンフィクションです。

“「南極越冬隊」といえば、ほとんどの日本人は「タロとジロの奇跡」を連想する。幼い兄弟のタロとジロだけが基地にとどまり、懸命に助け合って、厳しい南極で生き抜いた。そういうストーリーを、俺たちは長い間信じていた。2頭だけが基地で生存。7頭死亡。6頭が行方不明。これが長年にわたる定説である。ところが突然、昭和基地で別のカラフト犬の遺体が見つかった。つまり、基地には第3の犬がいたことになる”

 すでに高齢の北村は、自分の生きている間に、第3の犬がどの犬だったかを突き止めようと決意しました。北村は語ります。

“自分は15頭もの犬を無人の南極に置き去りにした。その重い事実は厳然とある。犬たちは物言わぬ越冬隊員。タロ、ジロだけではない。極寒の地で命を落とした名もなき多くの犬たちがいる。氷雪に埋もれた彼らにも光を当ててやりたい。それが、見殺しにしてしまったすべての犬たちへの償いにもなるはずだ”

 緻密な検証の結果、「第3の犬」がタロとジロのそばで彼らを守ったからこそ、タロとジロが生き延びられたことが分かります。陰のヒーローの名前を、本書でぜひ確かめてみてください。

馳星周『少年と犬』~東日本大震災で飼い主を亡くした犬。5年の歳月をかけ熊本まで歩き、ある人に会いに行く~


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 東日本大震災で、飼い主を亡くした犬のその後を描いた作品です。著者の馳星周は本作で第163回直木賞を受賞しました。
 2016年熊本。内村とおる一家は、5年前に岩手県釜石市で東日本大震災に遭い、つてをたどって熊本に移住しました。熊本での生活にもやっと慣れた内村家。しかし、問題がひとつありました。それは息子のひかるが、震災のPTSDにより、心を閉ざしたままでいることです。ある日、徹は道端で痩せこけた犬を発見し、動物病院へ連れていきます。犬の首に埋め込まれたマイクロチップの情報により、犬の名は「もん」と判明。徹は多聞を自宅へ連れ帰ります。

“光が真っ直ぐ多聞を見つめた。多聞の尻尾がさらに激しく揺れた。光が破顔した。微笑みながら多聞に近づき、触れた。光の笑顔を見るのは、大震災以来、初めてのことだった。光は多聞を離さなかった。寝るときも、多聞と一緒に寝たがった。光と多聞は前世から縁があるんじゃないか――内村はふと思う。それくらい、仲が睦まじい”

 徹の勘は的中しました。実は、多聞は東日本大震災で飼い主を亡くした犬であり、内村家が釜石に住んでいたころ、光と多聞は公園で遊んでいたことが判明しました。多聞は5年の歳月をかけて、東北から九州を横断し、旧友と再会したのでした。

“不思議だろう? 津波で飼い主亡くした犬が、飼い主以外で一番好きだった光を探して放浪の旅に出たんじゃないかって”

 多聞によってもたらされた内村家の久々の幸福。しかし、蜜月は長くは続きません。その年、熊本を地震が襲います。

“光と多聞に壁が倒れかかり、崩壊した屋根の一部が落ちてきた。多聞が光に覆い被さった。
「光はだいじょうぶだ。おまえが守ってくれたから怪我のひとつしていない」
多聞が目を閉じた。傷つきながら、光のことを気にかけていたのだ。なんという犬だ。内村は泣いた”

 多聞の献身ぶりは、読む人の涙を誘うことでしょう。

町田康『スピンク日記』~吾輩は犬である⁉  犬目線で綴ったユーモアあふれる日記文学~


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 夏目漱石の『吾輩は猫である』が、猫目線で人間社会をクールに描いた話なら、本書は、著者の愛犬の一人称語りによる、犬目線での日記です。著者は、『きれぎれ』で第123回芥川賞を受賞した町田康です。

“私はスピンクといいます。犬です。プードルです”

 と自己紹介する本書の語り手は、

“忠犬たらんとすれば、主君もそれなりの人物でないと駄目”

 と言ってのけ、主人である著者を「ポチ」と呼んで友だちのように接し、作家である主人の日常をシニカルに観察します。

“私は散歩に行きたいのでやむなくポチのところに行き、ティーシャーツの裾を噛んで引っ張る、サンダルをくわえて持ち去るなど、いろいろやってみるのですが、ポチは、「そんなことしたらダメ。ノー」などと言うばかりで私の真意を察しないのです。鈍感でしょ。なんでも小説というものは人情の機微に通じていないと書けないものらしいですが、こんなことで、果たして彼に小説が書けているのだろうかと、とても心配になってしまいます。”

“ポチは重要な仕事をするときや締切日には八畳間に籠ります。その方が集中して仕事ができるそうです。そのことをポチは、文学の鬼になる、と表現します。しかし、文学の鬼と化した割にポチはかなり頻繁に八畳間から出てきます。台所に入ってきては、私たちの頭を撫でたり、ごそごそ茶を入れたり、焼芋を食べるなどしています。文学の鬼がうまそうに焼芋を食べていいのでしょうか”

 たくまざるユーモアにあふれた本作は、犬を飼うのではなく、犬と暮らす、という著者の眼差しが心地よい一冊です。

江國香織『デューク』~ペットロスを経験したすべての人へ贈る、動物報恩譚~


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 長年可愛がってきた犬のデュークを亡くし、悲しみに沈んでいた21歳の「私」に起こった奇跡とは。著者は、『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞を受賞し、女性を中心に圧倒的な人気を集め続けている江國香織です。

“歩きながら、私は涙がとまらなかった。二十一にもなった女が、びょおびょお泣きながら歩いているのだから、他の人たちがいぶかしげに私を見たのも、無理のないことだった。それでも、私は泣きやむことができなかった。
デュークが死んだ。
私のデュークが死んでしまった。
私は悲しみでいっぱいだった。
デュークは、グレーの目をしたクリーム色のムク毛の犬で、ブーリー種という牧羊犬だった。わが家にやってきた時には、まだ生まれたばかりの赤ん坊で、廊下を走ると手足がすべってぺたんとひらき、すーっとお腹ですべってしまった。それがかわいくて、名前を呼んでは何度も廊下を走らせた。(その格好がモップに似ていると言って、みんなで笑った。)”

 泣いているところを、見知らぬ少年に声をかけられて、「私」は、少年とプールに行き、卵料理を食べます。それらはデュークの好きなものでした。少年はいったい誰なのか? 最後に彼の正体が分かったとき、泣かずにはいられないでしょう。
 エッセイ『雨はコーラがのめない』にも描かれているように、愛犬家として知られる著者には、

“愛し愛されたいのなら、(誰かと暮らすより)犬や猫を飼う方が簡潔かつ確実だ”

という箴言がありますが、本作も犬への愛情がつまった一冊です。

川口晴『犬と私の10の約束』~犬を飼う人が守るべき10の約束とは~


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 父と母と暮らす一人っ子の小学生・あかりが、ある日、庭でラブラドールレトリーバーの迷い犬を見つけたことから物語ははじまります。著者は、代表作『子ぎつねヘレン』で知られる川口晴です。
 足が真っ白で、まるで靴下をはいているようだから、「ソックス」と名付けられた子犬。自らの死期が近いことを知っている母は、犬を飼うことを許すかわりに、あかりに「犬の十戒」なる約束をさせるのでした。それは、

“私にも心があることを忘れないでください”

“言うことを聞かないときは、理由があります”

“私にたくさん話しかけてください。人の言葉は話せないけど、わかっています”

“あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません”

“私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と一緒にいてください”

“私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください。そして、どうか覚えていてください。私がずっとあなたを愛していたことを”

 などというものです。母亡き後、きょうだいのように育ったあかりとソックス。「犬の十戒」は、動物病院やペットショップなどでも紹介され、今や、犬を飼う多くの人が知るようになっています。

おわりに

 言葉を話す人間と、話さない犬。言葉を介さなくても、人間と深いつながりを持つことができる犬たちの話を読めば、言葉があればすべて通じ合える、という考えこそ、人間の幻想に過ぎないと気付くかもしれません。

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