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【祇園精舎の鐘の声……】『平家物語』の魅力を知ろう。

「祇園精舎の鐘の声……」という冒頭部分で知られる軍記物、『平家物語』。今なお謎に包まれている作者、悲哀を感じられるエピソードなど、作品の魅力を紹介します!

平家物語

学生時代に懸命に暗記したフレーズといえば、何が浮かびますか? 『平家物語』の冒頭、「祇園精舎の鐘の声……」もそのひとつ。源氏を退け、栄華を誇った平家一門の滅びゆく姿を語るこの冒頭は、日本語の美しさを体現している名文でもあります。

一方で、そんな名文から始まる『平家物語』の物語本編はあまり覚えていない……といった方も少なくないはず。実は『平家物語』は美しくかっこいい女性たちの活躍から、妖怪を退治する摩訶不思議なエピソードまでが詰め込まれた魅力ある作品です。今回は物語のあらすじや登場人物の紹介をもとに、『平家物語』の神髄に迫ります。

 

作者未詳?『平家物語』の特徴と謎。

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兵庫県の須磨寺では、平敦盛と熊谷直実による一騎打ちの場面「敦盛最期の事」が再現されている。

 
では、あらためて『平家物語』の冒頭部分を見てみましょう。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。

『平家物語』第一巻「祇園精舎」より

【現代語訳】
祇園精舎の鐘の音は、「諸行無常」、つまりこの世のすべては絶えず変化していくものだという響きが含まれている。沙羅双樹の花の色は、どんなに勢い盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまうような、風の前の塵と同じである。

冒頭文で述べられている「諸行無常」、「盛者必衰」とは、仏教の教え。どんなに栄華を極めたとしても必ず終わりがくる、この世の無常を説いた言葉です。

作中で平清盛の義理の弟・平時忠はこう述べます。

此一門にあらざらむ者は皆人非人にんぴにんなるべし

『平家物語』第一巻「禿かぶろ」より

【現代語訳】
平家でない者は、人間でない。

これは朝廷の役職が平家一門と親しい者たちで占められていた“平家全盛期”だからこその発言。『平家物語』は、それほどまでに栄えていた平家が、やがて源氏に追い詰められて滅亡するまでの物語です。

天下を取った平家は、その後も引き続き国を支配するかのように思われていました。しかし、平家が勢いを持っていたのは、わずか二十年ほど。まさに「諸行無常」だった平家の一瞬の活躍を、『平家物語』では「滅びの美学」として描いたのです。

 

『徒然草』で述べられていた、『平家物語』の作者。

『平家物語』はもともと、中世から近世にかけて琵琶法師によって語られたものでした。琵琶法師たちは平家と源氏の熾烈な争いで失われた武士たちの鎮魂のため、全国を旅しながら物語を語り継いでいました。そんな口承で伝わっていた背景もあり、“づんどおどり越え”、“むずと組んでどうと落つ”など、擬態語を使って生き生きと武士の活躍を描けており、現代でも古文としては比較的読みやすいことも特徴のひとつです。

『平家物語』の作者は誰なのか、今なお作者は断定できていません。これまでにもさまざまな説が唱えられてきましたが、吉田兼好が記した『徒然草』によれば、信濃前司行長しなののぜんじゆきながという人物が作者だとされています。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古のほまれありけるが、(中略) この行長入道、平家物語を作りて、生仏しょうぶつといひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を殊にゆゆしく書けり。九郎判官くろうほうがんの事はくわしく知りて書き載せたり。蒲冠者かばのかんじゃの事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬のわざは、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。

『徒然草』第226段より

【現代語訳】
後鳥羽院の御時、信濃の国司(現在の長野県で行政などを行っていた役人)であった中山行長は、学問の道で優れた人物だった。(中略)
この行長は『平家物語』を書き、生仏という名の盲目の法師に教えて語らせた。山門(比叡山延暦寺)のことは特に詳しく書けた。九郎判官(源義経)のことはよく知っていて、詳しく書いている。蒲冠者(源範頼みなもとののりより)のことはよく知らなかったのか、多くのことを書き漏らしている。武士や弓馬の道については生仏が東国の生まれであるため、武士に詳しく聞いてから書いたのだろう。

このように、『徒然草』には作者とされる人物について詳細に記されています。ただ、信濃国の国司を務めていたとされる信濃前司行長がいたことは記録に残っていません。さらに『徒然草』は、『平家物語』の成立よりも100年ほどが経ってから書かれたもの。吉田兼好が誰かから聞いた情報を書いている可能性もあるため、信濃前司行長が作者である……とも言い切れないのです。

仮に信濃前司行長が作者だったとしても、日本各地を舞台とした平家一門のさまざまなエピソードをひとりの人間がまとめ、壮大な物語として執筆することは容易ではないでしょう。そして戦を描いたノンフィクションだけでなく、ときには妖怪を退治した冒険譚も存在します。そんな創作部分も含め、『平家物語』を信濃前司行長ひとりが書いたと断言するのは難しいのです。

今なお謎に包まれた部分も多い『平家物語』。こう聞くと、ミステリアスな作品に思えてきますね。

 

『平家物語』に登場する、美しく儚い女性たち。

屈強な武士の活躍の裏で、女性たちの悲哀も描かれる『平家物語』。彼女たちの美しくも、儚いエピソードを追ってみましょう。

最期まで愛する人といようとした女武者、巴御前ともえごぜん

『平家物語』の中盤から描かれるのは、各地で蜂起した源氏に追われる平家一門の姿です。このきっかけを作ったのは、奇襲によって平家を退けた倶利伽羅峠の戦いで名を上げた木曾義仲きそよしなか(源義仲)。破竹の勢いで京都に迫り、平家討伐の礎を築いたものの、やがて不仲だった源頼朝と雌雄を決することに。平家打倒のヒーローだったはずの義仲は一転、源氏の立場にありながら追われることとなります。

木曾殿は、信濃より巴・款冬やまぶきとて二人の美女を具せられたり。款冬はいたはりあッて都にとどまりぬ。中にも巴は、色白う髪長くして、容顔誠に美麗なり。有難きつよゆみ精兵せいびょう、弓矢・打物取ッては如何なる鬼にも神にもあはうと云(ふ)、一人当千の兵なり。究竟くっきょうの荒馬乗り、悪所落し、いくさといへば、まづさねよき鎧きせ、大太刀・勁持たせて、一方の大将に向けられけり。度々(の)高名、肩を並(ぶ)る者なし。されば、多(く)の者共落失(せ)討たれける中までも、七騎がうちまでも巴は討たれざりけり。
『平家物語』第九巻『木曾の最期』より

【現代語訳】
木曾殿は信濃から巴、款冬という二人の美女を連れて来ておられた。款冬は病のために都に留まっていた。巴は肌の色が白く、髪は長く、容貌は実に美しかった。弓矢や刀剣を手にすれば、いかなる鬼神とも対峙しようという一騎当千の武者だった。屈強な駻馬を乗りこなし、難所を越えることだって造作もない。よいこしらえの鎧を着せ、強弓・大太刀を持たせたうえで軍の大将を命じれば、誰も敵わなかった。多くの兵が討たれ、残り七騎となる状況であっても、巴は討たれていなかった。

その義仲に仕えていたのが、女武者である巴御前です。戦場では誰にも負けず、美しかった巴は、義仲の愛人でもありました。

頼朝軍によって近江まで追い詰められ、兵士もさらに討たれた今、義仲の元にいる者たちはたった5人。死を悟った義仲は「お前は女だからどこにでも逃げろ」、「最後まで女を連れていたと言われるのは恥だ」とその中にいた巴を説得します。巴は最後まで愛する義仲に添い遂げたいと考えますが、敵を倒した後、甲冑を脱ぎ捨てて走り去ります。

このとき巴が抱いた思いは、能の演目『巴』の題材となっています。木曾の生まれである旅の僧が、粟津の地で巴の亡者と出会う物語となっていますが、彼女の魂が義仲終焉の地にとどまっているのは、「あんなにも恋い慕っていたのに、一緒になれなかった」という後悔がいつしか恨みとなっていたからこそ。

義仲に最後の奉公をしようと考えた巴は、敵の首をねじ切って捨てるほど強い女武者でした。しかし、『巴』で描かれる巴は、義仲を愛していたひとりの女性そのもの。それまで強い女武者であった巴が、生き別れの瞬間にはひとりの女性として義仲を思っていたことを考えると、なんとも涙を誘う展開だと思いませんか?

生き残るも、若くして出家の道へ。悲劇的な運命を迎えた平徳子。

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山口県下関市にある壇ノ浦の古戦場跡、「みもすそ川公園」にある“安徳帝御入水之処碑”。二位尼が入水直前、安徳天皇に語りかけた辞世の句が刻まれている。

『平家物語』の幕引き役を担う、平清盛の娘である平徳子(建礼門院)。最終巻では、徳子のもとを訪れた後白河法皇の前で彼女が自らの人生を顧みる場面が描かれています。

源氏の攻撃により、都を追われた平家一門。壇ノ浦の戦いでは、敗北を悟った平知盛が徳子やその母、二位尼(平時子)たちの乗る船に乗り移り、「これから珍しい東男をご覧になることでしょう」と語りますが、ここでいう「ご覧になる」は、「肉体関係に及ぶ」、「契りを結ぶ」ことの婉曲表現。このままでは、源氏の兵に捕まって強姦されることになる……自分のおかれた状況を知った二位尼は、幼い安徳天皇を抱いたまま、入水する覚悟を決めます。

その様子を見た徳子も海へ身を投げようとしますが、源氏軍の持つ熊手に髪を引っ掛けられ、船に引き上げられます。生き残った平家の人間が次々と処刑されるなか、彼女は山奥の寂れた寺で出家。京の都にある小さな尼寺、寂光院じゃっこういんに身を置き、我が子、安徳天皇と平家一門の菩提を弔うこととなるのでした。

女院重ねて申させ給ひけるは、「我身、平相国のむすめとして天子の国母こくもと成りしかば、一天四海は皆掌のままなりき。拝礼はいらいの春の始より色々の更衣、仏名の年の暮れ、摂禄以下の大臣公卿にもてなされし有様は、六欲・四禅の雲の上にて、八万の諸天に囲繞せられ侍(ふ)らん様に、百官悉くあふがぬ者や侍(ひ)し。清涼・紫宸の床の上、玉の簾のうちにてもてなされ、春は南殿の桜に心をとめて日を暮し、九夏三伏の暑き日は、泉を結んで心をなぐさみ、秋は雲の上の月を、ひとり見ん事をゆるされず、玄冬素雪の寒き夜は、つまを重ねてあたたかにす。長生不老の術をねがひ、蓬莱不死の薬を尋ても、只久(し)からん事をおもへり。明ても暮ても、楽(し)みさかへ侍(ひ)し事、天上の果報も、是には過じとこそ覚(え)侍(ひ)しか。

『平家物語』潅頂巻「六道之沙汰」より

【現代語訳】
建礼門院殿は重ねて申し上げることには、「私は平相国清盛の娘として先の安徳天皇の母となり、天下は思いのままでした。新年の行事が催される春の初めから、色とりどりの衣替え、仏名会の催される年の暮れ、摂政をはじめ、大臣や公卿にもてなされたときの様子は六欲天・四禅天の雲の上で八万の諸天に囲まれかしずかれているようで、文武百官に私を仰がない者はおりませんでした。清涼殿・紫宸殿の床の上、玉の簾の内で大切にされ、春は南殿の桜を愛でて日を暮らし、九夏三伏の極暑の日には泉をすくって心を慰み、秋は雲の上の月を独り見ることを許されず、白雪降る玄冬の寒夜は衣を重ねて温まったのです。不老長寿の術の会得を願い、蓬莱の不死の薬を探して、ただ命を延ばすことばかり考えていました。明けても暮れても楽しみ栄えていた頃は、天上の果報もこれには敵うまいと思っていました。」

後白河法皇に対し、平家が栄えていた頃の思い出を語る建礼門院。驕り高ぶった絢爛豪華な生活とは大きく異なり、幼くして海に消えた我が子を弔っている立場にあります。

また、与謝野晶子は、そんな建礼門院についての歌を詠んでいます。建礼門院は歴史が動いたことで悲劇を迎えることとなりました。

ほとどぎす 治承寿永ちしょうじえいの おん国母 三十にして 経よます寺

歌集『恋衣』より

【意味】
ほととぎすが鳴く。治承寿永の戦乱に、三十歳で出家された安徳帝の母君の建礼門院が読経の日々を過ごされた大原寂光院が想われる。

全てを手にした平家一門で、国母こくぼとなって人々から尊ばれた一方、壇ノ浦の戦いを経て仏道に身を置いた彼女の運命もまた、「諸行無常」を感じさせますね。

 

軍記物かと思えば、妖怪退治まで?フィクション要素も多い『平家物語』

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『平家物語』で描かれたのは、源氏と平家の戦いだけではありません。時には武士たちが妖怪と戦うエピソードも登場します。源頼政が帝を悩ませる怪異、“ぬえ”を倒した話もそのひとつです。

近衛天皇が在位していたころ、帝は毎晩何者かに怯えていました。どんなに有名な高僧がお祓いをしても、効果は皆無。帝は「丑の刻(およそ午前1時〜午前3時の間)になると東三条の森から黒い雲が沸き立ち、御所の上空を覆って苦しめるのだ」と怯えるばかりです。

かつて源氏の棟梁・源義家が行った“弓を鳴らす儀式”によって同様の出来事が解決したことから、源頼政が御所の警備を命じられます。「自分は本来反逆者を退ける立場だ。目に見えないような怪異を退治しろと言われても困る」と不満を口にしながらも、渋々御所の警備につく頼政。

頼政が武器として持ち込んだのは、先祖の源頼光から受け継いだ弓とたった2本の矢でした。頼政は「1本目の矢を外した場合、自分を妖怪退治に担ぎ出した源雅頼を射殺してやろう」と考えます。

案のごとく、人の申すにたがはず、御悩の剋限に及ンで、東三条の森の方より、黒雲一村立ち来ッて、御殿の上に棚引いたり。頼政きッと見あげたれば、雲の中にあやしき物の姿あり。是をいそんずる程ならば、世にあるべしとはおもはざりけり。さりながら、矢とッてつがひ、南無八幡大菩薩と心のうちに祈念して、よッぴいてひやうど放つ。手ごたへしてはたとあたる。「えたりやおう」と矢さけびをこそしてけれ。猪の早太つッとより、落ところをとッておさへて、つづけさまに九刀ぞさいたりける。其時上下手々に火をともいて、是を御覧じ見給ふに、かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなは、手足は虎の姿にて、なくこゑ、鵼にぞ似たりける。恐ろしなどもおろかなり。

『平家物語』第四巻『鵼』より

【現代語訳】
案の定、帝が怯えられる時刻になると、東三条の森の方から黒雲が一叢湧いてきて、御殿の上にたなびいた。頼政は、きっと睨み上げると、雲の中に怪しい物の姿があった。「射損じようものなら、生きてはいられない」と思いながら矢を取ってつがい、「南無八幡大菩薩」と心に念じ、引き絞って、ひゅっと放つ。手応えがあり、「仕留めた、よし!」と、叫ぶ。(従者の)猪早太がさっと近づき、落ちた獲物を取り押さえ、柄も拳も突き抜けんばかりに、続けざまに九回刀を刺し込んだ。内裏の上下の人々が灯りを手にこれを見ると、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿で、鳴き声は鵺に似ていた。恐ろしいなどというものではない。

見事に鵼を退治した頼政は、近衛天皇から「獅子王」という名刀を授けられます。当時左大臣を務めていた藤原頼長が、近衛天皇から預かった獅子王を、頼政に渡そうとしたとき、どこからともなくほととぎすの鳴き声がしたといわれています。それを聞いた頼長は、頼政を前にこう詠みます。

郭公名をも雲井にあぐるかな

【現代語訳】
ほととぎすが空高く鳴いている。そなたも同じように、宮中に名をあげたものよ。

一方、それを聞いた頼政はすぐさまこう返します。

弓はり月のいるにまかせて

【現代語訳】
三日月がある方向へ、弓を射っただけのことです。

これは「弓を張ったような形の月」と「弓」、「月のいる方向」と「射る」を掛けた歌。武芸に秀でただけでなく、優れた歌を即座に返すことができる教養を持った頼政を、近衛天皇はさらに高く評価しました。

このように、『平家物語』は実在の人物を登場させながらも、フィクションの要素も強く持っています。どこからが事実で、どこからが創作なのか……その不思議なバランスもまた、作品が持つ魅力と言えます。

 

女性の悲哀から妖怪退治まで。さまざまな要素が詰まった『平家物語』を読もう。

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「古典は意味もよくわからないまま、ただ暗記をしていた」という方もいるかもしれません。『平家物語』はよく知らないけれど、冒頭部分だけをなんとなく覚えているという方も多いでしょう。しかし、ただの軍記物だけではなく、強く美しい女性の悲劇や、不思議な化け物退治のエピソードといった側面は、作品を読まなければ見えてきません。

力強くも儚い平家の運命を描いた『平家物語』。大人になった今、あらためて読むことで、新たな魅力や作品の良さを感じることができるはずです。

【参考文献】
『平家物語』(上)、(下)三弥井古典文庫/佐伯真一著
『平家物語ハンドブック』/小林保治著
『平家物語の怪 能で読み解く源平盛衰記』/井沢元彦著
『改訂増補 最新国語便覧』

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