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“食のエロス”を堪能できる、小説の名シーン4選

小説において、“食べること”は時に美しくエロティックな題材として扱われてきました。今回は日本のさまざまな作家による小説の中から、“食のエロス”を感じさせる名シーンを4作品、あらすじとともに紹介します。

脂の乗った肉をじっくり舌の上で味わうときや、果汁のしたたるフルーツをひと口かじるとき──。ものを食べる、という行為には、常にどこか官能的なイメージがつきまといます。

“食”は古くから小説の中でも、美しく神秘的で、時にエロティックな題材として扱われてきました。今回はそんな“食のエロス”を存分に堪能することができる名シーンを、作品のあらすじとともに、日本の名作小説4作品の中から選り抜いてご紹介します。

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1.女性の指を咀嚼する秘密の食事会──『美食倶楽部』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480023291/

文豪・谷崎潤一郎による短編小説『美食倶楽部』は、その名の通り、とにかく美味しいものを食べることに情熱を注いでいる人ばかりが集まる“秘密クラブ”を舞台とした物語です。

クラブの会員は全部で5名。食に執着しすぎているあまり全員が肥満体である上に、5名中3名は糖尿病という恐るべきメンバー編成です。中でも一番歳が若く、特に食に対する探究心や想像力が豊かなG伯爵という人物は、10日連続で食べものの夢を見てしまうほどの食い道楽でした。

東京中の美味しいものを食べ尽くし、ただの料理ではもはや満足できなくなりつつあったクラブの会員たち。ある日、G伯爵は中国人たちが出入りする謎の料理店に足を踏み入れ、彼らの宴会を見学したことをきっかけに、世にも稀な“美食の魔術”を会得します。そしてその日以来、G伯爵は料理店で見た不思議な創作料理を自らの手で再現し、会員たちに披露するようになりました。

ご紹介するシーンは、G伯爵が会員たちに料理をふるまう場面の一部です。
4名の会員たちは、通常の食事を終えたあとにG伯爵によって部屋の四隅に立たされ、30分ほど暗闇の中で放置されています。我慢の限界に達しそうになったころ、その部屋の中に若い女性が入ってきて、会員たちそれぞれの顔に触れ始めるのです。

作者は仮りにその会員の一人をAと名付けて、これから次後の出来事を、Aの気持になって説明しよう。(中略)
顔中を残らず摩擦し終った手は、最後にAの唇を摘まんで、ゴムを伸び縮みさせるように引張ったり弛ませたりする。あるいは顎に手をかけて、奥歯のあるあたりを頬の上からぐいぐいと揉んでみたり、口の周囲を縫うようにしながら、上唇と下唇の縁を指の先で微かにとんとんと叩いてみたりする。それから口の両端へ指をあてて、口中の唾液を少しずつ外へ誘い出しつつ、しまいには唇全体がびしょびしょに濡れるまでその辺一帯へ唾吐を塗りこくる。

Aがたまらなくなり、自分からよだれをだらだらと垂らしそうになったその瞬間、女性の指は口の中に侵入してきます。

とたんにAは、舌と一緒にその手へ粘り着いている自分の唾吐が、どういう加減でか奇妙な味を帯びている事を感じ出す。ほんのりと甘いような、また芳ばしい塩気をも含んでいるような味が、唾吐の中からひとりでにじとじとと沁み出しつつあるのである。

会員たちは、暗闇の中で味わう女性の指がハムや白菜といった味を帯びていることに気づき、それらを噛み潰し、飲み下して堪能するのです。

Aが腹一杯に白菜の美味を貪り喰ったと思う頃、植物性の繊維から出来ていた手の先は、再び正真正銘の人間の肉をもって成り立った指に変ってしまう。

究極の美食を追い求めるあまり、世にも奇妙でフェティッシュな料理にたどり着いてしまった会員たちが人の指を愛撫し咀嚼する描写は、エロティックであると同時にゾッとするほど気味の悪いものです。“美食倶楽部”の会員たちの行き着く先を、物語の語り手は最後、こんなふうに評しています。

気が違うか病死するか、彼らの運命はいずれ遠からず決着する事と作者は信じている。

2.見知らぬ女性と同席して食事をとるひととき──『少し変わった子あります』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4167743027/

『少し変わった子あります』は、小説家・森博嗣による連作短編集です。物語は、小山という名の大学教授が、後輩の教授・荒木という男に奇妙な店の話を聞かされるところから始まります。

荒木いわく、その店は一見ふつうの料理店であるものの一人でしか入ることができず、オプションとして見知らぬ女性を食事に同席させることができる、というのです。性的なサービスや店の外での接触などは一切なく、女性とはその場の一度限りしか会うことができないと聞いて、小山はその話の奇妙さに興味を抱きます。

そしてある日、荒木から聞いた店の電話番号を頼りに小山が店を訪れると、ものを食べる所作が非常に洗練された若い女性が食事に同席し、小山はえも言われぬ満足感を覚えます。

箸の使い方、茶碗の持ち方を含め、その仕草が実に様になっている。非常に洗練されている、とでもいうのか。仕事柄、近頃の若者を多く観察しているため、その差は歴然だと感心した。

しかし、本当にこれだけの体験で荒木は何度も店に通っていたのだろうか? ──小山はそんな疑問を覚え、好奇心を満たすべく、店のリピーターになっていきます。2回目に小山の食事に同席した女性は、1人目の女性と同じく完璧に美しい所作で料理を食べつつ、彼にこんな不思議な話をするのでした。

「網戸の隙間を通るような、とても小さな虫がいることをご存じでしょうか? 羽根があって、飛びます。もの凄く小さいんです」(中略)
「その、私の部屋は二階なんですけれど、すぐそばに大きな銀杏の樹があって、たぶん、その樹のどこかで、その小さな虫が沢山湧いて出るのだと思います。いえ、実害はなにもないのです。(中略)指で潰して、そのあとは、ティッシュで指を拭き取ります。でも、わざわざ手を洗いにいくことはしませんでした。二階には手洗いがないので、面倒だからです。ところが、そんなことを忘れてしまい、つい、その指を口に持っていくことがあります。その、ええ……、指を噛む癖が私にはあるんです」

彼女は、虫を潰した指を“苦い”と感じたと語ります。そして、知らず知らずのうちに、“指を噛んだときに、その味がしないと、少しもの足りないって感じるようになってしまった”と打ち明けます。

小山はデザートに出された瓜と梨を食べながら、“子供の頃の虫籠の匂い”を連想します。いつしかその女性の話に影響を受け、味覚までもが奇妙な空間に順応しつつあったのです。

本作の中で、小山は食事相手の女性に恋愛感情や性欲を抱いたりはしません。しかし、女性たちの食事のシーンはどれも上品で、同時にどこか危うげな美しさを放っています。店の常連となっていく小山がたどる運命の数奇さも含め、幻想的な怖さを味わうことのできる作品です。

3.深夜、ラーメンを食べたあとのワンナイトラブ──『セックスとラーメンの方向性』

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『セックスとラーメンの方向性』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101311315/

『食べる女』は、2018年に小泉今日子主演で映画化もされた、脚本家・筒井ともみによる人気小説です。本作は、8名の女性を主人公にした、“食と性”をテーマとする8作の短編から成り立っています。

ご紹介するのは、収録作「セックスとラーメンの方向性」の中のワンシーン。この物語の主人公・麻子は、ジュエリーデザイナーとしての仕事を家でバリバリとこなす傍ら、仕事を終えた夜中に家の近くのバーや居酒屋で1杯飲むことを日課としています。そして、場合によってはそこで男性と出会い、家でセックスをしたあと、また近くのラーメン屋まで出かけていって食欲を満たす──というルートを気に入っていました。

いつものように仕事を終えたある晩、お腹をすかせていた麻子はアルコールよりも先に食事をとりたくなり、近所のラーメン屋に駆け込みます。店は混んでいて、若い男と相席をすることになりました。

男はまず麺をすすり、次にチャーシューを食べ、スープを飲む。また麺に戻り、次は支那竹と、きわめて均等に食べていく。(中略)
男はスープの一滴も残さず食べ終わると、またマルボロを取り出した。麻子はいつもならスープを全部飲んでしまうのだけれど、今夜はなぜかそうしなかった。
二人ともダッフルコートを着たままだったので、汗ばんでいる。脱ごうかな、とも思うけれど、あとはお勘定をして出るだけだ。それよりも、このまま男と別れてしまうのはちょっともったいないな。

ふたりは1本の瓶ビールを分け合ったことをきっかけに距離を縮め、近所のパブに入ります。そこでひとときの会話を楽しんだあと、麻子は夜道を歩きながら自分のマンションに男を誘います。

支那ソバとビールのあとだからなのか、いつもと酔い方がちがう。気だるいのだ。たとえて言うなら、服を一枚着たままお風呂に入ったような。

男の腕が麻子の腰を抱き寄せて、それからキスが始まった。北風で冷えた唇の奥の熱っぽい舌が、麻子の口中に入ってくる。(中略)なんて美味しい舌かしら。大きさも、温度も、湿りかげんも、その微かな味わいも。麻子は美味しい舌をもつ男も好きだ。舌はまずいけれど、セックスはいいなんて絶対ありえない。セックスが合う相手なら、キスの味も舌も美味しいものだ。

アルコールのあとについ食べたくなったラーメンを味わうのと同じように、常に欲望に忠実なセックスを楽しんでいる麻子。ラーメン屋やパブでのシーンは直接的ではないものの、すでに前戯が始まっているかのような緊張感と高揚感を味わうことができます。エロティックなシーンを堪能できるのはもちろん、美味しそうな食べものの描写の数々に、思わず食欲が湧いてくるような作品集です。

4.「全身が生牡蠣になったような感じ」──『フレッシュ・オイスター』

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『フレッシュ・オイスター』収録/出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4584130299/

『フレッシュ・オイスター』は、村上龍による掌編小説です。物語は、ある晩にパリのサンジェルマン・デ・プレ教会のすぐ近くで、主人公の男が日本人の女に声をかけられるところから始まります。

「あの、失礼ですが」
と、私は突然日本語で話しかけられた。横に背の高い女が立っている。君、どうしてこんなところに、と私は大きな声を出した。
「フライトですから」
女はスチュワーデスだった。私達はこの二ヵ月感に、三度顔を合わせていた。一度目はニューヨークのグランド・セントラル・ステーションで、二度目はシンガポールへ向かう機上で、三度目は千葉市のスナックで、三度共すべて偶然だった。

男はその女性との4度目の奇跡的な再会を祝し、カフェでワインを飲みます。ふたりは初めて出会ったニューヨークのオイスターバーでの会話を思い返しながら、こんな偶然が本当にあるのか、と語り合います。

「あたしの三期先輩で、スキーの選手と結婚した人がいるんですけど、その二人はまずシャモニーで偶然出会って、その後シドニー便の機内でまたばったり会って、これはたぶんすごい縁だっていうんで結婚したらしいんです」
「そのケースよりオレ達の方がすごいものな」
「四度ですからね」
「たぶん何万倍何億倍とオレ達の方が確率的にはすごいよ」

すると女は突然、生牡蠣を食べたのは男と一度目に会ったオイスターバーが初めてだった、と打ち明けます。そして、男のことを“セクシーだった”と言うのです。

「セクシーだったわ、あたし、二度目に機内であなたに会った時、シャブリと生牡蠣のことを考えてしまって、それでね、三度目は逆に生牡蠣のことを考えてたらあなたに会ったんです。そして、今度もそうなの」
「生牡蠣のこと考えてたわけ?」
「そう、なんか全身が生牡蠣になったような感じだったんです。そしたらあなたに会ったから、びっくりして、まだ心臓がドキドキしてます」
全身が生牡蠣になったような感じというのはどういうことなのか、聞こうかと思ったが止めた。キールに濡れて光る女の唇が半開きになって、舌がのぞいている。

“全身が生牡蠣になったような感じ”という独特な比喩で男との再会を喜ぶ女。ふたりはそのまま別れ、特別なことはなにも起こらずに物語は終わりますが、男はカフェを出てモンパルナスを歩きながら、最後に“ある感触”をふと思い出します。

生牡蠣がシャブリで冷えた喉を滑り落ちる時のあの感触である。それは情欲にまみれている。

本作はとてもささやかな小説ではありますが、村上龍らしい、大人の余裕のある色気に満ちた作品です。“生牡蠣がシャブリで冷えた喉を滑り落ちる時のあの感触”という表現には、新鮮で美味しそうな牡蠣の食感を連想するとともに、どこか官能的な感覚を呼び起こされる──という方も少なくないのではないでしょうか。

おわりに

秘密の美食倶楽部での禁断の食事、ラーメンのあとのワンナイトラブ、生牡蠣から連想する官能的な再会──。今回ご紹介した作品のシチュエーションはさまざまでありながら、どれもいけないものを見てしまったような気持ちを私たちに思い起こさせ、食欲と性欲には深いつながりがあるのだと感じさせます。

深夜、ついやましい食欲が湧いてしまってなにかでお腹を満たしたくなったとき、ご紹介した小説のページを開いてみると、少しだけその欲望も満たされるかもしれません。

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