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酒なしでは生きられない。文学作品の中の「酔っぱらい」たち

文学作品の中にはときに、“ついつい酒を飲みすぎてしまう”人物が登場します。今回は小説・エッセイの名作から、「酔っぱらい」を主人公とする魅力的な3作品をご紹介します。

yopparai

「なぜお酒を飲むの?」
「忘れるためだ」
「何を忘れたいの?」王子さまは気の毒に思いながら訊いた。
「恥ずかしいことを忘れるためだ」酒飲みは頭を垂れながらそう打ち明けた。
「何が恥ずかしいの?」王子さまは助け舟を出すつもりで訊いた。
「酒を飲むことが恥ずかしいんだよ」

この会話は、かの有名な『星の王子さま』(サン・テグジュペリ作、倉橋由美子訳)の中で、王子さまが“酒飲み”と言葉を交わすシーンの一節です。酒を飲むことが恥ずかしく、その恥ずかしさを忘れるためにまた酒を飲んでしまう──。人よりも酒が好きという自覚がある方であれば誰しも、この悪循環には身に覚えがあるのではないでしょうか。

適量でさえあれば私たちに幸福感をもたらしてくれるアルコールですが、その“適量”の見分けがつかないという方は多いもの。文学作品の中にも、ついつい酒を飲みすぎてしまう人物が多数登場します。今回は、小説やエッセイの名作の中から、そんな「酔っぱらい」たちの姿をご紹介します。

常に二日酔いのカルト作家の珍道中──『ブコウスキーの酔いどれ紀行』(チャールズ・ブコウスキー)

酔いどれ紀行
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480434356/

『ブコウスキーの酔いどれ紀行』は、カルト的人気を誇るアメリカの作家、チャールズ・ブコウスキーによる紀行エッセイです。58歳のブコウスキーが恋人、リンダ・リーを連れてフランスと故郷ドイツを巡ったときのことを記した本書ですが、酔いどれ紀行というタイトルの通り、彼はそのほとんどのシーンにおいて酒を飲み、酔いつぶれ、二日酔いになり続けています。

フランスのテレビ番組に出演しては酒を飲んで共演者に絡み、朗読会ではへべれけになって大暴れをし、インタビューでは二日酔いを抑えるために氷を入れたビールを飲み──と常にやりたい放題のブコウスキー。しかしそんな彼は不思議と(ごく一部の人にしか)疎まれず、むしろ、破天荒でユーモラスな人物として愛されてしまうのです。

どこへ行っても酒ほど人を寛がせてくれるものはない。酒のボトルに言葉は必要ない。数時間後、わたしたちはタクシーにむりやり押し込まれた。それでリンダと私とは帰りつくことができた。わたしはそのことも、それからその後の夜のことも何も覚えていない。しかしわたしたちはボトルを2本ほど抱えてきていて、二人でもう少し飲み、リンダの話によると、わたしはバスルームに入って歌ったり叫んだりし始めたそうだ。まるでエコーチェンバーみたいだったらしい。

「ブラックバード! ブラックバード! さよなら、ブラックバード!」
「ブラックバードが死ぬ! あらゆるものすべて死ぬ、死ぬ、死ぬ!」

ブコウスキーの酔い方は叫ぶ、暴れる、人を罵倒するなどあきらかに過剰で迷惑ではありますが、彼はどれだけ酔っていても、常に“醒めた目”で人生や日常を見つめています。酒をあおるたびに怒りっぽく幼稚になっていくブコウスキーの姿は滑稽であるだけなく、どこか物悲しくも感じます。彼の詩や小説に抗いがたい魅力を感じたことがある方にとっては、特におすすめしたい1冊です。

個性豊かなアル中患者たちの姿を描く──『今夜、すべてのバーで』(中島らも)

今夜すべてのバーで
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4061856278/

『今夜、すべてのバーで』は、アルコールに取り憑かれ、断酒のための入院をしている35歳の男・小島いるるを主人公とする長編小説です。作者の中島らもは多忙であった1980年代、連続飲酒を繰り返したことによるアルコール性肝炎で大阪の病院に50日間入院した経験があり、このときの実体験をもとに本書を執筆したとのちに語っています。

本書はアルコール依存症の実態とその恐ろしさを伝える小説としても有名ではありますが、一方で容が入院している病院の個性豊かな患者たちとの交流は非常にユーモラスで、読んでいて思わず笑ってしまうようなシーンも多数あります。

一本目のロングピースを吸い終わりかけた頃、福来益三が喫煙所にはいってきた。目礼する。福来はショートホープを出してくわえた。おれは火をつけてやった。(中略)
「福来さんも、酒ですか?」
「ああ、私はもう、三回目。運ばれるの。今回なんか、腹水が溜まってカエルみたいな腹になってたものな」
「そりゃたいへんですね」
「その腹水がなかなか退かなくて。入院したときには盆までには帰れるだろうと思ってたんだがね」
「もう、長いんですね」
「そ。“腹水盆に帰らず”といってね」

この福来というキャラクターに限らず、本書の登場人物の多くは、自分の置かれているシリアスな状況をあの手この手で笑い飛ばそうとします。それは酒を飲みたいという願望から逃れるための切実な方法とも捉えられますが、登場人物たちは皆、アル中であるということの葛藤の時期から抜け、自分自身の弱さを自覚した自然体の姿でいるようにも見えるのです。
かつては酒で失敗をしてばかりだった……、という方に、いまこそぜひ読んでほしい名著です。

アルコールですべてを失った男が人生をやり直す──『ばかもの』(絲山秋子)

ばかもの
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/410130453X/

絲山秋子による長編小説『ばかもの』には、最愛の女性・額子に振られたショックから少しずつ酒を飲むようになっていき、やがてアル中になってしまうヒデという男が登場します。

ヒデは社会人として働き始めたばかりの頃、振られたショックから一度は立ち直り翔子という女性と交際しますが、ある日、「おまえ最近酒癖悪いんだよ。翔子ちゃんにからんだりさ」と翔子の友達から忠告を受けます。

翌日ヒデは会社を休んだ。酒癖が悪いと言われたことがショックだった。(中略)家族が家から出払うのを待ってヒデは近所の酒屋に行き、一升瓶を二本買った。もうだいぶ前から酒屋に行っても挨拶もしないようになっていた。

ヒデと周囲の人々との関係はこの日を境に悪化していき、それでもなお酒をやめることのできない彼は、やがて翔子や友達、両親からも見放されていきます。

本当にうつ病なのかもしれない、とヒデは思った。それほど気分が悪かった。昔のように、酒を飲んで気分がよくなるということもなかった。飲まないときはもっと憂鬱だった。
俺はだめな人間だ。
俺はくずだ。
だけど、それを誰にも言ってほしくない。

酒を飲みすぎてしまう自分はだめな人間である、という自覚は嫌というほどあるけれど、それを人には指摘されたくない──。そんなヒデの気持ちは、アルコールに限らずともなにかに依存したり甘えたりしてしまいがちな人にとって、強く共感できるものではないでしょうか。

ヒデはその後、飲酒運転で事故を起こしたことをきっかけに、入院して断酒治療を受けるようになります。友人や家族、仕事、プライドまでも失ったヒデはその後の生き方に悩みますが、最愛の女性・額子が交通事故で片腕を失くしたということを知り、10年以上のときを経て彼女と再会します。過去の生き方を捨て、新たな人生に向けて足を踏み出したばかりのふたりが再びゆるやかに恋に落ちてゆく様子は、とても美しく感動的です。

おわりに

アルコールにすがらなくては生きていけない登場人物たちの姿は、必ずしもユーモラスで憎めないものばかりではありません。中には『ばかもの』のヒデのように、酒に飲まれて暴力を振るい、すべてを失ってしまうケースさえあります。

彼らの姿を滑稽だと笑うことは簡単ですが、私たちもアルコールや煙草、ギャンブルなどに依存する危険と常に隣り合わせで生きているということは、せめて自覚しておきたいものです。

今回ご紹介した作品はどれも、酒に夢中になりすぎる恐ろしさや滑稽さとともに、そこから立ち直って新たな人生を送ろうとすることの尊さと希望も描いています(ブコウスキーの場合はすぐに酒を飲み直してしまいますが)。ついつい酒を飲みすぎてしまうという人、アルコール依存を経験したことがあるという人は、ぜひこの3冊に手を伸ばしてみてください。

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